明け方の3時過ぎ頃、下の子が喘息が収まらず、娘が救急で連れて行ったようです。
2時頃、随分咳き込んでいるなぁ。。。とは思いましたが。
7時頃に帰って来た時には元気いっぱいでしたが、ママの方はお疲れモード。
今日は上の子のサッカーの試合が隣町であったのでパパが8時には連れて出ました。
私も付いて行く予定でしたが、下の子が全然寝ないので、娘を休ませるために家に居ることにしました。
2人共静かになり、お洗濯や掃除も終わったあと、ベランダに出て日向ぼっこ。
今日もいいお天気でした。
朝方は少し寒かったですが、日中は23℃は少なくともあったようです。
陽射しの下は暑くて帽子とサングラスが必要です。
昼食のサンドイッチ。
ウインナーをお婿ちゃんが丁寧に焼きます。
HEINZっていろいろ種類があったのですね。
昼食後、皆疲れ切ってお昼寝タイム中、少しお散歩へ出掛けました。
上の方に行くとこんな標識が
山の方ではいろいろと又違った植物を見ることが出来ました。
カサコソ音がするので、もしやコアラ
コアラは大抵木の上の方にいるそうです。
いろいろなお花が同時に咲いている気がします。
ミッキーマウスノキ
ジャスミンが間もなく咲きそうです。
帰ると下の子が平かなのお勉強をしたようで、見せにきました。
その後も少し一緒にお勉強しました。
すぐに飽きるかと思いましたが、なかなかがんばっています
その後はマリオを一緒にしようと言うのでやってみましたが、なかなか難しい
明日は今日行く予定だったゴールドコースト方面へ皆で行きます。
やっとカンガルーやコアラに会えそうです。
その後、私は練習の意味でひとりでゴールドコーストに泊って、次の日にバスで帰ってくることにしました。
その為、esimやホテルの予約、バスの予約などがんばってみましたが、結局は娘夫婦のお世話になることになって自信喪失。
孫娘にまで心配されています
これがクリア出来ないとニュージーランドには行けないのでがんばらなくては~
明日はPCは置いていきますので、スマホから簡単アップの予定です。
帰ったら又、カメラの写真や詳しいことををアップします。
★致知一日一言 【今日の言葉】2025.8.16
追悼 千玄室氏からのメッセージ
日本をもう一度、
お茶をいただく時のような
思いやりの心に溢れた、
素晴らしい人間性を高めた国に
していかなければならない
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千玄室(裏千家前家元)
○月刊『致知』2025年4月号
新春特別講演会グラビアページより
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●裏千家前家元の千玄室氏が亡くなりました。
享年102。千氏は戦後一貫してご自身の戦争体験や
茶道の和の精神を国内外の人々に伝え
世界の平和に大きく貢献されました。
『致知』の支援者でもあり、
「巻頭の言葉」の連載や対談、インタビューなど
数多くご登場いただきました。
1月に開催された致知出版社の新春特別講演会では
日本の伝統精神の素晴らしさについて熱く語られ、
1,000名を超える聴衆に大きな感動を与えました。
ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
●千玄室氏の記事は、致知電子版でお読みいただけます。
「数え100歳、生涯現役を生きる」
「生涯、茶の心で生きる」
「世界の平和に人生を捧げて」
●千玄室氏と『致知』
月刊誌『致知』が創刊40周年という年を迎えられ、
愛読される方々が増えている事を心より嬉しく思っております。
何故なれば、日本人の「心のふるさと」を教え導いてもらうのが
『致知』という一冊の雑誌なのですから。
毎回の『致知』を読み、
それこそ、人間にとって大切な「人間を学ぶ」と
しみじみ感じております。
もっともっと多くの方がこの誌を通じて
日本人としての誇りを培っていただけたらと念じております。
──千玄室(茶道裏千家前家元)
★致知出版社の「ご縁メール」
号外:茶道裏千家 第十五代前家元・千玄室先生が102歳で亡くなられました
◇号外です◇
月刊『致知』に何度もご登場いただき
2025年の新春特別講演会にもお忙しい中ご登壇頂きました
茶道裏千家 第十五代前家元・千玄室先生が8月14日に
102歳で亡くなられました。
千玄室さんは二日前の12日に
『致知』創刊47周年に向けてのお祝いのお言葉を頂けると
お返事を頂いたばかりでした。
「今の日本には人間哲学が無くなっている。
致知を通じてもっと多くの人に日本人としての使命に気付いてほしい」
とおっしゃっていました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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過去にご登壇頂いた号は残念ながら在庫がございません。
電子版ならご覧いただける号もございます。
以下にご紹介させて頂きます。
【千玄室先生 表紙号】
2023年5月号 特集 不惜身命 但惜身命
2020年4月号 特集 命ある限り歩き続ける
2010年1月号 特集 人生信條【電子版もなし】
【千玄室先生 掲載号(巻頭言除く)】
2025年4月号 特集 人間における運の研究(新春講演開催報告)
2022年4月号 特集 山上 山また山(インタビュー)
2013年1月号 特集 不易流行(対談) 【電子版もなし】
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特集:命ある限り歩き続ける
2020年4月号より
◆生涯、茶の心で生きる◆
2020年1月25日に東京プリンスホテルで開催した
新春特別講演会(弊社主催)でのご講演内容の編集
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真の平和はどうしたら実現するか
