金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【年金事務所へ行く・・】 特別支給の老齢厚生年金の手続のため、年金事務所へ伺いました!

2024-07-27 01:14:07 | 終活

 今年、64歳に到達しました。

 昭和35年生まれの人間には、64歳から「特別支給の老齢厚生年金(=報酬比例部分のみ)」が支払われます。

 

 ご案内のとおり、老齢厚生年金は65歳から支給が開始されるのが基本ですが、60歳支給だった時代からの激変緩和措置として、生まれた年によって段階的な「特別支給の老齢厚生年金」が支払われることになっています。昭和35年生まれの人間には、報酬比例部分のみ64歳時から支払われます

 ちなみに、この老齢厚生年金というのは、自動的に支払われる訳でなく、こちらから「支払いの申請手続」をしない限り、支払われることはありません。その手続きを行うために、まず年金機構から受給資格を得た人間に対して「申請用の書類」が届けられますこの書類に所定の記入を行った上で、戸籍謄本などの必要な証明資料を添付して申請をするのが手続きの流れになります。

 

 「いやいや、自分はまだ働いているので、給与との併給制限(給与と年金の月額合計が50万円を超えると年金支給額が調整される)に引っかかるから、申請しても無駄」と、全く何もしない方が結構な数いらっしゃると思いますが、これは間違いなく手続きをしておいた方が良いと思います。

 理由は以下の3つであります。

 

(1)国民年金部分(1階部分)には、給与との併給制限がないこと

 老齢厚生年金は、1階の国民年金部分と2階の報酬比例部分とかありますが、国民年金部分には併給制限がかかりません。したがって、国民年金部分だけでも受給するために「支払いの申請手続」を行う意味があるのです。この「申請手続」をしないで放っておくと、いつまで経っても国民年金部分の支払いが行われないだけでなく、5年経過した部分は時効で権利を失ってしまいます。

 

(2)特別支給の「支払い申請手続」を行っておけば、65歳になった時の申請手続が簡便になること

 特別支給の手続をあらかじめ済ませておけば、65歳時点には年金機構からは「支払い開始を確認するためだけのハガキ」が届くことになります。このハガキでは、1階の国民年金部分と2階の報酬比例部分の支給を予定通り受け取るか、あるいは受給開始を将来に繰り下げるかの選択に〇をつけるだけで返信すれば、もう手続は完了。非常に楽に受給開始となります。

 

(3)年金と給与の併給制限の計算は複雑。年金機構側が正確に計算すると、実は少額でも年金が出る場合があること

 併給制限の金額は適宜見直されていることや、給与金額は標準報酬月額で計算されることから、自分が想定している給与金額よりも少なくカウントされる場合がけっこうあります。そのため、少額ながら「特別支給」「本支給」ともに報酬比例部分が支払われるケースがままあります。そうなると、その影響を受けて加給年金などの他の項目にも影響が出て、配偶者が受け取れる年金額が増えることに繋がることもあり得ます。ですから、自分で勝手に「申請手続は無駄だ」と思い込むよりも、計算は年金機構側に任せて「支払い申請手続」だけは済ませておく方が得策なのです。

 

 

 年金機構側の説明書類を見ても、YouTubeの専門サイトを見ても、「併給制限の計算は年金機構側で正確にやってくれるので、安心して申請手続だけはやっておいた方が良い」とはアドバイスしていません。

 勝手に思い込んで申請手続をしないのは、だいたい高額所得者でしょうから、そんな人たちに特に親切にしなくてもよいということなのかもしれませんが、今まで多額の厚生年金保険料を納めてくれた貢献者たちなので、もう少し親切な説明をしてあげても良い気がいたします。

 


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【「NHKスペシャル」Last Days 坂本龍一 最期の日々】 終活世代には必見の番組でした・・

2024-04-10 03:32:35 | 終活

 

 4月7日(日)の夜にNHKで放送された「NHKスペシャル=Last Days 坂本龍一 最期の日々」は、終活世代の我々には必見の番組でありました。

 

 

 2023年3月に亡くなられた音楽家の坂本龍一氏。2020年の「余命半年宣告」から2023年3月に亡くなるまでの闘病生活と、最後まで創作活動に心血を注ぐ凄まじいまでの生き様これを、ただただ坂本龍一氏の残された日常を静かに見せるだけで、観る者に鋭く突きつける内容でした。見始めたら、もうTVの前で全く動くことができず、背筋を伸ばして視聴させて頂きました。

