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農家 民宿 レストラン・あんすろーじ

安心な食べ物 スローライフ 自給自足
を目指す 日本一百性が似合わない二人の
生き生きしすぎてる・・・日常

台風だ温泉に行こう!

2014年10月07日 00時39分29秒 | 田舎暮らしへの道

稲刈りシーズンなのに

台風がやってきた。

あ~~ビニールハウスの穴ふさいで無かった

破れるかも***

 

同級生が温泉行こうって

軽~~くお誘いが来た。

オウ。温泉。いいね!軽~~くOK。

台風でも来なきゃこの時期お休み日なんて取れないもんね。

我が家から約40分

栗駒山の「さくらの湯」です。

茶色の温泉です。今日は台風の為かお客さんは私達のみ。貸切です。

温泉の後は名物蕎麦団子

¥600円

団子はふわっと感がありバッキャ味噌が餡の代わりに入っていて

濃くがある蕎麦団子です。

きのこと山菜のお汁は薄味の私にはちょっと濃い目だけど

そば団子には丁度良いかもですね。

本当はチョウザメのお刺身が名物らしいのですが

お出かけ前にご予約下さいとのことでした。

他にも

次回はこちらを食べてみたいな~。

詳しくは→ http://www18.ocn.ne.jp/~sakurayu/


青い空

2014年06月13日 00時31分25秒 | 田舎暮らしへの道

おばんでございます~~~

一関市にも洪水注意報がでているんですかー?

今お外は静かですけど・・・

 

あんなに雨を求めていたのに

今は青空が懐かしいです。

写真は一月前の天水の写真

かなり水不足の時ですが、本当にぬける様な青空です。


お田植え日和

2014年05月14日 00時25分25秒 | 田舎暮らしへの道

おばんでございます~~~

 

今日は少し風が強かったのですが

暖かい日で「お田植え日和」でした。

 

何となく虫ボーイ君もお手伝いする羽目になって・・・

 

お洋服を泥で汚しながら、苗継のお手伝いです。

どうやら自分で植えた所もあるらしく

「一本植えた、 ちょっとぐにゃぐにゃだった(ハニカミ)」

 

ほ~~~修君や私や息子さんだって植えさせない、田植え機なのに

緑のふるさと支援員さんや虫ボーイ君には触らせるのかい。。。

 

てな感じで今日も終わりました。

 

もちろんお田植えのたばこは厳美の滝上団子です。

 

(注) 大切な稲作作業なので敬意を込めて「お」が付きます。⇒お田植え

 


初体験(おでって編)

2014年05月11日 04時41分26秒 | 田舎暮らしへの道

おばんでございます~~~

この地域ではお手伝いの事を「おでって」と言います。

「おでって」のてはでしょうか?

我が家の虫ボーイ君は

なんと今日はウエイターさんに変身です。

細身で長身の彼は、エプロンのせいか、ちょっぴりお兄さんに見えます。

農家レストランあんすろーじは虫さんの解説づきです。

美味しいお食事の前にガムシとゲンゴローの違いについて

レクチャーを受けてからお食事が開始されます(爆笑)←希望者のみです。

 

ちなみにゲンゴローのお料理は出ません!


農村地域活性化モデル支援事業・・・効果ありか???

2014年05月09日 02時16分58秒 | 田舎暮らしへの道

おばんでございます~~~.

昨日の続きです。

農家民宿レストランを開店して

2度目の連休を過ごしました。

 

昨年度は何事も始めてで、バタバタと過ごしていました。

今年は・・・

 

宿泊のお客様が切れませんでした。

 

そして修君はINT協議会の事務局員の立場でやはり初体験のことばかりです。

 

おかげ様で生き生きしております。

 

がおったな~(しんどいな~)と思う反面、とっても刺激的な生活でもあります。

 

前書きが長くてすみません。

 

農村地域活性化モデル支援事業という形で一関市から助成金を頂き

「たっこたい民泊プロジェクト」の活動をして4年になります。

今年で助成金は終わりですが・・・果たして成果はいかに?・・・。

 

 

この二日間の短い時間でしたが、お茶の水女子大院生さんと一緒に

沢山の方々にお話を聞かせていただきました。

 

そして自分は地域活性化と言葉で言っているけれど

何が・どんな状態が、地域化活性している事なんだろう?と考えさせられました。

 

移住してきたときは、生活を小さく、刺激を少なく、平穏な暮らしを

求めて来たはずなのに・・・

 

地域が活性したら、賑やかになるんじゃないかと笑えるような妄想していました。

 

でも、都市部も含め少子高齢化は加速度的に進んでいっています。

 

若い人を地域に呼び込もうって、至難の業です。

じゃ年寄りだらけの村はどうやって活性化するんでしょうか?

