■さよなら「パソコン通信」、最後のサービスが19年の歴史に幕
Niftyのパソコン通信サービスが終わることは随分前から聞いていたから、何を今更という気持ちもあったのだけど……この記事を読んで、やはり胸にぐっとくるものを感じた。
記事のログイン画面。
ROAD2、ROAD7という言葉。
モデムのアクセスランプの話。
20代の自分の、色々な思い出が、フラッシュバックした記事だった。
大学時代にパソコン通信を始めて、まず最初に行ったのがNiftyだった。
当時は月刊OUTとライジンオーの会議室に常駐して、毎日レスを書くのが楽しみだった。
その後、MASLの方に手を出すようになると、著作権にうるさかったNiftyから自分の心はだんだんと離れていってしまうのだが、それでもNiftyのフォーラムといえば、ただのBBSなんかとは全然違う、敬意と郷愁と、若干の畏怖を伴う、自分にとっては特別な存在だった。
自分のルーツは、Niftyにある。
こうやって、今ネット上を歩く自分という人格は、Niftyが無ければ生まれなかった。
結局何の恩も返せなかったが、
せめて、この思い出は墓までずっと持って歩きたいと思う。
ありがとうNIFTY-Serve。
いつまでも、いつまでも忘れないから。
Niftyのパソコン通信サービスが終わることは随分前から聞いていたから、何を今更という気持ちもあったのだけど……この記事を読んで、やはり胸にぐっとくるものを感じた。
記事のログイン画面。
ROAD2、ROAD7という言葉。
モデムのアクセスランプの話。
20代の自分の、色々な思い出が、フラッシュバックした記事だった。
大学時代にパソコン通信を始めて、まず最初に行ったのがNiftyだった。
当時は月刊OUTとライジンオーの会議室に常駐して、毎日レスを書くのが楽しみだった。
その後、MASLの方に手を出すようになると、著作権にうるさかったNiftyから自分の心はだんだんと離れていってしまうのだが、それでもNiftyのフォーラムといえば、ただのBBSなんかとは全然違う、敬意と郷愁と、若干の畏怖を伴う、自分にとっては特別な存在だった。
自分のルーツは、Niftyにある。
こうやって、今ネット上を歩く自分という人格は、Niftyが無ければ生まれなかった。
結局何の恩も返せなかったが、
せめて、この思い出は墓までずっと持って歩きたいと思う。
ありがとうNIFTY-Serve。
いつまでも、いつまでも忘れないから。