栃倉川物語
昔むか~しの話 こんな話すっこもあったのっしょ。
村堺は山の尾根づたいにあるのが普通ですぺ、
それなのにひとまとまりになってる集落の中を流れている
小さい栃倉川が村堺になっている話なんです。
聞いでけらえん。
それはね ・・・昔は「ほいど」という人達がいたんだって、
「ほいど」は「乞食」とは少し違うらしいのす。
うまく言えないけど芸があったらしいのす。
しかしこのあたりは家数も少ないし、弱って村堺の所で死んでしまったんだど。
達古袋村と市野々村でどっちが「ほいど」を引き取って弔ってやるかと、話し合いがあったんだけんど
どっちもやんたもんだから、村どうしでやっとーやっとーとやったんだど。
達古袋村の人達は押し切られて山の上から栃倉川まで押し込まれてしまったんだど。
そんな訳で栃倉川をはさんで北側が達古袋、南側が市野々分になってしまったんだど。
達古袋の人達は「ほいど」を手厚く葬り、栃倉川そばに石碑も立てて上げだんだと。
今は公民館建設等の為に、川より少し離れたところに置かれてるんだどさ~。
そんな訳で今は達古袋地区となってるけど、所属のお寺さん等は未だに異なるんだど。
隣同士に住んでるのにね~
としょり(お年寄り)に聞いた話っこだよ~。