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ありのまま。あむのまま。

次男のあむあむは、知的障害・水頭症・てんかんなどを持つ男の子。わいわいどたばた、賑やかな我が家の日常♪

同じ月齢の子を見ると・・・

2014年09月05日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
先日、あむあむ(13歳)&ららちゃん(5歳)を、
日本脳炎の初期2回目の予防接種に連れて行った。

ついでに、改めて子供たち3人の母子手帳を確認したら、
あむあむが、生ポリオを1回しか受けていないことに気づいた。


・・・が~ん。

ってことは、ららちゃんも生ポリオを1回しか受けていないから、
今度、あむあむ&ららちゃんは、
不活化ポリオ(単独)をあと3回、受けないといけないのね~。



ついでに、保健センターに
あむあむのポリオの予診表をもらいにいったら、
「市から助成される年齢を過ぎているので、
自費になります」と言われ、

さらに、が~ん・・・。




・・・それにしても、
あむあむがポリオの一回目を受けた時の記憶が、思い出せない。

なんでだろう?
と思ったら、

そういえば、ポリオの接種って、3歳から。

ちょうど、あむあむがしょっちゅう
てんかんの発作とか、肺炎で入院してた頃だった。

正直、予防接種どころじゃ、なかったよなぁ。



おまけに、生のポリオは、集団接種。

まだ、障害児の母になって数年の当時の私には、
同じ月齢の子が集まっている場に行くのは、きつかった。


だから、記憶を封印、してたのかも。




そういえば、あむあむの乳幼児健診は、
1か月健診と、六か月健診だけは、なんとか、行った。

ただ、あむあむの場合、
生まれてすぐに障害の可能性を指摘されたから、
定期的に病院にも通っていたし、
保健センターの方にも、あむあむのことは知ってもらっていた。

それに、療育施設にも、1歳になる前から通っていたし。


「・・・だから、行かなくて、いいよね」と、
その後は、行かなかった。

(一応、医師と保健師さんには確認したところ、
「状況、わかってるから、健診は行かなくていいよ」と
言ってもらえた)



月齢が上がれば上がるほど、
周りの同じぐらいの月齢の子と、わが子の差が
開いていくんだよね・・・。


もう、今じゃ、
あむあむを連れてどこでも行っちゃう私だけど。

当時はやっぱり、同じ月齢の子が大勢いる場に入っていくのは、
いたたまれなかったなぁ。







ともかく、まだまだ続く模様の、
あむあむ&ららちゃんの
日本脳炎と不活化ポリオの予防接種。

頑張らねば。



・・・ちなみに、二人とも、
数分後には、ケロッと泣きやむけど、
接種直前~直後は、ぎゃん泣きします^^;


あむあむ君、もう体もでかいし、声もでかいから、
泣くと、目立つのよね・・・(;^_^A





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泣いて目が覚めた、朝

2011年06月16日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
もう、何年も前のこと。
あむあむが1歳ぐらいの頃かな。


ある夢を見た。

状況はわからないけれど、
夢の中では、
あむあむが施設に入所することが決まっていた。

私はあむあむを前に
「これでいいんだ」
「あむあむも、このほうがいいんだ」って
心の中で、何度も何度もつぶやいていた。


そして、ついに、迎えの人が来た。

その人に連れられて、
あむあむが、車に乗りかけた。


その瞬間。

苦しくて。
悲しくて。

あむあむに向かって、
「やっぱり、やだっ!!!」って、大声で叫んだ。


そして、ボロボロに泣きながら、目が覚めた。



あぁ、夢か。

ホッとした。



それから、しばらくして
違う意味でホッとした。

「あぁ、私、やっぱり
 あむあむと離れるのは嫌なんだな」って
自分の気持ちを再確認できたから。



当時は、あむあむのことを受け入れつつも、
まだまだ、受け入れきれていなかった頃。

まだ、
あむあむと一緒に生きていく
覚悟も自信もなかった頃。

ほとんど義務感で、あむあむを育てていた頃。



でも、やっぱり私、
あむあむと一緒にいたいんだなぁ、って。

隣でまだぐっすり寝てるあむあむの顔を見ながら
少し、笑うことができた。




・・・なんてことがあったのをふと思い出したのは、
あむあむが学校の宿泊学習で
今晩は、帰ってこないから。


あの夢を見た頃から、もう9年ぐらい???

