セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

喪中ハガキ

2010-11-30 | セカンドライフ
11月30日と言う事は今年は後1ヶ月で暮れてしまう。
明日から師走と言う事だけど、毎年毎年忙しなく師走を送ったなーなんて、つくづく思う。
そして又、新しい年を迎えるわけで・・・・・

ブログにも書いていたが、私も今年は「喪中ハガキ」を郵送した。
ハガキを書きながら、親の喪中ハガキを書く日を遂に迎えてしまったな~と、事務的に
硬い表情で作成したっけ。

この歳になると、やはり友達のご両親などの喪中も珍しくない。父親を亡くしたと言う
若い女性からも複数人あった。今年も多い。


今日の喪中葉書には、愕然として力が抜けてしまった。
M美ちゃんは四歳の頃からの知り合いで、可愛くてしっかり者の女の子、結婚してから北海道に
生活をしているのでご無沙汰はしているが、几帳面な彼女らしく、ずっと40年も年賀状を
欠かさず下さっていた。

三人の子供さんを育て、いつも写真がご家族でスポーツをしたりキャンプをしたり楽しそうな
年賀の写真なので、一年一年成長するお子さん達を楽しみに拝見していた。
子供さん達を慈しみ育て、ご長男は19歳になり大学生活を謳歌している頃だ。

ママ似の好青年に成長していた。
「本年四月長男が永眠いたしました。彼の成長を見守りご指導いただきました皆様に
深く感謝いたします。多くのご厚情を賜り・・・・・・」

何度も何度も読み直したが、間違いなくご長男を亡くした喪中ハガキ。
モノクロ写真でご長男が岸壁の様な所に足を延ばして腰かけている写真が、景色と共に
ハガキ一杯に写されている。
まるでこのハガキに使うのが分かっていたかのように、顔は斜め横を向き物思いにふけっている。

M美ちゃん、何が起こったの?。息子さん重い病いだったのかしら?交通事故?何か
突発的な事故だったの?
昨年の写真には彼が一家のリーダーの様に皆を纏め笑顔一杯で写っている。


どうしたの?信じられない。M美ちゃんは、どんな思いでこのハガキを作られたのだろう。
可哀そうに、毎日毎日が辛かった事だろう。お二人の子供さんも居るので
泣いてばかりは居られなかっただろう。
「日々の生活を取り戻しつつあります」と、書かれているが、こんなんに愛情深くしっかり
お子達を育てて来たのに、目の前から消えてしまうと言う災難に出会って・・・・

私の様に、親を亡くしても立ち直るのに時間がかかったのに、逆縁ではとても平常心に
戻る事は出来ないだろう。
子供を亡くした人は一生、自分の命が終わるまで平常には戻れないという。

可哀そうに、しっかり者の可愛いM美ちゃんに、こんな悲しい事が降りかかるとは…。
辛いなー悲しいなー私も。

M美ちゃんが帰省する事があれば、語れる時が来れば話して呉れるだろう。

氷点下の北海道は辛く、心の中まで凍らしてしまう長い冬になる。励ます言葉も無い。
それでも、生きて行かなければならない辛い人生になってしまった。
笑顔はいつ戻るのだろう。19歳の彼に合掌。

Hグランパシフィック LE DAIBA(お台場)

2010-11-29 | 旅行 見学


友達から、「お台場のホテル会員権が有るからご一緒しない?」と誘って頂き当然二つ返事で
ご一緒した。
ゆりかもめ新橋駅からお台場駅迄行き、ホテルのフロントと直結する「ホテル グランパシフィック 」へ向かった。

ゆりかもめも空いていてゆっくり座り窓の外を眺めながらお台場アイランドへ。
人口で造られた埋め立ての巨大な島だが、きれいに設計したものだと行く度に感心する。



         

       ホテルはクリスマスの準備を着々と・・・・
  

チェックインが16:00(アウト11:00)だったので、ゆっくり時間に合わせてホテルに入った。
チェックインしてくれた友達が時間がかかっているなーと思っていると、暫くして
ニコニコしながら「ダブルブッキングみたいよ。それでグレードをデラックスにしてくれたの」

いいじゃない、いいじゃない、どんどんダブってちょうだい。
ヒヒヒと笑いながらデラックスルームへ。

何だかついてるじゃないの最初から。
ホテルや、飛行機はダブルブッキング(重複予約)をした場合は、
大抵の場合「申し訳分けございません」と、グレードを上げてくれるので大歓迎である。



お部屋も広々しているしシャワー室も別に設えて有るし。
パジャマもバスローブもしっかり付いているし。デスクも付いていてなかなかリッチな気分。
元々が泊まる程の距離でも無いので今回はホテルライフを、格安で味わいに来たのだから
目的は十分達成できた。

   

   レインボーブリッジと東京タワー           スカイツリーも500m越え

  多過ぎかな?


