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愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

日の丸・君が代で弾圧石原元都知事の君が代観に大爆笑!裁判所・都教委は怒!現場の気力喪失責任は大!

2014-03-12 | 日の丸・君が代

以下の記事を読んで大笑いしてしまいました!この御仁、安倍首相と大の「オ・ト・モ・ダ・チ!」です。田母神さんとも。自由奔放という点では、面白いオッサン、ジイサンでしょうね。しかし、トップ、責任のある部署には、相応しくない人格を擁しているのは、ハタハタ迷惑な話です。この御仁に、強いリーダーシップを求めるような装置が張り巡らされていました。

悪政の数々が、そのことを示しています。五輪招致にどれくらいの税金を使ったことでしょう。芸術家の息子を優遇していたことなど、辞職もんでしたが、マスコミ応援団が延命装置となっていました。でもそんな「恩」は糞喰らえ!で、任期途中で投げ出して国会に再登板!それだって、任期を全うするかどうか、全く不明です。

そこで、以下も記事を読み、いくつかの視点をまとめてみました。

1.東京都は、弾圧した人への謝罪と復権を認め、補償すべきです。

2.東京都は、これまでつくってきた人権抑圧条例を廃止すべきです。

3.東京都は、二度と同じ過ちをしないための装置づくりについて、都民と職員の声を訊くこと。

4.教育の原点は、教師にとってみれば「現場」です。生徒にあっては「教室」です。そこは「神聖不可侵」の場です。東京都は、この「神聖不可侵」の場を尊重することを誓うことです。

どうでしょうか。これ以上、コメントはしません!さっさと退場していただくしかありません!それにしても、この石原発言、マスコミが黙殺するのはケシカラン話です。あれほど扇動してきたのです!責任を取れ!ということです。

それでは、石原氏の不道徳を示す記事をお読みください。

(1/2) 石原慎太郎氏「君が代は歌詞を変えて歌う」と発言 「斉唱が義務」の2014年3月4日

日の丸·君が代訴訟(8)——予防訴訟2 - 法学館憲法研究所 2005年10月17日

1999年に、石原氏が都知事になり、米長氏・鳥海氏・横山氏が教育委員に任命されて以降、都教委の教育行政に変化が現れました。「心の東京革命」を提唱し、行政が、子どもの心にまで介入してきたのです。そして2001年1月、「東京都教育委員会の教育目標」と「東京都教育委員会の基本方針」を改定し、「基本方針」から「日本国憲法及び教育基本法の精神に基づき、また児童の権利に関する条約等の趣旨を尊重して」の文言が削除するとともに、「教育目標」の前文に「わが国の歴史や文化を尊重し国際社会に生きる日本人の育成」の文言が付け加えました。(引用ここまで

慎太郎どう答える?天皇、日の丸·君が代の強制に異議 - So-net 2004年10月28日

【名言集1】石原慎太郎氏「君が代って歌は嫌いなんだ(1999年 2012年3月1日

丹羽大使更迭は本末転倒 火付け役は石原氏 - 河信基の深読み - Yahoo .2012年8月22日

 

以下、愛国者の邪論が石原氏について、記事にしてきたものをご覧ください。

尖閣買い取りにみる石原都知事の身勝手を暴き、健全で良識ある愛国心と人間的・国際的連帯を
(2012-06-18 23:53:36 )

石原都知事の身勝手さを示す資料はこれだ!(2012-06-19 00:19:02 )

パンダ命名に見せた石原都知事の不見識・人格、都民の「良識」が世界に試される!(2012-07-07 10:28:55 )

石原都知事親子の暴言・妄言、民自代表選と総裁選で日本国民の文化と民主主義の成熟度がためされている!(2012-09-17 16:34:11)

都政に愛想をつかし投げ出し民意に捨てられそうな民自に対抗、保守バネ回帰をねらう気まぐれ石原サンを嗤う(2012-10-25 23:54:28)

安倍・石原・橋下を支持する大馬鹿野郎たちの言動を使って無名の大馬鹿野郎たちの非礼・無礼を断罪する!(2012-10-29 01:02:53)

日本歴史に築かれてきた道徳を冒涜する石原・安倍・橋下復古連合に影響された日本の若者を考える!(2012-10-31 10:30:44 )

国際紛争は武力から話し合いで解決する時代に入った!19世紀的石頭の安倍・石原アナクロ連中を博物館へ!(2012-11-02 13:19:17 )

石原代表とマスコミの憲法軽視と知的劣化、日本の歴史冒涜に呆れつつ、それでも選挙で歴史的変革を!その1(2012-12-13 23:26:23)

石原代表とマスコミの憲法軽視と知的劣化、日本の歴史冒涜に呆れつつ、それでも選挙で歴史的変革を!その2(2012-12-14 13:08:39 )

石原代表とマスコミの憲法軽視と知的劣化、日本の歴史冒涜に呆れつつ、それでも選挙で歴史的変革を!その3(2012-12-15 23:38:45)

橋下石原維新の会は選挙で審判を受ける資格はない!憲法違反と国益損傷集団は直ちに、潔く決断を!(2013-05-29 08:40:45)

石原都知事の挑発的言動ばかりを報道し議会の実態を報道せず争点なし報道に終始したマスコミの怠慢に喝!(2013-06-26 13:54:36 )

五穀豊穣を願う日の丸の礼拝、長寿を祝う賀の歌君が代の斉唱を強制しなければならない成熟国日本を嗤う(2013-09-20 23:44:13)


五穀豊穣を願う日の丸の礼拝、長寿を祝う賀の歌君が代の斉唱を強制しなければならない成熟国日本を嗤う

2013-09-20 | 日の丸・君が代

またまた大阪からトンデモナイニュースが飛び込んできました。大阪の政治と教育、経済はどうなっているんでしょうか?ま、それもこれも、府民が選択した政治家がやっていることですから、仕方ありません。民主主義ですから。しかし、それにしても、だからと言って、放置しておく訳にはいかないというのも、また事実です。そこで、考えてみました。

その前に、以下の記事をご覧ください。

君が代斉唱・日の丸礼拝で「愛国心」を、という詭弁が猪瀬都知事の口パク発言で浮き彫りに!不道徳に大喝!(2013-04-13 23:44:06 )

国歌「君が代」強制こそ、伝統文化の破壊・不道徳の極地、日米軍事同盟深化派の愛国心教育を断罪する!(2013-04-14 22:06:30)

面白いのは、日の丸・君が代を強制する人たちと、それを支持する人たち、共感まではいかないけれども、ま、仕方ないかな、と思っている人たち、公務員なのだから憲法違反とは思わない、当然のことと思っている人たち、君が代・日の丸の歴史を誤解乃至曲解している人たちが、今回の問題をどのように考えるか、です。そこで以下の記事をご覧ください。

君が代・日の丸強制を支持する人たちは、実は中華人民共和国の国旗国歌の「指導」「義務化」と日本で起きていることがm、ほぼ同じであることを知っていないか、知ってはいるが、ゴマカシテいるか、死なぬふりをしているかではないでしょうか。特に自由と民主主義の価値観の異なる中国というコピーを繰り返している安倍首相はどうなんでしょうか。大爆笑もんです。

こういうスリカエが幾重にも繰り返されながら、今日があるのですが、ツィッター時代にあっては、長い文章は読まないのでしょうか。短文・短絡が時代に合っているのでしょうか。不思議な現象ですが、これこそが、現代日本のイデオロギー状況を反映しているのでしょう。何としても解明していく必要があるように思います。

諸外国における国旗,国歌の取扱い

中国の愛国主義教育に関する諸規定 - [PDF]

(4)国歌の意味 正しく理解 : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE ...

では、この問題を伝えるマスコミの記事を検証してみたいと思います。ポイントは以下のとおりです。

1.中原教育長の言葉に注目です。ふざけんな!ですよね。

(1)「職務命令に従っただけ」って、順法精神の発揮を錦の御旗にしていますが、憲法違反の条例や法律を「是」とする思考停止脳ですね。これは。憲法尊重擁護義務違反の自覚なし!です。日本の最高法規である憲法の軽さが浮き彫りになりましたね。

(2)「口が動いているかどうかはどうでもいいこと。不斉唱の確認は、厳粛な式を妨げていないかどうかで判断するべきだとの趣旨から通知した」というのも、ホンネが出たという意味では、正直で宜しい!と褒めてやりましょう!しかし、アホですね。この教育長!「厳粛な式」にふさわしいとして日の丸・君が代を強制してきたのではないのではなかったか!「口が動いているかどうかはどうでもいいこと」って、これが「指導するものとする」ということの中身だったんですね。

(3)日の丸・君が代の意味や由来、歴史、果たしてきた役割などはどうでも良いことなのです。しかも、命令を出す自分の責任は不問・免罪です。こんな無責任は人間が校長をやり、出世し、教育長になる大阪府、日本なのです。日の丸・君が代は泣いているでしょうね。本来の意味など、無視されているのですから。これって不道徳の極みですよね。

2.次は松井府知事の発言です。これも無責任の極みです。井戸端会議のレベルの話で通用すると思っているのでしょうね。府民もバカにされたもんです。ここでも、日の丸・君が代の意味や由来・歴史、果たして来た役割の教育の話などは関係ないのです。あるのは、ただただ服従精神の発揮を強制することですね。どっかの国と同じではありませんか。

(1)「教育公務員として規則にのっとった行動を取るのは当然」って規則は個人の尊厳に違反しては成り立ちません。しかも、教育公務員のやるべきことは「教育する」ことではないんでしょうか?

(2)「そのチェックは教育委員会の役割であり、しっかりやってもらいたい」って、教育委員会の最大の仕事は現場の仕事をやりやすいものにするために、教育環境を整えることではなかったのか?こんなことが「役割」とは、呆れます。憲法と地方自治、教育の条理など、知ったことか、ですね。

(3)「起立斉唱を指導する立場の教員が、それをやらなかったら子どもたちが『そういうことが大人の社会で、ルールは破るためにある』と思ってしまう」って憲法違反のルールは変えていきましょう。不服従を教えることも立派な教育です。教育は、憲法違反の法や条例に従順になれと教えるべきではないということです。

(4)「こういう条例は、本当は無いほうがいいが、それだと指導してもやらない教員が出てしまうことが一番の問題だ」って、自分たちがつくったくせに、よく言いますね。他人事です。指導してもやらない教員がいることそのものが立派なことです。何故か、憲法違反に対しては抵抗すべきでしょう。これこそが「不断の努力」で維持発展させるべきことです。

3.次は、教育委員会の対応です。この組織は自分の頭を使って、独自に、創造的に、想像的に行動するという規範・常識がないのですね。奪われているのですね。右倣え思想の塊集団こそ、教育委員会と言えます。ヒタスラ間違いを犯さないために、「ほうれんそう」思想でやらせていくのです。この最大の被害者は、子どもですね。

(1)「起立斉唱しているかの判断基準」は「総合的に現認し、公務の信頼性を維持するため、十分な誠意ある態度をとっているかどうかで判断すべきだ」

(2)判断が困難な場合は、詳細を報告し、府教委に相談するよう指示している。

これでは「いじめ」がなくならない訳です。この組織に配属されている人間は、こうした体質について、疑問を持たないのでしょうか。全く不思議な組織と人間集団ですね。恐ろしくなってきました。子どもの教育を司る部署が、一番非教育的だったとは!こうした集団の下における現場はどうしたら良いのでしょうか。体罰事件が起こるのも当然ですね。

4.日の丸(国旗)礼拝・君が代(国歌)斉唱のネライはハッキリしました。国の象徴である旗や歌をとおして、国際社会に失礼のないようにとか、わが国の有り様を理解するとか、いろいろもっともらしい理由と口実をつけて、国民を納得させようとしていましたが、あるのは、命令に対して絶対服従と無責任を徹底するための口パク監視体制の強化づくりのために、日の丸と君が代を利用することでした。日の丸が泣いていることでしょうね。君が代が悔しがっていることでしょうね

5.それにしても、マスコミが、どのように評価しているかです。淡々を事実を伝えるだけで、公平観を装っているだけです。憲法違反であることを検証しているのはありません!ここに日本の特殊な状況があります。つづく 

君が代斉唱 口元で確認求める通知 NHKニュース -  9月19日 12時23分

通知では、入学式や卒業式などの式典で教職員が君が代を起立斉唱するよう、校長などが職務命令を出すことを促しています。そのうえで、教頭や事務長が、これまでどおり起立していることを確認するのに加え、実際に斉唱しているかを口元を見て確認し、従わなかった教職員の名前を報告するよう求めています。大阪府では、おととし6月、公立学校の教職員に対し、式典での君が代の起立斉唱を義務づける全国で初めての条例が施行され、これに従わなかったとして、これまでに延べ81人の教職員が減給や戒告などの懲戒処分を受けています。大阪府教育委員会は「ことしの入学式で、起立したものの斉唱しなかった教員がいたことなどから、確認を徹底し、条例を守るよう促すことにした」と説明しています。これについて、大阪府の府立高校の教職員で作る組合の志摩毅執行委員長は「君が代の起立斉唱を義務づけることは思想の自由などを侵すもので、心の内面に近い斉唱しているかどうかを細かく確認することは人権侵害のおそれがある」として反発しています。大阪府の松井知事は記者団に対し、「教育公務員として規則にのっとった行動を取るのは当然だ。そのチェックは教育委員会の役割であり、しっかりやってもらいたい。起立斉唱を指導する立場の教員が、それをやらなかったら子どもたちが『そういうことが大人の社会で、ルールは破るためにある』と思ってしまう。こういう条例は、本当は無いほうがいいが、それだと指導してもやらない教員が出てしまうことが一番の問題だ」と述べました。引用ここまで

東京 君が代斉唱、口元監視を正式通知 大阪府教育委員会 ..2013年9月19日 02時00分

 大阪府教育委員会が全府立学校に対し、教職員が入学式や卒業式で実際に国歌斉唱しているかを教頭ら管理職が目視して確認し、校長が府教委に報告するよう求める通知を出していたことが18日分かった。府立高校長時代に教職員の口の動きをチェックして議論を呼んだ中原徹教育長の意向を踏まえた。「口元監視」は当時、教育委員の一部が行き過ぎだと指摘する一方、中原氏は「起立斉唱の職務命令に従っただけだ」と反論していた。正式な通知としたことで議論が再燃する可能性もある。府教委によると、通知は今月4日付。教育振興室長名で府立高138校、支援学校31校の計169校に出された。(共同)(引用ここまで