いまやすっかり、あむあむの母と化した私としちゃあ、
今朝から何だか気持ちが落ち着かない。


やばいよ~。
寂しいよ~。

もっとも、明日の昼過ぎには帰ってくるんだけどさ(笑)





・・・あむあむ~。

元気に帰ってこいよ~!









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「あなたがすべて」・・・じゃ、ないけれど

2010年05月20日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
今朝、何気なく音楽番組を付けていたら、
MISIAの「Everything」が流れてきた。

朝の慌ただしい時間帯だったけれど、
思わず手を止めてしみじみと聞き入った。


・・・この曲。

5年ぐらい前までは、
私のトラウマスイッチだったんだよねぇ。



というのも、
あむあむを出産した夜。

生まれてみたら
あむあむのおでこが大きかったので、
「何かしらの脳の障害がありそう」ってことが
いきなりつきつけられた夜。

出産後すぐは来てくれてたパパも帰って、
入院していた産婦人科の部屋で、私一人だった夜。



私は学生時代、ボランティア活動をしてて
色々な障害を持つ方たちと交流していた。

色んな年代の、色んな方を知っているだけに。

あむあむの将来を。
それから、あむあむを育てていく私の将来を。

めっちゃ悲観するわけじゃないけれど。
めっちゃ楽観もできず。


知り合いの方を心の中で思い浮かべながら
「この子は、どんな風に成長するんだろう。」
「どこまで、できるようになるんだろう」
「あの人みたいな感じかな。」

答えの出ない問いを
頭の中で、ぐるぐると、悶々と、考えていた。

その時、なんとなく付けっぱなしにしていたテレビで
「やまとなでしこ」の再放送をしてて、
このMISIAの「Everything」が流れてた。


その後、あの夜から何年も過ぎて、
表面的には元気に過ごせるようになったけど。

でも、何年すぎても、
この曲が聞こえてくるたびに苦しかった。

あの夜の暗~い気持ちがよみがえるから。

普段、心の奥の方に蓋をして見ないようにしてた
もやもやした気持ちが浮かび上がってくるから。





・・・な~んてことを思い出しながら、
「Everything」を、今日、ものすごく久しぶりに聞いた。

あむあむが生まれて、9年ちょい。

いつの間にか、心がざわめかずに
この曲を聴けるようになってたんだなぁ。

なんだか、しみじみ。


ってか、ずっとMISIAさん自体、聞けなかったんだけど。
改めて聞くと、深くていい声してるなぁ。



・・・もっとも、私の場合、
基本的に、恋愛にしても、育児にしても
お互いに「適度に自己チュー」ぐらいが心地よいので(笑)

「You're everything」って心境にはならないし、
いまいち、共感もできないのだが。




「あなたがすべて」

・・・じゃ、ないけれど。


これからも、パパとも、子供たちとも、
その時その時の気持ちと向かい合いながら。

私自身のペースも大事にしながら。

一緒に歩いていきたいなぁ、と改めて、思う。








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よみがえる光景 

2009年09月22日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
ららちゃんを抱っこしていると、時々ふと、
うーあやあむあむが赤ちゃんだった頃がよみがえることがある。

