セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

珈房サッポロ珈琲館・カフェショコラ

2014-01-31 | スウィーツ
           



・・  ・     ・      ・   ・

  コーヒーもチョコレート、味もましてや香りも、超個性を主張している同士のお菓子。
勿体ない様な組み合わせ。果たして美味しいのかしら?とそっと口にしてみた。
う~ん、どちらのお味もするし負けていない。不思議なチョコレート。
後を引きます。ガマン!ガマン!

札幌の老舗店『珈房サッポロ珈琲館』のカフェショコラ。
創業以来こだわり続けている独自のCSR焙煎法にて焼き上げられる珈琲豆はレインフォルト・アライアンス認証の、自社契約農園産ブラジル豆をベースにしたエスプレッソ用のブレンド。
風味豊かな深炒り珈琲豆にカカオニブをプラス。ほろ苦さとほど良い甘さのザクザク食感チョコレートです
。パッケージより

驚きの家 オーストラリア

2014-01-30 | セカンドライフ
 
  ↑英語のテキスト       お借りした写真二枚 ↑ ↓地下にあるのよ。
            

英語の時間で初めて知った事。砂漠の真ん中の地下にある家と言うのをテキストで初めて知った。オーストラリアに行かれた方でご存知の方も有りましょうが、私には驚きの時間だった。先生はオーストラリア人なので普通の感じで話して下さったけれど、彼は人口の多い東サイドが故郷なので、現地に入った事がないそうだ。が、話題としてはご存知だった。知る人ぞ知る有名な場所で、映画のロケ地としても数多く使われているんですって。

15人居た生徒の中では私ばかりびっくりして質問したりしていたけれど、ボキャブラリ―不足、会話力不足で思っている半分位?しか質問出来なかった。
そこに住む人は3,000人位だそうだが「随分沢山住人がいるのね」と言っても他の生徒は驚く風もなく全体から見たら僅かよ、なんて冷静な態度。興奮しているのは私だけ?先生は何を質問してもOKと言って下さるが、他の人はびっくりしていない様子。他の生徒の質問でも知る事の出来る事は多いと思うのに。

オーストラリアは国も広いけれど、砂漠も広いのよね。気温も南半球のなので温暖と聞いていたけれど、砂漠は特別で40℃以上にもなりとても生活出来るものではないと。昼夜の温度差がそれはそれは激しいのだそうだ。
オパールを発見して、掘った地下は夏冬関係無く気温が安定して居ているので住み易いのだそうだ。陸の孤島の様な場所にタウンを作って生活しているんですって。いつか映画を見ている時にこの「クーバーペディ」が出て来たら興奮が収まらないかも。
 
地球上で最も乾燥した大陸、オーストラリア南部の (Coober Pedy)」は一番近い街から800km以上、日本で例えると東京〜広島間も離れた僻地に存在します。
見渡す限りの赤い荒野、最初に植えられた樹木は金属を溶接して作ったというほど、厳しい砂漠地帯です
1915年にオパールが発見されてから世界最大の産地としても知られ、なんと市場の80%がここから出荷されています。一攫千金を狙い集まった鉱夫たちは、過酷な環境から逃れるように丘陵に洞窟を掘りはじめ、いつしか複雑に入り組んだ地下数十メートルの都市を形成しました。

久し振りのお茶飲み

2014-01-29 | セカンドライフ
 隣の女性が、いろいろ話が有るからと午後見えた。
隣とは言え、個人的な会話は余りした事がなかったけれど、たまにはとゆっくりされて行った。五階にお住まいだった、自治会の顧問をして下さっていた方が病院で無くなったのだ。そのN氏は自治会の為に随分尽力して下さって心から感謝している。
しかし、お葬儀は身内だけでされると言うので、会長だけが代表で行ってくれた。私達も随分お世話になったので、日曜日に皆で、お焼香だけでもお宅へ伺う事にした。お香典とかは持たず、皆で遺影を前に、お焼香をしお別れをする事にした。

その後は近くのレストランで、お茶をしながら、彼を偲び思い出話をしようと言う事にした。奥様にも迷惑をかけないで済むし、と言う事で。
その後、耐震工事の件で、引き渡しに関して個人の意見を取り纏め、会長が工事担当者と折衝する事になった。我が家の場合も少し不具合が有るので、良い機会を頂けて良かった。

その後は、都知事選挙の事で盛上り、すっかり夜になってしまった。
こんな事は、年に一度だって無い事で、楽しい時間だった。たまにはいいわよね。 

震災工事引き渡し前

2014-01-28 | セカンドライフ
昼間は14℃と最近に無く温かく、書道に行くのにも薄いコートで出かけた。骨折が完治しない今週も、先生は笑顔では有るが、いつものお稽古が出来ない。
一人一人個人レッスンの様に回って悪い所をチェックっして下さる。先生は怪我の功名です、なんておっしゃって個人的に見て上げる事を楽しんで居るかのように明るい。教わる方が痛々しくてお気の毒に思っているのに。筆の持ち方、姿勢等を注意された。何度言われても難しい。後半は二人一組で相手の名前を半紙いっぱいに書いた。
自分の名前は書き慣れているのに、意外と人の名前は上手くいかない。先生はお手本の無い字でも書けるようにならないとね、でも結構頑張っているわよ。なんて褒めて下さった。
こんなお稽古と言うのは結構効果的かもと思った。いつもは自分の書いた物を先生の机に持って行って添削して頂くだけなのに、今日は緊張して肩が凝ってしまった。「分からない事のある人は何でも聞いて下さい」と仰り、皆さん積極的に質問し、その人の所に先生が行かれると、皆さんもダダダーと駆け寄って一緒に聞いていた。皆上手くいかない所は同じですものね。小学生のお稽古の様で楽しかった

住宅の工事もほぼ終了の様だ。工事の道具等が片付けられていた。仕上げは今月中に終わり引き渡しになると思う。住宅の横に、揺れた時建物が倒れない様に壁と鉄棒が新たに作って有った。
素人が見てもこれで大きな効果が有るのか、よく分からない。
         ↓建物の両脇(サイド)に作られていた。
  

返って来た年賀状

2014-01-27 | セカンドライフ
埼玉県の知り合いに出していた年賀状が(移転の為)返って来た。
調べたら、昨年の住所は合っていたので、この一年以内に引っ越されたのかと思う。
先方かtらは、新住所で元旦に届いていた。一年以内であれば新しい方に移動して呉れるのは、勿論ご本人が郵便局に依頼する事になっているのだけれど。
私の年賀状は、元日に届くように出したつもりなので、「あて所に尋ねあたりません」なら仕方がない。
今迄にもそんな事は無くは無いけれど、そう言ったハガキは、遅くても1月10日位までには返却して呉れてもいいのではないか。1月4日に帰って来た時は急いで書き直して投函した。「住所変更出さなくてごめんなさい」なんて言われたものだが、まあお正月気分の残っている内は気分も収まる。しかし、元日に届くはずの物が1月下旬に赤い印が押されて手元に戻って来ても・・・・今更「謹賀新年」なんてハガキを出すのも、気分が乗らない。なぜ3週間もかかったのだろう。どこかにポツンと置かれていたのだろうか?一寸悲しい気がした。
結局今年は頂くだけになってしまったけれど、何となく気持ちが納得出来ない儘いる。毎年必ず下さる方なのに。
私の区では暮れの内に処理した分については、鉛筆で書き直して本人に届く様にして下さるのでそのサービスに有難いと感謝している。何のために早めに出したのだろうか。何となくスッキリしない気持ちでいるのよ。