あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

どのようになるのだろうか。。。記事を記録しておく。

2020年12月10日 17時06分09秒 | 思った事

ひょこっと見たら、ヤフーニュースのトップに、下記の記事が出ていた。 これからどのようになるのだろうか。

トランプ氏、最高裁に激戦州の票の無効化求める

記録のために、コピペしておく。以下にコメントもコピペしておく。

・・・・・・・・ 

トランプ氏、最高裁に激戦州の票の無効化求める

配信 CNN.co.jp

  • yut*****

    「CNN 内部電話会議」で検索すると現在流出中のCNN内部会議の日本語訳が確認できます。
    あまりにもひどい内容なのでまずはフラットに一度ご覧になることをお勧めします。

    利益誘導のために虚偽の内容を繰り返し洗脳するかのような報道は
    ナチスのプロパガンダと何が違うのでしょうか。
    •  
  • sat*****

    とりあえずyahooはCNNと運命を共にするって話でいいんでしょうね。

    •  
  • nor*****

    youtubeは今後不正選挙を訴えた動画を徹底的に削除するそうです。

    •  
  • oni*****

    もういいよトランプは・・・うんざり。

    •  
  • umk*****

    CNNのような悪質メディアが日に日に追い込まれている姿をみて、
    多くの日本人はニヤニヤが止まりません!ww
    •  
  • ksk*****

    cnnだもんなフェイク確実
    •  
  • asp*****

     これもいい感じのしょんぼりトランプw
    ・・・・・・・・・
    親神様・教祖、大難は小難にとお守りください。

 

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天理教はどの系統?という質問から。。

2020年12月10日 10時17分43秒 | 思った事

メッセンジャーで、「天理教とは?」「宗教の系統は?」という質問が来た。

この「宗教の系統は?」という質問の意味が理解できずに、「神様の名前ですか?」と質問をして、そのままとなった。

 

あとでゆっくりと考えて見たところ。

一般的に宗教団体は、キリスト教・仏教・イスラム教などから派生して、またはその教えを元にしてと言われることを思い出して、これに対する質問だったのかな。と思った。

 

そういう意味合いで、簡単に天理教を述べると、「天理教はどこの系統にも属さない、元の神からの教え」である。

 

このブログで、「いんねん」という言葉をよく使うが、この言葉からすれば、仏教の流れかとも思うだろう。

また、「神」というと、キリスト教?神道?と思われるかもしれない。

これは人間の歴史の観点からすると、こうした考えで戸惑ってしまう。

ところが、親神様からの視点から「元の理」というわれる人間創造の話からすると、仏教もキリスト教も神道もその他の多くの教えも、その時その地域の人間の成人に応じて、親神様が陰から宗祖や聖人君主を導いて作らせたものと教えられるのである。

こうした事の証明として私の心にあるのは、教祖が「おふでさき」を書かれた様子である。

この時には、「通い帳も見ることはならん」と親神様から言われている中に、暗闇の中で、ひとりでに筆が動き、書き上げられたからである。

そしてそれをお後で教祖が読まれて、意味が分からないところを親神様に尋ねられて、筆を加えたものが今のおふでさきと教えられている。

また、弾圧を避けるために、近くの神社の傘下になった事も、お寺の傘下となった事もある。これに対して教祖は「そんなことをするのやない。」と止められているのである。けれども周囲の人々は願い出てその傘下となるのだが、時が経つと事情が起こり、その傘下から外れる事となったのである。

しかし、教祖が現身を隠された明治20年以後、「教会をお許しいただきたい」との人間の願いを聞き入れて下さって、周囲の公認を得るために、神道の傘下の教会として時の政府に認可を受けている。

そうした点から、一般的な宗教書には、天理教は神道の系列になっている。

だから、今の日本の教会の形式や祭儀式は、神道の流れを受けている。けれども、世界での教会の形式は、その地域に受け入れられやすい形式となっている。

 

天理教では、人間を創造した目的を明確に「親神は、人間を作り、その陽気に暮らすさまを見て、神も共に楽しみたいと思召されて、人間を作った」と「陽気ぐらし」と示されている。

その為に様々な苦労を重ねて来て、今日があり、今なお導いていると教えられる。

そして、その陽気ぐらしをするためには、形が重要なのではなく、それを行う人々の心が問題であり、その心の成人を促す上に、様々なものをそれぞれの心に貸し与えていると教えられる。

つまり、陽気ぐらしを味わうためには、形も心も両方が必要という事である。

 