うーあは神経が細かい赤ちゃんだったから、
寝かしつけも大変で、しかもちょこちょこと良く泣いた。

私も初めての赤ちゃんで、おろおろしたり、あせったりするばかりで、
毎日、いっぱいいっぱいだった。


また、あむあむは、生まれてすぐに脳奇形がわかって、
生後一週間やそこらで、
今後、知的にも身体的にも障害が出るだろうと宣告された。

あむあむ自身のことも、
あむあむの障害のことも、
そして自分が障害児の母になることも受け入れられないまま、
始まった育児。

あむあむのおむつを代え、ミルクをあげながらも、
どうしても、あむあむのことを可愛いとはおもえなかった。

ただ、義務で世話をしてただけで
「朝起きたら、全部リセットされてないかな」なんて、
ひどいことを考えてた時もあった。

うーあが赤ちゃんの時も、あむあむが赤ちゃんの時も、
喜びももちろんあったのだけれど。
でもそれよりも、暗くて重い気分の時の方が多かった気がする。


でも今、約2か月前に生まれたばかりのららちゃんを抱っこしていると、
沸き上がってくるのは、ただひたすら、可愛くて、愛しい気持ちばかり。

これからまた時が過ぎて
いつかららちゃんの赤ちゃん時代を思い出す時がきたら、
私の頭にパッと浮かぶ光景は、とても明るいんじゃないかと思う。

ららちゃんのにおいとか、温かさとか、ほっぺの柔らかさとか。
うーあがららちゃんを抱っこしてるとことか。
あむあむがニコニコと見つめてるとことか。
パパが写真を撮りまくってるとことか。

きっと思い出すのは、そういう、明るくて温かい光景。




‘たられば'の話しをするのは嫌いだけど。

もしも、うーあが赤ちゃんの頃に戻れたら。
もしも、あむあむが赤ちゃんの頃に戻れたら。

今、私がららちゃんを抱っこしている時と同じように。
そして、今のうーあやあむあむに感じているように。

ただ単純に、愛おしい気持ちをたっくさん込めて
あの頃のうーあやあむあむを抱っこしたい。

あの頃の私には気付かなかった可愛さが、たくさんあったんだろうな。

本当は、もっともっとたくさんの喜びや幸せがあったんだろうな。








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ショックだった電話

2007年12月14日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
昔のことを思い出すと、やっぱりちょっと気が滅入る。

それでも、そんなに心乱れることもなく思い出せるし、
こうやって不特定多数の人が見る場に公開できるということは、
私の中でもう消化できてるってことかな。


ともあれ、本日も、昔の話の始まり始まり~。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生まれた時からおでこが大きかったあむあむは、
産院を退院してすぐに、大学病院に検査入院をした。

その結果、脳奇形であることがわかり、
将来的に、知的障害と肢体不自由とてんかんが出る可能性が高いと言われた。

ただし、それと同時に、
子供の場合は、脳の他の部分が脳奇形の部分の働きを補う可能性もあるので、
どの程度の障害が出るかは全くわからないし、
もしかしたら障害が出ない可能性もあると言われていた。



それから1年あまりが過ぎた頃。

あむあむがてんかんの重責発作で入院していた時、
主治医のT先生から電話がかかってきた。

「○○病院のTですけれども。あむあむ君のお母さんですか。

 あむあむ君の障害が出ることがはっきりしました。
 あむあむ君が今後頭を上げて、普通に歩くということはおそらくありません。」

主治医は、いきなりそんな風に告げてきた。


そのとき私は、ショックでボーっとしつつも
「そうですか。わかりました。」と、言って受話器を置いた気がする。
しかも、ご丁寧に
「お電話ありがとうございました。」とまで言ってから。



・・・でも、しばらくしてから、腹がたってきた。

これって、電話で言うようなことか?

しかも「頭を上げて、普通に歩くということはない」って、
そんな言い方ってひどすぎないか?


当時、あむあむは1歳ぐらい。
ようやく首がすわって、寝返りをするようになった頃だった。
健常児である長男のうーあとは、成長のスピードがあきらかに違っていた。
それに、公園で見かける同じぐらいの月齢の子は、
そろそろよちよち歩きをしていた。

あむあむに障害が出そうなのは、私にもわかっている。

でも、だからってその言い方は、あんまりじゃないか?
しかも、まだ1歳やそこらの時点であむあむが歩けないなんて、断言できるんか?


・・・あぁ、
今の私だったら、
頬をぴくぴくさせつつも
あくまでもやんわりと、でもきっちりと文句を言えるのに(笑)



