雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

友だちのこと。私には”親友”と言う言葉は無い

2023-05-13 23:49:00 | 日記

今日は月イチの6人会。6人会と言っても、今は4人だ。

1年前にくも膜下出血で倒れたNは、言葉も記憶ももう全く問題は無いまでに回復しているが、

まだ1人で外出は難しい。

ご主人が治療中のMも、短時間だけならと言うことで食後のお茶だけ合流することに。

今回は珍しく諸事情から昼間となる。梅田から一駅の場所でビフカツが売りの人気の洋食屋さん。

4月に大動脈解離で急死したクラスメイトのAちゃんの家に、その時東京に出張中だった私が急遽弔問した

ことなども話しした。

長らく、コロナで実施の無かったクラス会の案内が久し振りに来たことや、学校全体の同窓会がクラス会と

全く同じ日だということや、先日の私のみちのく4人旅の話など色々。50年あまり前に思いが飛んだなぁ。

 

ランチのコースいただいて美味しくてリーズナブルで超満足。

そこから途中参加のMに連絡し、梅田まで歩きで戻り合流し、喫茶店?へ。

ランチのコースでデザート・コーヒーまで付いていたのに、そこで又皆でシフォンケーキセットなどを

食べたものだから、今日は晩ご飯抜き。

Mのご主人の治療の目途はまだつかないのね。早く良くなることを皆で祈ってる。私たちはご主人のことも

勿論だが、Mのことも心配している。Mが居ないと全くダメなご主人だから、Mがしんどい。

 

家に帰ると近所の幼馴染Miちゃんから電話。N響のコンサートが当たったから一緒に行かないか?と。

今は毎日出社していないと聞いたので、どうかな?と。

クラシックは好きなので有難い話なのだが、丁度その日は午後から私主催のキックオフ会議があるので、

出社は必須。一旦出社すると帰りの時間が読めない。間に合わなかったら悪いので他の人誘ってあげてと。

Miちゃんとは幼稚園の頃からの付き合いで、本当によくケンカした。小学校以降ずっと別の学校で

しばらくブランクもあり、考え方の相違が顕著で、なかなか話をしていても合意に至ることはあまり無い(;^_^A

今でもいい歳して言い合い?みたいになることも無くは無い💧。だけどこうやって細く長く付き合いがあって、

連絡してくれるのが有難い。

そして、同じ様に1人暮らしのMiちゃんに、緊急の場合の連絡とかどうするか気を付けてる?

私ら1人暮らしはもしもの時、ちゃんと連絡取れなかったら、何日も放っておかれる可能性もある訳でと。

するとMiちゃんは、警察の何たら?で連絡出来る様になっていると話していたな・・。私も詳しく調べよう。

Miちゃんの友だちで同じようにくも膜下出血で倒れた人居たらしいが、その人は1週間後に亡くなったって。

大動脈解離で亡くなったAちゃんの話もして、結局行きつくところは、私らの歳位になると、いつ誰が

どうなってもおかしくない と言う結論だ。どうやって片付けしようかしらねぇ・・・と。

気の重い問題だ。何かそんなことばかり考えると気が滅入る。

自分も勿論だけれど、友だちの誰もが出来るだけ元気で長生きして欲しいと思う。細くてもいいから。

私には親友と言う言葉は無いので、誰もが皆大切な友だちだ。身内とは又違う愛よ。

 

小学校5・6年の時、クラスに勉強が出来て人柄抜群のKさんが居た。尊敬出来る人だった。

お互い別のグループだったけれど惹かれ合い、しかし周りの友たちに囲まれていることもあって

近付くことが困難だった。卒業して一瞬にしてくっ付いた。でも中学校は別のところ。

お互い行ったり来たり、電話で長々と話したり。本当に大好きだった。親友と呼べる人だと思ってた。

でもある日を境に音信不通になった。実家の会社が倒産して、夜逃げ同然に居なくなったと聞いた。

携帯電話もメールも無い時代。家の電話が唯一の伝達方法。住所も不明。ありとあらゆる可能な方法で

探したけれど、当時の中学生の出来ることと言えば知れている。

落胆ぶりが酷く、ずっと連絡を待ち続けた私も、段々その時の日々の生活の方が大事で、彼女に対する思いは

薄れて行った。

5~6年後?いやもっとかも。家に突然彼女から電話があった。信じられない思いだった。

泣けた私は即会った。でも・・・彼女は、彼女の考え・生き方は、私とは大きな隔たりがあった。

過ごして来た世界が違うと感じ、離れていた時の長さを思った。

その感覚は埋まらない。残酷だな。今でも年賀状のやり取りはあるが、特に会いたいとは思わない。

その彼女の辛かった数年の間、何で連絡くれなかったのか?と言う思いしか私には無い。

私ら親友じゃなかったの?どんな状況であろうと解り合い励まし合える仲じゃなかったの?

私がそう思っても、彼女の立場からしたら、そんな暢気な話では無かったのかも知れない。

あれだけ勉強が出来る賢い人だったのに、大学には行って無い。その時の状況がそうさせたのか?

今みたいに猫も杓子も奨学金と言う学生ローン組んで大学に行く時代では無かった。

家庭の経済状況が許さない場合は、進学を諦める人がほとんどだった。勿体無いと思った。

時の長さって大事なんだなと思い知らされる。

そんな訳で、私には”親友”と言う言葉は無い。そんなの必要無い。大体親友って何なのさ。友だちとどう違うの。

大事な友が居れば十分だよ。