労働力不足を何で補うのでしょうか?

 

外からなにか補うとか、持ってくるという考え方はもう辞めにすべきなのかもしれません。

 

内部から輝き熱を発していく方法が必要なのではと思いました。

 

皆が「うじほさ来てみろ~」と言える、自信

「オラんちの米・野菜 うんめべ~」と言える自信

新しい事でも「面白そうだ!」と言える好奇心

困難なことでも、裏返せば利点を見つけてしまうポジティブ視線

じぶんは幸せもんだと思えるお気楽トンボ

 

もっと一杯有りそうだけれど。。。

 

年寄りも若者も、自信が持てるなにか

自ら輝けるものが有れば

 

 

そんな魅力的な村人が増えれば、誰かが気がつきます。

人って不思議なもので、他人が気にして見ているものを、見たい衝動に駆られます。

そして結果多くの人に関心を寄せられます。

見られれば人は元気になります。

村人が元気になれば、地域が活性します。

 

限界集落でも百年続くなんてありそうじゃないですか?

 

そんな村人沢山増えたらいいな。

 

 

眠くて纏まりのない文章でした。

すみませんです。

 

   睡魔に負けてる あみ


残念なじゃがいも

2014年04月12日 02時37分54秒 | 田舎暮らしへの道

おばんでございます~~~

じゃがいもを植えようとして

半分に切って乾かしているのは良いのですが・・・

 

あまりにも長い時間植えられずに(三日も放置)・・・なんだか黒ずんできた。

このまんま放置しておいたら腐っちゃうんじゃないの(慄)

 

明日は修君がお休み、どうしても当てにしてしまいます。

一緒にジャガイモ植え手伝って~~~

 


松元美樹で~す(緑のふるさと協力隊)

2014年04月12日 02時34分05秒 | 田舎暮らしへの道

緑のふるさと協力隊『松元美樹』ちゃんの

挨拶周り用のプロフィール付きの可愛いご挨拶状ができました。

(写真は個人情報を外して載せております)

紙面の写真の斜め右上には挑と言う墨で書かれた逞しい筆文字が

凛々しく描かれております。

 

 

これを使って達古袋全戸の戸別訪問をして

ご挨拶の準備も出来ました。

 

達民プロ活動と美樹ちゃん活動のコラボレーションも

すり合わせてみました。

 

楽しい活動に成りそうです。

 

みなさんよろしくおねがいしま~す。


緑のふるさと協力隊in一関市

2014年04月10日 20時30分54秒 | 田舎暮らしへの道

今日は鹿児島県鹿屋市から、若くて可愛い

元気なお嬢さんがやって来ました。

地球緑化センターに所属する、一年間地域に住んで

地域活性のお手伝いをするボランティアの方です。

「民泊プロジェクト活動」を一緒にして頂きながら、

農家の暮らしを体験したり。

達古袋神楽など楽んだりして頂きたいと思っています。

私達は、岩手のお父さんお母さん役です。


事故や病気などにならない様に見守りたいです。

農村の生活を楽しみたいとおっしゃっていました。


最近は中々こんな気持ちが少ない生活でしたから、

一緒に楽しみたいです。

                            あみ


移住のススメ

2014年03月25日 09時18分15秒 | 田舎暮らしへの道

夫  修は  Iターン

 

私  あみは Uターン

 

ちょっと昔はこれって「お引越し」って言ったんだよね。

 

移住って言葉  ハードル高くない?

 

でもなんだか最近は違った流れになっています。

 

一関市も40歳までの方が移住して家を建てる場合は

2,000,000+200,000の支援金が用意されるそうです。

 

あ~~~つくづく私達って流行よりちょっとばかり行動が早いんだよね~~

アッ・・・どっちみち50歳の移住じゃ対象外・・・ダメだったか(爆)

 

 

さて、写真は男性陣が冷たい雪の下からふきのとうを摘んできて下さいましたので、

女性陣は手早く下処理をして、

湯がきあく抜きしたバージョンと、

まったくアク抜き無しバージョンの「バッキャ味噌」を作りました。

 

 

炊きたての合鴨米の上にちょんと乗せて、試食!