親神様は、おふでさきで、「おがみきとうでいくでなし うかがいたてていくでなけれど」と示されている。

教祖は、おつとめを教え、おさづけやお守り、御供さんを渡して下さった。

これも、拝み祈祷の部類にはいると思える。本来ならば、そのような事をせずとも、誠真実の心で親神様とつながり、日々を過ごせれば、病み患う事もなく陽気ぐらしは出来る。

そのような心になる事を望まれている。

けれども、我々の心がまだまだそこへ行くためには程遠いので、おつとめなどを教えて下さったと私は思っている。

 

「八つのほこり」の教えによって、私たちは気が付かないうちに悪い心を使うものであることを教えられている。だから、常に自分の心を点検して、お詫び申し上げて、悪い心を払うようにと教えられている。

もし、この些細な悪い心を詫びずに、気が付く事もなく重ねて行ったならば、それは、自分の反省だけでは治らない、「悪いんねん」というものになると教えられる。

なぜ、悪い心遣いを「ほこり」と言われるかというと、どこにでもある些細なほこりと同じようなものだからである。そして「悪いんねん」は掃除を怠った上に出来る、シミや汚れに例えて教えられている。

このほこりの心遣いは、八つあると教えられて、「八つのほこり」といわれる。(おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」と教えられ、後の方になるほど、重大なほこりだと言われる。

そして、そのほこりの心遣いの後に、「うそと追従、これ嫌い」と教えられるのである。

 

人間は、心で思ったように行動するのである。悪い事をしたとしても、それを良い事と思っていれば堂々と行う。しかし、悪い事と知っていたならば、堂々と行えなくなるものである。

問題は、悪い事をしたという自覚が出来ずに、他の人を苦しめる事である。

昔は、形だけ・表に現れた良し悪しで、人を見極める事が出来た。

けれども、知恵が発達して、人をだます事を平然と出来るようになり、神をも恐れぬようになってきた。

表では良い顔をして、裏では悪事を働く。これがどんどん増えて来たのである。

そしてまた、これまで教えて来た宗教や思想を利用して、人を欺く人々も出てくるようになったのである。

さらには、人を導くためにわざわざ親神が不思議を見せて人を寄せて始めた宗教を、政治に携わる上の人々が利用するようにもなったのである。

こうなってくると、人間の都合で、宗教と宗教との争いも起こるようになってくるのである。

 

その地域地域で住む環境は違うのである。それに応じて分かりやすいように説かれた教えであっても、他の地域に行けばそれでは受け入れられない場合もある。

地域によって文化が違う事によって、理解が得られない事と同じようなものである。

自分の狭い考えて、他者を理解しようとせずに、悪とする。そして他者を無きものにしようとする。他者の物を取ろうとするなども同じである。

こうした事が、戦争として長い間続いているのである。

 

親神様は、「むほんのねをきろう」という言葉で、戦争や争いごとの、根本の原因を切り替えたいと望んでおられる。

その方法は、自分の性分を自覚する事。その人を恨んで、仕返しをしようという心にならない事が大切だと教えられる。

 

自分が正しければ、自分がしなくても、悪事を行った人にはそれなりの事が起こってくると教えられるのである。

「いんねんよせて守護する」と言われる言葉には、それが含まれている。

そういう人には同じような人が現れて、その人の周囲には争いは絶えない。けれども、仕返しを考えないで、その人の心が良くなりますようにと願う事で、そうした争いに会わないようになってくるのである。

いんねんが違えば、住む世界も変わってくるのである。

これが親神様の思い描いている理想である。

 

けれども、人間の心は親神様の思い通りには進んでいない。だから、親神様は「月日のはらがはじけた」と天災を起こし、大戦争を起こして、リセットをされる。

肉体や世界はリセットされても、一人ひとりの魂は生まれ変わりをしてくる。そして、これまでの心遣い・行いに応じた場所へ生まれ変わらされる。

天国や地獄は別の世にあるのではない。この世の中にある。

物にあふれた良い暮らしをしていても、常に人に追われているように思えて、安心できない人もあるはずである。

今の姿が、前生での結果であり、今の心遣いが、来生への元なのである。

 

天災や大戦争になったとしても、その時に使う心、これがとても重要である。

親神様が聞きいれられるのは、誠の心である。誠の心とは、人を思いやる心である。この誠の心から願う声は親神様に伝わり、手助けをして下さる。危ないというところでも、寸前の所でたすかるのである。

