97年の金融危機発生時から、2003年のりそな銀行国有化までの間、自分は資産運用の現場から離れて、経営企画のスタッフとして、様々な体験をすることができました。
特に印象的だった第1の体験は、99年の柳沢委員会での公的資金注入。この時は数多くの銀行が公的資金を入れなければ、資本不足に陥る状況でしたので、柳沢委員会は金融再編を前提とした条件を各銀行に突き付けてきたのです。しかも、再編の組み合わせについても当局が作ったシナリオどおりでないと認めようとしませんでした。
自分は、当時準備を進めていた合併事務局の一員だったのですが、その合併案では満足してもらえなかったため、ゼロからの見直しを覚悟しましたが、最終的には当初案を認めてもらってホッとしたことを覚えております。後に、当時、金融再生委員会に出向していた日銀OBの方から聞いた話では「問題のある銀行は、公的資金注入前にいったん国有化した上で、相応しい銀行に買い取ってもらう算段だった」とのこと。おそらく国有化される一歩手前にいたということでしょう。
さらに印象的だった第2の体験は、公的資金注入後、半年毎に到来する決算作業について。優先株の配当ができるかどうか、ほとんどの銀行がヒヤヒヤの状況だったのです。自分は引続き経営企画のスタッフとして、決算作業をしていく立場だったのですが、当然ながら全ての大手銀行の動向を注視していました。すると大手行の一角で、中間決算で異常な高配当を実施する事例が発生しました。その翌年のHDで優先株配当ができるように、傘下銀行で出せるだけの配当を年度内に実施するのが目的だと推測できました。しかし、運が悪いことに、その後日経平均株価が急落した結果、保有株式の減損発生で、先の中間配当は当時の商法違反の行為となり、経営陣・主要幹部が入れ替わりました。実質的な国有化であり、その後、金融再編の第二ステージに向かうことになります。
当時は、半年毎の決算期に、次はどこがアウトとなるのか‥といった雰囲気で、殆どの大手行がギリギリまで追い込まれていたのです。