君が代斉唱、教職員を目視でチェック…大阪府教委 (2013年9月19日  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20130919-OYT8T00896.htm

 大阪府教委が、全府立校に対し、入学式や卒業式での国歌斉唱について、教職員が行っているかを目視で確認するよう求める通知を出していたことが分かった。通知は9月4日付。校長の職務として、「教頭や事務長が目視で確認し、実施状況を報告する」と指示。不斉唱かどうかの判断基準は「行為の一部だけを取り上げるのではなく、誠意ある姿勢・態度をとっているかどうか」としている。府教委幹部は、チェックの対象になる行為について、「明らかにうつむいていたり、司会者として参列者の方を向いているのに歌っていなかったり、式の進行を妨げる事態を想定している」と説明する。府教委の中原徹府教育長は、府立和泉高校長だった昨年、卒業式で、国歌斉唱時の教員の様子を口の動きで教頭に確認させ、「行き過ぎではないか」と議論を呼んだ。中原教育長は19日、読売新聞の取材に対し、「口が動いているかどうかはどうでもいいこと。不斉唱の確認は、厳粛な式を妨げていないかどうかで判断するべきだとの趣旨から通知した」と話した。(引用ここまで)

毎日 君が代斉唱:教職員の口元「確認を」 大阪府教委が通知 2013年09月19日 07時00分

http://mainichi.jp/select/news/20130919k0000m040116000c.html

 大阪府教委が、入学式や卒業式で教職員が実際に君が代を起立斉唱しているか、管理職が目視で確認し、結果を報告するよう求める通知文を府立学校に出していたことが18日分かった。中原徹府教育長は府立高の校長時代、君が代斉唱時に教職員の口元の動きをチェックし、論議を呼んだ。今回も同様に口元を確認し、徹底を図る方針で、再び議論が起きる可能性がある。通知は9月4日付。全ての府立高校138校に出され、支援学校全31校にも出す方針。秋入学・秋卒業を取り入れている一部学校で、9月に開かれる卒業式に間に合わせた。通知文では、「公務に対する府民の信頼を維持する」ことを目的とし、入学式や卒業式での君が代斉唱の際の校長・准校長の職務として、「教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。目視で教頭や事務長が行う」と明記。結果を文書で報告するよう求めた。起立斉唱しているかの判断基準は「総合的に現認し、公務の信頼性を維持するため、十分な誠意ある態度をとっているかどうかで判断すべきだ」とした。判断が困難な場合は、詳細を報告し、府教委に相談するよう指示している。大阪府は橋下徹知事時代の2011年6月、教職員に君が代の起立斉唱を義務付けた条例を制定。違反した場合は処分の対象とし、12年1月、府教委は各校長に起立斉唱を徹底させる通達を出した。同年3月、当時、府立和泉高(岸和田市)校長だった中原教育長が卒業式で、実際に教員が歌っているかどうか口の動きを教頭にチェックさせた。(引用ここまで 

朝日 「君が代斉唱、目視で確認」 大阪府教委、府立校に通知 2013年9月19日15時21分

http://www.asahi.com/politics/update/0919/OSK201309190011.html

「君が代条例」成立後の動き

 入学式や卒業式の君が代斉唱の際に教職員が実際に歌ったかどうか、管理職が目視で確認するよう求める通知を、大阪府教委が府立学校に出していたことがわかった。4月に就任した中原徹・府教育長は、府立高校長時代に教職員の口元チェックを指示して議論を呼んでおり、目視での確認を改めて文書で通知し、徹底を図った形だ。 通知は9月4日付。秋入学・卒業を取り入れている府立3高校に出し、全138高校と31の支援学校にも同日の臨時校長会で資料として配布した。年度末の卒業式に向けて、改めて通知を出す方針。 通知では、入学式や卒業式での君が代斉唱の際、「教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。目視により、教頭・事務長が行う」と明記。校長と准校長の職務として、結果を文書で府教委に報告するよう指示している。判断が難しい場合は、詳細に報告し、府教委に相談するよう求めた府教委高等学校課は、「目視確認をするのは従来通り。形式的な口元チェックを指示したものではない」と説明。「口が動かなくても感極まって歌えなかったようなケースは配慮するとの趣旨だ」という。 府では、橋下徹知事時代の2011年6月、教職員に君が代の起立斉唱を義務づける条例を制定。違反した場合は処分の対象とし、昨年1月には校長や准校長にその趣旨を徹底するよう求める通達を出していた。 中原教育長は「口が動いているかや、声が出ているかといった細かいことはどうでもいい。公務員として誠意ある姿を見せるべきだという意味の通知」と説明した。引用ここまで 

日経 君が代斉唱「目視確認を」、大阪府教委 各校に通知  2013/9/19 13:27

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http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG19023_Z10C13A9CC0000/

大阪府教育委員会が、入学式や卒業式で教職員が国歌を起立斉唱しているか、管理職が目視で確認するよう求める通知を府立学校に出していたことが19日、分かった。中原徹府教育長は府立高校長時代、国歌斉唱時に教職員の口元をチェックして論議を呼んだことがある。通知は4日付で、府立高138校と特別支援学校31校に配布した。 通知は、入学式や卒業式の国歌斉唱の際の校長・准校長の職務として「教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。目視で教頭や事務長が行う」と明記。従来求めていた「起立していない人数や氏名」の報告に加え、歌っていない教職員の人数や氏名の報告も求めた。 大阪府の松井一郎府知事は19日午前、通知について記者団に「教育公務員として規則に従って行動するのは当然だ。行動しているかどうかチェックするのは教委の役割だ」と述べた。 大阪府は橋下徹大阪市長が知事時代の2011年6月、教職員に国歌の起立斉唱を義務付けた条例を制定している。(引用ここまで

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「強制・義務化しない」と言って国旗国歌法を正当化した自民党政権のウソバレバレ!国権の最高機関冒涜!

2013-07-01 | 日の丸・君が代

東京都の憲法違反、最高裁判決の憲法違反を何としても世論の力で認めさせ、謝罪させ、撤回させなければなりません。そのためには、歴史に立ち戻る必要があります。国旗国歌法の制定にあたって、政府はどのようなことを言っていたか、よく読めば、都教委と最高裁が、如何に間違っているか、明瞭です。 

内閣総理大臣の談話 (平成11年8月9日)

http://www8.cao.go.jp/chosei/kokkikokka/kokkikokka.html

…今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんが、本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております。(引用ここまで) 

国旗及び国歌に関する法律案(内閣提出)の趣旨説明及び質疑 平成十一年六月二十九日(火曜日)(抜粋)

http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000114519990629041.htm

伊藤英成君(民主党)

先般示された政府見解では、「国旗の掲揚等に関し義務付けを行うようなことは、考えていない。したがって、現行の運用に変更が生ずることとはならないと考えている。」としております。これは、一切の義務づけを否定するものなのでしょうか。
特に教育現場では、長い間、日の丸・君が代をめぐり多くの混乱が生じてきました。本法案に対し多くの懸念と期待を持って見ているのも、小学校、中学校、高校などの教育現場の方々と言えましょう。学習指導要領では、日の丸・君が代について、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と書かれております。
 法制化に伴い、どのような場において国旗掲揚、国歌斉唱は義務づけられるのか。法制化することによって、一般国民やさまざまな各種行事、祭事などにどのような変化が起きるのか。また、教育現場での混乱を避けるためにどのように考えているのか。法制化の前と後でどのような違いが発生するのか。国民、教職員の方々、さらには生徒の理解の得られる具体的な御答弁を、小渕総理並びに有馬文部大臣に求めます。


内閣総理大臣(小渕恵三君)

 御指摘の政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。
 なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。
 法制化に伴う義務づけや国民生活等における変化に関するお尋ねでありましたが、既に御答弁申し上げましたとおり、政府といたしましては、法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。
 教育の現場での国旗・国歌の取り扱いについてのお尋ねでありますが、今回の法案は、国旗・国歌の根拠について、慣習であるものを成文法としてより明確に位置づけるものであり、これによって、学校教育においても、国旗・国歌に対する正しい理解がさらに進むものと考えております。
 また、法制化に伴い、学校教育における国旗・国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではないと考えており、今後とも、各学校における適切な指導を期待するものであります。

志位和夫君

一九八九年の学習指導要領の改訂で、入学式や卒業式などで国旗掲揚、国歌斉唱の指導をするものとするとされてから、教育現場への強制は一層激しくなりました。文部省と教育委員会は、校長に職務命令と処分を盾に強制する。校長から同じ強制が教職員に行われる。教職員が歌っているかどうかをビデオで調査した学校もあります。君が代を歌わない子供を校長室に呼んで叱責した学校もあります。
 こうした合意なしの強制を毎年繰り返すことによって、校長は教育者としての面目を失い、教員は子供たちの信頼を失う。それが、個人の尊厳を重んじ、個性豊かな文化の創造を目指す場であるべき教育現場をどんなに荒廃させているか、はかり知れないものがあります。
総理は、今回の法律について、国民に対して国旗の掲揚、国歌の斉唱を義務づけるものではないとしています。しかし、国民に義務づけることができないものが、どうして教育の場、教職員と子供には義務づけることができるのですか。総理が国民に対して義務づけるものでないとしたことは、そうした義務づけが憲法十九条の内心の自由に抵触するおそれがあるからと考えているからではないのですか。そうであるならば、教職員や子供にもそういう義務づけはできないのではありませんか。
 それを教育の名で合理化することはできません。どのような形であれ、思想、良心の自由など人間の内面の自由に介入できないことは、近代公教育の原理であり、教育基本法の原則ではありませんか。日本共産党は、法律に根拠がない現状ではもちろん、我が党が主張するように国民的討論と合意を経て法制化が行われたとしても、国旗・国歌は、国が公的な場で公式に用いるというところに限られるべきであって、国民一人一人にも教育の場にも強制すべきものではないと考えます。総理の見解を問うものであります。

内閣総理大臣(小渕恵三君)

良心の自由についてお尋ねがありましたが、憲法で保障された良心の自由は、一般に、内心について国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという意味であると理解をいたしております。学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。
 教育現場での教職員や子供への国旗の掲揚等の義務づけについてお尋ねがありましたが、国旗・国歌等、学校が指導すべき内容については、従来から、学校教育法に基づく学習指導要領によって定めることとされております。学習指導要領では、各教科、道徳、特別活動それぞれにわたり、子供たちが身につけるべき内容が定められておりますが、国旗・国歌について子供たちが正しい認識を持ち、尊重する態度を育てることをねらいとして指導することといたしておるものであります。
 国旗掲揚等の義務づけを行わなかったことに関するお尋ねでありますが、今回の国旗及び国歌の法制化の趣旨は、日の丸・君が代が長年の慣行により、それぞれ国の国旗と国歌として定着していることを踏まえ、二十一世紀を迎えることを一つの契機として、成文法にその根拠を明確に規定することであります。したがって、このような法制化の趣旨にかんがみ、法律案は国旗と国歌を規定する簡明なものといたした次第でございます。
 教職員や子供たちにも国旗の掲揚等を義務づけはできないのではないかとのお尋ねでありますが、国旗・国歌等、学校教育において指導すべき内容は学習指導要領において定めることとされており、各学校はこれに基づいて児童生徒を指導すべき責務を負うものであります。
教育基本法の原則についてでありますが、教育基本法は、日本国憲法の精神にのっとり、教育の目的を明示したものであり、学校教育における国旗・国歌に関する指導は、教育基本法の精神を受けて定められている学習指導要領に基づき、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけるため行われるものであり、これは児童生徒の思想、良心を制約しようとするものではありません。
 国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。
 なお、学校における国旗及び国歌の指導については、教育指導上の観点から行っていることは、既に答弁いたしたところでございます。

中西績介君(社会民主党・市民連合

現在、学習指導要領によって強制されている日の丸掲揚、君が代斉唱は、明らかに、憲法が保障する内心の自由や思想、良心などの精神的自由に抵触するものであると考えますが、見解を伺います。
 一九九四年七月の衆議院本会議において、当時の村山総理が、国旗の掲揚、国歌の斉唱は本来強制すべきものではないと答弁しているにもかかわらず、現実には、強制の方向が強められてきました…さらに、これまでの指導と称する日の丸・君が代の強制がさらに教科書検定で強められているし、今後、法制化をてこにして、教育の場に限らず、地域や社会の隅々までに掲揚、斉唱を当然のごとく強いることとなり、そのことが人権侵害事件となることは広島の事件を見ても明らかであると考えます

国務大臣(陣内孝雄君)

国旗及び国歌に関する法律案は、日章旗を国旗、君が代を国歌とするにとどまるもので、このような法制化が直ちに人権侵害につながることはないものと考えております。

国務大臣(有馬朗人君)

国旗・国歌と内心の自由についてのお尋ねでございますが、憲法第十九条の思想及び良心の自由とは、一般に、内心、すなわち物の考え方ないし見方について、国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという意味であると解されております。
 学校における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導は、児童生徒が国旗及び国歌の意義を理解し、それを尊重する心情と態度を育てるとともに、すべての国の国旗及び国歌に対してひとしく敬意を表する態度を育てるために行うこととしているものであります。このような指導は、児童生徒が将来広い視野に立って物事を考えられるようにとの観点から、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われているものであり、児童生徒の思想、良心を制約しようというものではないと考えております。
法制化と人権侵害についてのお尋ねでありますが、今回の法案は、国旗・国歌の根拠について、慣習であるものを成文法としてより明確に位置づけるものであり、法制化に伴い、地域や社会における国旗の掲揚、国歌の斉唱等に関し義務づけを行うものではないと承知いたしております。
 文部省といたしましては、今回の法制化は学習指導要領に基づく学校におけるこれまでの国旗・国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではないと考えており、今後とも学校における指導の充実に努めてまいります。(拍手)

国務大臣(野中広務君)

憲法が保障する思想、良心の自由とは、一般に、内心について国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという意味であると解されており、国旗・国歌についての指導は、児童生徒が将来広い視野に立って物事を考えられるようにとの観点から、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでございまして、児童生徒の思想、良心を制約しようというものではございません。(引用ここまで


君が代の口パクからイスラム社会冒涜の口カル猪瀬都知事は辞任スベシ!都民・国民の民度が国際的に大喝に!