専門家としては、時には
家族や本人に、きつい現実を告げなければいけない時もあるだろう。
いたずらに希望的観測を言うことはできないのかもしれない。

でも、告げる内容は同じだとしても、
家族の希望を突き落とすような言い方は、して欲しくなかった。




今のところ、ゆっくりながらも身も心も確実に成長しているあむあむ。
このまま、どこまで伸びるかどうかは、わからない。

この先、何が起こるかもわからない。

それでも今の私だったら、
あむあむがこの先どんな風になろうとも、
あむあむと一緒に歩いていこうという気持ちは変わらないと思う。


でも、当時の私は、あむあむの受容もまだまだだった頃。
あむあむの成長する力を信じる力も弱かった頃。

そんな頃に言われた、先生からのこの言葉は、とても重くて痛かった。



ちなみに、この電話の一件から数ヶ月後。

たまたまあむあむが入院していた時に、T先生が通りかかった。
その時、あむあむはベットの上で四つんばいのかっこをしていた。

それを見たT先生が少し驚きつつも、笑顔で軽~く言い放った一言は、

「あれ、ずいぶんしっかりしましたね。」だった。


またもやの失礼な発言にむかつきつつも、
ざま~見ろ。」と、おもわず心の中でつぶやいた私、だったのでした(笑)





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あむあむを受け入れられなかった自分

2007年12月13日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
今日は、私がまだあむあむのことを受け入れられなかった頃の話。
重い話が苦手なかたは、スルーして下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あむあむが生まれるよりも何年も前。
パパと結婚するよりも前に。

私は、大学でたまたま入った手話サークルから始まって、
いつの間にか様々なボランティア活動をやるようになっていた。

盲ろう者(視覚障害と聴覚障害の重複障害者)への手話通訳や手書き通訳、
レスパイト施設でのお手伝い、
大学内の聴覚障害の方への情報保障(主にノートテイク)。

これらの、有償ボランティアに加えて、

知的障害者施設でのボランティア活動、
肢体不自由者施設で作った食べ物の販売の手伝い、
障害児の外出支援活動などの、無償のボランティアなどなど。


それから大学を卒業後は、
知的障害者について専門に学ぶ学校に入り、いくつかの福祉系の資格を取った。


あの頃は、自分の中に、
障害を持つ人への偏見や差別の意識は無いと思ってた。






2001年4月5日。
次男のあむあむが生まれた。

生まれて1週間ぐらいで、脳奇形であることがわかった。
先生からは、
将来的に、知的障害と肢体不自由とてんかんが出る可能性が高いと言われた。


ショックを受けた。

あむあむの存在自体に、というよりも、
「ショックを受けている自分」に対してショックを受けた。

「あむあむのことを受け入れられていない自分」というものに、
ショックを受けた。



自分が本当に障害者に対する偏見がないのならば、
あむあむのこともすぐに受け入れられるはずなのに。

でも、あむあむのことを受け入れられない自分がいた。
あむあむのことを可愛いと思えない自分がいた。

それを認めたくなかったから、
今までどおり、明るくふるまおうとした。

だけど、毎日苦しかった。

外に出たくなかった。



うーあが生まれた時は、あんなに嬉しくて、誇らしくて、
外に出るのが嬉しくてしょうがなかったのに。

あむあむと外出する時は、
道行く人からベビーカーを覗き込まれるのが苦痛だった。


そしてまた、
「我が子が障害児であることを恥じている自分」というものも、
認めたくなかった。



自分はそれまで、障害を持つたくさんの人と関わってきたけれど、
所詮、偽善だったのか。

「心優しい自分」に酔っていただけだったのか。

(実際、私の中の思い上がりは、きっとあったのだと思う。
 でも、当時はそれを認めたくなかった。)



あの頃、
つらい時はつらいのだと、
苦しいときは苦しいのだと、
パパや両親や友達や誰かに、素直に言えていたら、
きっともっと楽だったかもしれないけれど。

それができなくて、

というよりも、
自分の心に耳をすますのが怖くて、
平気な振りをしてた。




あむあむのことを可愛いと思えるようになるまでには、
1年、いや、2年以上かかっていると思う。

特に「これ」というきっかけはなかったのだけれど、

ミルクをあげて、
抱っこして、
あむあむの体温を感じて、
あむあむの息遣いを感じて、
私の顔を見ると、笑ってくれるようになって、

そんな毎日の積み重ねの中で
少しずつ、少しずつ、
愛おしさが増していったような気がする。



・・・そして今では、自信を持って言える。


今の私は、

力いっぱい、

全身全霊で、

正真正銘の親ばかです(笑)



