夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

間もなく訪れるその時を想う

2016年09月07日 15時50分52秒 | その他
ヤツの後足が利かなくなって早1年半。この間の僕は大好きな釣りも自粛してヤツの後足になって生活しています。そんな我が家のワンコが先月の25日に満15歳を迎えました。・・・パチパチパチパチ!  その夜はお誕生日を祝ってヤツが大好きなマグロの赤身を少々多めに。
 黒のラブラドール・レトリバー。といっても、もう白髪だらけで黒とは程遠い感じ。お医者さんの話では「だいたい人間の年齢に換算すると100歳」なのだとか。後足が立たなくなってしまっていますが、それでも100歳ともなれば致し方ないようにも思えてしまいます。毎日何度も外に連れ出して用を足させるのも、最初は苦痛(特に夜中)でしたが今では日課と化して、大変だとかそういうことは超越してしまいました。それどころかハーネスに助けられながらも一生懸命に歩こうとしているヤツの姿に逆に勇気付けられる日々となっています。幸いにも食欲は旺盛、排便・排尿も実に正常。足以外にはほとんど異常はないようです。
 そんな我が家のワンコですが、先月の27日から急に前足も立たなくなり、ハーネスを使ってもただぶる下がっているだけになってしまいました。要は介助してもまったく立つ事が出来なくなってしまったのです。いわゆる“寝たきり”です。「犬は歩けなくなると早いよ」って聞いているのでかなり心配です。実際、毎日ただボーっと焦点が合わないような瞳で空中を眺めているだけになってしまっています(画像)。なんか悲しいです。今僕がそう感じているのは以前のようなアイコンタクトがなくなってしまったのでこちらが寂しいだけなのかもしれません。それでも喉が乾いたりお腹が空けばフンフン言って知らせますし、用が足したい時は「ワン」って吼えます。こんな状態ですからいずれにしてもその時は近い将来訪れるでしょう。その時はどんなふうになるのか?想像も出来ません。ただ、痛い・苦しいがない事を祈るだけです。
 一般的に、そのような状態になった時はお医者さんに連れて行くのでしょう。でもすでにお医者さんからは「もう立てるようにはならない」と告げられているので、もし一時立てるようになったとしてもこの歳だとまた同じことを繰り返してしまうように思えてならないのです。要は何度も苦しみを味合わせてしまうように思えてならないのです。そのくらいならいっそお医者さんには連れて行かないで、僕がその最後の時にヤツをしっかり抱きしめた状態で迎えたいのです。
 ついこないだまでの奴は外に行って返って来る時、階段を登り終えると(実際には僕が吊るし上げていてヤツはほとんど力を使っていないのに)一旦振り返り、踊り場から階下を見下ろして「どうだ」って顔して威張っていました。その時の目の輝き・・・。そしてご飯を食べている時の幸せそうな顔。そして時々出されるマグロの赤身を食べている時のウットリした顔。そのどれもこれもがみんなヤツの至福の時なのです。ところが27日からはそのような表情や嬉々とした眼差しがすっかり消えてしまいました。いつかこうなるだろうと想像はしていましたが、徐々にそうなるのかと思っていた僕にとってはあまりの急さに少々驚いています。まさにあの日のあの時をもって表情が一変してしまったのです。加えて自分のことが何もできなくなってしまったことのショックか?夜鳴きが始まり(いままで一度としてなかったのに)、1時間くらい寝て目を覚まし、鳴いて・・・僕が目を覚まして添い寝して全身を撫でて鎮め。何の要求であることが判ったときにはそれを満たして上げて落ち着かせ。そしてまた寝て1時間くらいするとまた目を覚まして鳴いて・・・を繰り返しています。僕も毎日完全な寝不足。1分も体を動かさずに居るとどこでも居眠りをしてしまいます。頭痛も酷く、脳が破裂して飛び出してしまうような日々です。立ち眩みも多くなり、寝起きに必ず起こりますので動き出すまで少々時間が掛かってしまいます。もっともこんな状態ですから、僕自身も寸暇を惜しんで寝ているわけで、そのトータルでみれば1日あたりの睡眠時間はある程度は取れています。とはいえ朝昼の区別はなく、長時間一気に眠れることはなく、不定期で短時間の睡眠だけでは体調が崩れても仕方がないことです。とはいうものの、こちらが病気になってしまったら介護できなくなってしまうので注意しなくてはならないことも事実。でも、だからといって介護の手を抜いたり休んだりする事もできない。そんなジレンマの狭間でも“介護ってこういう事なんだ”と改めて感じています。


 15年の月日は長く思えますが私的には短く感じています。こないだまで子犬だったのに、もう今は撫でて上げても反応がないくらいになってしまっていて・・・まるで生ける屍。ただ毎日、食べて、飲んで、用を足して寝る・・・それだけ。自分では何もできなくなってしまったので、何か要求があるとフンフン鳴いて、でもしゃべることは出来ませんからこちらは何を要求されているのか?が判らない。で、要求の的に合わないときっとまどろっこしくなるのでしょう。フンフンではなく大きな声でワンっ!って。我が家のワンコはド太い声なので夜中にこれをやられると近所迷惑です。ですからそうならないように、思いついた事を片っ端からやってみるしかありません。要は要求に応えるのにとても時間が掛かってしまうのです。その間、ワンコはイライラするでしょうし、苦痛を感じていることだってあるかもしれません。僕が仕事に出ているときも、足がまともな頃は喉が渇けば自分で水を飲みに行けたわけですが、今では僕が帰るまでどんなに喉が渇いても我慢することしか出来ないのです。幸い職場は同じ敷地内なので合い間にちょくちょく見に行くのですが、それでも時々は職場までワンッと聞こえることもあります。喉が渇いたとかお腹が空いたとか、そのくらいなら良いのですが(ホントは良くない)、背中が痛いとか(背骨が曲がっているのでそういう時もあるらしく、背中をさすっていると鳴き止んで静かになることも多々あります)、そういう時はかなりの時間苦痛と不安を持ったまま過ごしている事になります。こんな感じで過ごす毎日ですから、客観的に見ても本人(本犬?)はもうほとんど幸せを感じていないように思えてしまいます。こんなことで生かしておくのは・・・どうなんでしょ。幸せが感じられなくなったら・・・そして、思い通りにならない不安と痛み、そして自分の体が思い通りにならなくなってしまった落胆と共に生きているだけだったら・・・。
 もう100歳を超えているのだから延命治療は避けて、でも痛いとか苦しいとかそういう不快は出来るだけ感じさせないで(これはあくまでも希望)、この犬が最期を迎える時は僕の腕の中で終わらせて上げたいと思っています。これは僕自身、その時はそうして欲しいと思っているからです。でもこれは僕のエゴなのかもしれません。
 間もなく来るだろうXデー。僕はその時どう思い、どう行動して送って上げられるのか?その時この犬に“この人に飼われて良かった”と思ってもらえるのか?アイコンタクトが出来なくなった今、それを知る術をもなくした僕。でも、そう思ってくれるかどうか?なんて判らなくてもいいようにも思えています。ただ、この犬が来るべき最期の時ににそう思ってくれることを願って、わずかに残るヤツの命の灯火を僕のできる限りの応援で燃やし尽くしてもらえればいい。だから今考えられる出来る最大限のことはして上げたい。たったそれだけのこと。
 

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