あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行119 ナザレ6 伝統衣装 

2019-07-16 | ポルトガル紀行

 

 

広場でフルーツ・ナッツ類を売っている女性

伝統的なスカーフで頭部を覆い

刺繍をほどこしたエプロンを多色使いの

フランネルのスカートの上に重ねる。

 

ナザレ特有の伝統ある衣装で 

特にミニスカートに特徴がある。

屋台の横幕にもその写真があるが 

7枚重ねのスカートを着けているのだ。

 

何故7枚か?

1週間の7日 虹の7色 7つの大海 7つの善徳

そして ラッキーセブンを 表すそうだが

どれが真なのかはわからない。

 

しかし ここは漁師町 

女性の多くは漁師の妻で

漁に出た夫を長い間浜辺で待つ事が多かった。

その待つ日を重ねたのではという。

 

普段は 3枚程度だが 

7枚は ミサやお祭りなどの

特別のとき着けるそうだ。

 

            BS「世界水紀行」から

 

 

 


ポルトガル紀行118 ナザレ5 ケーブルカー 

2019-07-15 | ポルトガル紀行

 

 

プライア地区から高台にあるシティオ地区への
アクセスとして住民の足となるのがケーブルカー。
    
 運賃は片道1.2€。

  
   7:15~21:30 15分おき

   21:30~23:00 30分おき

登るには大変だが
 線路沿いに階段歩道があり

15分ほどで下ることができ 
 絶景を楽しめるそうだ。

                        

  プライア駅

 ポルトガルでは
 ケーブルカーを「ASCENSOR」と呼ぶ。

  

 

  

 

  

   中間点 すれ違いは複線

 


ポルトガル紀行117 ナザレ4 ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会 

2019-07-14 | ポルトガル紀行

 

   伝説の聖母像を祀るノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会

 

8世紀、ロマノという僧が
マリア像をイスラエルのナザレから

この地まで持ってきたことは前に述べたが

その後 彼は死を迎える前に
像を崖の洞窟の中に隠した。

468年後に羊飼いたちがこれを見つけ出し
さらに聖母マリアの奇跡が起こったため
巡礼者たちが押し寄せるようになった。

そこで1377年
今の教会の基となる聖堂を建設。


現在の建物は17世紀のもので
ナザレの守護聖人たちが祀られている。

祭壇付近から翼廊まで旧約聖書を
題材とした18世紀のアズレージョで飾られており

また祭壇の左側から裏へと続く
通路もアズレージョで埋め尽くされている。

祭壇中央にマリア像が置かれている。

このマリア像こそがロマノ僧ゆかりの聖母像。

 

       バロック様式の内部

   主祭壇にはマリア像が祀られている。

 

   バックにはパイプオルガン

  

      懺悔室

 

  

   洗礼室 

ポルトのサン・ドレ駅の
アズレージョに引けをとない。

 

 

 


ポルトガル紀行116 ナザレ3 メモリア礼拝堂 

2019-07-13 | ポルトガル紀行

 

  岸壁上にある奇跡の場所に建つ小さなメモリア礼拝堂

   

             礼拝堂裏側の外壁

 

1182年9月の霧のかかった朝
ドン・ファス・ロピーニョという城主が
馬に乗って狩りをしていたが
獲物の鹿を岬の端まで追いかけて行くと
鹿は急に姿を消した。

馬は後ろ足のみで岩の上で踏ん張っていたものの
前足部分の下にはぱっくりと深海が口を開けていた。

そのとき突然聖母マリアが現れ

馬は奇跡的に後戻りし 九死に一生を得た。

その御加護に感謝して

城主はここに礼拝堂を建てたという。


その礼拝堂は 高さ110mもある
断崖絶壁上にあって身震いがするほどだ。


礼拝堂裏側の壁には 言い伝えのとおりの
馬に乗って崖から落ちそうになったドン・ファスと
聖母マリアの姿がアズレージョで描かれている。

 

 

 

 

 

 

礼拝堂の中にはキリスト像、
その右脇の階段を下っていくと、
幼いイエスに乳を与えるマリア像がある。

                      

天井までアズレージョ             地下のマリア像


ポルトガル紀行115 ナザレ2 展望台 

2019-07-12 | ポルトガル紀行

 

  「崖の上シティオ地区」から「砂浜のプライア地区」を望む 

             崖の上でカモメが睨みをきかせている

 

 

ナザレは 銀の海岸(コスタ・デ・プラタ)に
面したポルトガル屈指のリゾート地で

ポルトガル人をはじめ
ヨーローパ各地から観光客が訪れる。


三日月状に広がる砂浜と紺碧の
海のコントラストは絶景そのもの。



夏のビーチにはテントが並ぶが

今は 静かな波が寄せては返している。


 

