セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

ネリネで大晦日

2011-12-31 | セカンドライフ

 

年の瀬、今日も明日も同じ一日24間。快晴、向かいのマンションでは半分位は
お留守の様だ。帰省か旅行に出かけられたのでしょう。

小晦日、大晦日そして新年、当たり前なんだけど、気持ちが全く変わるので不思議。
「来年は何をしたいですか?」と先日質問を受けた。正月の内ゆっくり考えよう。

元気で又ブログ生活が出来たら、これこそ幸せな事だと思うの。

最終日に、ネリネで年を締めくくりましょうか。
お習字の友達(知り合い)ガ、重~い鉢ごと下さった。
肥料は要らないからとそっけなく(T_T)。

そう彼岸花に似ているでしょ?ヒガンバナ科なんですって。



涙の兎(ウ)
     ネリネの雫く
           辰(リュウ)が抱く


   笑み満ちて
         知識は不足
               清貧の大晦日(クレ)


         災害も 
             木漏れ日矢となり 
                      暮れの朝


いつもおいで下さった皆様ありがとうございました。
平素は150-200名様ですが、最高は488名様が突出していて驚かされました。
通りがかりの方が、突然寄って下さったのでしょう。そんな日が2.3回ありました。

日々クリックして下さる方のお陰で、無事年を越せます。
感謝で一杯のアミーです。ごくごく普通の生活ですが又、庵(イオリ)においで
下さったら、そちゃ(茶)を差し上げたくお待ちしております。良いお年を~~~ 

キッズ・スキー合宿

2011-12-30 | セカンドライフ
冬と言えば、ウィンタースポーツ・・・とは言え雪も程度もの。
日本海側や北日本は、ドカ雪で住民の皆さんはご苦労が多いと聞いている、と
言うか危険な程。
新潟の友達も「雪かきが一番の仕事で、一番の辛い事」と泣いている。想像に難くない。

12.26から5日間のスキー合宿にキッズ2人は出かけている。
主催者の方から、参加者の現地での様子等1.2時間おきにアップして呉れているので
娘から、教わったHPで、心配やら楽しみやらをリアルタイムの様に楽しんでいる。

自分の子供達の頃は、情報も少なく限られた中でしか送り出せなかった。
息子のキャンプ等、帰宅まで無事なのかどうか、全く様子が分らなかったし。

気持ちだけスキーをしている気持ちになって見てね。

  

 こんな中で事故も無く帰れるの?と一人不安のアミー

 それでもレッスンはスタート、まあ山スキーに行ったわけではないしね

   
                   ご指導の先生方

   

   
     食べる事大好きのみこたんの顔が浮かぶ みっ君はどうしているかな?

 ☜私はこんな写真が大好き  
         
昨日バッジテストだったそうだけど、二人共頑張れたかな?みこたんは小さいけど膝の使い方が大分上手になって来ている。

楽しかったよ―と嬉しそうに帰って来るのが、何より嬉しい事。
合宿場所:北志賀「ホテルノース志賀」 バッジテストの結果は、本人達には夕べ発表が
あり、認定書は自宅に郵送ですって。


☆バッジテスト、二人共4級、合格したそうです。
   とっても楽しかったと言う事です。怪我もせず、無事で何よりです。

仕事納め

2011-12-29 | セカンドライフ
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        マーガレットも元気! 
              

役所言葉では「御用納め」と言うが、民間では役所が御用納めが済むと
仕事納めをする会社が多いかと。

建設業界では、現場労働者が出稼ぎの人達もいるし、社員が故郷に帰れる良い機会
なのでお盆と正月は、確実に休暇に入る。

今、うちの近くと最寄駅との間で、高層ビルを建築中。日曜日を除く毎日カ―ンカ―ンと
鉄骨の杭打ちやクレーンの作業音が鳴り響いていた。
もう、毎日の生活の中に響く音なのでピターッと止まってしまうのも、あれっ?と
物足りなく感じた。

午前中は現場を片付けて今頃は一杯やっているのかもしれない。
本当の仕事納めの一杯。
高層マンションで、商業施設も、今風に保育施設も入り、地域に密着した感が有る。

商店街を三倍強の道路拡大をする為、立退きをした家族達も入るらしい。
まあ街中の噂って感じ。

駅迄4.5分の立地の良さで、売れているらしい、あく迄らしいであるが・・・・
私だって勿論羨望の目で見ているが、上の方は8000万前後、もっと高価な階も有る。
よしんば買えたとしても、管理費や積立金等で、私の年金生活資金は消えてしまう。

しが無い年金生活者の私はせめて眺めるだけが、身の丈とと言う所だ。
新年三が日迄、しばしの静寂に浸りましょうかね。

年末になって喜んでいる事。挿し木をしていた野ボタンの若木から初めての
お花が開いた事。色も心なしか鮮やかに感じられる。

                           

