・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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成長の下手な生物:30

2017年10月07日 | つぶやきの壺焼

生物は、感性情報処理から知識情報処理に向かって進化していくものとされてきました。
ところが近ごろは、知識情報処理用具であったコンピューターを、感性情報処理の用具へと逆方向に進化させることに、人びとが懸命になっています。

この逆らい方は、生物の在来の進化様式では先に希望が持てないので見切りをつけ、別の方向に踏み込みはじめたということなのでしょうか。

人間は民族によって感性の持ち方が異なります。
感性ということばにグローバルな定義がないのは、定めようがないからです。
翻訳をしても意味が少しずつ違い、人により場合によって、違う言葉になることもあります。

異民族を無理やりつなげていくには、どちらか一方がおせっかいを焼き、もう一方がそれを煙たがるという、感性の不一致を乗り越えなければなりません。
それを力ずくで片付けようとすれば、成長とは逆の方向に、みなが動き回ることになります。

人間の共同とか提携とかは、感性の一致をみなければ成り立たないでしょう。
知性や理性を基につくられる条約には、感性を盛り込むことはできません。
感性を頼りに共同・提携の機構を作りあげようとするのは、どだい無理なのかもしれません。

感性はあてにできることではなく、それのみでは信頼の対象にはなりにくいのです。
感性に訴えることばが政党名にされることもありますが、それにはすぐに対語を持ち出され、揶揄の対象にさえなります。
外交が大きな政治課題である時代に、感性を政治の世界に持ち込もうというのは、見当違いではないかと思うのですが・・・。

 

 

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