 ネタばれしますので、簡略にご紹介しますが、「余命半年宣告」直後に、うろたえる姿などは周囲には見せないものの、自身の心の中を綴った日記には、「死刑判決だ」「安楽死を選ぶか」といった動揺した本心が赤裸々に残されていました。ただ、闘病生活を続けるうちに、「音楽だけが正気を保つ唯一の方法かもしれない」と気づき、自分自身や、同じように死に怯えるむ誰かのために、自分の分身である「音楽を残す」べく、残された命を火に灯すように創作活動を続けていく。

 同じ時期から闘病生活を続けていた盟友 高橋幸宏氏(2023年1月逝去)のお見舞いのために軽井沢の自宅まで赴きながら、高橋幸宏氏が入院したため会えなかったところは、涙なくしては見れないシーンでありました。

 

 人間は、「もう長くは生きられない」と悟った瞬間から、「生きることに真っ向から向きあう」ことになる。

 自分にも、そうなる瞬間が刻々と近づいていることを突き付けられた気がいたしました。

 

 


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【終活シリーズ】 ついに、お墓が完成!

2024-03-06 01:34:32 | 終活

 昨年の11月から準備に入っていた「お墓づくり」ですが、ついに完成しました。

 

 以前にもお話しましたが、「お墓づくり」といっても、正確には「墓所の永代使用権」を購入した上で、「墓所に建てる墓石」の工事が完了したということ。

 霊園は、ワタクシの実家のお墓がある所沢聖地霊園で、実家のお墓の近くに空いている墓所があったので、そこを我が家の墓所に選びました。実家のお墓の近くに建立すれば、親族や友人がお墓参りをする際、どちらにしても、ついでに双方をお参りしてくれるだろうと。また、ワタクシが実家の墓参りをする際に、同時に自分のお墓の掃除が出来ますので手間が省けます。

 お値段は、永代使用料が1,380,000円で、管理料が14,520円/年。そこに墓石工事代が4,270,000円で、合計で5,650,000円。まぁ、ちょっとした車が買える金額でありました。

 

 ちなみに、お墓の規約の説明を詳しく聞いていたら、最後の最後で、墓を引き継ぐ人間がいなくなると、管理料を支払う人がいなくなるので、その時は永代使用権が消滅して、お墓に入っているお骨はすべて「共同霊園=樹木葬の場所」へ移管されるらしい。うちの息子はまだ独身なので、このまま結婚をしない場合は、息子が最後の人間になる可能性があります。

 もともと、我々夫婦は樹木葬でも良いと考えていたため、それはそれで問題なしという判断でありましたが、無縁仏のようにお墓が朽ち落ちる前に、お墓は更地にされて、また転売されるということのようです。

 

 ところで、お墓の出来上がりを実査するセレモニーがあるのですが、これは先週の日曜日に、兄の一周忌法要を霊園内の施設で行ったため、その時に併せて行いました。兄の家族にも場所を見てもらいましたので、それぞれの家でお墓参りをするときは、併せてそれぞれもお参りする約束をしました

 

 それにしても、この日は「みぞれ混じりの雨」とにかく寒くて寒くて、お墓参りとお墓の実査は短めの時間で終了。

 そそくさと帰路に就いたのですが、どうも、この時の寒さが原因だったのか、次の日からワタクシの身体が変調をきたすことになります。(つづく)

 

 


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【終活と宗教】 宗教家の話は面白いが・・。 動物の扱いには納得がいかない!

2023-12-26 02:31:43 | 終活

 今年は「間質性肺炎」の宣告を受けてから、真剣に「終活」を考えて行動するようになりましたが、「終活」というとやはり、「宗教」に関しても気になることが多く、特に宗教家、例えば仏教の僧侶の方とか、プロテスタントの牧師の方のお話を聞きたくなって参ります。

 当たり前ですが、人間が「死」に直面すると、死んだらどうなるのか?という疑問というか、不安に駆られるので、これに対して、腹に落ちるようなお話が聞きたくなるのが人情。

 仏教だと「輪廻」といって、次から次へと、別の生き物に生まれ変わっていくという世界観ですから、「目の前の死に拘っても仕方ない、だから1日1日を大事に生きていこう」ということになります。

 また、キリスト教やイスラム教、あるいはユダヤ教のような唯一神の世界観では、「最後の審判」で天国へ行くか地獄へ行くかが決められてしまいますから、「毎日毎日生きてる間は、とにかく善行を尽くすことに注力する」となります。

 まぁ、そういう風に安らかに死を迎えられる仕組みが宗教の意義ですから、そのあたりは良く出来ている訳であります。

 

 

