「復元」を研究する という、Facebookのグループで、「おふでさき」に関して書かれていた「続ひとことはなし」を順次投稿して、私の感じる所を書いていた。
その最後の所で、「おふでさきに関するおさしづ」のリストが書かれていた。
そのリストを乗せるだけで、ひとことはなしは終わりにしようかと思ったのだが、このおさしづに関して思うところを書いたら、おさしづを勉強するきっかけになるのではないかと、今公刊されている7巻本で調べて、順次投稿して来た。
それを、これから順次このブログに公開して行きたいと思う。
おさしづに関して書く事は、すべて現在の私が感じる事であって、教会本部が公式に出している解釈などではなく、あくまでも共々に考える「参考」になればと思って書くものであることを承知して頂きたい。
また、このリストは、8巻本でのリストである。
そこでまず、おさしづの8巻本と現行の7巻本の違いについて書かれてある「改訂 天理教事典」の「おさしづ改修版」の項目に、註釈をつけて下記のように書いておく。
【おさしづ改訂版】
公刊本「おさしづ」の公刊初版は、昭和2年(1927)から6年にかけて、33巻の分冊で出版された。これを昭和11年から12年にかけて8巻にまとめ、両年祭記念として全教会に下付された。
ところが、昭和の革新によりやむなく回収廃棄となった。第2次世界大戦終了後、直ちに復元を打ち出した中山正善2代真柱は、「おさしづ」の再販再下付を指示したが、紙型が使用に耐えなくなっていたので、再編集を企画、その業をこふき委員会に託した。
こふき委員会は、再度「おさしづ」の書き下げを収集し、筆蹟と紙質の鑑定を行い、従来の8巻本のものを
(1)本文については、
①平仮名を可能な限り漢字にあらため、
②読点(とうてん「、」)だけであったのを、句読点(「。}「、」)を併用し、
③重複を省き、
(2)割書については、
①教祖以外の人名は敬称を省き、中山様とあるのは眞之亮に、
②教理にしたがって用語を統一し、
(3)旧暦、新暦とあるのは陰暦、陽暦に改め、
(4)8巻目の補遺は各当該年に配当して、新しく収集されたものを以て新たに補遺とし、
(5)教会事情は、その目次を増補すると共に、明治26年(1893)以降の同じ言葉は、巻末に一括して50音順に配列したものである。これは、昭和38から41年にかけて7巻にまとめて出版・下付され、改修版と称した。教祖90年祭の折には、この改修版の縮刷したものが出版された。
とある。
つまり、ひらがなで書かれた8巻本の「おさしづ」が昭和12年までに発刊されたが、それが政府の方策により回収されて、昭和21年以後に漢字交じりの7巻本として再度発刊されたという事である。
さて
ここで一つ注意が必要と私が思う事は、元はひらがなで書かれていたものであることと、そしてそれを再編集する当時の人々の解釈で漢字が当てられているという事は、当てられた漢字が親神様の思いと違っている可能性もあるという事です。
その様に思う一つの要因は、
年数だけが違って、同じ日にちで同様の内容の物が、7巻本にある事からです。(※1 おさしづ「m30.8.14」『永尾よしゑ身上願』(4巻2804頁12行)と「m31.8.14」『永尾よしゑ身上願』(4巻3067頁9行))
重要な事は、正解を憶えるのではなく、正解を導く作業をする事だと私は思います。
その作業とは、調べて、ねりあうことで、これによって、それぞれが様々な悟りを得る事が出来、さらに実践する事で、成人の歩みの糧となると思われます。
・・・・
次に、本題の
『続ひとことはなし』に記されている『おふでさきに関する「おさしづ」』のみリストを以下に書き出しておきます。
ここに8巻という数字が出て来ますので、現行の「おさしづ」7巻本ではなく、その前に公刊された8巻本です。
・・・・
(1)●1巻 明治20年6月24日(旧5月4日) 増野正兵衛身上伺 通巻45頁 8行目
(2)●1巻 明治20年 松村栄次郎へ御指図 通巻59頁 8行目
(3)●8巻 補 明治20年7月23日(旧6月3日) 増野正兵衛体内あちらこちらうづくに付伺 通巻7648頁 13行
(4)●1巻 明治21年4月17日 夜9時 刻限 通巻86頁 8行
