2023年1月8日 21時です。
今日は一斉巡教の原稿を作っていました。
その中で、
年祭活動について、「道の辻にあった人にでもにおいをかけてくれ」という話しがよく引用されていたなぁと思い出して、おさしづを検索してみました。
そこで「道の辻」で検索したところ、下の2件が出て来ました。
読んで色々と思いましたので、思いつくままに書いておきます。
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1つ目のおさしづは、松村吉太郎先生の身上に関しての伺いですが、教会や本部員、役員に対するお話と思いました。
さらに、教会名称については道の辻々という表現がなされています。
また、にほいがけとよく言いますが、このにおいがあるうちにしっかりとつながないと大変な事になるという注意をされているとも思えます。
また
黒ほこり、泥ぼこり立ち切ってある。この黒ほこり、泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又守護した処が、世界へどう見えるか。
と言われています。どんな事情があったのかは分かりませんが、この「ほこりだらけで諭しようもない、守護のしようもない」というおさしづは、愛知大教会が設立された当初、初代会長が辞職して、後任の会長が定まらない時のおさしづにも同様なおさしづがあり、人間思案でドロドロしている状況が良く分かります。
そして、
あの者には義理や、この者は放って置けん、という人間心の理から世界の曇りとなる。数々の曇りは皆この理一つにある程に/\
と、そうした人間思案のほこりの元について、「あのものには義理や、この者は放っておけん」という「身びいき・身勝手」が元であるとも、このおさしづから分かります。
親神様はすべての人間を助け上げたい一心ですが、理を外して、人間の方が「身びいき身勝手な心」を使って、我が心を曇らせて、その御守護を頂けなくしている事が良く分かると思います。
私の父親は、大教会の住込みをしていて、よく初代会長を辞職に追い込んだ役員たちの話を聞きました。
そして、その役員の家はすべて断絶してしまいましたので、そうならないようにと、どんなつらい中も理を外さぬようにと、心を抑えて頑張っていてくれました。
今私が、事情教会でこのような事が出来るのも、亡くなった父親が頑張ってくれて、またそうした話をしてくれたからこそと思っています。
No.1 :(4巻2738頁9行)
明治30年2月1日
『松村吉太郎風邪引き咳出て困り居る後へ、小人義孝口中舌たゞれ、口中悪しくに付願』
さあ/\尋ねる処/\、まあ/\いつ/\の尋ねにも皆事情から、それ/\遠い所から知らしてある。そんならどういう事知らして貰ろたというようなもの。よう聞き分け。身上々々余儀無く事情から尋ねる。皆んな事情、十のものなら七つまで道の理に掛かる。なれど、三つだけは取って、後七つは遠い影のように思うて居る。まあ/\長い間、どうどして/\と思えど、どうもならん。これがいよ/\という理に迫まり切ればどうなるぞ。どうもならんから、前以て知らしたる。一言の理は万言(まんこと)の理に当る。理ばかりや。どうも難しいてならん。さあ/\一時身上に差し掛かれば尋ねる。尋ねばさしづ。さしづの中にどういう事も皆映してある。このさしづというは、十人の心にさしづしたようなもの。よう聞き分け。この道は心次第の道。一条(ひとすじ)の道を万筋(まんすじ)に通るは皆心という一つの理から出る。互い/\話し合うた、結び合うた事もある。それはよう/\の日、よう/\の心、日を取り違えしたようなもの。日と心とこの理を聞き分け。成ってから言うた処が取り返やしはならん。よう/\にをいある間に結んでくれ。にをい褪(さ)めてからはどうもならん。皆千切れ千切れである。千切れ/\になりてからは、容易な事では繋がれん。春風のようなそよ/\風の間は何も言う事は無い。神も勇んで守護する。なれど今の事情はどうであるか。黒ほこり、泥ぼこり立ち切ってある。この黒ほこり、泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又守護した処が、世界へどう見えるか。よう聞き取れ。大変口説き話である程に/\。一人の身上から引き出して諭する理。