ポコタンライブ

2011-12-28 | セカンドライフ
               分り難い場所にギターが招いている
  

                    ドアは音が漏れない様に防音に設えてある
    


毎日最低気温を更新している昨今、暖かくして(ダルマ状態)今年最後の追っかけライブに
出かけた。

新宿区四谷三丁目に有る小さなギターライブ会場で諏訪光風&柴田亮太郎 さんの
ギターライブ。
この会場は、スナックかと思ったら、ギターミュウジックバーとドアに書いて有り
あーバーだったのねと初めて知った。

日常に、バーなんて所には全く行かないので、バーorスナックの区別さえつかない。
ポコタンだって簡単な食事も出来る様になっているし・・・まあ大した問題ではないが。

細長い店内の奥正面が演奏スペースになっている。
夕べは、年末のせいかぎゅう詰め状態だった。私達のグループ三人は予約して有った
のでベストテーブルがキープされていた。

しかし、いつになく混んでいるので演奏位置と私達のテーブルの間に、低いテーブルが
セットされ、私の前に数えたら10人も座っていた。

亮太郎さんは風邪気味と言いながら(悪寒がするらしい)演奏が始まると細くやわらかい
指が追いかけられない速さでピラピラと進んで行く。スペインで磨いた技が光る。
今夜は後ろの方に、お母様も見えていると言う事だ。お母様も嬉しいに違いない。
親孝行息子?いい響きだわ。

ゲストに、フラメンコギターを弾いて盛り上げた渡辺氏。リズムが取れなかった
同じ事務所の、ギター&ボーカルの江口さんがマイウェイをフランス語で歌った。

彼は、私達に、奥様がサルサを踊る動画を見せ「奥さんも来ているんだよ」と頼まない
のに紹介して下さった。
プロでは無いらしいが、これがなかなかの美人で。紹介したい気持ち分る分かる。
どうしてミュージシャンの奥様は、美人さんが多いのかしら?

昨夜ご一緒した、カナダに三年間生活して帰国したばかり、と言うナミちゃんから
色々現地の話が聞けて楽しかった。バンクーバーでの話題。

カナダでは、デパート内もショップ内もミュージックと言う物が流れていなくて
音楽に飢えていたと「来て良かった」と繰り返し言いながら帰って行った。

そうなんだね、私も無性に生の音楽が聞きたくなる事が有る。日本は音楽が何処に
行っても満ちている。余り枯渇する暇が無い程に・・・なのにね

                 

マイウェイ(My Way)』は、フランク・シナトラにより世界的に
有名になったアメリカの ポピュラーソング。ポール・アンカ(Paul Anka/1941-)作詞。
原曲は、フランスのポップス 『Comme d'habitude(いつものように)』。

これは日本では良い意味で結婚式などに歌われるポピュラーな曲だが、本当は離婚の曲
なんですって。
フランス語で、何度もComme d'habitudeと繰返していたが、やっぱり聞いて見ると、淋しく
暗い感じに聞こえる。

日本では、布施明が,声を張って歌っているが、まあ自分の道を歩いて行くと言う感じ
なのであながち間違ってはいないけれど・・・・・。

首から上の願い寺

2011-12-27 | セカンドライフ
             この言葉に覚え有りの方はご案内しますよ。あ・な・た大丈夫?
 
  水子地蔵に今でもお参りしている若い人が居る。辛そうね。



もういくつ寝ると~お正月~♪  後五回寝るとお正月なんですよ~~~。

自治会の大掃除は住宅内も高齢化で、総会と共に夏にしたので、この寒いのに水に
濡れ無くて済む。

国と違い、自治会と言うのは臨機応変に物事を決める事が出来るので良い。
毎日最低気温を更新しているので、こんな時、外の水仕事は最悪。
「皆で風邪をひきましょう」って号令をかけている様なもの。

年末から、夏に移行しておいて、と言うか夏は夏で辛いけど、午前中なので何とかなる。

自宅の大掃除は、マイペースで纏めてやらない様にしている。出来ない。
少しずつやりましょう。困る程広い大邸宅では無いのが幸い?マケオシミ

買い物途中に、懐かしい場所に足を止めた。
娘が未だ学齢前に、ずっと毎日、守って下さいと通ったお寺さん。皆がここは効くよ
なんて勧めて呉れたので・・・娘が10歳になる迄、神頼みだった体調で・・・。

今では、私の言う事もうるさがり・・・・そうそう元気になったって事だと思う。
有難い事だ。娘の反抗的な態度に有りがたるなんて母親は私位かも?

ここの前に来ると、いつも涙がこぼれたので、今来ても昔を思い出す。背中に
おんぶしている娘は「ママーママー」と私の行動を案じていたっけ。

今では三児のママとなり、身体は小柄だが、逞しくなりました。強すぎる程
神頼みばかりしていた私。以前お礼参りってのを真面目にしていた。
30年位前の懐かしい場所に立ちほろりとした。感謝の涙が

有難さを心から思った。
何でも信じないと救われないを実感した次第で・・・・