あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

茨城紀行 北茨城市2 野口雨情記念館2

2018-12-09 | 国内・茨城

 

 

  当ブログで 以前「赤い靴」

(1992・大正11年 雨情作詞・本居長世作曲)の話題
 2011年7月4・5日 静岡紀行(21・22)

 
 「赤い靴」は 大正11(1922)年 
   野口雨情 作詩 
本居長世 作曲で発表された。
 きみちゃんと 母・かよの 母子を 81年ぶりに 故郷の清水へ
 里帰り再会させ 母子の永遠のやすらぎを 母子像にたくした
 とのことだそうだ。
 この地に 童謡「赤い靴」が 関係していることを 初めて知った。
 定説では この地出身の未婚の母・かよ は その娘・きみ を
  育てていたが 後に北海道に渡り結婚し 平民農場に入植する。

   しかし生活苦から 娘・きみを アメリカ宣教師に養育をたくした。

   その後 宣教師が帰国することになるが 娘・きみは結核に
  冒されていて 米国に連れて行くことができず  東京の孤児院
 に預けられ 9歳で亡くなった。

  母・かよは 米国に行ったものと思い 娘・きみ が東京で
 亡くなったことは知らないまま 一生を過ごした。
 この話から 「赤い靴」が作詩されたという。

 

 と取り上げたが 
 ここ記念館にその写真像の大集成があった。

 

 
    (
BSテレ東:#238「武田鉄矢の昭和は輝いていた・童謡100年」から)
 

   更に この12月7日BS放送
 「武田鉄矢の昭和は輝いていた・童謡100年」
 が放映されていた。


 その中で 先に話題にした内容のほか 
 実の妹が 昭和48年新聞に

 後日談として投稿されていたことも明かされていた。