あかない日記

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静岡紀行 熱海15 金色夜叉

2018-12-03 | 国内・静岡

 

 

1897(明治30)年から1902年まで
読売新聞に連載された明治の文豪
 尾崎紅葉の「金色夜叉」により

熱海は一躍脚光を浴びた。

「お宮の松」と呼ばれるようになったのは
1934(昭和9)年頃と言われている。


金色夜叉といえば「熱海海岸の場」
 間貫一が お宮を足蹴にして立ち去るシーン

「いいか宮さん。
来年の今月今夜…再来年の今月今夜…、
10年後の今月今夜…、
一生を通して僕は今月今夜を忘れん、
僕の涙で必ずこの月を曇らして見せる。」


1986(昭和61)年
に 熱海ロータリークラブにより
2代目松の隣に貫一・お宮の像が建立された。

当初はこの像に対し「女性蔑視」の声もあったようだ。
また「物語を忠実に再現したもので
決して暴力を肯定したり助長するものではありません」と
書かれたプレートもあるとのこと。

 

 

 

貫一お宮の像の脇に「金色夜叉と熱海」という解説板がある。
小説のあらすじと「金色夜叉の歌」の歌詞の一節が刻まれている。

 

 

紅葉山人記念 金色夜叉の碑


「宮に似た うしろ姿や 春の月 風葉」

この句は 紅葉の門人小栗風葉作で
「後の金色夜叉」という小説を執筆している。

この句も名句として
「お宮の松」とともに広く熱海の名を知らしめた。