   
      インド航海の前後にこの地を訪れた航海士 バァスコ・ダ・ガマ
    夕日を背に その十字を形どった記念碑がたつ。

 

 

 

  
  高台の西端には 「サン・ミゲル要塞」がある。

 

 


ポルトガル紀行114 ナザレ1 ナザレ

2019-07-11 | ポルトガル紀行

 

   シティオ広場

 

トマールから約80kmのナザレへ
ナザレの見学は明日の予定であったが 
時間があったので 夕日が傾くころ

町の高台 シティオ広場に到着。

広場の中心にはイベント用の屋台が鎮座しているが

名物豆売りの店の姿はすでに店じまいで閑散としている。

西側には ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会が
その存在を示していた。

 

  

 

 

    絵のように美しい海辺の村を描いたアズレージョ
               (ケーブカー駅の壁面)

 

言い伝えによれば 
4世紀にイスラエルのナザレから

聖職者ロマノが木製の聖母マリア像を
持ち込んだことにちなんで

町の名がついたという。

ナザレは 絵のように美しい
海辺の村として町を売り込み

ポルトガル屈指のリゾート地として
人気の観光地となった。


大西洋に面し 長い砂浜を持ち
夏期には観光客で混雑する。

(ポルトガルでも良質の砂浜とされる)

人口約15千人

町は 3つの地区からなる。

 プライアは 海岸部

 シーティオは 丘陵の頂上の旧市街
 ペデルネイラは 南側丘陵頂上部

プライアとシーティオとは 
ケーブルカーで行き来ができる。

海岸から標高110m地点の岩の上に
あるシティオに
最初の定住地ができた。

住民は バルバリア海賊、フランス、
イギリス、オランダ
各国の海賊たちからの
略奪を避けるため安全な基地を造った。

こういった襲撃は、19世紀初頭まであった。

9月8日の祝日には ナザレの聖母を
記念する宗教行事と礼拝行進があり

その他に闘牛と民族舞踊が行われる。

因みに 美しい海岸を持つ町から
 神奈川県・逗子市と 
2004(平成16)年に
国際友好都市提携を結んでいる。 

 

 

 


ポルトガル紀行113 トマール10 食堂と厨房

2019-07-10 | ポルトガル紀行

 

 

側の2つの回廊である主回廊と

カラスの回廊の間1階 

北側には台所 東側に食堂がある。


正面には説教台があって

ハリーポッターの食堂のイメージがここにもある。

 

                    

食堂と厨房の間にある食器棚 

 当時使われていた食器が飾られている。

 

 

      大カマド

 

 

小カマドが並ぶ 奥は食器置きの台

 

 

     貯蔵庫

 

 

 

こちらは 厨房からは少し離れた

ミシャの回廊の西側に パンを焼くカマドがある。


貧しい人たちにパンを焼いていたので

パンの回廊と呼ばれるようになった。

 

 

 


ポルトガル紀行112 トマール9 ミシャの回廊と宿舎の回廊?

2019-07-09 | ポルトガル紀行

 

 

ミシャの回廊

増改築されて 1543年に完成しているが

他の回廊と比べ 質素ながら

剛とした回廊になっている。

 

                       

ミシャ回廊の壁に 

台所の明り取り窓が見える。

 

 

 

こちらは 宿舎の回廊

ロマネスク様式の円塔と

ゴシック様式のキリスト教会が見える。

 

 

サンタ・バルパラの回廊から
 
手前にプラスワンの回廊 奥に宿舎の回廊

 

 


ポルトガル紀行101 トマール8 カラスの回廊 

2019-07-08 | ポルトガル紀行

 

 

主回廊の西隣 植込みのある

1階のみが回廊の「カラスの回廊」がある  

ジョアン3世によって増築された回廊の一つで

何故 “カラスの回廊”なのかはわからないが

1階の北側には台所 東側に食堂があり

かつては 修道士たちの読書や憩いの場だった。

 

現在 1階片隅は カフェテリアになっている。

 

 

                

 3階建ての3階内部は 

Tの字の廊下に僧房40室が並んでいる。

1部屋4~6人が生活していたという。

 

 

 

 


ポルトガル紀行100 トマール7 主回廊 

2019-07-07 | ポルトガル紀行

 

 

 イタリアの影響を受けた
     ルネッサンス様式 (2階から)

 

主回廊(Claustro Principal)は

ジョアン3世の時代に建設が

開始された回廊から

「ジョアン3世の回廊」ともいわれる。


1557年の建設開始から 完成したのは

1591年のフィリペ1世の時代であった。

 

なお 1581年 ポルトガルを

併合したスペインの王フェリペ2世は、


ここで ペリペ1世が

ポルトガルの王として戴冠している。

 

                       

    1階から

 


ルネッサンス建築の傑作と
    言われる優雅な回廊

 

 


ポルトガル紀行99 トマール6 南門 

2019-07-06 | ポルトガル紀行

      

    

 


ジェロニモス修道院を手掛けた

ジョアン・デ・カステーヨの手による


スペインのサラマンカで

生まれたプラテレスコ(銀細工)様式で

装飾された南門。

 

                       

16世紀の「南門」が元は正門だったが

現在は閉鎖されているので

通路を通って反対側の入り口から入城する。

 

  

城内の配置

①南門     ②主回廊(ジョアン3世の回廊)
③カラスの回廊 ④ミシャの回廊 ⑤宿泊所の回廊?