でも、親ばかでいいじゃない。

今はあむあむを心から愛おしいと思えることが、
本当に嬉しい。







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200円の応援団

2007年07月06日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
これは、あむあむが2歳ぐらいの頃に6ヶ月もの間入院していた時の、
ちょっと真面目なお話。

当時のあむあむは、ちょっと無理をするだけで、疲れが原因で熱を出した。
そしてそのまま、けいれんを起こして入院、ということも多かった。
また、体温調節もほとんどできなかったので、
寒ければ低体温で風邪をひき、暑ければすぐ高熱を出してぐったり。

だから我が家は、普段は必然的に、あむあむのケアを中心に回っていた。


あの時に入院したきっかけも、確かいつものようにてんかんの重積発作か、
肺炎か何かだったと思う。それが院内で胃腸炎をもらってしまったり、
退院予定の朝に熱を出したりして退院の延期が重なって、
いつのまにか、長い入院になった。


あむあむが入院すると、普段手がかかるだけに、
始めの何日かは、「あむあむの不在」というのを、ものすごく強く感じる。

でも、入院が数週間、数ヶ月と続くうちに、
次第に私の中では、
「あむあむがうちにいない生活」のほうが日常になってしまっていた。

うーあと公園で一日中でも遊べる。
家族で遊園地にだって行ける。
あむあむが疲れたからと、まだまだ遊びたがっているうーあを、無理やり帰らせる必要もない。
ご飯だって、家族みんなが同じ普通のご飯を食べられる。
外食も気軽にできる。

・・・こんな、当たり前のことが、
あむあむが産まれてからは、当たり前じゃなかったから。
「あむあむがうちにいない生活」は、心も、体も、とても楽だった。


心のどこかでは、
あむあむがいないのを寂しく思う気持ちがなかったわけじゃない。
面会にいって、あむあむを抱っこすれば、それなりの愛着はわいた。

でも、生後まもなくから検査や入院を繰り返し、
あむあむとゆっくり過ごす日なんてあまりなかったから、
もともとあむあむの親になった実感が薄かったのに加えて、

他の子がどんどん歩き出したり、しゃべり始めたりするなか、
面会に行っても、泣くか、ぼっーっと抱っこされてるだけ。
「バイバイ」を言ってくれるわけでもない。
そんなあむあむに会いにいくのは、正直に言って少し苦痛だった。

やがて入院が長期になるにつれて、
面会も申し訳程度に短時間いるだけで、
下手をすると洗濯物を袋につめて、
新しい服を入れ替えるだけでそそくさと帰る、なんて日が次第に増えた。


でも、病院は入所施設ではない。
半年も過ぎた頃、ついにあむあむの体調は完全に良くなり、退院の日がきてしまった。

私の心の中のどこを探したって、
「あむあむがうちに帰ってきて嬉しい。」なんて気持ちは、見つけられなかった。

「これから、どうなるんだろう。」
「また、すりつぶしのご飯作りが始まるんだ。」
「もう、うーあと自由に遊ぶなんてできないのか。」
そんな、マイナスの気持ちばっかりがうずまいていた。

もう病院に迎えにいかなければ時間は近づいていたけれど、
動けなくて、
動きたくなくて、
私は、病院の最寄り駅のベンチに、ぼーっと腰掛けていた。

その時にふと目にとまったのが、
宝くじ売り場の横にたなびいている「スクラッチ販売中」ののぼりだった。

一枚200円。何の気なしに、3枚買ってみた。

買うのは初めてだったので、裏面の説明を見ながら、いくつかの銀の場所をコインで削った。
すると、同じマークがいくつか並んだ。

「あれ?いきなり、500円の当たりだ。」

続いて次の1枚、さらに次の一枚も、当選のマークが並んだ。
「え?これも100円の当たり。こっちは200円の当たりだって。」
なんと、初めて買った3枚が、すべて当たっていたのだった。

早速、さっきの宝くじ売り場に戻り、当選金を受け取った。

当たった金額は、800円。
さっきくじを買った元手を引いたら、純粋な当選金額は200円。

たったそれだけの当選金だったけれど、
手にした200円は、なんだかほんのりあったかくて、
何か大きな不思議な力から、
「あむあむも、ママも、大丈夫だよ。」って、言われたような気がして、
私は、ようやく重い腰を上げる気になった。

