ブログのコメントで、ある方から褒められたことをきっかけに、少しブログのことを。
自分のブログスタンスに関しては、以前にもちょこちょこと書いてはいるのだけれど。
”心が純粋”だと言っていただいた。ちょっと こそばゆいというか恥ずかしい。
いやいや、本当はそんないいものじゃありませんよと思ったもので訂正させていただこうと思う。
もう、純な子どもみたいな清らかな心、持ち合わせておりませんですよ。
あんなこともこんなことも ”なんだ坂!こんな坂!”と思いながらここまで来た、垢も埃も染み付いた72歳です。
ただ、濁っているとも思わないけど。
何度か言っていると思うが、”他人を疑うことをしない” ”人の裏を勘繰ることもしない” これらは合ってる。
大体人を信用し過ぎるのよね。そして裏切られ落ち込む⤵ 立ち直りも早いけど。
そして裏の裏とか解らない。面倒だと言うより、多分表とか裏とか考えもせずに生きている。
ブログで”水面下”というのも無い。どこで何が起きているかも知らない。疎い。
仕事で”根回し”はするけれど、それは水面下とは言わないよね。第一、やっていることは表でバレバレだし。
要は、表だの裏だの何も意識せずに言ったり行動したりしている。
それは、同じく最近ブログで見た”本性?”ということにも繋がるかも。
実生活では本性を隠して生きている人も、ブログなら本名じゃないので本性出せるんじゃない?という見方も
あれば、いやいや逆でしょと思う方も。
実際はどうなのかしらねぇ・・・?と考えるが、そもそも私は自分の本性なるものがよく分かってないかも。
本性の他に何が在る?裏の顔? その、”本性を隠す”という意味も解らない。なんで本性隠す必要があるのだろうと。
リアル生活とブログに書くことと、使い分けている?うぅ~~んん。使い分けるとしたらむしろ私は、
ブログの方が気は遣ってるかもねとは思う。何故なら、ブログは文字・言葉だけのやり取りであり応酬である。
微妙なニュアンスまでは伝わらないし読み取れない。なので、自分はそんなつもりで書いたのではなくても、
読む人にとっては書いた本人の意図しない、本意じゃない、方向にとられかねない。なので、言葉のチョイスには
気は遣うかも。
リアル生活なら『違う違う!そうじゃないよ』と、喋って顔を見て誤解を解くことも可能だけど、ブログでは
それが叶わない。誤解が誤解を生み、ブログ上では一旦揉めると収拾つかなくなる場合あるみたいだし。
私はブログでモメたくはない。折角楽しみのためにやっているのに、なんで苦しむ必要があろうか。
人が嫌がるであろうことは書かない。著名人以外の特定の人のことも書かない。良いことは書くかもだけれど。
言いたいこと書きたいことは、実生活でもブログでも多分同じ。それ程の差があるとも思わない。
言葉遣いは大阪弁だの、お行儀の悪い言葉遣ってガラが悪くならないよーにとか、そこは一応気を付けている
つもり。(十分ガラ悪いが💧)
”なりすまし”というか、誰かと間違えられる・誤解されるというのは、迷惑な話だ。そういう時は
『アレ、私じゃありません!』と声を大にして宣言するしか無いのかな。
コメントは非公開希望される時だけ非公開にしてそれ以外は全部オープン。自分の判断で選択はしない。
明らかな嫌がらせや、取るに足りないワン切りみたいなコメントは、非公開と言うよりうっちゃってる。
完無視・スルー。
モメだすとキリがない。私はブログにそんなこと望んでないので(いつも言っている様に、自分の言いたいことが
吐き出せればそれで良い)人に嫌な思いをさせたり気分悪くさせたりの行為はしたくない。
普通に記事を綴り、読ませて頂き、いいね!と感じ、同意し同意され、違うと思う時は”そーなんだ・・・そういう
考えの人も居るのね” 位にしておき、要らぬことは言わない方が良い。穏やかなブログ生活が理想。
でも思うように行かないのが現実か・・・。あんまりモメないでね。
あ私、諸般の事情から一度だけ、ブログ主さんに先にお断りして別のH.N.でコメントしたことはある。
ー追記ー
コメントの公開非公開の件で一般論として。
特定の個人名が書かれているとか、読めば誰のことか判るとか、個人に対しての非難めいた内容だとか、
そういうのは公開が憚られると思うので、ブログ主の判断でいいと思う。
”あらし” とか来たら、ブログ主さんも大変だしね。
anさんも、Tさんブログやmiさんブログにコメント入れられ応援なさっていましたね。
この現象をどう思われますか?
私は、違和感があるんですよね。