2013-04-30 | 日の丸・君が代

またまた猪瀬都知事がやってくれました。マスコミにチハホヤされて登場してきたこのお人、そのことで副知事にもなれたし、石原都知事の突然の辞職で、今度は石原氏を越えて400万もの支持を得て都知事になることができましたが、そのことで、いっそう傲慢になったのではないでしょうか?このお人の物言いをみていて、こういうことが起こるのではないかと思っていました。

 

直近で言えば、お供を連れた「大名行列」ぶりのニューヨーク出張とジョギングパフォーマンス、自民党と一緒になって成長戦略・国土強靭化のための電力消費の地下鉄24時間営業など、電力の節約を煽ってきたことはどこ吹く風でした。

 

さて、この発言をみていて、あの金正恩氏の煙草にまつわる「民度」記事を思い出しました。この都知事は「真意が」などと弁解していますが、公人である猪瀬都知事の完全なミスというか、口カルです。これはイスラム社会への冒涜でしょう。「君が代」「日の丸」強制を軽く見ている脳細胞・思考回路の延長線上にある発想・思想が、マスコミの前に、たまたまというか、お友達と思っているマスコミを前にして、ついついホンネが出てしまったということでしょう。この人の文化水準・思想が、浮き彫りになったということです。

 

君が代斉唱・日の丸礼拝で「愛国心」を、という詭弁が猪瀬都知事の口パク発言で浮き彫りに!不道徳に大喝!  2013-04-13 23:44:06

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/d/20130413

 日本の喫煙文化の自己検討もせず北朝鮮を揶揄しながら対立と分断を煽る産経の知的退廃に大喝!憲法をこそ!  2013-04-20 09:58:16

 http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/d/20130420

そもそも「インタビューの文脈と異なる記事が出た」などと言っていますが、「文脈と異なる」と言いますが、そのように解釈をされてしまうような発言をしたのは、猪瀬都知事自身です。弁解は見苦しいものです。弁解をしなければならないような「暴言」「ミス」を犯したのは、猪瀬都知事自身です。猪瀬都知事の言い分が正しいとするのであれば、発言場面のビデオを使って説明すべきでしょう。事実は一つですから。マスコミも、そのことを要求すべきです。

今、テレビ朝日は、NYタイムスが録音を持っているという報道をしました。猪瀬都知事も、オワリですね!今の日本を象徴しているような気がします!この事件は・・・。

 

このことは、この間の北朝鮮の言い分の変化を分析もせず、ただただ「挑発的言動を繰り返す」と、オウムのように、また枕詞のように、日々繰り返している北朝鮮報道と、猪瀬都知事を擁護する報道の仕方を見ると、マスコミ報道の仕方の問題はいっそう明らかになります。

 

そういう点で言えば、北朝鮮は、その発言の内容や方法を含めて、国際社会で、自らの主張の「正当性」を認めさせるのであれば、検討しなければならないことはたくさんあります。このことも強調しておかなければなりません。

 

そこで、この問題を北朝鮮に置き換えてみれば、いっそう、この人の言い分の無節操さが明らかになります。逆に言えば、猪瀬都知事の言い分を、信用するとするならば、北朝鮮の言い分も信用して、北朝鮮の「挑発的言動を繰り返す」報道は直ちに止めなければなりません。これについては、別項で記事にします。

 

今、東京都をはじめ、安倍首相も参加した東京五輪招致作戦、これでオワリです!ヤレヤレです。リングに上がる資格がなくなったというのが、「常識」でしょう。日本の「常識」は国際社会においては「非常識」という事例は、安倍首相の「侵略戦争の定義」発言、「靖国参拝」問題と同じです。この点では、国際社会の目線を無視して安倍首相の応援団化したマスコミも同罪ではないでしょうか?

 

首都直下型地震や南海トラフ地震、富士山の爆発など、危機を煽っているマスコミが、一方ではオリンピックに招致に現を抜かしていて良いのでしょうか?この招致作戦に使うカネと時間、オリンピックの開催に使うカネをどこへ使ったら良いのか?!こうした方向に議論がすすむことを願わざるを得ません。

 

猪瀬知事「イスラム諸国はけんかばかり」 4月29日 18時59

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130429/k10014263411000.html

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アメリカの新聞ニューヨーク・タイムズは、2020年夏のオリンピック招致を巡る東京都の猪瀬知事のインタビュー記事を掲載し、猪瀬知事がほかの立候補都市を引き合いに「イスラム諸国はけんかばかりしている」などと発言したと伝えました。
IOC=国際オリンピック委員会の行動規範は、ほかの立候補都市との比較を禁じており、「すべての候補都市にルールを守るよう強調したい」とする声明を発表しました。

ニューヨーク・タイムズによる猪瀬知事のインタビューは、今月、招致活動のため訪れていたニューヨークで行われ、26日に掲載されました。
この中で、猪瀬知事は「アスリートにとって、いちばんよい開催地はどこか。インフラや洗練された競技施設が完成していない、2つの国と比べてください」とほかの立候補都市に言及しています。そのうえで、イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけで、互いにけんかばかりしているという内容の発言をしたということです。
IOCはオリンピックの招致活動についての行動規範で、各都市は互いに敬意を払うべきだとして、ほかの都市との比較を固く禁じています。
ニューヨーク・タイムズは「発言で立候補都市の資格を失うことは考えにくいが、IOC側の信頼は揺らぎかねない」と指摘しています。
トルコのクルチ青年スポーツ相は、記事が掲載された翌日、ツイッターでコメントを発表し「発言は公正ではなく、悲しいことだ。オリンピック精神に反している。イスタンブールはほかの立候補都市に対して否定的な声明を出したことはないし、これからも出さない」としています。そのうえで、「われわれは日本の人々を愛しているし、日本人の信仰心や文化を尊重している。そして若者も、高齢者も同じように尊重する」としています。
IOC=国際オリンピック委員会は声明を発表し「記事に掲載された発言の翻訳を見ただけでは知事が本当は何を言おうとしていたのかは定かではない」として、今後、東京都に対して真意を問いただす考えを示唆しました。そのうえで、「IOCとしてはすべての候補都市に対して招致活動に関連したルールを改めて強調したい」として、招致活動に伴う行動規範を順守するよう各都市に対して改めて求めています
猪瀬知事の発言について、JOC=日本オリンピック委員会の会長で東京の招致委員会の竹田恒和理事長は「猪瀬知事がどういう思いでどのようなことを話したのかまだ確認できていないので、何も申し上げることはできない。招致委員会としては、ほかの立候補都市と比較はしないというIOCのルールをよく理解して今後も招致活動を進めたい」と話しています。

記事の内容はニューヨーク・タイムズに26日、掲載された記事によりますと、猪瀬知事へのインタビューは訪米中、ニューヨークで行われました。
インタビュー記事によりますと、猪瀬知事は開催都市について「アスリートにとって、いちばんよい開催地はどこか。インフラや洗練された競技施設が完成していない2つの国と比べてみてください。ときには例えばブラジルのように、初めて開催するのもよいでしょう。しかしイスラム諸国では人々が共有しているのは唯一、アラーだけで、互いにけんかばかりしていて、階級もある」という内容の発言をしたということです。また、若者の人口の割合が大きいイスタンブールが有利なのではないかという指摘に対して、猪瀬知事は高齢者が健康を維持できるよう、運動できることが日本社会のよさだと説明したうえで、「トルコの人々も長生きしたいでしょう。長生きしたければ、日本のような文化をつくるべきだ。若い人は多いかもしれないが、早く死ぬようではあまり意味がない」という内容の発言をしたと伝えられています。
インタビューは日本語で行われ、同席したニューヨーク・タイムズの日本人記者は「記者による翻訳の偏見を避けるため、通訳の翻訳のことばを採用した」と、個人のツイッターで説明したうえで、「誤訳があったとは認識していない」としています。

 

猪瀬知事発言 五輪招致活動に懸念も 430 425

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130430/t10014267551000.html

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2020年夏のオリンピック招致を巡り、東京都の猪瀬知事がアメリカの新聞ニューヨーク・タイムズのインタビュー取材に対し、「イスラム諸国はけんかばかりしている」などと発言したとして国際的に波紋が広がっています。これに対し、猪瀬知事は、昨夜、「私の真意が正しく伝わっていない」というコメントを発表しました。

今月26日に掲載されたニューヨーク・タイムズのインタビュー記事で、猪瀬知事は、ライバルとなる2つの都市との比較に言及したほか、「イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけで互いにけんかばかりしている」などという内容の発言をしたとしています。
ライバル都市と比較したりイメージを損ねたりする行為は、IOC=国際オリンピック委員会が固く禁じていて、IOCは声明を発表し、東京都に真意を問いただす考えを示唆しています。
猪瀬知事は、29日夜、コメントを発表し、「記事の焦点があたかも東京がほかの都市を批判したとされているが、私の真意が正しく伝わっていない。ほかの都市を批判する意図は全くなく、インタビューの文脈と異なる記事が出たことは非常に残念だ」と述べています。
猪瀬知事の発言によって国際的に波紋が広がり、東京都や招致委員会の中には、招致活動への影響を懸念する声が出ていて、今後、猪瀬知事や招致委員会がIOCへの説明も含めてどのような対応をとっていくのかが問われることになります。


自国民だけでなく国際的に敬意を表される国旗国歌こそ道徳的にふさわしい!血塗られた日の丸の実態!その2

2013-04-28 | 日の丸・君が代

「日の丸」が、その由来とかけ離れて、明治以降の歴史のなかで、いかにして血塗られたものであったか、古茂田信男・矢沢保・島田芳文・横沢千秋編日本流行歌史 戦前編(社会思想社81年1月刊)を調べてみました。

 これらの歌の内容をみると、以下のことに気づきました。

 1.時代とともに、次第に歌の内容は好戦的になっています。

 2.「募集」=国民参加という形式をとりながら、強制性を排除しているように見えますが、逆に言えば、当時の国民の意識状況を見ることができるのではないでしょうか?

 3.戦意高揚を図らなければならないような戦争、その戦争の継続は難しいという国民意識と戦意高揚が浸透していくために何を装置として使ったかという事実が見えてくるのではないでしょうか。

 4.これらの歌に込められた思想と感情は、好戦的・攻撃的なものでした。ということは、攻撃される側からみれば、どのように映ったのでしょうか?戦前において、そのような視点で捉えることができなかったからこそ、今日において、必要な視点ではないでしょうか?

 5.このことは、現代社会では当たり前のこととしてやっていることです。たとえば「伝統の巨人阪神戦」か「伝統の阪神巨人戦」か、東日本大震災の被災者の立場に立つかどうか、あるいは「いじめる側から」か、「いじめられる側から」か、など、日常的に行われていることです。しかも立ち居地によって、見えてくる景色は大きく違ってくるのです。

 6.以上のような諸事実を抜きに、戦後「日の丸」「君が代」が、サンフランシスコ条約締結による「主権回復」後の1952年4月28日以後、再び国民の中に、「国旗」「国歌」として、当たり前のように浸透していった結果、圧倒的多数の国民の中に、疑問すら浮かばない状況がつくりだされてしまったのです。戦争責任問題を含めてです。しかも、反対者たちを孤立させるなかで。さらに言えば、「道徳」の名の下においてです。

 

次に問題は、こうした状況をつくりだしてきた国歌の装置について記事を書いていきます。

つづく

 明治26(1893)年

一月一日    詞 千家 尊福    曲 上 真行

年の始めの 例(ためし)とて     終わりなき世の めでたさを

松竹たてて 門ごとに         祝う今日こそ 楽しけれ

初日のひかり さしいでて       四方に輝く 今朝のそら

君がみかげに 比(たぐ)えつつ    仰ぎ見るこそ 尊けれ

 ※官報第3037号付録で告示発表当時は二番の歌詞は「初日のひかり、明きらけく、治むる御代の今朝のそら」となっていた。大正二年文部省告示で現歌詞に改められた。

 天長節  詞 黒川真頼  曲 奥 好義

今日(きよう)の吉(よ)き日は 大君の    うまれたまいし 吉き日なり

今日の吉き日は 御光(みひかり)の      さし出(で)たまいし 吉き日なり

ひかり遍(あまね)き 君が代を        祝え 諸人(ものびと) もろともに

恵み遍き 君が代を              祝え 諸人 もろともに

 明治43(1910)年

出師営(すいしえい)の会見    詞 佐々木 信綱    曲 岡野 貞一    文部省唱歌

一 旅順開城約なりて 敵の将軍ステッセル  乃木大将と会見の 所は何処(いずこ)水師営

二 庭に一本聚(ひともとなつめ)の木 弾丸あとも著(いちじ)るく  崩れ残れる民屋(みんおく)に 今ぞ相見る二将軍

三 乃木将軍は厳かに 御恵み深き大君の  大みことのり伝うれば 彼畏(かしこみ)みみて謝しまつる

四 昨日の敵は今日の友 語る言葉もうちとけて  我は讃えつ彼の防備 彼は讃えつ我が武勇

五 かたち正して言い出でぬ 「この方面の戦闘に  二子を失い給いつる 閣下の心如何にぞ」と

六 「二人の我が子それぞれに 死所を得たるを喜べり  これぞ武門の面目」と 大将答え力あり

七 両将昼食(ひるげ)ともにして なおも尽きせぬ物語  「われに愛する良馬あり 今日の記念に献ずべし」

八 「厚意謝するに余りあり 軍の掟(おきて)に従いて  他日わが手に受領せば 長く労(いた)わり養わん」

九 「さらば」と握手懇(ねんご)ろに 別れて行くや右左  砲音(つつおと)絶えし砲台に 閃き立てり日の御旗

 ※明治三十九年『尋常小学読本巻十』にのった佐々木信綱の詩に、岡野貞一が作曲し、明治四十三年の『尋常小学読本唱歌』に収められた。

 明治44(1911)年

日の丸の旗    詞 高野 辰之    曲 岡野 貞一  文部省唱歌

1 白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は

2 朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は

 この歌は、戦後、昭和22(1947)年文部省著作教科書「一ねんせいのおんがく」では、2番が「あおぞらたかく 日のまるあげて  ああうつくしい にほんのはたは」と変更されました。

 因みに昭和16(1941)年には、

一、青空高く 日の丸揚げて ああ美しい 日本の旗は

二、朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましい 日本の旗は

 昭和7(1932)年

満州行進曲    詞 大江 素天    曲 堀内 敬三

一 過ぎし日露の戦いに 勇士の骨を埋(うず)めたる  忠霊塔を仰ぎ見よ 赤き血潮に色染めし  夕日を浴びて空高く 千里礦野に聳えたり

二 酷寒零下三十度 銃(つつ)も剣も砲身も  駒の蹄(ひづめ)も凍る時 すわや近づく敵の影  防寒服が重いぞと 互に顔を見合わせる

三 しっかり冠(かぶ)る鉄兜(てつかぶと) たちまち造る散兵壕(さんぺいごう)  わが連隊旗翻(ひら)々と 見上げる空に日の丸の  銀翼光る爆撃機 弾に舞いたつ伝書鳩

