セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

リニューアル渋谷散策

2012-05-31 | セカンドライフ
 渋谷駅

 東急ヒカリエ

                  

昔の渋谷をご存知の方なら、東急文化会館を建て替えたと言った方が、場所がはっきりするかもしれない。青山学院大学の方向、右側の方が分り易いかしら?兎に角バカでかい。

東急文化会館の頃は映画を観る為に随分通ったものだ。しかし新たに東急ヒカリエに建て替えてデビューをしテレビでは知っていたが、実際目にしたのは初めて。

余りの大きさに驚きだ。テナントにも沢山一流と言われるお店が入り、客層の狙いは35歳以上~シニアって感じ。
渋谷に集まるギャルは反対側の東急百貨店本店に繋がる109方面に、はっきり年齢層も別れているので面白い。

変わらないのは忠犬ハチ公位かしら?ハチ公と向かい合って、何と東急電車の昔の車両が一両置いて有り中は簡単なカフェになっている。
渋谷もどんどん変わって行くんだなーと、と言うより一寸行かないと人の流れも変わって来るから不思議。

       

本当は友人から頂いていた東急電車の優待券が今日が期日なので、無駄にしては申し訳ないと使いに行ったわけ。東急線なら横浜でも中央林間でも、出来るだけ遠くに言った方が、お得感は有るのだけれど、今朝までどうしようかと考えたけど、時間の都合で結局渋谷に決定。

新しい街を、昔と比較するのも楽しい作業ってわけで。


古い車両は私も随分利用した若い頃が蘇って来て懐かしい~~。
                          

二子玉で「つばめグリル」

2012-05-30 | グルメ
体調を壊していたお友達が「回復して来たのでランチをしましょう」と連絡を下さって嬉しくて二つ返事で出かけた。
その友達も「つばめグリル」の事、昔からのファンと言うので「つばめしましょ」と言うのが合言葉。

昔はごく限られた所、銀座、品川駅近くにしか無かったが、今ではビルが出来る度にテナントで入っているので、ツバメファンの私は、嬉しくてならない。
大体どこでも味が同じだなーと思ったら、工場が品川に有り、全店の物を纏めて作って居るのだと壁に書いて有った。

成る程ねー、それで恵比寿で食べても銀座五丁目店で食べても味が同じ、期待を裏切らないんだ~。
毎度同じオーダーばかり。「つばめ風ハンブルグステーキ」と変わらない。
たまには他のメニューを食べようと思って行っても、何故か同じ物ばかり頼んでしまう。
ランチには丸ごとトマトが一個付くのでこれが又嬉しいわけで。
相変わらず食べる事に貪欲な私。

友達と「スイカ作り名人君」の事をひとしきり話して少し落着いた。
悶々としていたけれど、ブログに書いたり友達に話したりする事で不思議と胸の中が軽くなった。彼女が病み上がりなので「2時間ランチ」と決めたのも丁度良かった。「又つばめしましょう」と笑顔で別れた。疲れさせちゃいけないからね。


    
ホイルにくるんで有るのが特徴。 



あいうえお論語



始有り卒有る者は、其れ唯聖人か。

(ハジメアリ オワリアルモノハ、 ソレタダ セイジンカ。)

始めもあり終わりもある、すわなち、人のあるべき道の 本末を同時に兼ね備えることができているのは、聖人と呼ばれるような立派な人だけである。
われわれ凡人は小さいところから初めて、少しずつの大道にたどり着くように、努力を重ねることが大切なんだよ。

スイカ作り名人君との別れ

2012-05-29 | セカンドライフ
昨年夏、父の法事の折り、滅多に口を開かない、スイカ作り名人君と久し振りにお喋りをして「来年の夏はT君のスイカ楽しみに帰省するからね」と詰め寄った私に
「わかったよ~M子さん(私)、じゃあ頑張って作るからよ~」とはにかみながらこたえたてくれた。確かに本心から思って言ってくれたと信じた。

兄に聞くと「本当なんだよ、Tの作ったスイカは俺は楽しみで、頃合いを見て畑に食べに行くんだよ、そうするとな、向こうから他のおやじも来て『おい、お前ばっかり食ってずり―(ずるい)じゃねーか』って、あいつも狙ってたんだよ毎年」と言う程、特別な美味しさだったらしい。

私も今年の夏は、T君のスイカが食べられる事が殊更楽しみだった。

何と皮肉な事だ。T君は急性白血病であっけなく逝ってしまった。
兄が彼の畑を見に行ったら、スイカ作りの準備はしてなかったって。
体調がしんどくて畑どころでは無かったらしいって。

優しくて真面目で、義理がたいT君は、結婚をしていなかったので、一人でひたすら真面目に生活をしていた。
結婚相手には、こんな良い子は居ないのに、シャイでプロポーズも出来なかったのだろう。
兄が急を聞いて、病院に駆けつけた時は、もう意識も無く明らかに諦めざるを得ない状態だったと・・・。