ゆっくりお喋りを楽しみ、一晩泊まって帰るだけ。
色々な話をゆっくりしたけど、帰宅して見ると未だ足りなかった様な気がする。
しょっちゅう会っている友達じゃないけど、何となく波長が合うと言う仲だったと認識した。


ホテルのレストランは30階にあり目の前の景色はマッチ箱くらいの我が家が見えそうな
距離にある。
朝食をとって景色を眺めているとと、漂っていた雲が流れ、富士山迄もおまけについて
リゾート気分ばっちりである。
午後には友と別れたが、随分長い時間一緒に居た様な、二泊位はしたかった様な・・・・
又って事も有るしね。

ラッキー印の上、料金が格安なので、一寸癖になりそう・・・・。家に居て何だか疲れたかな~
っていう時は宿泊だけの近くのリゾートって効き目ありそうね。

  ☆☆☆☆☆☆  ☆☆☆☆☆☆  ☆☆☆☆☆☆  ☆☆☆☆☆☆  ☆☆☆☆☆☆   

お台場の解説 簡単に

『江戸時代 [編集]
第六台場
現在のような姿を見せるようになったのは1996年頃からである。
嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた勘定奉行が動き、幕府は洋式の海上砲台を建設させた。
品川沖に11基の台場を一定の間隔で連鎖的に築造する計画であった。工事は急ピッチで進められ
およそ8ヶ月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。


『お台場(おだいば)は、東京都港区台場、およびその周辺の地域名である。港区台場、品川区東八潮、江東区青海のうち青海南ふ頭公園以北から成る。

臨海副都心地区全体を指す愛称として「お台場」という呼び名を使うときがある。』

品川区内には現在「台場小学校」と言う名の学校も存在している。

師走前の掃除

2010-11-29 | セカンドライフ
 

11月もアッと言う間に終わり、12月になると、心なしか師走と聞くだけでも気忙しい
気がする。何をしているわけでもないのにね。

以前は住宅全員で、暮れの大掃除をしていたが、高齢化になり近年は7月に変更し大掃除と
総会を行う様になった。

年に一度は自転車置き場前の赤レンガは、建設後32年経ちそこここが傷んで来た事や、
皆が全員で歩く場所特に汚れが酷い。当り前だけどネ。
そこはデッキブラシでこすって見てもとても汚れが落ちず、張り合いが悪かった。
皆と相談して「一度業者さんに頼もう」と話題になっていた。
デッキブラシでこすっても既に、こびり付いた汚れは、年々積もっていた。

最近よく通信販売で水圧で汚れを落とす、汚れた壁が真っ白になる、と言うのが目に付いて
いたので「それが一番ね」と賛同を得ていた。

昼間、出先から帰宅すると、自治会の会長が立会い説明をしていた。
私も丁度出くわしたので、加わり、じゃあと言う事で始めて頂いた。
肩や腕が痛くなってしまう程こすっても、汚れが落ちないのに、水圧だけでこれ程
きれいになるなんて・・・・

すっかり嬉しくなってしまい、数年毎にきれいにして頂く事にした。
アッと言う間と言っても、相当水圧の反動が強く、身体にはきつい様で作業員さんは
休憩を入れながら作業をしていた。

久し振りに、新年が明るく迎えられそうだわ~。


       作業前    

       作業後 

聖徳記念絵画館

2010-11-28 | セカンドライフ
絵画館と言う簡単な名前で親しまれている建物の、本当の名称は「聖徳記念絵画館」

明治天皇・昭憲皇太后の御聖徳を永く後世に伝えるために造営された、
神宮外苑のシンボルともいえる存在。

青山通りの外苑入り口から銀杏並木越しに見る景観は、東京を代表する風景のひ一つとして広く親しまれている。
現在では、東京都の景観条例により、その周辺を含めた風格ある景観として守られることとなった。

