今月の会報には、太陽の光が強くなった事や方位磁石の指す北が大幅にずれて来た事、さらには太陽の登ったり沈んだりする場所がこれまでとはずれてきている事などの話を書いた。
このブログや私の個人アカウントのFacebookを見ている人々には周知の事だと思うが、空を見ない人々には分からない事である。
地球自体また、地球を取り巻く宇宙がこれまでとは違って来ているのである。
しかし、人間の考えがこれまでと同じ考え方をして、解釈をしているから、いつまでも異常気象などという言葉で、これまで通りに物事が起こる事を前提としているのである。
つまり、これまでの事を物差しとして、物事を考えていては理解不能な事柄が起きているという事である。
それに対処するには、現在起きている事を改めて情報収集して、分析、解析する必要があろう。
考えかたの例えとすれば、これまで目に見えていた事だけで判断していたものから、目に見えないものの動きを感知して判断するようになるのと同じように、これまで考えにいれていなかった事柄も含めて、新たに考えて行かねばならないのである。
今日久々にブログを書いているのは、表題に書いたように、大雨の中に見せてもらった事があったからである。
先日アルバイトに出かけた時、久々の大雨だった。
大雨が止んだ時に、少しの間日が差してきた。
雨に濡れた車の荷台の木の部分から湯気が出ていたのを見つけた。
最初、燃えているのかと思ったくらいの湯気であった。
よく観察をすると、日の光が当たったところが温まり、そこから水蒸気が出て来ていたのであった。
気温自体は、寒いと感じはするが、人の息が見えるほど寒くはない。
つまり、水蒸気として見えるだけの温かい湯気が出ていたという事である。
虫眼鏡で光を集めれば、火がつく事は誰もが知っている。
それまではなくとも、これまで以上に、光の力、熱量が増えているのだと改めて感じたのである。
さて、天理教は、元の神様である親神 天理王命様を信奉している。
この神様は、10働きの神様を寄せて、天理王命と称されているとも教えられ、天理王命様の働きに神名をつけたとも教えられる。
理解が追い付かない人々が多い事だろう。
多神教からすれば、先の考え方。
一神教からすれば、後の考え方となろう。
そこで争論となってくる。
これらを総合的に理解する考え方が必要だと思うのである。
うまく言葉にできないが、そうした時期であろうとも思えるのである。
政治の世界もそうである。
人間とはという考え方が必要である。
ただ人間の形をしている者を人間とするか。
目に見えない魂、心が入っている者を人間とするか。
そして、その心がどうかで、善悪としたり、神仏、神悪魔などなど、色々な見方ができるのである。
そうしたこれまでの事を踏まえて、新しい考え方を構築する時とも思えるのである。
医学にしてもそうである。
人間の体を治す上に、薬が使われて来た。
その薬の使用方法について、どんな心で用いるかによって、良薬にもなり悪薬にもなるのである。
親神様は、「悪気を和らげてしのぎやすくするために、仏法などの教えや薬を教えられた」と聞く。
その教えられたものを悪用する者も出て来て、人心を惑わす状況にもなっているのである。
天理教の教えを学ぶと、とても奥が深く、すぐには分からない。
八つのほこりの説き分けを聞いて、それを実践しようとすると、とても私には無理!と思えてくる。
その最終的なものが、誠真実であるとも教えられる時、もっともっと大変だと思えてくる。
けれども、誠真実で繋がらなければ、陽気ぐらし世界にはなれないのである。
自分が一人で自分を変えようと思うから無理だと思えてしまう。
親神様に願い、親神様に凭れて導いてもらえば、変わって行けるのである。
悟りと実行が変わるきっかけだと思う。
それには時がかかる。
先日80を迎えた方と話をしていて、
「その年まで生きて来たからそうした考えも出来ますよね。人生50年で若くして出直すのが当然の時には、そんな事は考えられなかったでしょう。子供や孫、そしてひ孫まで見るようになって、はじめて考えられますよね。ありがたいですね。」
というような事を話した。
人生にも色々な節があり、色々と考え方を変える時がある。
世界中の常識も変る時がある。
今がそうした時だと思って、それぞれに考えを巡らし、発見を喜んで通ればより一層親神様のご守護、お導きが頂けるようにも思える。
思うがままに。
今日は一日教会にいるので、「復元33号」に取り組もうと思う。
今日も一日よろしくお願いします。