病院に着いた。
久しぶりにちゃんと抱っこしたあむあむは、少し重くなっていて、
そして、ほんわかと暖かかった。

長かった入院生活の最終日と言うことで、たくさんの看護婦さんが口々に
「あむあむ君、元気でね。」
「またね。」と、声をかけてくれた。

いよいよ病棟を出るとき、
私は、あむあむの手を握って、「バイバイ。」と振ろうとした。
すると、あむあむを一番かわいがってくれてた看護婦さんが、
にこっと笑って、
「お母さん、あむあむ君の手を持たなくても、自分でできますよ。」
とおっしゃった。

半信半疑ながら、持っていた手をはなし、
「あむあむ、お姉さんにバイバイだよ。」と言ったら、
あむあむは、小さく、小さく、でもしっかりと自分で手を振った。

「お母さん、あむあむ君はもう、スプーンも自分で持てるんですよ。」


・・・張り合いがないなんて、思ってたのは、私だけだったのか。
私があむあむにそっぽを向いていた間も、
あむあむの周りにいたみんなが、
あむあむの成長を信じて、働きかけて、ずっと見守っていてくれてたんだ。

ママ、ちっぽけだったね。
ごめんよ。あむあむ。


あの時のスクラッチが全部当たったのは、
あむあむの持っている不思議な力だったのか、
単なるビギナーズラックだったのかは、今もよくわからない。

でも、あの時握り締めた200円が、
私の背中をぽん、と押してくれたのは確かだ。

結局あの日に退院した後も、
あむあむはやっぱり、けいれんを起こしたり、肺炎を起こしたりもしょっちゅうで、
一日中気は抜けなかったけれど、
私はなんとなく少しずつ、
あむあむのことをかわいいと思えるようになった。


ちなみに、あれからすけべ心を出して、
あむあむと一緒の時に、何度もスクラッチや宝くじを買ってみた。

でも、一枚たりとも、当たったことがない。



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公園の空

2007年06月23日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
幼稚園に入る前の何年か、長男のうーあは公園にはまりまくっていた。
朝起きたらまっさきに「おーえん(公園)」と騒ぎ出し、
朝ごはんをたいらげると超特急で公園へ。

北風にも負けず、夏の日差しもなんのその。
朝から雨が降っていても窓にぴったり張り付き、
雨がちょっとでも止もうものなら
「あ、雨おしまい。おーえん(公園)!!!」と主張した。

公園から家までは、徒歩3分。
公園からちょっとのぞけば見えるぐらいの所に、マイスイートホームはあるのだ。

しかし、たかが3分。されど3分。
公園中毒のうーあは、自分から「帰る。」と言い出すことなんて、まずなかった。
9時に公園に行き、持参したおにぎりを食べて、
やっと帰るのは17時頃・・・なんて事もざらだった。

「あたしゃ、公園のヌシかい。」ってなもんだ。

夕方に流れる「良い子のみなさん、おうちに帰りましょう」の放送が、
私の唯一の救いの神様だった。


うーあが公園にはまり出したのは、あむあむがまだ生後6ヶ月の頃。
つまり、私も障害児の母になってほやほやの頃である。
あのころはまだ、私の心臓に毛は一本もはえていなかったので、
あむあむを人前に出すのは、正直きつかった。

でも、あむあむ一人を家に残して、公園に行くわけにはいかない。
内心きつかったけれど、
あむあむをベビーカーに乗せて、毎日のようにうーあと公園に向かった。

これだけ行っていれば、自然に一人、二人と顔なじみが増えていく。
それが嬉しかった。


うーあが1歳半の頃にあむあむが産まれた。
そして生後すぐに脳奇形の診断を受け、あむあむは何ヶ月もの間、
血液検査や脳波の検査、CTやMRIなど、実に様々な検査を受けた。

また、生後10ヶ月頃からはてんかんの発作が始まり、
けいれん重積や肺炎のたびに入退院を繰り返した。

そんなこんなで、あむあむが生まれてからの1年間、
正直言って、うーあに関する記憶は、あまりない。

毎日がただ訳もわからずに過ぎていった。


あむあむも一緒に、うーあとの公園通いが始まったのは、
怒涛の検査ラッシュも終わり、
私がようやく少しずつあむあむの障害を受け入れ始め、
あわただしいながらも日々の生活のリズムができてきた頃だった。


