・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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呆れ民主主義 :11 文武分裂

2018年10月27日 | つぶやきの壺焼

文武両道という言葉があります。
これは、「文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、秀でていることを指す」こととされています。(Wikipedia)

文武両道は、文を主においた、和を貴ぶ本来の伝統であるという説を唱える人もいますが、熟語の中の文字のあとさきには、さほど大きな意味はないでしょう。
文と武が二つ並んでいれば、その両方とも偏りなくというのが素直な読み方です。

誰かへの何かの弱みが脳の傷になって、文武が分裂すると、どちらか一方が極端に弱くなります。
文の弱者と武の弱者が、相対して距離の縮まったとき、不幸が始まります。
訪れる不幸ではなく、自ら招き入れる不幸です。

文武の文の感覚をなくしてしまった人は、相手のことを考えない暴力行為に走ります。
乱暴をするほうは、その場の身近にいる人に強いところを見せつけたいという欲求だけが強くなり噴出させます。
武を振り回すことにしか生きがいを見つけられないようになってしまっています。

文武の武のほうを極端に嫌う人は、相手の武の乱用にも無抵抗を続け、やがて相手が目覚めるのを待つことにしか知恵も働きません。
それが最も良い方法という信念があるのでもなく、そうするしかないと思い込んで、頭も体も反応しないのです。

民主主義を国名にまで組み込んでいて、なぜか文を失った独裁者が、武を誇張し威力を示したがる国があります。
一方、どんな相手にも、武で対決する心を出させないよう、こうしなさいと言われた法律を、70年も後生大事に守り続けている国もあります。

それぞれに文武分裂の障害を抱えているだけで、知恵がないわけではなく、当座のそろばん勘定にしか知恵の働かないことが、分裂障害修復を阻む要因になっているのです。

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