夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

楽しさ探し

2015年12月22日 09時19分43秒 | タナゴ釣り
釣りはその魚種ごとに面白さがあって、しかも同じ魚種を狙うにしても色々な釣り方があったりするものですからその種類といったら何百・何千、いやいや何万という釣りがあると思われます。そして困った事にそのそれぞれに違った面白さがあるのです。ですから、とにかく『釣り』が好きな管理人としては何釣りをしようか?迷ってしまうのです。もっとも、今の僕はワンコの介護をしているので鯉釣りかタイリクバラタナゴ釣りしか選択の余地がありません。鮒ってテもあるのですが、我が家の近所はヘラブナの放流によって昔釣れたキンブナが居なくなり(多分絶滅している)、俗にハンベラと言われる(多分キンブナとヘラブナのMIX)ばかりになってしまっています。よって、つれてくる毎にキンブナを思い出し、ヘラブナの放流に腹立たしさを感じてしまうのです。そんな釣りは面白くも何ともありませんので鮒は却下しています。鯉も放流が頻繁に行われていて、とても強い魚ですから、少々の水質悪化などはものともしません。そんな魚ですから昔は『一日一寸(1日で3㎝、つまり10日通って尺が釣れるということ)』と言われていた魚も、今ではタナゴより釣れるかもしれません(笑)。そんな魚ですから自分から釣ろうなどとはとても思えないのです。それで行き着くところはタイリクバラタナゴってことになってしまうのです。
 上記したように何百・何千、いやいや何万という釣りがあり、それぞれに違った面白さがあるとはいったものの、このタイリクバラタナゴ釣りに限っては面白さを感じられないのです。『つまらないならしなきゃいいじゃん』って声が聞こえてきそうですが、釣りをしないよりはマシって事です。・・・でもね、少しだけこの釣りの面白さが解って来たような気がしています。
 この釣りは誰が釣っても道具が同じなら同じ程度の釣果が出せる釣りですから、ウデなんてモノはなくて、沢山釣れてもそれは場所とかその時の条件とかが良かっただけです。より沢山釣ろうとしたら砥ぎ鈎を使ったりするだけで釣り方は変えられません。どうしてかっていうと、仕掛け入れた途端に魚信るのですから釣り方を変える余地がないのです。ちゃんと口に入る鈎と餌を使えばタイリクバラタナゴたちはほとんど咥えたまま放しません。ですから上げれば釣れているのです。
 道具に工夫はあっても釣り方に工夫する余地がない釣りが面白いはずがありません。でも、この釣り方に何も工夫がないことがあれこれ考えずにすむいいところなのだとか。・・・要は脳内麻痺を楽しむ釣りだと。・・・そう聞いたので何も考えずにただバカの一つ覚えにように繰り返す努力をしましたが、やはりウキを通して水中を想像し、その想像からあれこれやってしまいます。これは僕の癖みたいなもののようです。で、僕はそうしながら釣りを楽しむことを常として来たので、この釣りの魅力がまったく解りません。何も考えずに竿を出すだけで楽しいならそこら辺の水溜りで竿出していればいいんじゃないの?と思ってしまいます。
 でも百聞は一見にしかずといいますからここのところはなるべく何も考えずに竿を出す努力をしてみました。釣果は低下しますが、これがこの釣りの面白さだ!と自分に言い聞かせながら釣っていました。結果、以前は2時間で束前後の釣果でしたが、何も考えないと半束程度になってしまいます。もっとも、魚信も見ずに仕掛けを入れてから5つ勘定したら上げるとか、要はなるべく何も考えずに釣ってこの釣りの醍醐味を感じてやろうと頑張ってみたのです。ですが、そもそも釣り味さえあまりないこの釣りなのに、数が出ないのではこの釣りが面白くなりません。
 この釣り、もしかしたらどこに楽しさがあるか?を探す楽しみがあるのかもしれません。