(5)●1巻 明治21年7月24日(旧6月16日)上段の間より本席様の台所を境とし渡り家取払ひ建家新築の願 通巻131頁 7行目 (6)●1巻 明治22年3月10日 松村吉太郎3月6日の御指図に『生涯の理もさとそ』との事に付伺 通巻307頁 12行目
(7)●1巻 明治22年4月28日(旧3月29日) 兵神分教会新築の事に付所々へ名をかたり行く者ある故、新聞に広告を出す伺 通巻343頁 4行目
(8)●1巻 明治22年5月7日(旧4月8日) 梶本松次郎二女みち夜泣き障りに付伺 通巻348頁 11行
(9)●1巻 明治23年9月7日午後10時30分 刻限 通巻792頁 5行目
(10)●3巻 明治26年1月13日夜2時45分 刻限の御話 通巻1714頁 12行目
(11)●3巻 明治26年7月12日夜 前の御指図12行目に付願 中山会長様の御身上願(久しく座りていられると目まいして座りていられる事出来ぬに付) 通巻2019頁 12行目
(12)●3巻 明治27年3月4日12時半頃 刻限の御はなし 通巻2289頁 3行目
(13)●3巻 明治27年4月3日午後2時 刻限のおはなし(但し政枝縁談の話) 通巻2331頁 5,6行目
(14)●3巻 明治27年7月26日朝 日清間事件に付朝鮮国へ人夫5百人本部より出す願 通巻2460頁 10行目
(15)●5巻 明治31年6月3日 先般梅谷たね、永尾御指図より本部員会議の上、農行衆なり日々本部で御勤被下青年の御方に、月々一度宛御話する事、本部長様の御許しに相成りしに付神様の御許頂き度願 通巻4229頁 13行目
(16)●6巻 明治33年9月14日夜9時 刻限の御話し 通巻5418頁 3行目
(17)●同巻 同日 同割書き 通巻5419頁 7行目
(18)●6巻 明治33年10月31日午前2時 刻限お話し 通巻5561頁 10行目
(19)●6巻 明治33年11月22日 安堵の飯田岩次郎の事情に付九州地方へ桝井政次郎派出する事願 通巻5619頁 7行目
(20)●8巻 明治37年2月25日(旧正月10日)此度神道本局より天理教会長に対し内務省よりの達しには教長是非上京せよとの事に付明日より御上京被下事御許の願 通巻6863頁 7,11行目
(21)●8巻 明治37年8月23日 日露戦争に付天理教会に於いて出征軍人戦死者の子弟学資補助会組織致度願 通巻6954頁 3行目
(22)●8巻 明治40年5月21日(旧4月10日)午前2時半 刻限御話し 通巻7581頁 8行目
以上
・・・・
※1 参考;おさしづ「m30.8.14」と「m31.8.14」『永尾よしゑ身上願』
この二つの資料から、様々な事がわかると思います。
No.1 :(4巻2804頁12行)
明治30年8月14日
『永尾よしゑ身上願』
さあ/\尋ねる事情/\、身上にどうも心得ん事情という。心得ん事情尋ねば事情はもうこれなか/\。これ何ぼうとも積むに積めん、事情つかえたる事情諭す。あちらこちらどんとどうもならん。今日は尋ねにゃならん日に成ったる。事情積むに積めん事情に成ったる。身上障り身上障りもだん/\ある。だん/\事情中にどうもならん事情ある。明日は今日はと思いながら、日々夜々堪えられん事情、この事情聞き取って悠っくり書き取って、さあ多く事情あちらでこちらで、これはどうも何とも言えん。言えんと言うて、諭せんと言うは分からん。これまで道すがら、善い道ばかりやない。艱難苦労いつ/\通り、よう/\日及んだる。よう聞き分け。深い話する/\。心という理をそれ/\互い/\理以て運ばにゃ、善い理というは埋みよい。理は埋みよいというはどうであろ。これ皆勝手という。勝手という理は、このやしきには一つも無い。長い年限杖柱という理は、深い理か浅い理か、これ聞き分けば何のさゝわりも無い。皆俺も/\勝手通りたる。この日が出てからどんならん。あちら又通りこちら又通り、怖わい/\と言う。今度通ろうと思て居て、その道変わりてありたら、いか程通ろと思て通れん。よう聞き分け。長い年限何処にどうという事あったんやない。杖柱という、天より入り込み始め掛けたる理聞いて居る。これまで長い年限今日から始め掛けようかと言う。杖柱という理聞き分け。聞き分けにゃならん。聞き分けして皆それ/\治まれば一時も治まる。これはこうやけれどこれでこうと、運んでからどうもならん。