モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

メディアの大津波

2005-01-11 08:43:21 | コミュニケーション-メディア
  <メディアとしてのWEB-TV,映画を振り返ると
   私自体が、還流する情報を映し出すメディアと
   化していることに気がつく。
   もう、”ここも土砂降り”ではなく、
   ここもメディア洪水、真っ最中!        >

インド洋の地震と大津波の災害を伝える映像も、
ロイターのWEBサイトでみると、
自分でトピックを選び、長いショット、
少ないナレーションで繰り返し見ることになる。
BBC、CNNなどのTV局・新聞・雑誌のように、
メリハリよく演出されることも少なく、何を見ているのか
繰り返し見てしまうこともある。

しかし、コトはこの身体と遠く離れ、死者の数もまた、他の数字と同等になり、
最後は、世界の欲望の変化、つまり為替と株のマーケットの上下と、
天気予報を確かめてネットを切る。

アフリカでの数十万人の死は戦闘や虐殺であるかぎり、
もうスキャンダルではなく、ニュースにはならない。
この津波の10万人を越える死は、
天災でも人災でも、惨事に変わりなく、
一つの異常、スキャンダルとして映る。

京都議定書をけって、石油流通のメジャーとして中東で戦っている米国などは、
もう、核兵器がなくても、地球を壊すことは、できる。
アヘンを売るように石油と核エネルギーを売り続けるのは、
誰?使い続けるのは誰?希少性こそ市場の原理。
天災はすでに仕掛けてられ、準備されている。
中国・インドの消費力が高まれば、CO2排出は確実に増える。
CO2排出権は、産業経済のコントローラーとして、はたまた
それ自体が商品として、再度市場化される。

では自分達の大地は、どうする?
近代人は、歴史の地層深く張っていた毛根をぬきさり、足を洗い、
欧州から新大陸へ、
「明日は、明日の風が吹く」 (『風とともに去りぬ』より)
東部から西部へ、
 夢のカリフォルニアへ、
そして、宇宙へと移住が進むさなかの『ブレード・ランナー』

・・・・・
そして、こんな引用もまた、地域の遺跡や生活からではなく、
流通する映画から。
デジタル化し、パッケージ化され、何百万とコピーされる「映画」は、
一本一本が、リアリティーを持ち、多様な手がかりを晒しながら流通する。
もう、音楽が携帯され、着メロが、
キャラクターであり生活のBGMになって来ているのだから。

それぞれの状況のなかで語られたコトバも、
語られなかったコトゴトも、
形やモノに残そうとしてきたことも、
崩壊してゆく断片である。
生活の廻り、掘り起こされる"お宝”とは、
過去をまた値踏みの対象にして、記帳されて終わり。
使い手のいない建物も、土地汚染を隠す工場跡地も、
無用と影を薄くする。

私たちは、もうメディアの大津波のさなか、
化学肥料の土に生えた根はひ弱で、同質のモノしか育たない。
大地と交感し、毛根からの栄養に育てられた言葉は、
光ファイバーからの僅かなコモン・センスに取替えられ、
ワカリヤスサとスキャンダルが原理となる。

街はすでに、メディア洪水の中、
水は引かない、避難できる山村もない。

そう、
私たちは、川の流れの泡のように翻弄され、
さす棹にかえて、
情報のユビキタスに身体を繋ぎ込む
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