せつなく朽ちた鉄扉

雑草地帯・日記部門。硬軟色々取り混ぜて、よろず話題の書き捨て場。
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2012.8.4 宮城県山元町 JR坂元駅跡

2012-08-14 23:30:03 | 雑談雑感
山元町もう1つだけ続きます。
海岸へ行く道のランドマークとして使っていたJR常磐線坂元駅。
入り組んだ狭い道と、酒の買い足し等で利用していた駅前のよろず屋が印象に残る、のどかな駅でした。

過去の写真がないのが悔やまれます。
今は、こんな感じですから。


20120804JR坂元駅0006
坂元駅、だったもの。

20120804JR坂元駅0005
ホームから周囲を望む。僅かに残っている建物は駅舎ではなくトイレ。

20120804JR坂元駅0004
ホームの端。あるべきはずの線路が無い。延々と無い。


「え?」

最初はそんな言葉しか出ませんでした。
ナビの示す場所が本当に駅だと理解するのに、少し時間がかかりました。


20120804JR坂元駅0001
町の案内板だけが健在でした。
誰が降り立つ事も無いのに、これだけが残ったとは。

20120804JR坂元駅0002
駅前の商店があったはずの場所。
まだ、何処か違う場所に来たような気がしていた。

20120804JR坂元駅0003
この札で記憶が繋がる。ここだ、間違いない。


ネット上の情報によると、島田商店の皆様は無事避難されて、別の場所で再開されているようです。
でも、キャンプでお世話になったのはこの場所の、あの頃の島田商店でして。

札に向かって頭をたれて、お世話になりましたと礼を申し上げて来ました。



20120804JR坂元駅0007
木造の掲示板。どう考えても震災後に立てられたもの。
掲示板の前に咲いている花々に、ようやく人の存在を感じた気がした。

20120804JR坂元駅0008
「かん光案内どうぞ」
何かを信じている人がいて、偶然にもそれに答えた自分がいて。


JR東日本は常磐線の復旧に関し、津波被害の酷いこの付近のルートを内陸側に変更する方針を決定しています。もう、ここに線路が戻ることはありません。

当然の判断です。
でもその現実が、今は辛いです。


追記:
YouTubeに震災前の駅前の姿を撮影したビデオがUpされていました。
 ■【震災前】JR常磐線坂元駅前[HD] (YouTube)



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