29日の朝起きてから、時折ふらつくようになりました。(今日もまだ少しふらつきがあります。)
29日は大教会のお社の掃除を仰せつかっていました。
一人で出かける予定でしたが、余りにもふらつき、おさづけをして頂いても治まらないので、妻に運転してもらい出かけました。
脚立に上るのも心配でしたが何とか勤め終え、妻も食堂の手伝いをさせて頂き、皆さんに喜んでもらえました。
30日は、お餅つきです。
大教会から道具一式を借りて来て行います。
隣のご主人も毎年楽しみにしておられて、信者さんと共に一緒につきました。
今年から三男が大工の学校に通い始めたので、準備をする間に杵の先をのみできれいにしてもらいました。
そのおかけで、モチに杵のくずが入らずに済みました。
私は4臼ほとんど手返しをしました。
さすがに途中で信者さんに代わってもらいましたが、
こんなにも出来たのは初めてです。
今年も楽しく出来て、最高でした。
片付け後、お米を御供下さった方々へ、お餅を届けに廻りました。
丁度おられて、挨拶も出来、とてもありがたく思いました。
今日31日は、午前中に部内の後継者の方が、御供のお餅とお歳暮を届けてくださいました。
昨日、はじめて奥さんと共に、機械でついたそうです。
大変な事をお母さんがしていたのだと、初めて気が付いたと話をして下さいました。
誰しも、経験して初めて分かる事ですが、夫婦そろってお母さんの後をつとめて下さる準備が着々と進められていると思い、喜ばせて頂きました。
替えられた直ぐ後、身上の方がお姉さんと共に参拝に来て下さり、おさづけをさせて頂きました。
それぞれに応じたお導きを親神様はして下さっていると実感するばかりです。
そして、今年最後の夕づとめを終え、明日の元旦祭の準備も終えて、このブログを書いています。
さて、今年一年、様々な事が世界で起こり、そしてそれが時差で日本にも起こりました。
日本がどれだけ世界から取り残された、地域であるか、また特殊な国であるかとつくづく感じた一年でした。
しかし、これもインターネットを利用する自分だから気が付く事で、新聞とテレビからしか情報を得ていない人では、このような事は感じないと周囲の人々の様子から痛感しました。
さらには、それぞれの経験や状況によって、同じ情報を聞いても受け取り方が違う事も良く分かりました。
何といっても、かしものかりもので、心ひとつが我がの物です。
すべてはいんねんよせて守護されていますので、その人その人の心次第になってくるとこれまた実感した一年でもあります。
インターネットを利用して、親神様の思いが世界へ広がればと、様々な事をした一年でもありましたが、それを通して、親神様の偉大さ、原典の意義深さを実感しました。
この原典をしっかりと、嚙み砕いて研究する必要があるとも思いました。
特に元の理です。
そして、天理教以外の情報から多くの事を学び、また多くの方と触れ合い、より一層多くの学びを頂きました。
来年もまた、親神様の導きを求めて、原典の勉強、おたすけにと心を使っていきたいと思います。
本当に、私に関わられたすべての方々に感謝です。
そしてまた来年、多くの方々に幸せが訪れる事を願っています。
本年も一年誠にありがとうございました。
来年もまたよろしくお願いいたします。