四 戦い止んで陣営の 輝き冴える星の下  黄色い泥水汲取って 炊(かし)ぐ飯盆(はんごう)にたつ湯気の  温(ぬく)みに探る肌守り 故郷(ふるさと)いかにと語りあう

五 面影去らぬ戦友の 遺髪の前に今ひらく 慰問袋のキャラメルを 捧げる心君知るや 背嚢枕に夜もすがら 眠れぬ朝の大吹雪

六 東洋平和の為ならば 我等が命捨つるとも 何か惜しまん日本の 生命線はここにあり 九千万の同胞(はらから)と 共に守らん満州を

 ※満州事変勃発に伴い、朝日新聞が募集した軍歌の当選歌。昭和最初の軍歌。

 走れ大地を    詞 斎藤 竜    曲 山田 耕筰

一 走れ大地を 力のかぎり  泳げ正々 飛沫をあげて  君等の腕は 君等の足は 我等が日本の  尊き日本の 腕だ 脚だ

二 跳べよ雄々しく 地軸を蹴りて  投げよ堂々 青空高く  君等の力は 君等の意気は  我等が日本の 輝く日本の 力だ 意気だ

三 揚げよ日の丸 緑の風に  響け君が代 黒潮越えて  君等のほまれは 君等の栄(はえ)は  我等が日本の  青年日本の ほまれだ 栄だ

 ※ロサンゼルスの第十回オリンピックの応援歌として募集されたもので、このためでもないが、わが水泳チームは総合成績第一位で「水泳日本」の名を世界にとどろかせた。

 昭和11(1936)年

 日の丸行進曲    詞 松坂 直美    曲 河村 光陽

一 姿やさしく 朝日をうけて  におうさくらは われらの誇り

「日本よい国 日の丸あおぎ  みんな仲よく 暮らしましょう」

 赤は勇気を 正義を示し  白は博愛 平和のしるし

「日本よい国 日の丸あおぎ  みんな仲よく 暮らしましょう」

 強い体に 明るい心  町に野山に 希望はおどる

「日本よい国 日の丸あおぎ  みんな仲よく 暮らしましょう」

 遠い千島の あの果てまでも  風にいさまし 我らの旗よ

「日本よい国 日の丸あおぎ  みんな仲よく 暮らしましょう」

 昭和12(1937)年

露営の歌   詞 藪内 喜一郎    曲 古関 裕而

一 勝ってくるぞと勇ましく  誓って国を出たからは  手柄立てずに死なれよか  進軍ラッパきくたびに  瞼に浮かぶ旗の波

二 土も草木も火と燃える  果てなき礦野踏みわけて  進む日の丸鉄兜  馬のたてがみ撫でながら  明日の命を誰が知ろ

三 弾丸もタンクも銃剣も  暫し露営の草枕  夢に出て来た父上に  死んでかえれと励まされ  さめて睨むは敵の空

四 思えば今日の戦いに  朱に染ってにっこりと  笑って死んだ戦友が  天皇陛下万歳と残した声が忘らりょか

五 戦闘(いくさ)する身はかねてから  捨てる覚悟でいるものを  鳴いてくれるな草の虫東洋平和のためならば  なんで命が惜しかろう

 ※毎日新聞募集「進軍の歌」第二位当選歌。第一位の「進軍の歌」よりこの方がヒットした

 昭和13(1938)年

皇軍大捷の歌    詞 福田 米三郎    曲 堀内 敬三

一 国を発(た)つ日の 万歳に  しびれるほどの 感激を  こめて振ったも この腕ぞ  今その腕に 長城を  越えてはためく 日章旗

二 焦りつく雲に 弾丸(たま)の音  敵殲滅(せんめつ)の 野にむすぶ  露営の夢は 短か夜に  ああ ぬかるみの迫撃の  汗を洗えと 大黄河

三 地平か空か 内蒙の  砂塵(すな)に 勝利の眼が痛む  思えば 遠く来たものぞ  朔風(さくふう) すでに吹き巻いて  北支の山野 敵もなし

四 南の空 雲燃えて  陸戦隊の 陣堅く  逆巻く浪に 沿岸の  航路を断てば 敵の船港に島に 影ひそむ

五 八機 二機 五機墜(お)ちてゆく  敵へ情けの 一旋回(ひとめぐり)り  機首をかえして 更に衝(つ)く  鉄路 トーチカ 幾山河  手柄に残る 弾丸(たま)の痕(あと)

六 大上海(シャンハイ)に 火は消えて  暗(やみ)のクリーク 星凍る  黒い太湖の 北・南  見よ 戦友の肩の霜  もろくも解けし 敵の守備

七 首都南京は 遂に陥(お)つ  焼けた砲銃(ほづつ)の 手をとめて  ニッコリ笑めば 隊長も  莞爾(かんじ)と見やる 城壁に  御稜威(みいつ)かがやく 朝日影  皇軍大捷 万々歳

 ※当時の朝日新聞社懸賞募集の当選歌である。

 愛国行進曲    詞 森川幸雄   曲 瀬戸口藤吉

一 見よ 東海の空明けて  旭日 高く輝けば  天地の正気 溌刺(はつらつ)と  希望は躍る 大八洲(おおやしま)  おお 清朗の朝雲に  聳ゆる富士の姿こそ  金甌(きんおう)無欠 揺るぎなき  わが日本の 誇りなれ

二 起て 一糸の大君を  光と 永久(とわ)にいただきて  臣民われら 皆共に  御稜威(みいつ)に副(そ)わん 大使命  征け 八紘(はつこう)を宇(いえ)となし  四海の人を 導きて  正しき平和 うち建てん  理想は花と 咲き薫る

三 いま幾度か わが上に  試練の嵐 哮(たけ)るとも  断乎と守れ その正義  進まん道は一つのみ  ああ 悠遠(ゆうえん)の神代より  轟く歩調うけつぎて  大行進のゆく彼方  皇国つねに栄えあれ

 ※これも国民から公募した歌である。当選したこの詞の作者は二十三歳の青年。詞が決定してから曲も公募した。この作曲者は当時七十歳の元海軍軍楽隊長で「軍艦マーチ」の瀬戸口藤吉だった。レコード各社が競作し、当時としては空前の百万枚突破の大ヒットとなった。

 日の丸行進曲    詞 有本 憲次    曲 細川 武夫

一 母の背中に ちさい手で  振ったあの日の 日の丸の  遠いほのかな 思い出が  胸に燃えたつ 愛国の  血潮のなかに まだ残る

二 梅に桜に また菊に  いつも掲げた 日の丸の  光仰いだ 故郷の家  忠と孝とを その門で  誓って伸びた 健男児

三 ひとりの姉が 嫁ぐ宵  買ったばかりの 日の丸を  運ぶ箪笥(たんす)の 抽斗(ひきだし)へ  母が納めた 感激を  今も思えば 眼がうるむ

四 去年の秋よ つわものに  召し出だされて 日の丸を  敵の城頭 高々と  一番乗りに うち立てた  手柄はためく 勝ちいくさ

五 永久(とわ)に栄える 日本の  国の章(しるし)の 日の丸が  光そそげば 果てもない  地球の上に 朝が来る  平和かがやく 朝が来る

 ※大阪毎日新聞・東京日日新聞の懸賞当選歌で、国民の間でひろく愛唱された。

 からゆきさんの唄    詞 時雨 音羽    曲 細川 潤一

一 暗い海辺の 船着き場  見送るものは 波ばかり  買われてゆくのは からゆきさん 心ひとつが 身のたより  遠いボルネオ 旅の果て

二 潮(しお)の香りが 身にしみりゃ  日の丸恋し 故郷(さと)恋し  船を見送る からゆきさん  シンガポールの 黄昏に  泣いて暮らして 母となる

三 躍る白波 おどる胸  はるばる帰る ふるさとは  唐から帰る からゆきさん  人は冷たく 身は細く  空の陽までが 目に痛い

 ※“からゆきさん”とは、江戸時代から九州の一部の土地の者で、海外に出稼ぎに行った女を、そう呼んだのである。出稼ぎと言っても女の事ゆえ、多くは半分買われて外人や中国人の妻妾となって外地に赴いたのである。そこに種々の哀話があった。

 荒鷲の歌    詞・曲 東 辰三

一 見たか銀翼 この勇姿  日本男子が 精こめて  作って育てた わが愛機  空の護りは 引受けた  来るなら来てみろ 赤トンボ  ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

二 誰がつけたか 荒鷲の  名にも恥じない この力  霧も嵐も なんのその  重い爆弾 かかえ込み  南京(ナンキン)ぐらいは ひとまたぎ  プンプン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

三 金波銀波の 海越えて  曇らぬ月こそ わが心  正義の日本 知ったかと  今宵また飛ぶ 荒鷲よ  御苦労 しっかり頼んだぜ  プンプン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

四 翼に日の丸 乗組は  大和魂の 持主だ  敵機は あらまし潰したが  あるなら出てこい お代り来い  プロペラばかりか 腕も鳴る  プンプン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

 昭和14(1939)年

父よ あなたは強かった    詞 福田 節    曲 明本 京静

一 父よ あなたは強かった  兜(かぶと)も焦(こが)す 炎熱(えんねつ)を  敵の屍と 共に寝て  泥水すすり 草を噛み  荒れた山河を 幾千里  よくこそ撃って 下さった

二 夫よ あなたは強かった  骨まで凍る 酷寒を  背(せい)もとどかぬ クリークに  三日もつかって いたとやら  十日も食べずに いたとやら  よくこそ勝って 下さった

三 兄よ 弟よ ありがとう  弾丸(たま)も機雷も 濁流も  夜を日に進む 軍艦旗  名も荒鷲の 羽ばたきに  のこる敵機の 影もなし  よくこそ遂げて 下さった

四 友よ わが子よ ありがとう  誉れの傷の ものがたり  何度聞いても 目がうるむ あの日の戦に 散った子も  今日は 九段の桜花  よくこそ咲いて 下さった

五 ああ 御身らの勲こそ  一億民の まごころを  一つに結ぶ 大和魂  いま 大陸の青ぞらに  日の丸高く 映えるとき  泣いて拝がむ 鉄かぶと

 ※朝日新聞社が“皇軍感謝の歌’として国民から募集して当選した歌である。

 愛馬進軍歌    詞 久保井 信夫    曲 新城 正一

一 国を出てから 幾月ぞ  ともに死ぬ気で この馬と  攻めて進んだ 山や河  とった手綱に 血が通う

二 きのう陥した トーチカで  きょうは仮寝(かりね)の 高いびき  馬よ ぐっすり眠れたか  明日の戦(いくさ)は 手強いぞ

三 弾丸(たま)の雨降る 濁流を  お前頼りに 乗り切って  任務(つとめ)果した あの時は  泣いて 秣(まぐさ)を食わしたぞ

四 慰問ぶくろの お守札(まもり)を  かけて戦う この栗毛(くりげ)  ちりにまみれた ひげ面に  なんでなつくか 顔寄せて

五 伊達にはとらぬ この剣(つるぎ)  真っ先駈けて 突っこめば  なんと脆(もろ)いぞ 敵の陣  馬よ いななけ 勝鬨(かちどき)だ

六 お前の背(せな)に 日の丸を  立てて入城 この凱歌(がいか)  兵におとらぬ 天晴れの  勲は 永く忘れぬぞ

 ※馬匹愛護の思想を普及させるため当時陸軍省が公募したもの。詞曲両者がすぐれているためか、この歌を通して馬ばかりでなく兵士への思いがつよく盛り上げられている。

 幻の戦車隊     詞 横沢 千秋   曲 細川 潤一

序 唱

噫々(ああ)悲か壮か はた神か  斃(たお)れて後も 尚(なお)已まぬ  忠勇・武烈の 日本魂(やまとだま)  死にゆく息の 一瞬時(たまゆら)も  起(た)ってぞ邀(むか)う ますらおは-  北支の戦野 かけめぐり  ただ 尽忠に余念なき  兵等がひとしく 威(おそ)れたる  神魂(しんこん)「幽霊戦車隊」-  その不可思議を 君知るや

本 歌

一 戦線百里 荒涼と  風なまぐさき 火の巷(ちまた)  敵撃退の 命(めい)くだり  敢然すすむ 小部隊

二 味方は わずか五十人  敵の干騎に 及ばねど  覚悟は なんで劣るべき  銃火みじんと 地を払(はら)う

三 敵 有力をこと頼み  危うく迫る 幾(いく)そ度(たび)  されども我は 退(しりぞ)かず  たちまち追うぞ 頼もしき

四 脚傷(あしきず)つけば 手にて匐(は)い  手くだくれば 口で撃つ  “撃てよ 退(ひ)くな”と呼交(よびかわ)し  鉄血かたき われの陣

五 かくて 交戦数時間  夕闇寒く 野にみちて  かえり見すれば わが兵の  半ばはすでに 斃(たお)れたり

六 残るも無慙(むざん) 傷ふかく  撃ちつづくるは 五名のみ  折しもあれや 敵軍がこれを最後と 攻めきたる

七 鬼神も辞せぬ 勇あれど  不足の兵を いかにせむ!  無念! 頬(ほ)を灼(や)く血の涙  あわやと見えし 一刹那(いちせつな)

八 重傷(ふかで)に喘(あえ)ぐ 兵士等の  耳に 瞳(ひとみ)に 瞭(あり)ありと  轟然せまる 姿あり!  日の丸たかき 戦車隊

九 夢にか? 非(あら)ず 現(うつ)つにか?  いずれと知らね その勇姿  ましぐら進む 戦車隊―  奮い起たでや 死せる身も

一〇 この時! すでに地に臥(ふ)して  息絶ゆと見し 傷兵ら  “友軍きたる 戦車隊!戦車ぞきたる! 怯れな”と

一一 血ぶるい猛(たけ)く とび起きて  一斉(いっせい) やにわ突貫す!  雄叫びすごく突貫す!  壮絶 悲絶 たぐいなし

一二 残る五名も〝素破こそ!〝と  つづけば高し 鬨(とき)の声  一心凝(こ)って 衝くところ  山も巌(いわお)も 裂(さ)け! 力(ちから)

一三 斯(か)くとは 敵の思いきや  鬼神もひるむ 反撃に  敵は わが兵なお在(あ)りと  あわてて 遠く逃れたり

終 唱

銃音(つつおと)絶えし 戦場に  けぶれる月の ただ蒼く  噫々摩詞不思議(まかふしぎ) たまゆらに  重傷(ふかで)の兵が 見しという  戦車の影の さらに無し

これぞ“幽霊戦車隊“―  斃れて已まぬ 気概もて  絶えんとはする 息のもと  なお奮い起つ 尽忠の  至誠(まこと)が描く まぼろしか

それとも神の 呼ぶ業(わざ)か  戦士(つわもの)どもの 忠魂の  最後を鼓舞し 咲かしめて  常に われをば護るてう  ああ 幻の戦車隊  ああ 幻の戦車隊―

 ※太平洋戦争の時代に当たって唯一つの珍しい本格的な物語詩としての歌謡曲。長いので余り巷間ではうたわれなかったが、悲愴雄渾なメロディと共に作詞の上でも傑作の一つとして賛えられたもの。樋口静雄の歌唱でキングレコードから出され、一般家庭や将兵の間でかなり愛好された。なおこの。“幽霊戦車隊“の現象は、傷兵の心理上の幻党によるものか、実際に当時の北支の戦線で度々あったもので、作詞者は陸軍病院において、その現実の体験者である傷兵たちから聞いて作詞した。

 出征兵士を送る歌    詞 生田 大三郎    曲 林 伊佐緒

一 わが大君に 召されたる  生命(いのち)栄えある 朝ぼらけ  讃えて送る 一億の

歓呼は高く 天を衝く  いざ征(ゆ)け つわもの  日本男児!

