何か珍しいことが起きると、それを見ていたかのような報道が続きます。
報道される内容が少しずつ変わっていくこともあります。
変わっていく原因は、証言者と記者の言うこと聞くことが、広がったりひっくり返ったりするところにあります。
証言者が増えれば話の食い違いが出てくるのはあたりまえで、記者の書くことも報道機関の都合で変わる場合があるでしょう。
報道を受け取るほうは、そこで本当のことがわかるとは思っていません。
本当のことを知りたいような顔をして、話の食い違いを楽しんでいるかのようです。
話が変な具合になればなるほど、ニュースが売れ、報道機関は商売繁盛ということになります。
ニュースは、知る必要のないことほど喜ばれるからです。
話をやり取りするほうは喜んだり楽しんだりしていても、当事者と証言者には大いに迷惑です。
事情聴取も済まないうちから、記者会見や取材という公認の情報漏洩手段を通じて絞り出されたもの、あるいはそこを通ってきたかのような作り話の混じったものも、真実というレッテルをおでこに貼って走り回ります。
ニュースで人々が楽しむには、誰にも迷惑を及ぼさないという、けじめがなければなりません。
真実を知らせる義務や言論報道の自由を主張しても、迷惑をかける自由は認められないのです。
やがて受け取るほうが言いたくなるのは「えぇ加減にせい」のひとことです。