 

雪の下のふきのとうは「アクも少なく美味しい」

苦味嫌いの私でも食べれました(驚き)。

 

一名の方が、試食を超えてお茶碗一杯ほどの完食をしました。

本当に美味しかったんですねえ。

 

ところでもっぱらの話題は、移住にあたり先祖の墓をどうするか?

地域住民とのお葬儀のかかわりはどうするか?と真剣な内容でした。

そうですよねセカンドライフの方々は、それも切実な話です。

 

今回は市の事業なので、あまり個人的なことはお話できませんでした。

移住される方はぜひ個人的に相談に来てください。

行政側のバックアップ、そして個人として側面からのフォローアップさせて頂きたいと思っています。

 

 

移住話ついでに・・・

 

 

最近の話なんだけど、ある新聞社の記者さんが、我が家族の移住話と震災をはさんだ

農ある暮らしの変化。。。。。を新聞の連載に書いてみませんか?という話がありました。

その方は私達の人柄や、生き様に惚れたとおっしゃられました。

影響を受けて仲間で里山を購入していろいろ楽しんでいるみたいです。

 

連載に当たり、添削は新聞社で行うので心配ないと、この生き様を多くの人に知ってもらい

移住者や農有る暮らしを求めている方々に、読んで頂きたいと・・・一晩お話されました。

 

確かに自分の意見を数多くの方に読んで頂きたいとも思います。。。

 

でもそうしたら、本当に生きる事が、微妙にずれていきそうな気がしました。

 

人の目を気にして、人が望むような文章にしたり、行動をとったり、

時にはつじつま合わせに嘘をついたりするかもしれません。

 

そうしたらここまで来て田舎暮らしをしてる意味がなくなります。

 

そんな訳で田舎暮らしの連載話は今のところ検討課題となりました。

 

結構このブログも本音で書いているので、

田舎暮らし考えておられる方の思考のヒントの一つ

迷走と妄想の種になれば幸いです~~          あみ

 


達古袋保育園  ありがとう さようなら

2014年03月24日 09時38分21秒 | 田舎暮らしへの道

終焉      2014年3月22日記録
今日は達古袋保育園の閉園式でした。
達古袋保育園の前身は、昭和31年幼児保育の
必要性に、地域の方々が立ち上がり、
幼児保育と母親学級とを合わせて
小学校内に開設されたそうです。

しかも小学校教教員が講師となり、
小学校長先生が責任者を
引き受けて下さったそうです。


実質の責任者は、地域の発起人の方々、
実際何か園児に問題が起きたら・・・
というような重圧があったそうです。

そして37年旧達古袋農協会館を改装し
園舎になりました。


私は次の年から、この園服と、黄色い幼稚園バックを斜めにかけて、

山を駆け抜け田んぼのあぜ道で近道し、楽しく通いました。


保育園は小学校や中学校と、
いつも密着していました。


小学校高学年になると、保育所の掃除当番が
ありました。


まだ残っている園児たちと遊んだり、
次の日登園してくる子供たちのために、
黒板に漫画を書いたり。絵飾りを作るお手伝いもしました。

昨年までは小学生が帰るとき園舎の横を通りながら

お兄ちゃんお姉ちゃん達が、手を振り合い、
共に「さよなら」や「元気~」なんて挨拶が
見られていました。


確かに園児は地域の中で大切に育てられていました。

そして今日、達古袋保育園は閉園しました。
一つの時代が終わった気がします。

園児達の「さよなら僕たちの保育園」https://www.youtube.com/watch?v=84AJ7_IIZR8
と希望を歌った「にじ」https://www.youtube.com/watch?v=LUoSPTQT8Vg

泣きましたよ~
もう無くなる事を実感しました。
せっかく先人の方々、多大の犠牲と努力で
立ち上げて下さったのに、残念で仕方がありません。
そして地域の方々のご苦労を改めて
思い起こさせて頂きました。

勝部修市長さんに達古袋保育園の看板を返還し式典は終となりました。

園児も実感しています

もうこれで『達古袋』と名前のつく建物がなくなりました。

心の拠り所の一つが無くなった・・・寂しい一日でした。