5月10日にとても鮮やかに夢を見た。
それは、私が腹を立てて、世の中に絶望して、放火をする夢だった。
夢の中で、冷静にこれは夢だろうと思う自分と、自暴自棄になって行動する自分がいた。
何に腹を立てていたのかは分からない。
そして堂々と放火をしたのではなく、分からないように放火をしたのである。
悪い事にばかりに意識が行き、その後どうなるのかなど全く考えていない。
これをする以外に道は無いとまで思い込んで、隠れて火を放った。
燃えている様子は見ていない、場面は消火も済んだ後に代わっていた。
焼け焦げた周囲の家々を見て、何の関係もない人々にまで迷惑を掛けた事を思った。
そして、自分のしたことの大きさに気が付き、自分がした事がばれないだろうか。と悩み。
これならば自殺した方が良いのではないかと苦しむ自分があった。
さらに、こんな事で悩むのならば、しなければ良かったと反省するところで夢が覚めた。
目が覚めてから、加害者として反省をする時の気持ちがとても辛かった。
自分が迷惑を掛けられるよりも、ずっとずっと辛かった。
その辛さからどうしたら抜け出せるかと考える事がとても多かった。
その抜け出す一つの手段が自殺というものだった。
なぁと思った。
そして、久々に見た夢。これは何のお知らせだろうかと思った。
夢を見てから、一日が経った。
大分、鮮明に覚えていた事が薄れて来ている。
昨日妻と、大教会の人にこの夢の話をした。
妻は笑っていた。
大教会の方は、「夢の中で反省までするなんてすごいですね。」と言われた。
忘れないために記録しておきます。
今日は、月次祭の準備です。
昨日からとても良い天気です。
「全教一斉ようぼく活動日」について、昨日書きだしましたが、途中で止まっています。
この行事について、多方面から様々な意見が聞こえてきます。
支部内でも様々です。
心それぞれ皆違います。経験も千差万別です。
大切なのは、思案・行動・結果、そして思案でしょう。
その道中に、様々な情報を得て、思案が変化します。
会議をするのも、その一つです。
組織もその一つです。
なぜ自分がその中にいるのか。
なぜその立場にいるのか。
いんねんを自覚するという事も、思案する上には重要な事です。
こうした考え方が、腹を立てる所を腹を立てずに、冷静になれる元だと思います。
「心澄み切れ極楽や」
「心澄み切る教えやで」
「人が何事言おうとも、神が見ている『気を静め』」
です。
9日には、突然フランスへ帰る義妹を伊丹空港へ送る事になりました。
昨晩、無事に着いたとの連絡をもらいました。
大変な中、海外で勤めてくれています。
送らせてもらえてよかったです。
また、9日には吸収合併後の処理について、若い上級会長を連れて法人課へ相談に行きました。
前会長が吸収合併については行っていたのですが、事後処理が難しく若い会長にしてもらったらと助言をして実現しました。
そして昨日、大教会に行っている時に、連絡が来て必要な書類を送ることができました。
また、母親に義妹の事を報告でき、安心してもらえました。
9日、当番明けで通常ならば身体が動かぬ中でしたが、
すべて私の上では、無理もなく良いタイミングで関わる事が出来ました。
大教会から帰ったところ、さすがに疲れが出て休みました。
親神様に凭れて、今日も一日よろしくお願いいたします。
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