夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

渓流シーズンを終えて

2015年10月03日 20時24分36秒 | 渓流釣り
10月。ほとんどの渓流が今シーズンの幕を降ろしました。禁漁期です。
 そもそも禁漁期は魚の産卵時期に合わせ、その時期は我々釣り師は釣りを自粛し、彼らが安心して後世を残せるようにしてあげるのがその目的です。釣りが出来なくなるのは寂しい事ですが、先人が考え出した素晴らしい事だと思います。ところが最近は魚のこうした営みのことなんかどこ吹く風で“どうせ放流すりゃいいんでしょ”みたいな考えの下、繁殖期まで釣り師を呼び込んで遊漁料を稼ごうとする漁協が増えて来ています。そういうえげつない漁協はまだ少ないので幸いなのですが、少ないがため、心残りのある釣り師は尚更そういう漁協に釣られてしまいます。そのような川はほとんどがニジマスなどの外来鱒で、産卵期が違うというのが漁協の言い分みたいですが、そもそもそういう外来種を放流すること自体が自然破壊&生態系破壊になっていることがわからないのでしょうか?資本主義の欠点が大きく見えてしまいます。

 画像は昨日巻いた毛鉤です。シーズンが去った今、毛鉤なんか巻いて『えげつない漁協の援助でもするの?』って言われそうですが。・・・いえいえ、これは渓魚を釣るのではなく、渓魚以外の魚を釣ろうと考えて作っています。
 今年は6月を最後に渓流に行けなくなったことは今までの書き込みでお解かりいただけていると思いますが、行けなくなればなるほど想いは募るばかりになるのが釣り師の性というものです。“いつか行けるタイミングがあるかもしれない”と思っても、毛鉤を巻くだけの勇気はありませんでした。しかし、禁漁期になれば渓流には行けないのですから諦めもつくってものです。で、巻いたのがこれです。

 僕が好むてんからはテンカラと違って誘いまくる釣りです。誘うってことは水面直下が釣りの舞台になります。例え沈めていても誘えば毛鉤は浮いて来ちゃいますから。ところが最近の僕は渓魚だけがそのターゲットではなくなりました。渓魚は山岳渓流に棲んでいるので早い流れの中でも餌が取れるように泳ぐのが速いです。しかし、下流帯や湖沼では流れがないので泳ぐのがトロい魚たちです。そんな魚たちを相手にするにはやはり毛鉤を沈める必要があります。ところが普通の毛鉤をその重さで沈めると、糸ふけが多く出て魚が毛鉤を咥えても魚信が出ません。加えて、沈めると根掛かりが多くて毛鉤のロストが多くて腹立たしいです。いままでのてんからは毛鉤が見えている事がほとんどでしたので、(毛鉤を沈めて)毛鉤が見えないエリアで釣るのは僕にとっては至難の技なのです。これが克服できればこれからの渓流てんからにも生きること間違いなし。そんなことを思いながら試行錯誤を繰り返しています。

 この毛鉤はわざとバランスを崩して常に鈎先を上に向けて根掛かりが少なくなるようにした毛鉤です。このテの毛鉤は昨年から多用するようになりました。こういう毛鉤を使うと根掛かりは相当少なくなるので助かります。勿論、ただ流しではなくたとえ毛鉤が見えなくても誘いは掛け続けています。ハリスは張っているはずなのですが魚信は感じられなくて。でも、沈めた毛鉤は比較的長時間咥えてくれるので“ここ”と思える場所に毛鉤が行ったと思ったら、魚信がなくてもあわせてみると結構釣れてくれます。でも、これでは面白くありません。やはり魚信を取ってあわせて初めて“釣った感”が生まれるのです。この毛鉤はその練習のための毛鉤なのです。
 渓流シーズンを終えてやっとやる気になってきています。

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