 しかし、どうしても腹に落ちないのが、聖書やコーランに書かれた内容の中で、動物に関する下り

 旧約聖書の中で、楽園にいたアダムとイヴを誘惑して「善悪の知識の実」を食べさせたのが「蛇」。その結果、人類は今のように働かなければいけない生活を余儀なくされるのですが、神の掟に背いた罪によって、蛇は現在のような手足のない醜い姿になったとあります。でも、蛇の姿はけして醜くないですし、蛇は蛇で、地球の生態系の中で重要な役割を担いながら、一所懸命に日々生きている動物。何で蛇だけが、忌み嫌われる存在と位置付けられているのかが疑問です。

 また、イスラムのコーランでは、豚肉は食べてはいけないものと指定されて書かれており、その理由を「豚は不浄な生き物だから」とイスラム教徒は考えています。でも、豚はもともと、人間が猪を家畜化した動物であり、豚を不浄と言うならば、それをブリードした人間も不浄だということになります。

 どうも、キリスト教における蛇の扱い、イスラム教における豚の扱いには、納得できないものがあります。だいたい、この世界の創造主たる神からすれば、すべての生き物は神の創造物であって、忌み嫌われるべき生き物などは存在しないはず。どう考えても、この動物に関する聖書やコーランの下りは「?」としか思えません。

 

 神は間違いなど行いません。またけして間違ったことも言いませんから、こうした下りが聖書やコーランに残っているのは、「預言者」が聞き間違えたか、思い違いをしたかということになります。高貴な預言者と言えども、人間ですから、間違いは必ずあります

 そうした間違いは「後世で修正して良い」としないと、間違った教えが永遠に残ることになってしまいます。にもかかわらず、「後世による修正」が許されないのが宗教の世界

 

 こういうところで、気持ちが萎えてしまうのです。

 所詮、人間が作った便利な仕組みが「宗教」国境を越えて人間を支配したり統治するための便利な手段。ある意味、法律や倫理よりも使い勝手が良く、一度浸透させてしまえば、代々自然に伝承もしてくれる便利な集団管理システムであります。

 

 そう考えると、「終活」の中で「宗教への帰依」は優先順位が低くなってしまいます。

 自分には、最後まで関係のない世界かもしれません。

 


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【先立つ不孝は絶対NG!】 看取らないといけない相手とは⁉

2023-12-21 01:31:08 | 終活

 本日は「終活」のテーマのうち、「看取らないといけない相手」について。

 

 当然ながら、まずは『①自分の両親』であります。自分の子供を看取るという事態は、人間に最も心の傷を与えてしまう出来事となりますので、これは絶対に避けなければなりません。すなわち、子供にとっては「親に先立つことは最大の不孝」でありますので、「自分の親を看取る」のは最も大きな責任だと言えます。

 その次として、『②配偶者の両親』であります。配偶者の親からすれば、自分の子供の配偶者が自分よりも早く亡くなってしまう事態を、我が子に味わわせたくないという気持ちが強いもの。したがって、配偶者の親よりも早く死んでしまうこともNGであります。

 さらに、『③年長の兄弟』。年長の兄や姉からすれば、自分の弟や妹が先に亡くなるという事態は、自分の子供を先に亡くすことに次いで悲しい出来事になりますから、これも出来れば避けなければなりません。

 最後になりますが、『④動物の家族』。これも当然ながら、動物の家族を残して、自分が先に死ぬわけにはいきません。残された動物は最悪、処分されてしまう事態に追い込まれます。可愛がっていた動物は、最後まで看取るのが飼い主の責任になります。

 

 自分の場合は、①自分の両親③年長の兄弟、はすでに完了②配偶者の両親、については、89歳の義母が存命なので、義母を看取るまでは先に逝くことは出来ません

 そして、④動物の家族。すなわち、我が家では「もなか姫」ですが、来春13歳になる彼女を残して死ぬことも出来ません

 

 

 あれ? でも「もなか姫」に関しては、奥さんがご存命ならば、大丈夫なのでは? と言う方がいらっしゃるかもしれません。

 

 それがダメなのです

 うちの嫁さんからすれば、「もなか姫」は娘同然の存在でありますから、もなか姫が亡くなった時には、ワタクシが死んだ時よりも激しく嘆き悲しむことは必定。その時に、嫁の傍にいて、一緒に嘆き悲しむ人間が絶対に必要なのです。また「もなか姫が死んだのは、お前のせいだ」と罵倒して罵り散らかしても構わない人間が傍に必要なのです。そうしないで、感情を内に押しとどめてしまったら、おそらく嫁は気が狂ってしまうでしょう。

 だから、「もなか姫」が亡くなる前に、ワタクシが死ぬことはあってはならない

 

 という訳で、まだまだ簡単に死ぬわけにはいきません。

 


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