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東京オリンピック・パラリンピックが近づいてまいりました。
私も複数のスポーツに関わっておりますために、いろいろな協議の場に参加する機会が増えてきました。
私は子供の頃から武家作法で鍛えられ、柔道や剣道の稽古けいこに励んだものですが、
数えで98になるいまも続けているのは馬なのです。日本馬術連盟の現役の会長も務めております。
最初、8歳で父親に馬に乗せられた時は嫌で嫌でたまりませんでした。
敵(かな)わないなと思っていたのですが、だんだん好きになって、
旧制中学に入るや、すっかり傾倒してしまいました。
教官には随分と鍛えていただき、これまでに何度も大きな試合に出場しました。
いまも京都乗馬クラブに一頭預けておりまして、時間を見つけては時折足を運んでおります。
馬というのはとても愛らしいけれども怖いのです。
トントントンという私の足音が近づくと馬小屋からすっと顔を出して待っている。
しかし、しばらく顔を見せていないと、足音が聞こえてもプンと知らんふりをする(笑)。
東京オリンピックでは、世田谷の馬事公苑を会場に、
障害馬術(障害物を飛び越えながら走行時間を競う種目)
馬場馬術(演技の正確さと美しさを競う種目)
海の森公園の特設会場での総合馬術(先の2つにクロスカントリー走行を加えた種目)
の3種目が行われることになっておりますが、これらは馬と乗り手が一体となって初めてできるものです。
スポーツもそうでありますけれども、人間にとって一番大事なものは何かと考えると、
やはりそれは『致知』が説く人間力です。人間の持つ力というものはどういうものなのか、
いまのこの時代にそのことを考えるのはとても意義があるように私は思うのです。
いまいろいろな問題が世界中で起きておりますね。
平和という言葉が至るところで使われていますが、
私は平和という言葉を口にするのは好きではありません。
なぜなら平和という言葉を使っているということは、忌まわしい問題が世界で起きているということですから。
平和、平和と口先だけでいくら叫んでも平和はまいりません。
人間が持っているその素晴らしい力によって様々な問題を収めてこそ、
本当の平和な世界が実現できるのではないでしょうか。
人間力が問われる理由の一つはそこにあると思っています。
その意味におきまして、日本は経済力と共に、伝統文化の力をぐっと押し出していくことも重要なのです。
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茶道が育んできた情の文化
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私は千家の長男として生まれました。
千家は茶の家として、また明治ご維新までは武家として500年という長い間、
お茶というものを通じて一つの伝統文化を日本につくり上げてきました。
千利休が私の祖先でありますが、
利休の祖父に室町幕府に仕えた千阿弥という人がおりまして、
千という名を名乗るようになったのはそこからです。利休から数えて私で15代目になります。
利休の父親は大坂・堺の地で納屋衆と呼ばれる商人となって成功したわけですが、
利休は武家である里見家の血を嗣つぐ者として武士、文化の道に進みたいという、
即ち文武両道の思いから京都で歌の道に入り、その後茶の道に没頭し、織田信長に認められて仕官しました。
茶を飲むことはもともと中国から始まりました。
50年以上前、中国に初めてまいりました時に、
どこに行きましても「清茶一杯(シーチャイッペイ)」ともてなされたものです。
それと似た言葉で、唐の時代の趙州(じょうしゅう)という禅僧が言った
「喫茶去(きっさこ)」という禅語がございます。
趙州和尚はどんな方が訪ねてきても挨拶代わりに「喫茶去」とおっしゃいました。
これは「茶を飲んだらさっさと去れ」という意味ではございません(笑)。
「まぁ、ゆっくり茶でも召し上がれ」という意味です。
趙州和尚があまりにも毎日「喫茶去」と言うものですから、
ある時、弟子が「和尚さん、どうしてそんなに喫茶去、喫茶去と言うのですか」と質問したところ、
和尚はひと言「喫茶去」と。「それは茶を飲んだら分かることだ」と言ったそうです。これは有名な話です。
日本人は茶の湯、茶道と聞くと「堅苦しい」「あんな苦い茶を飲んでどうするのだ」というイメージを抱きがちですが、
茶を泰然と頂戴ちょうだいする時に初めて自分の心が落ち着いてくる。それが喫茶去なのです。
お点前やら、作法やら、そんなことではありません。
日本の茶の間には昔はちゃぶ台が置いてありました。
その小さなちゃぶ台を囲んで家族皆が肩を寄せ合って食事やお茶をいただく。
そうしながらいろいろな話に花を咲かせる。そこに日本の家という一つの情の雰囲気が生まれました。
お父さんは忙しく働き、その間、お母さんが一所懸命に子供たちの面倒を見る。
お櫃からご飯をよそってくれるお母さんに子供たちは感謝の言葉を伝える。
きょうだい喧嘩げんかをしながらも、少ないご飯を分け合っていただく。
この共存共栄の中で、日本独自の情が育はぐくまれていったわけです。
------つづきは電子版にて
★[ECCJ] 今日(8月16日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
今日あなたが持っているものを使いなさい。そうすれば、それがあなたの前で展開するにつれて、さらなる歩み、さらなる手段が与えられるでしょう。
Use that in hand.
Use that ye have today.
Then as it opens before thee, other steps, other measures may be given thee.
(1776-1)