二 華と咲く身の 感激を  戎衣(じゆうい)の胸に 引きしめて  正義の軍(いくさ) 征くところ  誰か阻まん その歩武(ほぶ)を  いざ征け つわもの  日本男児!

三 かがやく御旗 先だてて  越ゆる勝利の 幾山河  無敵日本の 武勲(いさおし)を  世界に示す 時ぞ いま  いざ征け つわもの  日本男児!

四 守る銃後に 憂(うれい)なし  大和魂 ゆるぎなき  国のかために 人の和に  大磐石(だいばんじゃく)の この備え  いざ征け つわもの  日本男児!

五 ああ万世の 大君に  水漬(みず)き草むす 巾心烈の  誓い効(いた)さん 秋(とき)到る  勇ましいかな この首途(かどで)  いざ征け つわもの  日本男児!

六 父祖の血潮に 色映ゆる  国の誉れの 日の丸を  世紀の空に 燦然(さんぜん)と  掲げて築けや 新アジア  いざ征け つわもの  日本男児!

 ※講談社が公募した当選歌。曲も公募したが、当選した曲は当時歌手として活躍していた林伊佐緒のものであった。キングレコードより出され全国的に大ヒットした。

 昭和15

空の勇士    詞 大槻 一郎    曲 蔵野 今春

一 恩賜の煙草(たばこ) いただいて  あすは死ぬぞと 決めた夜は  曠野の風も なまぐさく  ぐっと睨んだ 敵空に  星がまたたく 二つ三つ

二 すわこそ行けの 命一下  さっと羽ばたく 荒鷲へ  なにを小癩(こしゃく)な 群雀(むらすずめ)  腕まえ見よと 体当り  敵が火を噴く 堕(お)ちてゆく

三 機首を返した 雲の上  いまの獲物を 見てくれと  地上部隊に 手を振れば  どっと揚がった 勝鬨の  中の担架が 眼に痛い

四 しめたぞ敵の 戦車群  待てと矢を射る 急降下  けぶる火達磨 あとにして  悠々還る 飛行基地  涙莞爾と 部隊長

五 世界戦史に 燦然(さんぜん)と  かがやく 陸の荒鷲へ  今日もうち振る 日章旗  無敵の翼 とこしえに  守るアジアに 栄えあれ

 ※詞・曲とも陸軍省後援で読売新聞社で公募したものの当選作。レコード六社の競作として出され、曲と詞のみごとに合致した名作として愛唱され、大ヒットした。

 昭和16

勇む銀輪-自転車部隊に捧ぐ―    詞 勝 承夫    曲 須磨 洋朔

一 ぐんとふめぐんとふめ ぐんとふめば  勇む銀輪 この軽さ  胸にうれしや そよ風うけて  越える赤道 熱砂の道よ

二 ぐんとふめぐんとふめ ぐんとふめば  山の敵から 弾丸(たま)が来る  目ざす都に 行きつくまでは  無事でいてくれ 大事な銀輪

三 ぐんとふめぐんとふめ ぐんとふめば  鳥も鳴く鳴く ゴム林  車かついで 敵前渡河の  今日のいくさの 苦労も消える

四 ぐんとふめぐんとふめ ぐんとふめば  はずむ銀輪 気がはずむ  明日は入城 日の丸つけて  急ぐおいらは 自転車部隊

 ※これは太平洋戦争の折、マレー半島北部に上陸した日本陸軍が、烈しく戦いながら南端のジョホールまで約一千百キロを、一日平均二十キロという記録的な進撃をしたが、その大活躍をした自転車部隊という特殊な部隊をうたったもの。

 昭和17

戦友の遺骨を抱いて    詞 逢原 実    曲 松井 孝道

一 一番乗りを やるんだと  力んで死んだ 戦友の  遺骨を抱いて 今入る  シンガポールの 街の朝

二 男だ なんで泣くものか  噛んでこらえた 感激も  山からおこる 万才に  思わず 頬が濡れてくる

三 負けずぎらいの 戦友の  遺品(かたみ)の国旗(はた)を とり出して  雨によごれた 寄せ書きを  山の頂上に 立ててやる

四 友よ見てくれ あの凪(な)いだ  マラッカ海の 十字星  夜を日についだ 進撃に  君と眺めた あの星を

五 シンガポールは 陥(おと)しても  まだ進撃は これからだ  遺骨を抱いて 俺は行く  守ってくれよ 戦友よ

 ※作詞者は、シンガポール作戦に参加した海軍主計曹長。実際の姿を歌ったものであろう。実感味が豊かである。作曲者も軍楽隊士。

 ハンケチ日章旗    詞 深沢 健三    曲 上原 げんと

一 野越え山越え 泥濘(ぬかるみ)の  悪路進んで 幾十里  みごとに陥ちた 敵陣へ  戦友(とも)の 屍(かばね)を越えて行く

二 そうだあのとき 戦友(せんゆう)の  赤い血潮で 染め分けた  この日の丸の ハンケチを  銃に結んで 翳(かざ)すのだ

三 聞けよわが戦友(とも) 霊あらば  君が形見の ハンケチを  振りつつ叫ぶ 万才の

 声も涙で ふるえるぞ

四 憶(おも)や去年の 花の春  故郷(くに)を発(た)つ日の 駅頭で  首途(かどで)を送る 母上が  君に渡した ハンケチだ

五 ほまれ輝く 入城だ  とも いのち たましい  戦友(とも)の生命と 魂魄(たましい)が  こもっているのか 朝風に  鳴るぞハンケチ 日章旗

 ※十七年キングレコードから近衛八郎の歌で出されたもの。素直なわかりやすい詩句とメロディの良さに、近衛の魅力ある歌唱が受けて、よく歌われた歌であった。

 南から南から    詞 藤浦 洸   曲 加賀屋 伸

一 南から 南から  とんで来た来た 渡り鳥  嬉しそに 楽しそに  富士のお山を 眺めてる  茜の空 晴れやかに  昇る朝日 勇ましい  その姿 見たこころ  一寸(ちょっと)ひと言 聞かせてよ

二 南から 南から  そよぐソヨソヨ 南かぜ  爽やかに 和やかに  村の鎮守の 森をゆく  深みどり 色も濃く  娘十八 神詣で  その姿 見たこころ  一寸ひと言 聞かせてよ

三 南から 南から  遠く海越え 来た人は  村里に 町かどに  なびく日の丸 たのもしく  じっと眺めて 涙ぐむ  強いお国 日本の  その姿 見たこころ  一寸ひと言 聞かせてよ

 日本軍の緒戦のかんばしさはつぎつぎと南方にも占領地をのばした。それで大陸メロディが流行した。その一つ。

 昭和18

加藤隼戦闘隊     詞 田中 林平 朝日 六郎    曲 原田 正幸 岡野 正幸

一 エンジンの音 轟々(ごうごう)と  隼(はやぶさ)は征く 雲の果て  翼(よく)にかがやく 日の丸と  胸に描きし 赤鷲の  印は われらが戦闘機

二 寒風酷暑 ものかはと  艱難(かんなん)辛苦 うち堪えて  整備にあたる 強兵(つわもの)が  しっかり やって来てくれと  愛機に祈る 親ごころ

三 過ぎし幾多の 空中戦  銃弾うなる その中で  必ず勝つの 信念と  死なば共にと 団結の  心でにぎる 操縦悍

四 干戈(かんか)まじゆる 幾星霜  七度重なる 感状の  いさおの蔭に 涙あり  ああ今は亡き 武士(もののふ)の  笑って散った そのこころ

五 世界にほこる 荒鷲の  つばさ伸ばせし 幾千里  輝く伝統 うけつぎて  新たに興す 大アジア  われらは皇軍 戦闘隊

 ※かずかずの作戦に空中から協力して感状七度という、殊勲の戦闘機部隊の歌だが、曲もよかったので一般にもよくうたわれた。正しくは「加藤部隊隊歌」が歌の名である。

 昭和19

特幹の歌    詞 清水 かつら    曲 佐々木 俊一

一 翼(つばさ)かがやく 日の丸に  燃える闘魂 眼にも見よ  今日も 逆(さか)らう雲切れば  風もしずまる 太刀洗(たちあらい)  ああ 特幹の大刀洗

二 強く雄々しい 若松に  匂う暁 宇品港(うじなこう)  ゆくぞ波風 岩も裂く  船の男児(おのこ)の 心意気  ああ 特幹の心意気

三 吹けよ朝風 初陣(ういじん)の  翼さやかな 肌ざわり  胸の火玉に 昇る陽(ひ)に  命捨て身の 武者ぶるい  ああ 特幹の武者ぶるい

四 叩(たた)く敵陣 矢が尽きりゃ  なんの当て身の 弾丸吹雪(たまふぶき)  母も見ている 聞いている  船とつばさの 勝ち名乗り  ああ 特幹の勝ち名乗り

 ※特幹とは陸軍特別幹部候補生のことである。海軍の予科練と共に当時の若者・少国民の憧れの的であった。読売新聞社の選定歌で藤原義江がうたい、全国に普及した。

 勝利の日まで    詞 サトウ ハチロウ    曲 古賀 政男

ー 丘にはためく あの日の丸を  仰ぎながめる われ等の瞳  いつか溢るる 感謝の涙 燃えてくるくる 心の炎  われ等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで

二 山で斧振る おきなの腕も  海の若者 櫓を漕ぐ腕も  町の工場の 乙女の指も  今日も来る来る お国のために  われ等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで

三 雨の朝(あした)も 吹雪の夜半(よわ)も  思うは一つ ただただ一つ  遠い戦地と 雄々しき姿  浮かび来る来る ほほ笑む顔が  われ等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで

四 空に飛びゆく 翼に祈り  沖を過ぎゆく 煙に誓う  国をあげての この戦いに  湧いて来る来る 撃ちてし止まん  われ等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで

 ※同題名の映画の主題歌。明るくてしかもナイーヴなメロディが、四六時中戦意の強制に疲れた大衆の心に、和やかな慰めと救いを与えてくれたので、方々でうたい広められた。


自国民だけでなく国際的に敬意を表される国旗国歌こそ道徳的にふさわしい!血塗られた日の丸の実態!その1

2013-04-28 | 日の丸・君が代

先に、以下のテーマで記事を書きました。

国歌「君が代」強制こそ、伝統文化の破壊・不道徳の極地、日米軍事同盟深化派の愛国心教育を断罪する!

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/dcca98f5b928e12ae4135e66028936aa

 そこで、以下のコメントが寄せられましたので、調べ、考えてみました。

 日の丸・君が代の問題は、国旗・国歌に関する世界共通の問題か。それとも、国旗・国歌に関する共通の問題とは関係ない日本独特の問題か。もしも、それが日本独特の問題であるならば、我が民族の特性に焦点を当てて深く論じなくてはならない。そうでなければ、理性的な解決は得られない。(noga

 その上でなお、「大切な人に長生きしてほしい」と願う本来の「君が代」が、戦争を放棄した平和憲法を持つ日本にふさわしい国歌であると考えます。(えまのん

 平和憲法に相応しいのは、何か、大いに議論して見る必要があるように思います。国旗・国歌のことですから。それにしても、他民族を抑圧するための道具として使われた日の丸・君が代を国旗・国歌とするのは、どうでしょうか?(愛国者の邪論)

 

そうしたら、以下の記事を見つけることができましたので、その事実を踏まえて、記事を書いてみることにしました。

 英ロックバンド、新PVに「旭日旗使用」と韓国からクレーム受ける  2013年4月24日(水)14時9分配信 サーチナ

 http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20130424-20130424_00023/1.htm

 韓国世論「旭日旗とナチス党旗を同一視」の大いなる誤解 20130416(火) 13:41

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0416&f=national_0416_026.shtml

 

この「サーチ」の記事のポイントと、それに対する愛国者の邪論の意見は、以下のとおりです。

 1.「旭日旗」が「日本軍国主義の象徴」として描かれているのには、それなりの事実があります。日本国民として、その事実をどのように捉えるか、です。

 2.上記の「サーチ」の記事(編集担当:新川悠)だけでは、「韓国では、旧日本軍が軍旗として用い、現在は自衛隊が用いている『旭日旗』を、『ナチス党旗と同じ性格の旗』と」と同じと捉えているかどうかは読み取れません。

 3.ところが、「編集担当:如月隼人」氏の記事になると違った展開になってきます。

それは「『旭日旗』を、『ナチス党旗と同じ性格の旗』として「非難する世論が沸騰することがある」と述べているからです。しかも、「『思想的背景』がとくにあったわけではない」「旭日旗」「日章旗」と「当初から『アーリア民族の優位性』『アーリア人勝利のために戦う、侵略主義的発想』と結びついていた、ナチス特有の思想のシンボル」「ナチス党旗」の違いを強調しているからです。

