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宇宙“非行”士(?)は今日も下ネタだった

2006-05-23 10:07:51 | Weblog
 日本人で初の宇宙飛行士は、お国の機関である独立行政法人「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」によると、毛利衛さんであるかのように言われているが、「誰がなんと言おうと」秋山豊寛さん(以下、秋山と略す)である。

 秋山さんは1990年当時、TBS(東京放送)社員で、崩壊前のソ連の宇宙計画に参加して日本人で初めて宇宙に飛び立った。約50億円もの金がTBSからソ連に支払われたことから、「金で買った宇宙飛行」との指摘が一部から出たが、秋山に後塵を拝した、JAXAの前身である「航空宇宙技術研究所(NAL)」、H-IIAロケットなどの大型ロケットや人工衛星、国際宇宙ステーションの開発が中心の「宇宙開発事業団(NASDA)」辺りから流された、やっかみ半分どころか、嫉妬心の塊の揺さぶりと言われた。

 確かに、お国の金(税金)を注ぎ込んでNASA(米航空宇宙局)の宇宙ステイションに乗り込まんとしていた「官制宇宙飛行士候補」にとっては、秋山は、その「酔いどれ天使」「体勢に組しないでかい態度」「誰に対しても止むことのない皮肉たっぷりの口撃」は、不良もしくはヤクザそのもので、それを知る秋山は自らを「宇宙非行士」と呼んだ。私の目には、その一点だけで、“戦う”前から両者の勝敗は決したように見えた。毛利さんには失礼だが、人間としての格が違うのだ。

 そんな秋山だから「日本人初の宇宙飛行士」「大TV局の重役への道」にこだわることなく、「農の世界」に見事に転進した。秋山は11年前、TBSを退社、福島阿武隈山系の標高620mの山中に“砦”を設け、今も百姓を営んでいる。そして、出版物や講演を通して農の世界からわれわれに秋山独自の視点を届ける。その視点は、学会や業界にまん延する複雑な人間関係や様々な欲望に汚されたものと違い、俯瞰できる者だけが持つ感性と論理性をもって時に鋭い日本刀で一刀両断、また別の時には、なたのような力強さで圧倒的に脆弱なわれわれを刺激する。

 そんな秋山は、私にとって「とても敵わぬ」アニキであり、先輩である。彼との出会いは1970年夏のロンドンに遡るからもうかれこれ36年の付き合いになる。その後、秋山は私をTBSに引き入れてくれ、また共に「混沌の会」なる勉強会(実態は飲み会)でバカを言い合ってきた。

 秋山の魅力を若者に伝えたいと、10年近くもの間、私が代表を務めてきたヴォランティア・グループ「ACTNOW」のメンバーを引き連れて援農を行なってきた。そして、3年前から始めた「ピース・メディア塾」の講師も引き受けてもらうようお願いした。「お出かけ塾」と称して農作業を手伝いながら講義をしてもらおうというものだ。

 今年はそれを本格化して田植えに合わせて泊りがけの計画を組んだ。早速、秋山から3冊の課題図書が指名され、塾生たちに課題が与えられた。本のタイトルを聞いて、塾生の反応を案じたが、事前に私の元に届けられた宿題に眼を通すと、それぞれが真剣に取り組んだ様子が伺えて安心した。

 先週末の土曜日に行なわれた田植えには、我々一行(12名)を含めて33人もの人が集まり、大盛況。3つの棚田にあっという間に苗が植えられた。

 その後、シイタケ栽培に使われるほだ木を移動する作業が行なわれた。これが秋山の言うところの「脳の活性化を促す運動」。そしてひと段落付けた後は、この日のために購入したという大型ホワイト・ボードを使って行なわれた5回の授業の第一回目。

 人にはない豊かな経験を縦軸に、深い読み込みがされた読書に裏打ちされた知識と視座が横軸どころか、スパイラル状に絡み独特の秋山ワールドが展開されていく。塾生たちが秋山の話にぐいぐいと引き込まれていくのが見て取れる。話の途中で時折り混ざるエピソードや駄洒落。それに下ネタがまた上手い具合にハーモニーをなす。

 講義が終わった後も「シンデレラ時間」近くまで秋山を囲んで座談が続いた。

 翌朝は、朝食前にひと講座。食事の支度をする直子も私も時折り話に聞き入って手が止まる。

 朝食後、塾生が秋山さんを捕まえてなにやら質問攻め。私は庭に出て日向ぼっこをする内、しばらくうたたね寝をしてしまった。ところが、これが間違いの元。最終授業が芝生の上で急遽行なわれるようになったとのことで、ざわざわと私の前にござを持った集団が集まってきた。寝ぼけ眼で起き上がる私に塾生からひと言。「塾長のめがね?」。哀れ私のメガネのつるの部分は誰かの尻の下にあったか、グニャリと曲がっている。

 どうも、この秋山砦は、私のメガネにとっては鬼門のようだ。実は数年前、田んぼで農作業するのにメガネが邪魔になり、外してシャツの胸元に差しておいたのだが、田んぼから上がってきた時には後の祭り。私のメガネは田の“肥料”になっていた。 

 芝生の上の授業も絶好(口?)調。下ネタも全開となり、最初は遠慮していた塾生たちも「またですか」と突っ込みを入れていた。

 今回のお出かけ塾の成果は、私の目論見をはるかに超えたものとなった。塾生同士の連絡網であるMLに「少し大げさですが、私のウン十年の人生の中で、こんなに素敵な32時間はなかったように思います」との書き込みがあり、生徒たちによる自主授業を計画しようとの呼びかけもなされた。今後、超ド級の刺激を受けた塾生たちが、どのような下ネタ使いに変身するか、いや失礼、どのような成長を遂げるか、大いに楽しみになってきた。