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を目指す 日本一百性が似合わない二人の
生き生きしすぎてる・・・日常

ダウンシフター

2016年06月03日 00時57分57秒 | 移住支援

今日もTVで話題になっていました。
ダウンシフトな生き方。

私が田舎暮らしを考え始めた頃は
パーマカルチャーが流行っていました。
パーマカルチャーとは、パーマネント(永続性)と農業(アグリカルチャー)、

そして文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、

永続可能な農業をもとに永続可能な文化、即ち、

人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくための

デザイン手法と言われています。
農的な暮らしが中心と覚えていますが・・・(あんまり勉強しなかったので不確かです)

 

 

ダウンシフトの生き方には、農的な暮らしも選択できますが、

何よりも「生きる意味」が大切なので、

生活のための手段は、農でなくても良いのです。

ネットで調べると実に様々な大切な生き方を見ることができます。

田舎暮らしは、都会よりも生活費が少なくてすみます(努力は必要です)。

 

私達は、まだまだダウンシフターとは言えていませんが、

経済はダウンシフトしました。

生き方も変わりました。

ただちょっと忙しい生き方ですけど・

 

 

ダウンシフターの皆さんが田舎を目指しています。
静かなブームなのかもしれませんね。

我が「達古袋」にもどうぞいらして下さい。


田舎から出て行った18歳

2016年03月05日 09時56分43秒 | 移住支援


私は高校生までこの土地で育ちました。
当時の若者の多くと同じ、窮屈な田舎を離れて都会に出ていきました。
今思うと夜の街路灯に惹きつけられる蛾の様でした。

大義名分はあったけど、看護師になるのにはココだってできますもん。
その大義だって、田舎から出ていくテイのいい言い訳に過ぎなかった。
18の私には、社会が小さくて何にも刺激的なことがない場所に感じられてた。

稼業はそこそこのコメ農家、冬は原木しいたけに使う木切り、
米作りをしながら365日休まず繁殖牛の世話をする。
定休日のない農家の暮らしの中にいた私は、
都市部に嫁に行った母の兄弟やおばたちの定休日のある生活が羨ましかった。

それなのに、都会では暮らせなかった。
キラキラしたものはやがてゴチャゴチャした安っぽい明かりにしか映らなくなかった。
スマートでおしゃれな楽しみを得るためには、結構お金がかかった。

美術館や展覧会イベントは身近にたくさんあったけど・・・
自分が絵筆を取るよう暇もなかった。
写真を撮っても整理ができないでいた。

窓からの景色は毎日変わらず、かろうじて街路樹が季節を教えてくれる。
緑が欲しくて家の中に観葉植物を飾り立てる。
年をとるごとに緑が恋しくなる。
週末ごとに車を走らせ自然の中に身を置きたくなる。

子供の成長とともにキャンプレクが始まり、
海山野原を駆け巡った。
キャンピングカーで、時間を紡ぐように緑の中を駆け巡っていた。
やがて子供が巣立った、もう限界だった。
緑の中に身を置きたかった。