しっかり聞き取れ。一人二人で付いた道ではあろうまい。国々それ/\名称々々の理を下ろし、言えば道の辻々ともいう。十分の理ともいう。さあ付け掛けた道は、付ける程に/\。なれど、鏡やしきや、ぢばやという理、龍頭の事情、今の事情、これが世界の鏡となるか。龍頭が濁れば、辻々は一時にどないになるやら知れんで。本部員や役員と言うなら、世上へ映る鏡やしき。曇り事情踏み止めてくれにゃなろまい。一日の日よりしっかり定め掛け。皆々よう聞かして下されたという理が分かれば、一つは精神の定める理も出来るやろう。ぢばも鏡なら、世上も鏡、世上の理も映れば、ぢばの曇りも皆映る。あの者には義理や、この者は放って置けん、という人間心の理から世界の曇りとなる。数々の曇りは皆この理一つにある程に/\。尋ねた小人の事情は、一寸には大層なれど、心の事情によれば案じる事は要らん。これだけ知らし置こう。
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次のおさしづは、明治40年 おさしづが止まる年のおさしづで、
「もう三十年祭は八年より無い」
の言葉から、教祖30年祭に向けての話と思えます。
今年祭に向けて三年千日と言っていますが、このおさしづを読むと、8年も前にこれから心して動けと言われているように思えます。
そして
この人ににをいを掛けんならんと思えば、道の辻で会うても掛けてくれ。これからこれが仕事や。
この言葉がよく引用されます。
声を掛けるのは人間でありますが、その声を使って人々に働かれるのは、親神様・教祖であるという事をしっかりと心に置く必要があると思います。
さらに、
これが話のだめの話。今後どうしてくれ、こうしてくれ、これよりありゃせん。これ了うたら、三四年か五六年は皆々働いてくれにゃならんで。働いたら働いただけのこうのう皆々ある。ほんになあと、もう変わったなあと言うて、これから楽しんでくれ
と、この心で勤めたら、後にはどうなるかとも示されています。
私が大教会で青年をしていた頃の事です。
当時、おぢばがえりのマイクロバスを運転していた時には、よく後ろに座られた方と話しながら運転をしていました。
ある信者さんでしたが、色々と悩まれていたそうで、その悩みを聞きながら思いつくままに、教祖が説かれた話をしていました。
何を話したか覚えていませんが、その話がその方の胸を掃除して下さったようで、それから立ち直られて、今でも大教会の月次祭にはお米をお供えされています。
ですから、自分がどうこうではなく、逸話編やおふでさき、またこうしたおさしづの教祖のお言葉は、教祖がお働き下さる上にとても重要だと思うばかりです。
No.2 :(6巻4655頁4行)
明治40年4月7日午後9時30分 陰暦2月25日
『多人数の中へにをいがけと仰せ下さる故、明日は分教会長も帰りますが不参の者へは手紙を出して呼び寄せ話致します、と申し上ぐ』
にをいの事早いほがよいで。急いでやってくれ。急いでやってくれにゃならん。急いでやっても良い加減になる。残らず/\遠い所、悠っくりして居ては遅れる。この人ににをいを掛けんならんと思えば、道の辻で会うても掛けてくれ。これからこれが仕事や。
さあ/\変な話を聞かさるやろう。これやなけにゃならん。さあこれまであちらでもこちらでも、どうやろうこうやろうと、心というもの散々(さんざん)になってあった。なれど、これからこう成ったと、一つに成った事仕切りて言うてくれ。もう三十年祭は八年より無い。どうでもこうでも三箇年前からにをいを掛けて丁度よい。隅から隅まで心置き無うやってくれ。ころっと風を変え、直接やと言うてくれ。早く話して聞かせ。
これが話のだめの話。今後どうしてくれ、こうしてくれ、これよりありゃせん。これ了うたら、三四年か五六年は皆々働いてくれにゃならんで。働いたら働いただけのこうのう皆々ある。ほんになあと、もう変わったなあと言うて、これから楽しんでくれ。
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ふと思い立ったので、思うがままに書きました。
親神様・教祖ありがとうございました。
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