館内には、明治天皇・昭憲皇太后の御在世中の御事蹟を伝える大壁画(縦3m横2.5~2.7m)が、
画題の年代順に展示されており、当時の出来事を時代を追って見ることができます。

知識を世界に求め、旧弊を退け、近代化への大きな飛躍を成し遂げた明治の時代。
その只中に居るような錯覚さえ懐くことのできるところ。


       


壁画の揮毫者は大正14年には内定したが、全80面が揃ったのは10年後の昭和11年。
依頼を受けながら完成を見ずに逝去した画家も7名に上った。

画家たちは、二世五姓田芳柳 制作の「画題考証図」、明治神宮奉賛会作成の「壁画画題資料」、
さらには現地取材などに基づき、詳細な下図制作を進めた。
その画稿は、下図持寄会に提出され検討を重ねられたが、その際に構図や人物の描き方などに
大幅な改変が行われる場合もあった。

平成17年、画家達が下図を制作するに当たり参考にした現地取材資料のガラス乾板が発見され、
展示の壁画に近い大きさの下図2枚、壁画に描く人々の素描数十枚なども発見された。

壁画は、明治天皇のご生誕から崩御までの出来事を、「画題」の年代順に前半を日本画40枚、後半を洋画40枚で展示しております。


「大政奉還」作者 邨田丹陵                     
   
                      「江戸開城談判」作者 結城素明

       
    岩倉大使欧米派遣」作者 山口蓬春.

絵は一例ですが、こんな絵で歴史を読めたら楽しいですね。ゆっくり時間をかけて
明治時代に浸ってみたい。

明治神宮外苑・銀杏並木

2010-11-27 | 旅行 見学
明治神宮外苑・銀杏並木と言うのは、秋になると必ずニュースになる、絵になる?名所。
赤坂見附駅前の赤坂エクセルホテル東急H(元赤坂東急ホテル)の2Fで中華ランチからスタート。
11/26の神宮外苑・秋の散策。

中華ランチと言っても正確には四川料理。
香港で食べた事は有るが、どうも余り口に合わなかった。見た目の色も薄いし・・・・。
当日のランチはプレオープンのお店。12月になってからグランドオープンだそうで・・・・
大抵この界隈のビジネスマンのランチ処。「辛いのは大丈夫ですか?」とマネージャーらしき女性に
聞かれたが???実際麻婆豆腐・エビチリ+ザーサイは食べている内にも額からじわじわ汗。

たまらなくなり口直しに杏仁豆腐を注文。でも味は良かったですね。
パワーを付けて銀座線青山一丁目(一駅)1番口から
上に上がり斜め左方面に1ブロック歩くと、そこは見事な絵画館前の銀杏並木となる。



正面にちらりと見えるのは絵画館です。

               
               少~し西日が有ったので、黄色も濃く見えました。


銀杏の植え方剪定が話題になることでも有名

☆絵画館を眺る遠近法(絵画の手法)の活用
 樹高順に下り勾配で植えられ、地盤も正面に絵画館を見ると約1m低く下がって作って有る。

☆剪定による樹姿端正
 4年に1度、葉のない1~3月にかけて円錐三角に樹姿を整える作業をする。緑量も豊富で
 気品高く、公害にも強いことで、いちょうが選ばれた。因みに東京都の木はイチョウ。

 日本の近代造園の師と言われた折下吉延博士(昭和41年86歳で死去)。
 欧米の庭園の調査視察も熱心に行い、又絵画の造詣も深かったそう。

 そう言えば造園設計の仕事をする人って大抵、完成図のデッサンなどサッサッと
 上手に描きますね。絵心が有るらしい・・・って私が思うの。


☆銀杏並木は大正12年(1923年)に出来ました。300m約150本。

    

      金の絨毯で~す   

空は快晴とは行かず曇り空、晴れていたらと思わないでもないが、雨が降らないだけでも
まあまあと思いましょう。

入口にはお洒落なレストランカフェの人気店が2件ありこのシーズンは特に満席で
待たされるそうだ。お店もお洒落ですねー。


 SELAN