兄もT君の人柄の良さを知っていて、何くれとなく可愛がっていたのに・・・・。
兄が色々な事が有った時は、これからもきっと守ってくれたに違いないと思って頼りにしていたのに。
さすがの兄も、悲しみが深く仕事にならなかったと、姉が言っていた。

私も悲しくて仕方がない。気合が入らない。あんなにいい子だったのに、神様は助けてくれなかった。

T君の葬儀は、弟君が喪主を務めためた。その際の挨拶状を送ってくれた。

【心からの感謝を込めて】

物静かで責任感の強い兄でした。来る日も来る日も宅配の仕事に汗を流していた
真面目な兄。
仕事の傍ら、野菜作りをこよなく愛した兄は、特にスイカ作りを得意としていました。
丹精を込めて育てたスイカが見事に実った時、兄はせっせと周りの方々に届けて居りました。
皆さんが「美味しい」と笑顔になって下さる事を、何よりの楽しみに・・・・・。

早過ぎる別れに言葉もございませんが、周囲を優しく気遣い、自分らしさを生き抜いた
兄に感謝と労いの言葉を捧げ、見送ります。


会葬御礼に書かれていた文章の抜粋です。何度読み返しても悲しいばかり。


スイカ作り名人君 昨年のブログです。


  

   T君に美しいバラを捧げましょう。

ゼラニューム

2012-05-28 | セカンドライフ
今日は珍しく色々な用事が重なって午後帰宅した。
途端に強風が吹き、雷雲がやって来て力強い雨がバタバタ降って30分もすると軽い空の色へと変わって行った。
何か気が忙しなく、急いで帰宅してセーフ!とあいなった。

  

       

ブルー系の花が一息つくと今はゼラニュームが元気で咲き競っている。
このゼラニュームって花は、丈夫でどんどん増える。逞しいお花だ。
直ぐに大きくなってしまうので切っては挿し木、切っては挿し木していたら殆どの物が
根が付き、今では40株を超える程に迄なってしまった。

この花の種類も多く軽く30種を超える。うちのはたったの三種類しかないけどね。
その内又増えるかもしれない。八重の物とかね。


   

あいうえお論語



能を以て不能に問い、多きを以て寡きに問い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若くす。

(ノウヲモッテ フノウニトイ、オオキヲモッテ スクナキニトイ、アレドモナキガゴトク、 ミツレドモ ムナシキガゴトクス。)

才能があってもまだ不足しているとして才能のない人にまで問い、多くを知っていてももっと知りたいと知識の少ない人にまでたずねる。

学問の道は、有ってもまだ無きがごとく。
充ちていてもまだ空虚であるかのように、もっともっと求めることだ。

千葉・千倉館・くじらのたれ

2012-05-27 | セカンドライフ



 【千倉海岸】

今回の宿は、千倉では老舗の千倉館に取った。
子供の頃、宿の前を通る度に和風の旅館の佇まいが素敵だなー!と思っていたものだ。
こんな所に泊まりに来る人って、どんな人が来るのかな~?なんて子供ながら憧れに近い旅館だった。当時は町に2.3軒しか宿は無かった。

まさか、チャンスが巡って来て、ここの宿泊人になるなんて夢の様な気分。
しかしフロントが2階(道路沿い)に有りエレベーター無し、部屋は4階、風呂は一階と言う不便さ。まあ古いと言う事はこう言う事なのでしょう、と諦め食事に賭ける事にした。

千倉と言う所は、昔からクジラのある所で、一般の家でもくじらの煮物やタレ(クジラを薄く切り天日干しした干物)を食べる習慣が有った。
勿論、東京では食べた経験がないのでちょっと期待した。

 海老とカサゴ甘辛煮が美味しかった。

千倉では船盛りが必ず出る。朝食でもこれ

朝食で干物を自分が焼いたのは良かった。

 右からクジラのタレ、いか 魚の干物

夕食も、朝食もくじらのタレが出て来たので超満足。
夕食は兄を呼び三人で、母の今後の事等3時間余りお喋りした。
日本酒を四合飲んで、すっかり良い気持ちになった兄を見て、酒宴終了。「俺は自分の酒量はちゃんと知ってんだ」とか言いながら嬉しそうに姉に送って貰った。

暫くぶりの「くじらのタレ」は、何とも言えず万足出来る薄塩だった。
翌日の朝、二人共五時に目覚め、姉は朝食前に実家の母の面倒を見に行った。

どうしても、実家の近くが便利で、ここ数年サンクストリップ(私の姉に対する気持)と言う
感謝の旅をしていない。
地元とは言え、あげ膳すえ膳を姉も喜んで呉れた。

朝食後、ゆっくり実家に帰り母親が中心の会話に終始した。

母は、私と似てお喋り好きなので、お喋り相手になるのが一番のプレゼントかもしれない。
身体は、不自由だけれど、耳も遠くなっていないので、お喋りが出来て楽しそうだった。
食欲もまあまあ有るのが幸いだ。

父はずっと母の話相手を頑張ってくれたけど、惜しいかな一昨年の夏お先してしまった。