あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

病の元は心から。。いんねんというが。。。。

2023年08月20日 06時23分37秒 | 思った事

人間は、幾万回と生まれ変わりを繰り返している。

その度ごとに、記憶は新しくなり、前生の記憶は覚えていない。

そして、その生れ落ちた境遇は、皆一応ではない。

様々な親の元に生まれる。

裕福な家に生まれる人もあれば、貧しい家に生まれる人もある。

ましてや、生まれながらにして親を亡くす人もある。

これらの境遇はすべて、生まれ変わり出変わりを重ねた時に積み重ねた「いんねん(心の積み重ね)」によってであると言われる。

 

このいんねんも「悪」もあれば「白」もある。

不思議なもので、「善と悪」「白と黒」とは言われずに、「悪いんねん」「白いんねん」と教えられている。

また、この「悪・白いんねん」混在している。

 

こうした心に、貸しものとして「身体」を与えられて、この世で生活をしているのである。

そして、その心を見定めて、親神様は様々な事をして導かれる。

 

人の身上を助ける上に、「ごくさん」を教祖はお渡し下さった。

これも、「はったいこ」から「金平糖」にそして現在の「お洗米」へと変えられている。

「お洗米」に変わったのは、不思議な御守護が現れる「ごくさん」に対して、医薬妨害としてあらぬ疑いがかかったからである。

「金平糖」の時には、金平糖のとげを心のとげに例えて、心のとげを溶かすようにと話された。

親神様の何とか助けてやりたいとの、心の籠った「ごくさん」である。

 

その間に「おさづけ」を渡されるようになった。

最初は教祖が見定めた方々に渡されていたが、最終的には9度の別席を運んだ人が頂けるようになった。

この「おさづけ」でも不思議が現れた。

おさづけは、我が身には使えない。

人のためにと思う心と、本人の助かりたいという心とが親神様に通じて不思議が現れる。

先日ある先生と話しをしていて、「おさづけをさせて頂く時に、自分の体が熱くなるような感じがする。そうした時には不思議を見せて頂けるのだが、そうでない時は不思議が見えない。」と聞かせてもらった。

おさづけを取り次ぐ方は、同じように「何とか助かって貰いたい」と思っても、身上の人に「疑いなどの心」があるからだろうと思った。

 

こうした疑いを持つ者たちでも、少しでも病が良くなればと、その時の対処として、薬や医学を教えられたとも聞かせてもらう。

 

信心していなくても、良い医者に、また良い薬に巡り合う人もあれば、懸命に良い医者をと探しても、巡り合わない人もある。

この差は何だろうか?と疑問に思う人がどれだけいるだろうか。と思う。

この疑問を思う人は、いんねんを理解しやすいかもしれない。

 

すべての元は、それぞれの心にあり、その心を受け取って親神様が様々な働きを見せて導かれる。

 

「かしもの・かりものが分からねば何も分からん。」

「かしもの・かりものが教えの台」と言われるが、正しくと思う。

 

思うがままに。。。

コメント
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