今にして思う。
うーあがあんなに公園に行きたがったのも、
私がとことんそれにつきあったのも、
少しでも外の空気を吸いたかったからだったのかもしれないと。

家の中にいれば、あむあむを誰の目に触れさせることもない。
それは、楽だったけれど。
どんどん、息がつまっていった。

思い切って外に出た。

そうしたらこんなにも、空は広かった。


あの頃から、6年あまりが過ぎた。
あんなに公園にはまっていたうーあも、
今ではすっかりニンテンドーDSにはまっている。


代わりに、近頃ではあむあむがすっかり公園好きになってきた。
保育園から帰って車を降りた途端、
「こーえん(公園)。行きたーい。」と歩き出す。

この6年の間に、私の心臓にはだいぶ毛が生えた。
うーあが小学校から帰るまでの1時間程、
あむあむと私だけのデートタイムをゆっくりと楽しむ。

日替わりであちこちの公園に行ったり、
近くの公園にふらっと歩いて行ったりする。


あむあむは、絶好調の笑顔で走っている。

空は、今日も広い。



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プレゼント

2007年05月16日 | あむあむの受け入れにとまどっていた頃の話
うーあの出産の前に読んだ本によると、
陣痛ってのは、
「ものっすごい便秘と、ものっすごい下痢がいっぺんにきた」ぐらい、
「すいかを丸ごと無理やり口からつっこまれたぐらい」痛いらしいと
書いてあった。

うーん、何だかよくわからないけど、ものすごそうだ。


でも、いざうーあを産んでみたら、めちゃくちゃ安産だった。
「もっとすごい痛みがくるはず」
「こんなもんじゃないはず」とか思っているうちに、
あっさり産まれてしまった。

案ずるより産むがやすしとは、まさにこのことか。
分娩室に入る直前まで、陣痛が何時何分にきて何秒続いたか、
自分で記録をつけていたぐらいだ。

だから、あむあむの時もそんなに心配せずに出産にのぞんだ
(あむあむの場合、生まれて初めて障害がわかったので、
お腹にいる時にはわからなかった)。

陣痛の感覚がせばまり、
陣痛室から分娩室に移るまでは大体同じだった。

でも、いきんでもいきんでもなかなか出てこない。
「うりゃー」と心の中で雄たけびをあげて、
何度目かのこん身の力をこめた。

元気な産声が響いた。

なのに、部屋の隅で先生と奥様が長いこと話し込んでいる。

うーあの時は、産湯をつかわせたらすぐ見せてくれたのに、変だ。

ずいぶんたったような気がする。
ようやく先生が赤ちゃんを連れてきてくれた。
「何、これ」が正直な第一印象。
しわだらけの顔、飛び出たおでこは、瞬間的にE.T.を思い出させた
(ごめん、あむあむ)。

その後、どうやって産院内の部屋に戻ったかは、あまりよく覚えていない。

それでも、その夜、パパと交わした言葉はしっかり覚えている。

「ねぇ、そういえば今日、私の誕生日だよね
(全くの偶然ながら、あむあむは、私の誕生日に産まれたのだ)。」

「うん」

「誕生プレゼントは?」

「あげたじゃん。(あむあむがいる方を指差して)あれ。」


・・・出産直後じゃなかったら、ラリアートをかましているところだ。

痛い思いをして産んだのは、この私だ。



それはさておき、私が息子二人を産んだ産院では、
昼間はお母さんが自分で赤ちゃんの世話をして、
夜は看護婦さんが預かってくれる方式だった。

そして看護婦さんが見てくれている間も、
ガラス越しに様子が見られるようになっていた。

うーあの時は、うれしくて、かわいくて、夜に何度も見に行った。

でも、あむあむがいるはずの部屋には、
いつ行っても、厚いカーテンがひかれていた。

あれが病院側の配慮だったとしたら、何を思っての配慮だったのだろう。
私が改めてショックを受けないようになのか。
あむあむが他の人に見られないようになのか。



その一枚のカーテンが、なんだか悲しかった。


コメント (2)
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