揉めごとが絶えない -超訳「人間ブッダ」の言葉【6】(プレジデントオンライン) - goo ニュース
「上司が評価してくれない」「やりがいが見出せない」「気持ちが安らがない」……。2500年前の教えをもとに気鋭の僧侶が古くて新しい悩みに答える。
■「あなたのため」という「偽善」をやめてみる
●お金、親のこと、子育て。夫婦喧嘩ばかりで疲れる。
●家族のちょっとしたふるまいに、ついイライラしてしまう。
●子どもが反抗ばかりして、言うことを聞かない。
喧嘩やイライラといった「怒り」もまた、仏道における根本煩悩の1つであり、幸福感を一瞬にして破壊する毒素です。怒りは不快な感情で、できれば喧嘩などしたくない、イライラしたくないと誰もが思っているはず。けれども人はつい怒りに駆られてしまいます。まずはそんな怒りがなぜわいてくるのかを、脳の仕組みから見てみましょう。
そもそも他人への怒りは、「自分は正しい、正義だ」と思うところから生じます。この「正義=justice」という語は、justから派生したもの。justとは「公平」であり、秤の均衡が保たれていることを意味します。そして人間の脳は天秤が釣り合わないことを大変に嫌うもの。
私たちはよく、「責任は向こうにあるのだから、謝るのは向こうだ」とか「自分はこれこれのことをしてあげたのだから、感謝されるべきだ」などと腹を立てます。これはいわば被害への補償や投資への見返りが足りないことへの憤りで、つまり天秤が釣り合わないときに怒りがわいてくるのです。ご大層な正義うんぬんではなく、単に脳が認知的不協和にイライラしているのにすぎません。
(以下略)
オイラも昔は短気でしたね。
何怒ってんの?と言われたり、小声で話す人を見れば気にして気にして大変でした。
サークルや勉強会で色んな人と話して行くうちに、色んな人が見えて来ました。
そしてある方が「私の場合は喧嘩が起きたら喧嘩両成敗。それでも癇癪起こしますか?」と、この言葉がオイラの短気に変化を齎しました。
「ガキの喧嘩じゃあるまいに」と言われない様に、天秤が釣り合う有意義な活動をしたい。