しかし、我が身の事ばかりを思って願う声は届かないのである。これだけ万全にやっているから大丈夫だと思っていても、そのようにならなくなるのである。

そして、悪事が表に出て、悪の見本となるのである。

 

もし、少しでも悪い事をしたと気が付いたならば、すぐ様に詫びる事である。

そして、償う心を働かせることである。これをさんげと教えられる。

 

親神様は、常に人々の心を見ておられる。それを帳面につけて、時が来たら返される。良い事も悪い事も、それも何倍にもして。。。。

これが理である。

 

思い浮かぶままに書きました。

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。

 

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ここ数日の出来事から。。。

2020年12月10日 09時39分40秒 | 思った事

今日は、12月10日

12月6日に、名古屋城でひのきしんをさせて頂いた。北区支部に加えてもらう形で数年前から、行っている。

西区支部からは、50名弱の人が参加して下さった。(全体では100名ぐらいであった。)

このコロナ禍で、どうなるか、どうするかと色々と考えたのだが、野外だし、マスクをして努めれば大丈夫だろう。また、「この思いに賛同して下さる方のみでさせて頂こう」ということで行った。

午前中2時間ほどの作業だったが、とてもとても気持ちの良い天気の中で、たくさんの落ち葉を集める事が出来た。

7日は支部の例会。

天理教の組織では、縦の組織と横の組織がある。縦の組織は、例えれば親子関係のようなもの、横の組織はお隣さんのようなものである。

その中で、熱田分教会は、縦の組織では、教会本部=愛知大教会=熱田分教会という流れになり、愛知大教会の系統ということなる。

横の組織では、愛知県をとりまとめる愛知教区=西区支部=熱田分教会となり、愛知教区西区支部に所属する。

その横の組織の例会で、支部長という役をしている関係から、愛知教区からの連絡を各教会へ伝えて、色々な意見交換を行った。

このように縦と横の組織を持つなどという宗教団体は、あまりないのではないかと思うのだが。。。(調べたことはない)

 

8日は本部の神殿奉仕。

これは、縦の系統からの推薦で勤めている。

この神殿奉仕では、結界内に着座をして、かんろだいの据えてある神殿内へ人が立ち入らないようにするのが役目である。

その休憩中に、他の先生方と雑談をしたりする。

これまでにも、この神殿奉仕中に不思議な事を見せて頂いたことは、このブログにも書いたが、

この雑談により、縦の系統による違いが良く分かるのである。そしてまた、私と同じように横の組織の役をしている方も多々あり、その話の中からも、地域による違いも良く分かるのである。

これを冷静に思案すると、親子のいんねんと、地域のいんねんによって、私たちは生かされている。と実感したのである。

縦については、子供は親の育て方(考え方)の影響を多大に受けて育つ。そうした差が感じられた。

地域については、その地域が農業中心、工業中心、商業中心と言ったことによって、考え方が異なることが見受けられる、それと同じようなものを感じた。

これらの事を感じて、これまでは自分の考え方だけで、良し悪しを決めつけていたことを反省して、「いんねんよせて守護する」の言葉をより感じさせてもらった。

 

今、日本のメディアではほとんど話題にならない、アメリカの事について、様々な先生方から意見を貰おうと、Facebookにつなごうとしたところ、繋がらなくなってしまった。(他のアプリケーションは作動するのだが、Facebookだけは接続できません。との状態になった。)

なので、この話をする事はやめにした。

その代わりに、友人に連絡をして、私のページを見ることが出来るかと尋ねたところ、見ることが出来るとの事だった。

その時に、友人のみアクセス可能の設定にしてあるために、友人以外の人と見ることが出来ない事を知った。

そして奉仕を終えたのち、パスワードを変更する事で、使用可能となった、そして、一般公開に変更した。

 

9日

メッセンジャーで、「天理教とは?」「宗教の系統は?」という質問が来た。

この「宗教の系統は?」という質問の意味が理解できずに、「神様の名前ですか?」と質問をして、そのままとなった。

あとでゆっくりと考えて見たところ。

一般的に、キリスト教・仏教・イスラム教などから、派生して、またはそのような教えを元にして宗教団体を形成していることを思い出して、これに対する質問だったのかな。と思った。

そういう意味合いで、簡単に天理教を述べると、「天理教はどこの系統にも属さない、元の神からの教え」である。

後日、この事について思うところを書いてみたいと思う。

 

どうか、世界中の事情が、大難は小難にとお守り頂けますように。。。

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