・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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偏見は気づかずに造られる

2012年10月12日 | つぶやきの壺焼

ケンミンショーというTV番組がある。
あるところで、特別な名の定着した食べ物、行事、あるいは生活習慣をみつけると、それを面白おかしく紹介している。
しかし、この番組は、笑って見ていながら、どこか地方をゆがめて見ているのではないかという気もして、スカッとした心地よさが味わえないのが残念である。
ちょっと変わった食べ方をする、変わった遊び方をする、どうということのないそのことを、騒ぎ立てることによって、あそこの人たちはああいうことをするのだというふうに、皆がそうでないのに皆がそうなのだと思ってしまう。

悪く言っているのではない、というつもりでも、そこから何か偏見の素地のようなものが生まれそうな気がする。

昔、外国の遺跡の見学で、狭い出入り口に我先にと殺到し、まったく動きが取れなくなったことがあった。
困った状況を作ったのが、その国の人たちであるのを見たとき、ああここはこういう国なのだ、と思ってしまい、何年経ってもその光景が頭から消えない経験を味わっている。

このことは、ある一面しか見ていない、しかもごく断片しか見ていない、それでも何かことが起これば、やはりそうなのだという思いに結びつく。

偏見は、印象の断片が焼きついた形で生まれる。
その断片は、よほど強力なものに出会わない限り、剥がしても擦っても消すことができないもののように思う。


ローカル線の味―鉄道でゆく地方色豊かな味覚の旅
野口 冬人
自由國民社