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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

こんにちは、赤ちゃん

2006-05-26 12:43:23 | Weblog
 私は見かけによらず子供好きだ。町中で子供を見かけると、つい目で挨拶をしてしまう。もちろん、こんな御時世だ。私のような見るからに怪しいおっさんが子供に愛想を振り撒いていたら110番されかねない。だから声掛けしたいのを我慢して「アイ・コンタクト」だけに留めている。

 1昨日、電車に赤ちゃんを抱えた母親が乗り込んできた。たとえ赤ちゃんが小さくても小柄な母親には負担にならぬはずはない。誰か席を譲らぬものかと周りを見渡した。だが、誰ひとりとして席を立とうとしなかった。

 普段であれば、席を譲ってあげませんかと座っている人に声を掛けるのだが、この日は少々私にためらいがあった。このところ2日続けて、お年寄りと体の不自由な人のために席を譲るように若者を立たせた(一度は優先席)のだが、余計なお節介であったようで、「結構です」と言われてしまい、バツの悪い思いをしてしまったのだ。また、以前、赤ちゃん連れの母親を見て席を譲ってあげるよう声掛けをした際、母親が座った途端に赤ちゃんが泣き出してしまったこともある。そんな経験も私を臆病にさせた。

 声掛けしようかと母子の様子を伺っていると、母親の胸に顔を埋めていた赤ちゃんがこちらに顔を向けた。その顔の可愛いことといったら筆舌にしがたいものがあった。赤ちゃんの可愛さの表現にこんな言い方はふさわしくないかもしれないが、とにかく文句の付けようのない、非の打ちどころのない可愛さなのだ。また、私を見てニコッとした(様に見えただけかもしれない)表情のナント可愛いことか。私はこの日、なんとなく気持ちが沈みがちであったのだが、そんなもやもやとしたものが一気に取り払われたような爽快感を味わわせてもらった。

 普通、子供がこれだけ可愛ければ、母親もと思うだろうが、そこが人生の面白さ。意外にそうでもないのである。この赤ちゃんの母親も例外ではなく“並”に分類される女性であった。

 私が赤ちゃんに見とれていると、母親がそれに気付いた。ちょっと怪訝な表情を浮かべたので「すみません。あまりに可愛かったので見とれてしまいました」と小声で謝った。

 すると、母親と一緒にいた女性が私の言葉を軽く受け止めてくれ、「良かったね、ほめていただいたよ」と言ってくれた。

 そんな思いがまだ心の片隅に残る昨日のこと。今度は地下鉄でベイビー・キャリアに乗る乳飲み子と隣り合わせになった。その子は何となく私の事が気になるようで、こちらをじっと見ている。私は調子に乗って笑顔でそれに応じた。すると、その子の表情が一瞬曇った。「まずい」と顔を他に向けたのだが、時既に遅し、泣き声が車内に響き渡った。母親に謝罪したが、その人もいい人で逆にこちらを気遣ってくれたから良かったものの冷や汗ものだった。

 「キレイなものには棘がある」ように子供の可愛さは弱さと同居した部分がある。子供の心をつかむことに多少の自信は持ち合わせているが、過信は禁物。調子に乗ると下手を見るの典型となってしまった。