 4.それでは両者の違いはどうでしょうか?そこで、その由来を「ハーケンクロイツ」「エアハルト海兵旅団」「卍)(まんじ)」「太陽十字」「太陽のシンボル」で検索してみました。その結果、判ったことは、両者の由来そのものについては、たいした違いのないことが判ります。

 5.問題は、これらの「シンボル」が、忌避されている理由です。因みに「卐はナチスの忌まわしいシンボルマークとして認識されている。右卍か左卍に関わらず、両方がほとんどのヨーロッパ諸国で法律によって使用が禁止されている。特にドイツではハーケンクロイツの使用が完全に禁じられており、学術的な目的や、反ナチ意識高揚のための使用を除き、公の場で使用すると逮捕される。そのため、ハーケンクロイツとよく似ている卍の使用もヨーロッパでは忌避されることがある」と、韓国の場合と同じような「非難する世論が沸騰することがある」という反応のあることが判ります。

 6.「編集担当:如月隼人」氏の言うように、

(1)世界的にも珍しくはない「太陽信仰」であり、民衆も愛好したデザインだった。

(2)人々は要するに「めでたい」と感じたから「日の丸」を好んだわけであり、「思想的背景」がとくにあったわけではない。

(3)日章旗の場合、素朴な太陽信仰を起源に持ち、多くの日本人が「そのデザインが好きだった」ということで、最終的に国旗にもなった。

(4)誤解を恐れず言えば、“きわめてのん気”にできあがった国旗であり、その思想的背景は「争いごと」と無縁だった。「争いごと」と無縁だった…

(5)旭日の意匠は軍旗として採用されるはるか以前から、「めでたさ」を強調するために、民間で祝い事などに用いられていた。

 としていますが、その「日章旗」「日の丸」を「軍旗」として「思想的背景」を持たせ、ある時は強制的に、ある時は国民感情を巧に利用して浸透を図ってきたことに最大の問題があります。ここに最大のゴマカシ、スリカエ、不道徳があります。その理由は、以下の事実を見れば明瞭です。

 7.国民学校国語教科書『初等科國語二』の中にある「十四  軍旗」に、民間の太陽信仰を利用した不道徳ぶりが、皮肉にも明解に書かれているのです。このことは、戦前「日の丸」を歌った歌謡曲にも如実に出ています。別項に記事にします。

http://www.geocities.jp/sybrma/156syotoukakokugo2.html

「軍旗、軍旗、天皇陛下の御前に、死ぬるかくごで敵地に進む、わが陸軍のひかりの軍旗。」
「軍旗、軍旗、天皇陛下のみいくさに、いつでも勝っててがらをたてる、わが陸軍のほまれの軍旗。」

 しかも、「軍旗として旭日旗」を「旧陸軍軍旗を元にした八条旭日旗」を「自衛隊旗(連隊旗)」に、さらに「旧海軍軍艦旗と同じ意匠」の「自衛艦旗」に採用したことは、その意味から、大いに批判されなければなりません。しかし、ここでは何ら問題にはしていません。

 8.それでは、神社本庁は、「民間信仰」である太陽信仰について、その「メッカ」「総本山」=「伊勢の神宮」をどのように述べているか、調べてみました。

http://www.jinjahoncho.or.jp/izanai/ise.html

「日本全国にたくさんある神社の中で、古来、特別な神社として敬われてきたのが伊勢の神宮です。伊勢の神宮は、正式には神宮とのみ申し上げ、三重県伊勢市とその周辺に鎮座する百二十五のお社の総称です。その中心は、皇室のご祖先である天照大御神をおまつりする皇大神宮(内宮)と、天照大御神のお食事をつかさどり、衣食住はじめ産業の守り神である豊受大御神をおまつりする豊受大神宮(外宮)です。(引用ここまで

 また「神道への誘い」を見ても「五穀豊穣」を願う「民間信仰」にもとづく神道思想を否定した「軍旗」思想の誤り、不道徳は明確です。そもそも、この太陽信仰は、「生産」を願い、祝うものであって、殺人を尊ぶものでないことは明らかです。ここに最大のトリックがありますが、これについては、別項で記事にすることにします。

http://www.jinjahoncho.or.jp/izanai/index.html

 9.「たいていの日本人」が、こうした不道徳に対してきっぱりとした態度を示していくことは、韓国人や他国から言われるからなどという理由などを持ち出すまでもなく、「人間の特性として」、すなわち道徳的な意味からも大切なことです。

 10.「編集担当:如月隼人」氏は、「ベトナム戦争における侵略側」にたった韓国、「かつての欧州列強が伝統的に用いている旗」を持ち出し、その「異議」の是非について以下のように論じています。

 (1)「もちろん、純粋に論理的に考えれば、『日本が過去において、周辺国を侵略する際に使った国家的なシンボルは、すべて使うべきではない』と主張することもできる」

(2)「仮にベトナムが韓国軍旗について『わが国侵略のシンボルだった。使用は好ましくない』と主張した場合、韓国人は(旭日旗を排斥するならば)自らの主義主張にもとづき『誠実に対応すべき』という“理屈”になる」

(3)「ただその場合、旭日旗や日章旗だけでなく、英国国旗、英国軍旗、フランス国旗、フランス軍旗など、かつての欧州列強が伝統的に用いている旗には、すべて異議を唱えなければならなくなる」

 しかし、「ベトナム戦争における侵略側」に立った韓国の太極旗、植民地支配を行った「かつての欧州列強が伝統的に用いている旗」の是非を論じなければ、「日章旗」の是非も論じることはできないとする論法によっても、日本の侵略を正当性すること、神道を歪曲することはできません。この論法は、犯罪者が、別の犯罪者を持ち出して自らの犯罪を正当化するのと同じと言えないでしょうか?これまた不道徳の象徴と言えます。

 11.その点で言えば「ベトナム戦争における侵略側」に立ったアメリカ国旗、星条旗も同様です。しかし、だからと言って、日本の侵略の事実を正当化できるものでないことも明らかです。そのような不道徳は、断固として排除していかなければなりません。イラク・アフガン戦争にして然りです。

 12.以上のような論法が出されてくるのには、背景があります。それは、世界の侵略の歴史についての、反省・謝罪・補償の現状についてのバラツキ、国際法で確認された諸原則についての不徹底もあります。とりわけ日本の現実があります。その点で被侵略国の側に立った視点で歴史を捉え、どのようにして「反省」「補償」「和解」をしていくか、まさに国際社会における課題と言えます。そのためにも、憲法において二度と戦争をしないと世界に宣言した日本国とその国民の果たす役割は大きいと言えます。

 以上、民間信仰として存在していた「日の丸」が、国家信仰としての「日の丸」、国家神道に転嫁していった経過の一端を述べてきました。まだまだありますので、今後も記事にしていくつもりです。「日の丸」「君が代」を容認する現在の国民感情の最大の背景にはこうした議論が国民的になされてきたとは言えない状況があることにもよりますので、あえて記事にしてみました。

 つづく


国歌「君が代」強制こそ、伝統文化の破壊・不道徳の極地、日米軍事同盟深化派の愛国心教育を断罪する!

2013-04-14 | 日の丸・君が代

猪瀬都知事の口パク発言は、この問題の本質を浮き彫りにしてくれました。それは「愛国心」「伝統文化」、いわんや、「日の丸」「君が代」の意味や由来、果たして来た役割など、どうでもよく、ただただ公務員は「命令」=上意下達に従ってやれというものでした。こうした風潮を日本全国で蔓延化していくための重要な装置として「国旗」「国歌」を利用しているという構図です。

 そこを見破られるといけないために、全体が起立する「儀式」の「基本的ルール」論、彼らに言わせれば、「常識中の常識」に違反する少数の教師は、生徒を「しつけ」ることのできない輩だから、処分も当たり前、不適格者という烙印を押す、しかし、直ぐ処分をするわけではない、不当な処分ではないなどと、一見すると、誰もが「そうだよね、あいつらおかしいよね」程度の「レベル」の話にスリカエて正当化するものでした。

 このことは、中国の反体制派の知識人が弾圧される時、日本のメディアは、挙って人権問題と報道します。中国政府は国内の法律に則って対応していると応じています。全く同じ構造です。中国政府にしてみれば、猪瀬都知事流に言わせれば、反体制の知識人は「基本的ルール」が判っていない輩ということになります。

 ところが、日本国民は、日本国内の反体制派に対しては共感と連帯の念を抱くどころか、冷たい視線を注ぎ、「公務員を辞めろ」と罵声を浴びせるのです。中国政府を批判する目線は、微塵もありません。

 ましてや北朝鮮の世襲としての「金王朝」(という言葉そのものに北朝鮮に対する侮蔑意識がにじみ出ていますが)、と日本の世襲議員と世襲の権化である天皇家に対しては「尊崇の念」などという言葉で粉飾し、小学生にまで「様」付けをしているのです。さらに言えば「国家元首」にまで祀りあげようとしているのです。

 この憲法が成立した暁には、「君が代」「日の丸」が義務付けされるのです。そうしたことを国民はどのように考えているのでしょうか?この政策を掲げる自民党を政権政党として受け入れ、アベノミクスなどともてはやし、批判の矛先を鈍らせているのです。

 こうした日本国民の意識の根底に、あの戦争に対する加害責任と反省と教訓、それにもとづく国際連帯感情の欠如があることは明らかです。そのことは裏返して言えば、抗日民族統一戦線で皇軍とたたかいを指導した毛択東や抗日光復会でたたかった金日成などに対する中国・北朝鮮の国民感情への無理解が反映しています。

 中国・韓国・北朝鮮国民にしてみれば、8月15日は解放であり、光復という意識に対して、日本はどうでしょうか?敗戦というよりもむしろ終戦という言葉に象徴されているように、侵略された国民に寄り添う言葉はありません。天皇の赤子、民草、臣民として戦争を強いられたことを踏まえるならば、どうでしょうか?大日本帝国憲法の強制体勢から「解放」されたと自覚しなければならない問題です。

 さらに言えば、戦争に反対し、投獄されていた人々が、現在の日本で顕彰・賞賛・教訓化されているでしょうか?いっさい不問と言わなければなりません。逆に戦犯、戦犯容疑者、公職から追放されていた政治家や官僚たちの二世・三世議員たちが、跋扈しているのです。選挙で選ばれたとは言え、国民意識がここに如実に見えてきます。

 しかも、彼らは、戦争に反省するどころか、政府の行為によって引き起こされた戦争の惨禍を二度と繰り返さないと約束した日本国民の決意をないがしろにし、大日本帝国的憲法を復活させようと画策しているのです。マスコミもそのことについては、沈黙しています。

 ここにこそ、現代日本の不道徳ぶりが象徴的に示されています。こうした構造に対して系統的に、あらゆる場を使って告発していく必要があります。日本国憲法の原則を東アジアと世界に発信していくためにも、不断の努力をしなければならない日本国民の責務と言えます。

 

以上の前提を踏まえて、今日は「君が代」のもつ本来の意味を歪曲し、民衆を裏切る「君が代」礼賛者のウソとデマ、ペテン、ゴマカシ、スリカエ、不道徳ぶりについて、記事にしてみることにしました。

 参考にした文献は、以下のとおりです。

 山田孝雄『君が代の歴史』(宝文館出版昭和31年1月刊)http://ja.wikisource.org/wiki/

 小野恭靖『戦国時代の流行歌 高三隆達の世界』(中公新書2012年4月刊)

 

ポイントは、以下のとおりです。

 1.「君が代」は読み人しらずの長寿を祝う歌であること

 2.平安以後、ずっと民衆の間で口ずさんできた歌であること、それは長寿を祝う賀の歌であることが最大の理由であったこと

 3.そうした民衆の風習、意識を巧に利用して、「君」を、それまで民衆の中においては、それこそ眼中にもなかった天皇にスリカエ、強制することにしたこと、そのことは天照大神を祀る伊勢神宮へのお伊勢参り、御蔭参りの際に、天皇の存在など、いっさい関心がなかったこと、五穀豊穣を願ったことを見れば明瞭です。

 4.本来長寿を祝う歌を、天皇のために死ぬこと、命を落すことを、最大の美徳として会得させるための装置として教育勅語、御真影とともに、教育や儀式を通じて徹底していった歴史があること

 5.こうした事実を学校教育でいっさい教えない政府・文部(科学)省と改憲派=日米軍事同盟深化派、「日の丸」「君が代」を「国旗」「国歌」として、既定のものとして疑問を持たない国民意識、これがどのように形成されたか、その浸透のメカニズムと問題点を憲法の原則からメスすら入れないマスコミの存在などがあること

 6.とりわけ、「日の丸」「君が代」などを日本の「伝統文化」として、自分たちのイデオロギーを浸透させる「錦の御旗」「専売特許」として利用している不道徳さを告発する営みの弱さがあること

 

以上の諸事実と視点を、以下の資料からみてみたいと思います。

 まず山田孝雄氏の「君が代」論の「十五 總括」をみれば、「君が代」の歌詞の変遷には、その時々の民衆によって変えられ、口ずさまれてきたことが判ります。意味も「本来年壽を賀した歌」「めでたい正月又は節供の時にそれを祝する精紳から行はれて来たのである。それ故に祝賀の歌の最も根本的のもの最もめでたいものとして千二百年間つづいて来たもの」とあります。

 卽ちうらみの介のさうしには…となり、「君が代が巖となりて苔のむすまで」といふ譯もわからぬたはごとになる。しかし、こんなことでもやはり流行してゐたことであつた。これはこの歌が汎く古く行はれて來て、一々義理をとはずに用ゐられた故にかやうな形にまでなり下つたことを示すもの…凡そ日本國の歌謠としてこの「君が代」の如く、遠く汎く、深く行き亙つたものは無いので、これが國歌となつたのは自然の勢といふべく人爲の力によつたものでは無いと思はるゝ引用ここまで

こうした事実踏まえて受けて、「十四 君が代はいつ國歌となつたか」のなかで、スリカエ、正当化しています。

 我々はこの「君が代」の歌一つに限つて國歌といひ、亦それを信じて疑ふ所が無い。しかも、之をこの意味で國歌としたことは誰人がいつ、如何なる手續で定めたのか誰も知らぬのである。これはこの歌が最初に「題知らず」「讃人知らず」であつたと同樣にこれが國歌となつたのも誰も知らぬ間にかくなりかく信じてしまつてゐるのである。國歌を「君が代」と定めたのは結局明治時代の日本民族全體であり、それがいつの間にかさうなつてしまつたといふより外にいひ樣の無い事である。これは個人の考へでも無く、或る團體の考へでも無い、眞に日本民族のの結晶だといはねばならぬものであらう(引用ここまで

