金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【金融】平成を振り返る(2) バブル崩壊と金融危機

2019-04-05 07:22:21 | 金融マーケット

 平成元年に、幸運にも株式市場の歴史的天井を前に、すべての国内株式を売り切ることができたため、社内でヒーロー扱いされました。
 そこで調子に乗って、「次は不動産価格が下落する」という主張を社内で触れ回りました。大蔵省の三業種規制が出て間もないころで、融資業務の最前線で働く銀行エリートたちは全く聞く耳をもたない状況。私の立場は、むしろ「調子に乗った成り上がり者」という扱いに急変していきました。

 ただし、少ないながら話を聞いて理解してくれる人がいるもので、その人がノンバンク融資だけはかなり回収してくれたため、被害を随分少なくできたものの、当時の銀行の不動産関係融資は巨額であり、これが銀行の体力を徐々に奪っていくことになります。

 住専問題などで国会がひとしきり混乱してから暫く経過した1997年、金融危機は突然発生します。当時の橋本内閣は金融機関のモラルハザードを嫌い、毅然として問題ある金融機関を破綻へ追込み、市場からの退場を命じます。11月に三洋証券が破綻、続いて山一・北拓が破綻。
 しかし、当時は危機管理マニュアルもなく、混乱が混乱を呼び、預金引き出し騒ぎが他の銀行にも広がりました。当時、真っ先に狙われたのがY信託銀行。後に親しいF銀行とDK銀行に救済措置を受けることになりますが、こうした取り付け騒ぎは他の信託銀行・長信銀・都銀にも波及しました。

 その直後、今度は長信銀の一部で粉飾決算事件が起きます。この時に金融行政には危機管理能力はなく、政治もまったく無力で、この事件は政争の道具にされてしまいました。国会で菅直人議員が吠えまくる姿が印象的で、金融不安発生回避よりも、モラルハザードの方が問題視されてしまい、政府与党側は全く成す術がないという恰好。今思えば、世の中がもう少し冷静だったならば、長信銀2行の破綻は避けられた案件だったと思います。

 また当時、F銀行の体力が市場の混乱により奪われていなければ、メインBKとしてN自動車は救えたはずで、今日のG会長絡みの混乱は無かったはずですし、T自動車との格差はここまで広がらなかっただろうと思います。
 本当に不幸な時代だったと思います。


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