競うということには対象になるものが必要です。
問題は、競う対象をどうするかにあるようです。
競う対象を見いだせないと、無理やりに"かたき役"を作ることになります。
かたき役には、力をもったものが適役です。
競う相手はすべて敵としか教えられずに育った人びとには、終身敵愾という呪縛から逃れられない不幸が続きます。
個人の場合は「お気の毒に」で済みますが、学校教育の方針が"かたき役"づくりでは、国全体が不幸の塊のようになります。
どこかの国がそうであった場合、外交での対話など効き目はありません。
相手にしないわけにもいかず、スポーツでさえ"かたき"にされ、芸能交流だけではどうにもなりません。
曲がってしまった国家感情に、曲がり方に沿うような付き合い方は無為無策、まったくの無駄ごとでしかありません。