 古今和歌集の頃は、民衆が詠じていたものか、貴族が詠じていたものか、不明ですが、恐らくは両方かもしれません。山田氏は、「譯もわからぬたはごとに」「なり下つた」としていますが、その願いは、長寿を祝う民衆の「願いの強さ」があります。

 しかし、昭和三十一(1956)年段階における山田氏の認識には、命を大切していたからこそ、謡われ続けてきた「君が代」が、天皇のために命を落す歌として、強制されてきた歴史は、全く見えていません。そこに、山田氏の立ち居地が見えてきます。

 

次に、小野恭靖氏の隆達節をみてみることにします。「隆達節」とは、以下のようにあります。

(1)高三隆達(1527~1611)が独特の節付けをして歌い広めた一群の歌謡

(2)戦国の世を終えた江戸時代の人々にとっては、隆達節こそが新時代の歌謡・芸能の代名詞であり、その歌い手隆達は、近世最初の芸能者として、注目すべき存在であった…

(3)隆達節の歌詞は、室町時代以来の流行歌謡、室町小歌を基盤にし…隆達節より百年近くも前に、最初の流行期を迎え、その集大成が「閑吟集」でした。

(4)室町後半から安土桃山時代、江戸初期の人々が愛唱した隆達節には、恋歌が多かった…

(5)流行歌謡として時の権力者たちも盛んに愛唱したようです。隆達が権力者に庇護されるべき芸能者としての隆達の宿命が窺える…権力者とも積極的にかかわりを持ったことは想像に難くない…(引用ここまで

 

小野氏は、隆達節の代表歌「君が代」を「祝い歌」として分類して、以下のように書いています。

 ○君が代は千代に八千代にさざれ石の、巌となりて苔のむすまで(小歌)

 あなたの寿命は、千代も八千代も、小石が大きな岩となって苔が生えるまで、末長く続いてほしいものです。

相手の長寿を祈る歌です。「君」は恋人であり、また周辺のすべての人に向けられた二人称です。昔の日本人は言葉の力を信じる言霊(ことだま)信仰を持っていましたから、長寿を願う歌が実際の長寿を引き寄せる歌としして作られました。小さな砕けた「さざれ石」か成長して「巌」となることは現実にはあり得ない…この歌を作り、また歌ってきた人々も、当然ながらそのことはわかって…起こり得ないことを歌うことによって、永遠の時間を表現し、相手の寿命が長く続くことを願った…さらには、その巌に苔がむすまでの時間を加えて、だめ押しさえしています。

これが昔の日本人の心でした。この歌はその後、延々と歌い継がれ…南北朝時代に至ると、冒頭を「君が代は」と…歌うようになり…その頃に作られた『朗詠九十首抄』という音楽書には、「君が代は」の歌詞で掲載され…たということは、「君が代は」の歌詞で歌謡として成立していた…それに影響されたのが、『和漢朗詠集』の中世成立の写本で…新しく流行する曲節にも合わせて歌われるようになった…そこに登場したのが高三隆達でした。

隆達はこの歌詞にも節付けをして、自らの歌謡として用いたのです。…ポルトガル人宣教師のジョアン・ロドリゲスは、『日本大文典』の中で、「小歌」として「君が代は」を掲載…隆達節のこの歌が当時の流行歌として広まっていた…仮名草子『恨の介』(整版本)では、酒宴の最初の場面で、「当世はやる隆達節」としてこの歌を…隆達節の代表的な歌…祝い歌を冒頭に歌うのは、我が国における芸能の伝統…いの一番に歌うことは常(引用ここまで

 どうでしょうか?長寿を祝う「君が代」の本質が浮き彫りになったのではないでしょうか?しかし、明治以後、この民衆が「伝統文化」として営々と築き上げてきた文化を、まるで違った意味合いにスリカエ、強制して、「天皇のために死ぬ」歌として浸透させ、あの惨禍を課したのです。このことの罪は非常に重いと言わざるを得ません。

 

小野氏は、「おわりに」で、隆達節の本質を見事に、以下のように、NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国時代」第十話柴田勝家の最後の宴席に歌われた「無常歌」の意味を紹介しています。

 「花よ月よと暮らせただ、ほどはないもの、うき世は」…の「花」と「月」は現世にある美しいものの代表です。そしてそれらを愛でることは、何物にも替え難いこの世の楽しみでした。この歌は美しいと信じるものや、自らか愛する大切なものを追い求める人生の素晴らしさを歌っています。

そして、その背景には「ほどはないもの、うき世は」と、人の命の儚さが据えられています。ただ単に刹那的、享楽的な生き方を推奨しているのではありません。短い人生をどのように生きるべきかを人々に教え、また自らに言い聞かせている歌なのです。そう思うと、この歌の中に響き渡る戦国の世の人々の思いが、強く伝わってきます。それは刹那的に生きざるを得ない切なさと言えるかもしれません。

…このように考えると、大災害を経験した現代の日本人は、戦国の世を生きたかつての日本人と似た状況にあると言ってもよいように思われます。明日をも知れない命を抱えながら、精一杯生きようとする心。そして、その心を支える言葉で紡ぎ出された、隆達節をはじめとする戦国時代の流行歌の歌詞。それらこそ、今日の我々がもっとも必要とするものなのではないかと思われるのです。(引用ここまで

 天皇制政府は、民衆の間で語り継がれ謡われていた「君が代」の意味を天皇制の永遠の繁栄を謡ったものとスリカエ、ゴマカシ、強制し、あの「惨禍」と塗炭の苦しみを国民やアジアの民衆に課したのです。その反省もなく、主権在民の日本国憲法下においても、その解釈をゴマカシ、あらゆる装置を駆使・総動員して、国民に浸透させ、「国歌」として強行し、職務命令で脅し、強制しているのです。

 そうして、自民党は、その改憲案で、この「国歌」を義務付けることを明記し、参議院選挙を前に、憲法改悪の手続き項目第97条の「緩和」です。

 憲法第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。(引用ここまで

国会の議決数と国民投票総数数の「緩和」です。「決められない政治からの脱却」論、「脅威」論を垂れ流す、国民に憲法「改悪」を「改正」とゴマカシ、その必要性を浸透させていくのです。そのプロパガンダとしてテレビと新聞が最大限使われることは、この間の事実が示しています。

 さらに言えば、天皇を元首化に成功すれば、当然「君が代」の意味を変更することは明らかです。そのために使われるのは、すべての分野における徹底したスリカエ・ゴマカシです。

 あれこれのゴマカシとスリカエの最終的な方向は、命令に服従する国民の育成です。日米軍事同盟深化の実態です。国防軍が、世界各地でアメリカの戦争を代行することを意味しています。

 このゴマカシを打ち破るのは、国民の総意以外にありません。どちらが、説得的に、真実を国民全体のものにするか、そこにかかっているのではないでしょうか?

 以上、まとめると、10世紀以来、営々と命の大切さを謡った長寿を祝う歌「君が代」が、明治維新以来のわずか百数十年で歪曲されてきました。この不道徳ぶりを徹底して暴き、人間の尊厳と命の大切さを思想の根底に、その道徳規範を示している日本国憲法を、今こそ、国民生活の隅々に徹底していく必要があるように思います。

憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(引用ここまで

 どうでしょうか?隆達節の、そして「君が代」の本来の精神が、日本国憲法に脈々と流れていないでしょうか?強制と血に塗られた「君が代」をどのように扱うか、今ほど国民的議論が必要な時はないと言えます。


君が代斉唱・日の丸礼拝で「愛国心」を、という詭弁が猪瀬都知事の口パク発言で浮き彫りに!不道徳に大喝!

2013-04-13 | 日の丸・君が代

猪瀬都知事が、入学式・卒業式における「日の丸」礼拝・「君が代」斉唱を強制する意図を記者会見で明け透けに語ってくれました。この問題については、文部省の「指導」を受けて各都道府県が、その実施率100パーセントに向けて競って、達成してきたとされている問題について、大阪に続いて、東京においても、猪瀬都知事の発言でそのネライと結論が出ました。

 猪瀬都知事の言っている低「レベル」の話の意味、「実にアホみたいな」「くだらない話」について、考えてみました。都知事の話のポイントは、以下のとおりです。

 1.入学式・卒業式など、「儀礼的空間」において、まず、全員起立して、国旗「日の丸」に向かって「一同礼」をする。その後に、国歌「君が代」を斉唱するという流れは、憲法に保障されている参加者の基本的人権である思想信条の自由が踏絵を踏まされることになるのですが、

 2.「全員起立という(「基本的なルール」)ときに座っている」際に、歌いたくない者は、「口パクパク」「言葉(歌詞)を変えて歌って」でも良いのだ、踏絵ではないのだ、「自分の意志を表現する」場合は、「自分をちゃんとあれする」と、儀式の形を優先し、「日の丸」礼拝と「君が代」斉唱をとおして「愛国心」「郷土愛」「日本人としての誇り」などは想定していない、或いは二の次であることを語り、

 3.これは「しつけ」の「レベル」の問題であり、「そんなものさあ、儀礼で立って歌っているというときに、そこで座っているというのは話にならない」「そんなレベルの話がわからないというのは、教師としてふさわしくない」「基本的なルールがわからない人は不適格」と語り、学校教育が「しつけ」を教える場として位置づけ、その場において、「しつけ」の「レベルの話がわからない」のは「不適格」「教師としてふさわしくない」と言ってしまったのです。

 4.しかも、「処分」は「罰則規定のランキング」があり、「明日から解雇といっているわけじゃない」「クビにするわけじゃない」のだから、「大した話じゃない」と、憲法の原則に基づいて行動した者を憲法に違反して不当な「処分」をすることを「ランキング」の問題として捉えて、「大した話じゃない」、その「程度の問題」だと語ったのです。

 どうでしょうか?「井戸端会議」のような「レベル」の話を記者会見で述べていると言えませんか?大変な問題を含んでいると思いませんか?東京都知事の位置からすると、国際的にも恥ずかしい話になりませんか?これが過去最高得票を獲得した人の「レベル」なのです。

 都知事選、猪瀬氏が圧勝=434万票で過去最多得票-13年半ぶりに新たな首都の顔

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201212/2012121600512

 そもそも学校教育の果たす役割は何でしょうか?以下、記事にしておきましたので、ご覧ください。

安倍政権の「教育勅語道徳教育」に大喝!日本国憲法に基づく新「道徳教育」論の徹底化こそがいじめを解決!

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/970b90ebbbb3dfc75cb340c5f328651e

 この猪瀬都知事発言について、面白い反応がありましたので、掲載しておきます。気づいたことがあります。それは

 1.日本国民は、憲法の「個人の尊厳」論の恩恵を受けているにもかかわらず、それを想定外のおいて、意見の違う個人を排除する思想が見えています。これこそが「いじめ」の構造、温床、「障害者」という言葉から脱却できない、日本の現状を反映していると言えるのではないでしょうか?

 2.「井戸端会議」「茶のみ話」「レベル」の話には、憲法は自覚されていません。このレベルの話にも「憲法を生かす」論が貫かれていかなければなりません。こうしたコメントにあるのは、戦後自民党政治が憲法を軽視してきたこと、憲法教育のあり方の問題と課題が反映しているように思います。

 3.もう一つは、日本の歴史認識の問題もあるように思います。日の丸君が代の由来や、果たして来た役割を徹底して指導することをサボってきた自民党政権。学習指導要領で「指導するものとする」としたにもかかわらず、強制のみ先行させ、教師を上意下達の対象として、将棋のコマとして扱ってきたこと、このことは憲法と教育基本法をないがしろにして、行く行くは第二本帝国憲法的尼本の復活、戦後政治の総決算。戦後レジームからの脱却をめざしていたことと無関係ではありません。

 4.こうした状況のなかで、実は「ブラック企業」に見られるように、また「雇用の自由化」の名の下に「解雇規制」を緩和してく政策の実現を支えるイデオロギーと同根であることを見抜いていくことが大切ではないかと思うのです。労働者が自己責任イデオロギーの下、権利を主張できない呪縛が張り巡らされているのです。その象徴の一つとして、この強制問題を捉えていく必要があるように思います。それは、以下の事実が雄弁に物語っていると思います。

 本日(3月12日)、大阪で不起立者(9名)に対する<処分伝達>と<研修>が行われました。なお、2度目の処分を受ける教員は、減給10分の1となり、あと1回職務命令違反をすれば免職にするという「警告書」も手渡されたということです。また、研修後には、「卒業式・入学式の国歌斉唱時に起立斉唱することを含む職務命令に従います。所属 氏名 印」という文書に署名できるか答えてください」と強要されています。こんなことは体罰以上に許されないことです。

以下、ネットに出ていた「声」について、一覧しておきます。

http://hatebu.net/entry/www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-30/2013033004_04_0.html

・"「歌いたくなかったら口パクやっていたらいい。そんな程度の話を分からないというのは、教師としてふさわしくない」と非難しました" →"口パク"させるくらいなら国歌斉唱なんて廃止だ!、という愛国者を募集中だ

・真面目に心込めて歌えって言ってる訳じゃないからいいと思うんだけどな フレンチのドレスコードと一緒でさ セレモニーなのよ

・みんなやってるんだからそれっぽい所見せろ雰囲気ぶちこわすな。=空気読め>>>>>>>国歌を歌う行為>>>>>>自由

・橋本さんにもそれ言ってくださいよ

・所詮国歌ってその程度のものである、という事でよろしいですか?都知事殿

・そこはむしろ『裏声で歌へ君が代』と

・猪瀬「歌いたくなかったら口パクやっていたらいい」/「わかりました、そうします(毒)」。つうか、「口パクでないかチェックする」ってのも異常だが口パクでいいって猪瀬の立場でそれでいいのか、本当に?

