夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

PLAN75

2024-02-26 08:09:56 | 日記

いつものようにNetflixで何を見ようかと映画を探していたら「PLAN75」が配信されていたことに気づきました。この映画のことはネットで少し情報を得ていましたが、考えたくもない話題だし敢えて映画館に足を運んで見たい作品ではないと思っていたのであまり興味も持たずにいたのにいきなりリビングのテレビ画面で見られてしまうことに、遂にその時代が来たかとちょっとショックで2人で見てしまいました。

75歳以上の高齢者はPLAN75に登録することでいつでも自由に死が選べますという映画です。時代設定はないものの「今」としか思えない社会でニュースが淡々と「PLAN75」が国会で成立したと報じられています。反対運動も見えず社会にパニックも起こらず、ただ日常生活が流れていくように75歳以上の高齢者が役所(?民間のサービス会社のように見えた)で登録をしています。火葬も埋葬も全部お任せ、支度金の10万円は何に使っても良いと言われ喜ぶ老人達。

「何なのこれ?」と思ってしまうような光景です。いつ頃からだったか選挙結果が報じられる中で、選挙に行くのは老人ばかりでこの世の中を動かしているのは老人だと、まるで老人が生きていること、政治に関わろうとすることが悪だと言わんばかりの風潮が起こっています。こういう気分が行きついた先にあるかも知れないのがこの映画のテーマです。

老人たちの間には深刻な議論もなく、むしろ仕事としてこの制度に携わっている若者達(受付担当、カウンセラー、遺体処理の外国人労働者)が次第に重苦しさを感じ始めます。現役世代に頼って働かずに年金を食いつぶし、健康保険を食いつぶす老人たちがいなくなれば社会は良くなるのか、そんな社会には若者達でさへ希望が見えないのではないかと感じ始めたと見ました。もちろん裕福に暮らし住まいにも家族にも恵まれた老人はこの制度を選ばずこれまでどおりいつか来る死を迎えることも自由なのですが、2050年には5人に1人が後期高齢者になり、1%の金持ちが99%の貧しい者達の上に立つという社会が近付いている今、自分たちの行きつく先が見えてしまうことに希望どころか恐怖を感じることの方が普通の感覚でしょう。

老いも若きも一緒にあって初めて社会というものが形成されているという当たり前の感覚が欠けることがこの先来るのでしょうか。考えさせられました。

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