金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【金融】平成を振り返る(1) バブル期と成り上がり

2019-04-04 07:26:37 | 金融マーケット
 いよいよ「平成」が終焉して「令和」の時代に入ります。本日からは、私の職業人生から「平成」を振り返ってみることにします。

 自分は1984年に大学を卒業して信託銀行に入社しました。環境が良かったのは最初の5年間くらいで、その後の30年間はジェットコースターに乗っているような会社人生でした。まぁ、相場観が悪くて高値掴みをしてしまったと言えばそれまでなのですが、一方で、普通のサラリーマン人生では体験できないこともたくさん経験できました。

 入社4年目の1987年には、米国株式のファンドマネージャー見習いの立場に。いわゆる公的年金・公的資金の運用を信託銀行が委託されるのですが、当時は外国資産の運用担当者を育成できておらず、結果として若手を育てながら資金を預かるという自転車操業だったため、入社4年目の自分にチャンスが回ってきたのです。今考えるとメチャクチャな話でした。

 ところが、運が良かったというか、タマタマ当たったというか、異様な幸運に恵まれることになります。この年のアメリカ企業は業績が良く、株価もどんどん上昇していたため、年前半には1年分の利益が確保できていました。さらに、新たなFRB議長(グリーンスパン議長)が金融引き締めに転じ、今で言うバリュエーション指標(株式の益利回りと金利の関係=イールド・スプレッド)があまりに割高に推移していたので、1987年10月初旬に株式ポジションをすべて手仕舞うという選択を採りました。その直後にブラックマンデーが発生したため、一夜にして運用部門でヒーロー扱いに。

 幸運は続くもの。同じバリュエーション指標を見ながら、今度は1989年の日本株式の破滅的な割高水準を理由に、当時のファントラと呼ばれた金融商品につき、国内株式の全部売却を主張、それを信じてくれた当時の上司こそが本当は偉かったのですが、1989年の10月にはすべての株を売り切ってくれました。日経平均の歴史的高値が1989年12月ですから、その上司と私は一躍、会社中のヒーローとなりました。

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