どんな道付けても取れて了たら通れん。三十年以来親子諸共という、これ杖柱という理、聞き分け。聞き分けば、これ重い理か軽い理か聞き分け。金銭で買われば相当の金を持って行けばよいもの。この一つ理聞き分け。今日の障りは、ほこり強いのやろうと言う。言う者は有ろまいなれど、心の理から今一時聞き分け。西とか分からん、東とか分からん。大難という中でも舵の取りようで行く。これ聞き分けにゃ分からん。今日の日明日の日分からん。続いて行けば、何処までも行けるなれど、変わりた事やと言う。世界有りてはならん。これ聞き分けて治まれば身は何でもない。出る者は勝手に出てると言う。入る道は、どうでも我が一名以て日々送り来たる。大難からおき中にさあ危ないという。どんな中でも舵一つの取りようで治まるという。
『押して、政甚の事』
さあ/\話し掛けたら理を分かる。何でもないよう思て居たら、ころりと違う。末代伏せ込んだ理は、親子貰い受けて伏せ込んだ。傭人とは違う。傭人なら何ぼかやればそれで十分。親子の理それ/\ある。これ話し掛けたら、ほんに成程の理分かるやろ。もう一段話。席という、席の心さしづは、席の心のさしづと必ず思うな。今日の席と言うたる。万事一時に尋ねば一時にさしづ。さしづは何処からさしづ。皆理持ったるさしづ。席と言うたて、心映りて話すれば、話する。人間心ある。人間心持っては、舵という理は何処にあるか。聞き分けてくれにゃならんで。
・・・
No.2 :(4巻3067頁9行)
明治31年8月14日
『永尾よしゑ身上願』
さあ/\尋ねる事情/\、身上にどうも心得ん事情という、心得ん事情尋ねる。事情はもうこれなか/\これ何ぼうとも、積むに積めん事情つかえたる事情諭す。あちらこちらとんとどうもならん。今日は尋ねにゃならん日になったる。事情積むに積めん事情になったる。身上障り/\もだん/\ある。だん/\事情中にどうもならん事情ある。明日は今日はと思いながら、日々夜々堪えられん事情、この事情聞き取って、悠っくり書き取って、朝多く事情、あちらでこちらで、これはどうもならんとも言えんと言うて、諭せんと言うは分からん。これまで道すがら、良い道ばかりやない。艱難苦労いろ/\通り、よう/\日及んだる。よう聞き分け。深い話する/\。心という理恐れ/\、互い/\理以て運ばにゃならん。善い理というは埋みよい。善い理は埋みよいというはどうであろう。これ皆勝手という。勝手という理はこのやしきには一つも無い。長い年限杖柱という理は、深い理か浅い理か、これ聞き分けば何の障りも無い。皆俺も/\勝手通りてる。この日が出てからどんならん。あちら又通りこちら又通り、怖わい/\と言う。今度通ろうと思うてその道変わりてありたら、いか程通ろうと思うても通れん。よう聞き分け。長い年限何処にどうという事あったんやない。杖柱という。天より入り込み始め掛けたる理聞いて居る。これまで長い年限今日から始め掛けようかと言う。杖柱という理聞き分け。聞き分けにゃならん。聞き分けして皆それ/\治まれば、一時に治まる。これはこうやけれどこれはこうと、運んでからどうもならん。どんな道付けても、逸れて了たら通れん。三十年以来親子諸共という。これ杖柱という理聞き分け。聞き分けば、これ重い理か軽い理か聞き分け。金銭では買われん。金銭で買われば相当の金を持って行けばよいもの。この一つの理聞き分け。今日の障りはほこり強いのやと言う者はあろまい。なれど、心の理から出るものは、勝手に出てると言うて居る。道はどうでも、我が一名以て日々送り来たる。大難から多き中に、さあ危ないという、どんな中でも一つの取りようで治まるという。
『押して、政甚の事』
さあ/\話し掛けたら理を分かる。何でもないよう思て居たら、ころりと違う。末代伏せ込んだ理は、親子貰い受けて伏せ込んだ。雇い人とは違う。雇い人なら何ぼかやれ。それで十分。親子の理それ/\゛ある。これ話し掛けたら、ほんに成程の理分かるやろう。
もう一段話、席という席の心、さしづは席の心のさしづと必ず思うな。今日の席と言うたる。万事一時に尋ねば、一時にさしづ。さしづは何処からさしづ、皆理持ったるさしづ。席と言うたて、心映りて話すれば、話する。人間心ある。人間心持っては、舵という理は何処にあるか。聞き分けてくれにゃならんで。