ヘコまされた被害者&その家族と不登校児童・生徒&その家族を盛り上げる委員会弁護士の日記

法律相談の予約は、電話06-6364-6033,eメールならaoifast@gmail.comです。出張相談も受けます。

東日本大震災3年 原発避難者の苦悩~五十嵐和大(毎日新聞)記者の記事

2014年03月13日 06時31分30秒 | 相続
 この五十嵐記者の記事,是非,読んでみて欲しいです。そして,五十嵐さんには,今後も,この問題について記事を書いて欲しいです。
 『東京電力福島第1原発事故後、福島県外へ避難を続ける被災者が事故の風化や疎外感に苦悩を深めている。遠く離れた大阪へ母子で避難している女性は「私たちがなぜ今も避難しているのか、社会に十分知られていない」と訴え、毎日新聞が県外避難者に行ったアンケート結果では、避難者への差別も目に付く。私の実家も福島にあり、事故後、見えない放射能への不安を身近に感じてきた。慣れない土地で避難生活を続ける被災者の境遇は人ごとと思えない。原発事故の影響が終わっていないことを知ってもらえるよう、福島の被災者の置かれた状況を伝え続けたい。
 ◇「鈍感でなければ暮らせない」線量
 私は事故前から関西で勤務するが、両親は福島県会津地方で暮らしている。3年前の事故直後は、取材で親しくなった多くの人が私の両親を案じ、「大丈夫ですか」と声を掛けてくれた。かつてない国難という共通認識もあった。だが、最近では、「大勢の人が今も避難を続けている」と現状を話すと「まだ戻れないのか」と驚く人もいる。そんな時、私は関西と福島との距離や風化の早さを感じる。
 父(65)は高校まで会津で育ち、長く東京の会社に勤めた後、約10年前にUターンした。冬になれば深さ2メートル近い雪に閉ざされ、買い物も不便な山あいの限界集落だ。だが、澄み切った水や山菜、温泉など豊かな自然がある。故郷で畑仕事を楽しむ。そんな父の念願がかなってほどなく、原発事故に見舞われた。
 会津地方は県内でも放射線量が比較的低いとされる。それでも、裏山から切り出したまきをストーブで燃やし、残った灰を調べると、原発由来とみられる放射性セシウムが検出される。事故前は野菜や山菜を送ってくれたが、最近では「孫に食べさせるには不安だ」とためらっている。
 福島の新聞やテレビでは、天気予報と並んで県内各地の空間放射線量を連日伝えるのが普通のことになった。汚染水漏れ被害に関する記事を、帰省中に本紙福島県版で読むと、深刻化していく状況に驚かされる。実家で酒を酌み交わした父が「鈍感でなければ暮らしていけない」と漏らした時、原発事故を自分のこととして強く感じた。
 ◇「まだ避難?」 突き刺さる言葉
 震災から3年を前に、毎日新聞は福島県を含む被災3県から県外に避難している105人にアンケートを行った。震災前の居住地が復興するまで「30年以上」と答えた人が40%近くおり、先が見えないまま不安定な避難生活を続ける実態が浮かんだ。また、県外避難者に対する差別的な扱いを訴える回答が1年前の20%から24%に増加。「福島ナンバーの車のタイヤをパンクさせられた」(静岡県、30代女性)、「タクシー運転手に『賠償金いっぱいもらったんだろう?』と言われた」(山口県、70代女性)など、原発事故で人生を狂わされたうえ、肩身の狭い思いで苦しむ避難者たち。回答を読みながら、胸が詰まった。
 回答を寄せた一人、森松明希子さん(40)は放射能に不安を抱き、福島県郡山市から大阪市城東区へと幼児2人を連れて母子避難を続ける。3年間を振り返り「ママ友や近所の方々など、大阪の人情味あふれる人たちに本当に助けてもらった」と感謝する。ただ、「事情を知らない人から『まだ避難しているんですか』と言われるようになった。帰れるものなら帰りたいが、福島はまだ、のびのびと子育てできる状態ではない」。
 2月には、福島県内で避難者に取材したが、県の内外を問わず、長引く避難生活の困難さは同じだった。田村市都路地区から市内の仮設住宅に避難する枡井清さん(48)は、4月に避難指示が解除され小中学校が再開されても「自宅周辺の放射線量はまだ高く、子どもを連れて帰れる状態ではない」と考えている。「一昨年に賠償を打ち切られたが、仮設に住んでいるだけで『賠償金をまだもらっている』と思われるのがつらい。ここにいたくているわけじゃない」と苦悩を語る。原発事故に対する周囲の無関心が避難者だけでなく福島への差別を助長しかねないと、私は感じる。
 今月5日には、避難区域外の福島、郡山、いわき市の住民約5000人が、わずかな一時金で打ち切られた精神的損害への賠償の増額を東電に求め、和解仲介手続きを国の原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)に申し立てた。避難者に限らず福島県民が少なからず抱く不安の表れに他ならない。先が見えない中、避難者は、事故が忘れ去られることを何よりも恐れている。今も帰れない避難者が遅々として進まない事態の収束、除染作業、賠償問題に憤り、声を上げ続けている現実を、もっと知ってほしい。』(毎日新聞2014/3/13)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする