セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

鎌倉・紅谷クルミッ子

2014-02-28 | スウィーツ
元会社の後輩のMちゃんと私の最寄り駅で10時に待ち合わせた。そして横浜駅で降り西口の高島屋へ入った。そこの8階にはレストラン街が充実しているので楽しみにしていた。少し時間が早いので、椅子にかけて待った。高級レストラン街に行って何が食べたかったって?

結局は  ディンタイフォンの坦々麺と杏仁豆腐に落着いた。
久し振りに食べた坦々麺の美味しかった事。私の持論では「御料理の美味しい中華店は杏仁豆腐も間違いない」此れもぴったり当たって美味しかった。美味し過ぎて、カメラを遊ばせちゃったけどね(-_-;)。

         杏仁豆腐 ↓デザートになると、忘れていた事を思い出す。
         
  彼女は、パンパンにストレスが溜まっているのに、いつもお土産を忘れない。私は約束を忘れない事に精一杯なのに(^^ゞ。思えば現役の時も時々手作りパンを頂いた事を思い出した。今回はブドウロールパン三個丁寧にラップで包んで持って来てくれた。有難い友達です。そして鎌倉・紅谷のクルミッ子を頂いた。自分では余りこう言った物を買わないけれど、頂いて今朝の朝ゆっくり口に入れたら美味しかった。
            ←クルミッ子

沢山沢山話題を引っ提げての逢瀬、笑ったり怒ったり、私にはその様子が、聞けば聞く程良く分かる。私も呼吸を忘れる程忙しくバタバタしていたけれど、周りから見ると座っ手下を向いて作業するので、苦しそうには見えないらしく、どんどん仕事が積まれて行った。辛い事も有ったのでMちゃんの口から出る事は100%同情してしまう。

万葉の湯へは、高島屋の近くから、シャトルバスが出ているので其の侭みなとみらい地区の温泉ビルに連れて行ってくれる。
絶え間なく、お喋りを続ける旧友に結構私も若返ってしまい元気になってしまった。
お風呂は、部屋の中にも有ったけれど、一日遊ぶと思ったので、外の露天風呂にばかり入り、出たり入ったりしながらそれでも話が途切れず、口の中がからからに乾いてしまった。
辺りが暗くなり夕食をする事にし、彼女が豚肉の生姜焼き定食が食べたいと言うのでお得意の私もーとした。
みなとみらいの辺は夜景が美しい。いつもの反対側から眺める夜景は更に又キラキラと輝いて美しい。「Mちゃん、大分吐き出した様だけど、もういいかな?」と聞くと「ハイまあまあです」と笑顔を見せ「夕飯は私が払います、働いていますから、カウンセラー代です」と力強く言う。高いカウンセラーだこと。随分ゆっくりしたけれど、帰りは夜景を観ながら桜木町駅まで歩き、気持ちもお腹も満足して待ち合わせた駅で別れた。有給休暇も沢山有るのに殆どとらないらしく皆捨ててしまうんですって。まるで企業戦士の様な働き振り。ご苦労様。又ストレスがたまった頃にはメールが入るでしょう。

横浜みなとみらい「万葉の湯」

2014-02-27 | セカンドライフ
  以前の同僚だったMちゃんから、年に1.2回「何処かへ行きましょう」メールが届いた。毎日忙し過ぎて、ストレスとかでパンパンになると、相図の様に連絡が来る。
仕事が忙し過ぎて9時始業の所8時には出社して仕事をこなしているらしい。国際部の仕事をしていると言うので(輸出入)忙しいには違いないが、何でも彼女の所に仕事が集まるので、鬼の表情で仕事をしていると言う。イヤ―分かる分かる。なんて事でリフレッシュの為、大抵日帰りか一泊で遊ぶわけ。
今回はあの大雪の後「日光東照宮を見たいので行きましょう」と全て決め(時刻も)決めて連絡が来た。私はすかさずNO!だった。連日震える程寒くとてもじゃないけど、雪の上を歩く気になれなかった。で、改めて決行したのが、横浜みなとみらい地区に有る「万葉の湯」と言う所にした。10階建て位のビルの中に、温泉施設レストラン、宿泊施設全てが入っている。
その辺りを遊んでいて、温泉でも行く?と突然思い付いても、軽い気持ちで何も持たずに入って行ける。全てが整っているので、本当にぶらりと寄れる温泉だった。
大小タオルをはさることながら、最終のお化粧に至るまで全て大きな化粧室に整備されている。女性にはなかなか有難いお風呂。何時間居ても、レストラン、バイキングも揃っているので全く不便は無い。その晩は都内の大学生御一行様が奥の個室で追い出しコンペでもしていたのか?異色な雰囲気だった。
私達も8時間は居たかしら?
  
    みなとみらい地区(万葉の湯から)


                    夜景は奇麗ですね~ 

 雰囲気も良いし 
     レストランは一品料理、バイキングもお料理も美味しかった。
       ラストは下戸のスィーツ
          その2 後で続けます

石垣島の星の砂

2014-02-26 | セカンドライフ
         
     昔はこんなだったらしいですが↑   手元に届いた星の砂↑

そう言えば大分昔、小柳ルミ子さんが歌った「星の砂♪」でヒットして、本土から団体客が石垣島・竹富島へ押しかけて、探しに行ったと言うのも有名はお話し。
当時のお土産と言うと小瓶に入ったスプーン一杯の砂でした。ロマンを感じ頂くと嬉しくて部屋に飾って置いたものです。効果の程は??
久し振りに、今日手元に「星の砂」が届き一寸嬉しかったです。

昔はこんな(左)しっかりした砂だったらしいのですが、今日届いたのは袋に入っていました。
幸せを呼ぶ星の砂と言われています。おいで下さった皆様に心ばかり、お分けしますね。春がそこここに顔を出して来ました。皆様幸せな気持ちで春を迎えましょう。

母への讃歌 讃美歌510番

2014-02-25 | セカンドライフ
 友人がお母様の耳元で歌って差し上げたと言う歌をご紹介します。
 とてもきれいなメロディーで、彼女の美しい声がいつもお母様を癒して差し上げていたのでしょう。そんな美しいメロディーと言葉の持つ意味の深さです。私は無宗教なので、歌う機会はありませんが、私のブログの一頁に残させて頂きたく思いアップさせて頂きました。

母への讃歌                        

讃美歌510番
     
1  まぼろしの影を追いて
   うき世にさまよい
   うつろう花にさそわれゆく
   汝が身のはかなさ

(くりかえし)
   春は軒の雨、秋は庭の露
   母はなみだ乾くまなく
   祈ると知らずや

2  おさなくて罪を知らず
   むねにまくらして
   むずかりては手にゆられし
   むかしわすれしか

3  汝が母のたのむかみの
   みもとにはこずや
   小鳥の巣にかえるごとく
   こころやすらかに

4  汝がためにいのる母の
   いつまで世にあらん
   とわに悔ゆる日のこぬまに
   とく神にかえれ

子供のころから何百回も歌ってきた讃美歌。
母の愛唱歌の一つで先日歌いました。
特に2番の歌詞、4番の歌詞、たまりませんでした


 (高城禎子様のブログより)
ポチンしてね 讃美歌510 
 

書道家・高田深雪氏ご逝去

2014-02-24 | セカンドライフ
 もう少しで102歳になられる筈だった書道家高田深雪様が、ご逝去された。残念で残念んで仕方が無い。しかしお嬢様のブログを読ませて頂き、耳元で賛美歌を歌って上げたとの下りを読み、お幸せな最期だったかもしれないと、少し緊張が緩んだ。
私のブログにも何度かご登場頂き、又お会いできる日が来るのではと楽しみにしていた。
本当に素晴らしく凛とした女性の鏡の様なお方だった。以前、握手して頂いた手は、やわらく小さく
この方がご立派な書道家なんて、と驚いた事があった。
ご本人(友人)のブログを其の侭アップさせて頂きました。少しでもご供養になればと思います。どうぞ安らかに。合掌
  
       100歳の記念個展の際にご一緒させて頂きました。右はお嬢様。
      
       毎晩のお稽古は欠かさなかったそうです。
                         
    
【母は旅立ちました】
   
     俳句の先生からいただいたお花と     ご本人の作品(俳句も) 

2014年2月22日午前1時55分弟夫婦に見守られながら
101歳10カ月と5日の生涯を終え、父のもとへ旅立って
しまいました。

その7時間前まで私は母の手を握りながら耳元で讃美歌を歌って
いました。酸素吸入をしていたので呼吸が苦しそうでいつもは 一緒に口を動かして歌うのにもう口をうごかすことはありません でした。
ただ手をしっかり握り返してくれるので嬉しかったです。
又明日来るから・・と言ってベッドサイドをはなれました。

たくさん甘えることができました。たくさん話すことができました。
でももうできないと思うと悲しいものですね。何も手につきません。

親族が集まってお別れの式をした後、夕方母は献体のため病院へ連れて
行かれてしまいました。 「行かないで|~」とすがりたい気持ちでした。

3月に東京で告別式(お別れの会)を予定しています。

度々ブログに登場し最期ははらはら皆様にご心配をおかけして申し訳
ありませんでした。
母は勇敢な明治の女性でした。 もう少し落ち着いたらお話ししたいと思います。