⑥墓地の回廊  ⑦沐浴の回廊  ⑧テンプル騎士団聖堂
⑨キリスト騎士団聖堂       ⑩マヌエル様式の窓 

⑪売店

 

 

 


ポルトガル紀行98 トマール5 アロエ 

2019-07-05 | ポルトガル紀行

 

リュウゼツラン脇には 

アロエの花が鮮やかに咲き誇っていた。

色のない古城に反し 朱色のアロエが

その存在を示している。


ポルトガルでは まさに花の国

12~1月 アロエの朱色の花

2月 アーモンドの白い花

3月 ミモザの黄色い花

6月 ジャカランダが紫の花

  夏 ブーゲンビリアの紫や赤の花 

  そして 国の花はラベンダー

  また カーネション革命と
   呼ばれたカーネションもある。

 


ポルトガル紀行97 トマール4 リュウゼツラン

2019-07-04 | ポルトガル紀行

    



城門を潜った先に かつて東欧で 

初めて見ていたリュウゼツランがあった。 

そのときのことは

2012-12-15 東欧5カ国 で触れている。


「アオノリュウゼツラン」(青の竜舌蘭)は


メキシコを中心に自生する

「リュウゼツラン」の一種。


リュウゼツランは、かつて

「100年(1世紀)に1度だけ花が咲く」と


誤認されていたことから

「センチュリー・プラント」とも呼ばれているが

原産地である熱帯地域では

栄養成長期は10-20年にわたり

その後開花する。

 

特徴は 先が鋭くとがった葉からなる
大きなロゼット(バラの花びらのように

器官の一部が放射状・らせん状に
配列しているもののこと)を形成する。

そして、そのロゼットの中心から
伸びる背の高い茎の先に、
筒状の花がたくさん咲く。

アオノリュウゼツランは
数千の花をつけるといわれているが、

実をつけるのはそのうちの2~3割程度。

残りの花は人口受粉をしても
実がなることはないという。

 

 

 

 


ポルトガル紀行96 トマール3 キリスト教修道院

2019-07-03 | ポルトガル紀行

 

   16角形の円塔が目を引く

 

トマールの見学は 

丘の上にある 世界遺産「キリスト教修道院」

ポルトガル最大規模を誇るシート派の修道院。

 

1160年に 戦略上の拠点として 

建てられた城と修道院はどちらも

1314年まではテンプル騎士団の本部であり


1357年 解散命令以降は

キリスト騎士団の本部になり

ポルトガル王室からエンリケ航海王子を

はじめとする代々の団長を迎え

大航海時代のポルトガルを支え

ポルトガル海上帝国の礎を築いた。

 

 

                        

城壁には十字架を模った狭間。

1983年 世界遺産として登録の標識が見える。

 

 


ポルトガル紀行95 トマール2 タブレイロス祭

2019-07-02 | ポルトガル紀行

 

 

レプブリカ広場にある

「タブレイロス祭り」のモニメント(車窓から)

 

このトマールでは 4年に一度

「タブレイロス祭」が開催されるが

ポルトガルでも最も華やかな

祭りとして知られている。

その開催が 今年2019年 今月です。

 

この祭りは アラゴンからディニス1世に嫁いだ

慈悲深いイサベル王妃に感謝する祭り。


王妃は 常日頃からパン等の


食べ物をお盆(=tableiroの複数)に

載せて民に施しをしていた。

このことから「タブレイロス祭」と呼ばれている。

 

伝説「奇跡の薔薇」には

イザベラ王妃が何時ものように

施しに出かけようとしとき

その度が過ぎるので 

王・ディニス1世が籠の中を改めると


“パン”が真紅のバラになっていたという。

祭りの行列は 男女一組で、

女性がタブレイロを頭に乗せて運ぶ。


女性は白いドレスを着、赤、黄色、

緑などのリボンを掛け


タブレイロは、コリ柳で編んだカゴを

白刺繍の入った布で

包み その上に5~6本の軸に

パン30個と紙の造花で飾る。


そのトップには王冠と十字架か

聖霊の象徴である白い鳩を乗せる。

 

そしてタブレイロは 

自分の身長と同等にすることから
       
パン1個400g×30ケ 12kgにもなり

それを頭に乗せて行列に加わるという。

                       

         (Web資料から)