 

http://2ch.ki9.biz/archives/8551.html

4:当たり前の事を臆面もなくぶっちゃけるのもアホみたいな話だな

5:身も蓋もない話だな

6:口パクでは、他の人から歌っているように見えるでは無いか私がしたいのは、歌わないことではなく、着席して歌わない態度を出来るだけ多くの人に見せることなのだ だから欠席もしたくない 先生が国家権力に逆らっている立派な姿を、生徒や保護者やマスコミに見てもらいたいのだ
卒業式は私の晴れ舞台なのだ てかんじだよね

16:立派な姿じゃ無いだろうにね。

48:「俺は社会の押しつけには屈しないぜっ」と イカレた格好して反社会行動をとっては粋がってる珍走団のと同じ。

44:うまいなあんた。まさに連中の本質をズバリと突いているよ。

8:「公務員は公務を果たせ」「国歌に敬意を」は正しい意見である。ただ君が代は「天皇の世よ永遠に続け」な意味もある。 歌の強要は、崇拝の強要にも繋がる。罰則付きだと北朝鮮と共通する点が。「”君”は天皇じゃ無い」な屁理屈もあるが、戦前などは明確に天皇を意識して歌われた。海外の翻訳でも”君”は天皇扱い。天皇自身も君が代を歌わない。自賛になるから。崇拝や生まれの尊卑に抵抗感を持つ人も居るだろう。「さくらさくら」が国歌になれば問題も無いのだが。口パクは、表面的に体裁を整えてるので文句は言えないだろう。

11:そもそも天皇で何の問題もないしな、しっかりと歌うことこそが公務。

18:>そもそも天皇で何の問題もないしな 権威を政治利用されてきた歴史があるのが天皇だからな。戦前は天皇の統帥権を掲げる軍部を抑制できなくなったり。もし君が代の押しつけに、天皇崇拝の意図を含んでいるなら問題。

9:口パクする程度の知能があればこんな問題など発生し得ないw教育できる土台の無いアフォは排除しなさい国家国民存続のために

10:国歌斉唱の時に起立をしない輩は、粋がるだけの唯の馬鹿(トラブルメーカーで、アウトロー)。管理者から見れば、協調性皆無の排除したいゴミの筆頭ですね。組織運営を考えればゴミは排除するのが一番。役立たずに権利なんか存在しない。

12:国歌を歌おうが口パクしようがどうでもいい話だ。ただし、1人だけ座ってるというのは、生徒を指導する立場で他人の命令には従わないってPRしてるに等しい。

122:小学生ぐらいじゃ何故国歌を歌う必要があるのか分からないまま歌わされているわけで教員が歌わなくなると児童は歌わなくなる別に日本の国旗国歌にマンセーする必要は無いから起立だけでもしろよ

14:不起立は式典の進行を妨げない。 裁判所の判例で認められています。

15:まぁ、君が代反対者は普通口パクするわな わざわざ猛アピールする意味がわからん

20:そもそも国家なんてものは君が代がかわいいと思えるくらいの軍靴の音が聞こえてくるようなもんだろ他国の国家調べてみろよw

21:朝鮮人教師を排除したほうが手っ取り早い

23:座ってる馬鹿はもうスルーしとけよ。めんどくさい一々処分したり問題化せんでよろし それこそ奴らの思うツボだからな

33:いや、徹底的に締め上げるべきだ

24:意固地になって座ったままは確かにアホすぎる

31:口パクしてろは、まずいよな、ちゃんと唱え、でないとさ。もう知事なんだから、副知事じゃないんだ。

38:猪瀬は馬鹿の相手をするのはめんどくさいんだろ元々そういう不真面目なところがある
嫌いじゃないけど

36:正しいことを話しているようでずれたこと言ってるな。敬意をもてないのは仕方ないが、公務員という立場があるのだから体裁だけでも整えろと言っているに等しい。国家国旗国歌に心からの敬意をもてない人物に公務員という重い職責を担う資格などない。そこを猪瀬は理解していない。

51:個人の思想は強要できないが、表面の体裁を整えれば問題は無い。教師も、個人の自由や権利が中国よりは守られる日本が好きかも知れない。子供たちにも平等などを教えたいのかも知れない。「日本好き=天皇万歳」しか認めないのは、視野がせまい一部保守。

37:前もツイッターで、誰も居なかったら信号無視して良いって言ってたよなぶっちゃけそうかもしれないけど、自分の立場わかってるのか?

41:口パクはいけないだろ 在日の通名と同じで こういう誤魔化し精神はいけないきっちり歌うこと

42:猪瀬さん、ぶっちゃけすぎ

43:最初から椅子置かなければ良くね?

45:君が代きらいなら公務員になるなって簡単な話。さっさとやめさせればよい

46:校長が壇上でくっちゃべってるときに 生徒が走り回ってキャッチボールでもしてればいいんじゃね?それと同じ事でしょ

52:口パク禁止 無理して歌わなくてもいい 日本人に見えたが曲を知らない外国の方かなと思われるだけ

56:知事がこんなこと言うなよ サボってても仕事しているふりをしてればよいと言うのと同じだろw

59:実際、学校じゃまともに国歌を教えてもらった記憶が無い。小中ぐらいまでは碌に歌詞も知らんかったね。式の時は起立で座ってるヤツは見なかったな。ま、立ってもせめて周りに合わせて口パクぐらいしなきゃ格好もつかんけど。

82:実はうるさくされてんのは、公立学校、なかでも小学校私学は自由だそうだ 文科省… あいつら自分の子供らは私学入れてそうだよ 公立学校の教育とか目的は、まあどうみても、言いなり人間育成機関だよな。

87:猪瀬って自由を重んじる人な人なんだね。歌わない自由は認める。ただルールには従えと。

89:猪瀬が言いたかったのは 「空気を読め、雰囲気を壊すな」ってこと

122:小学生ぐらいじゃ何故国歌を歌う必要があるのか分からないまま歌わされているわけで教員が歌わなくなると児童は歌わなくなる 別に日本の国旗国歌にマンセーする必要は無いから 起立だけでもしろよ

90:俺も、口パクでいいと思う。アホの面子を潰して面倒な事になるのがイヤなら、それくらいの事はするべきだろ。公立学校の教師みたいな小役人には、そういう知恵が要求されるし、公立中学行くようなガキには、それで十分。変な知恵与えても、使いこなす能力ないから。

93:大阪では新しい教育長から、ピンマイクで音量をチェックせよという指示が出されます。

94:俺なら、自分は口パクで、ボイスレコーダーから誰かの斉唱を再生しとくわwww

103:橋下は口パクすら許さんと言っている訳だが、石原老害の子分の猪瀬君がそんな甘いことでいいのかねwww

106:橋下の言い分は、「業務命令に違反する公務員は許されない」ってことなんじゃない?ほら?大阪府の時代からのながれで…

104:国旗国歌を尊重するのは当然なんだが、君が代は曲がやっつけ仕事に感じて余り好きになれんプロの歌い手でも失敗するほど難しいメロディってのも万民が歌うにはいかがなものか

108:猪瀬のこの弁は実に合理的な見解

120:そもそも「君」は政府答弁だと、象徴としての天皇だけど、同時に国民の皆様が「君」をどのように解釈しようと自由だと言ってましたね。

 

産経 国歌斉唱「起立、のときに座っているのがおかしい。口パクしていればいい」  2013.3.31 07:00

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130331/lcl13033107010000-n4.htm

--卒業式などでの君が代斉唱について。職務命令に従わなかった教職員への処分が今年も教育委員会で検討されているが、昨年の最高裁判決では都の処分のあり方について、抑制的な判断をすべきだとされ、一部処分取り消しの判断も出た。懲戒処分についてどういうあり方が適切だとお考えか

 「全員起立というときに座っているのがおかしい。起立して口パクやっていればいいわけでしょ。基本的なルールがわからない人は不適格。そんなね、『起立』って言ったときに座ってては、先生が生徒に対してしつけとかできない。そんなアホみたいな話。くだらないよ、そんなことは。はっきり言って」

 --判決では戒告を超える減給以上の処分は慎重であるべきだとの判断だが

 「どうでもいいじゃないの、そんなこと。つまり、程度の問題でしょ。だって卒業式で起立ってときに、座っていてはしようがないじゃん。歌いたくなければ口パクパクやってりゃいいわけだよ。それはひとつの自分の意志を表現する場合に、まずは儀礼的空間において、どういうふうに自分をちゃんとあれするかということでしょ。それはそうやってやれば済む話。そんなレベルの話がわからないというのは、教師としてふさわしくない、はっきり言って。中には言葉(歌詞)を変えて歌っている人もいるよ。そんなものさあ、儀礼で立って歌っているというときに、そこで座っているというのは話にならない。僕の考えでは」

 --従来の都の処分のあり方は、不起立の場合、1度目だと戒告で、2回目、3回目は減給、4回目以降は停職という…

 「いいんじゃないか。要するに罰則規定のランキングというのがあるのだろう。そんな細かいことは現場で判断すればいい」

 --機械的に決めるのはおかしいというのが最高裁判決だったが

 「程度の問題でしょ、それは。クビにするわけじゃないんだから」

 --処分の重みは、戒告であろうと減給であろうと停職であろうと大した話ではないと

 「明日から解雇といっているわけじゃないんだから。大した話じゃない」(引用ここまで

 

最後に、過去の関連記事を掲載しておきます。ご覧ください。

橋下市長の「君が代」斉唱時の「格好」「命令」にみる軍隊の服従精神を狙う超復古調に大喝! 20120403

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/b5ce7cdd17067eaeac77bf63854b52d7

 意図的に仕組まれた「ルール違反」の「口元チェック」を正当化する橋下市長の論理を分析してみた!  20120317

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/895aa6445aea5996d3fad63c80c7ea4a

 卒業式や入学式に起立・礼・斉唱の「命令」は天皇礼賛と忠君愛国教育の遺産、体育館から博物館へ 20120310

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/6da1b61d6d0d7d833fdcbc448fe4e6c3

「君が代」の意味を勝手に変更してうそぶく政府、「全体の奉仕者」論をスリカエる橋下市長  20120309

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/802a213d61ae179079765f910b3be0c3

 橋下「維新の会」のようなウソとペテンは昔からだったが、それを見抜くために、「教育勅語」を例に 20120308

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/e72322c9d90deabb86ec68a98b36deb1

 国歌「君が代」の意味・歴史・由来・役割を「想定外」に押し込めた「民主主義」 20120117

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/e9149ef48dff6941688801636d1aba18

 太陽神である天照大神に「平和と繁栄、国民の幸福、被災地の復興」を祈る首相のおかしさなどなど 20120105

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/b2291b509a3afa8f9d5834cef60a4841


橋下市長の「君が代」斉唱時の「格好」「命令」にみる軍隊の服従精神を狙う超復古調に大喝!

2012-04-03 | 日の丸・君が代

次第次第に橋下市長の頭の中が出てきた!大阪市の発令式における「訓示」など、「君が代」斉唱に対する考え方がそれだ!以下、橋下市長の特徴的な考えを掲載してみる。

「君が代は立って歌うの当然」2011.12.7 08:45
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/111207/waf11120708450009-n1.htm
橋下徹・次期大阪市長は6日、大阪市役所内で報道陣の取材に応じ、大阪府立体育会館で7日に行われるボクシングの「亀田祭り」で国歌を斉唱することについて「(君が代を)立って歌いたくない教員にしっかり見てもらいたい」と述べた。 橋下氏が知事だった今年6月、大阪府は府内の公立学校の教職員に対し式典での国歌斉唱時の起立を義務づける条例を制定。この日市役所内で市長就任前のレクチャーを受けた後、国歌を斉唱することについての質問を受けると「君が代は立って歌うのが当然だ」と語った。

公選教育委員「財源確保もしてくれるなら大賛成」 民放テレビで橋下市長2012.3.20 21:50
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120320/wlf12032021520017-n1.htm
 また学校行事の際、教職員に国歌の起立斉唱を義務付けた大阪府、大阪市の条例にからみ、高校の卒業式で国歌斉唱時に手を前に組んだり、マスクをつけたりした教員がいたとして「国際社会においてそれは非礼。当たり前のルールを教育現場でやらないと、子供たちのためにならない」と批判した。

入庁式で橋下流訓示「公務員はルール守れ。君が代、気を付けで歌え」2012.4.2 14:13
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120402/lcl12040214140000-n1.htm
橋下徹市長は「公務員たる者、ルールを守ることを示さないと。皆さんは国民に対して命令する立場に立つ。学生のように甘い人生を送ることはできない」と訓示。退出間際には「君が代を歌うときは、手は横に、気を付け(の姿勢)で」とくぎを刺した。

君が代斉唱の時は手を横に」 橋下市長、発令式で注意2012年4月2日13時18分
http://www.asahi.com/politics/update/0402/OSK201204020055.html
冒頭、市の発令式では初めて君が代を斉唱。橋下氏は「仕事の99.9%は地味だが、0.1%は大阪を、日本を変えることができる。自分の力で大阪を変えるんだ、と思ってほしい」と激励した。「みなさんは国民に対して命令をする立場。だからしっかりルールを守らないと命令なんか誰も聞いてくれない」と服務規律の徹底を求めた。最後に「君が代斉唱の時は手は前に組むのではなく横に置くものです」と注意した。

大阪市:発令式冒頭で君が代斉唱毎日新聞 2012年4月2日 11時47分(最終更新 4月2日 12時38分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120402k0000e010179000c.html
車椅子の職員を除く全員が起立し、担当者が確認した。橋下市長は「公務員は窮屈だが、大阪、国家を変えられる仕事。もらっている税金の1000倍ぐらい市民に還元してほしい」とあいさつ。退場前、新職員らに「国歌を歌う時、手は横に。前に組むのは国際社会では格好悪い」と注文をつける場面もあった。新卒採用の女性職員(25)は「国歌を歌うのは当たり前で抵抗はない。公務員としてしっかりルールを守りたい」と話した。

大阪市、発令式は君が代斉唱から2012年04月02日(月) 14:56
http://www.ohbsn.com/news/detail/zenkoku20120402_44815.php
橋下市長は訓示で「公務員は責任のある重い仕事」と激励しました。
 「命令する立場に立つというのは非常に重い仕事、やりがいもあります」(大阪市 橋下徹市長) そして最後には・・・ 「国歌、君が代斉唱のときには、きちんと手は横、『気をつけ』。国際社会で外国に行ったとき、手を前に組んでいたら格好悪い」(大阪市 橋下徹市長)


一読してみて、思想も論理もおかしい!と判る。しかも、この発言を読むと極めて復古的な思想と論理が見えてくる。それにしても彼の頭の中の構造、復古調の源流がよく出た発言だ。以下まとめてみよう。

1.「君が代は立って歌うのが当然だ」
2.「卒業式で国歌斉唱時に手を前に組んだり、マスクをつけたりした教員」は「国際社会においてそれは非礼」で「当たり前のルールを教育現場でやらないと子供たちのためにならない」と。
3.「君が代を歌うときは、手は横に、気を付け(の姿勢)で」と発展させている。
4.「みなさんは国民に対して命令をする立場。だからしっかりルールを守らないと命令なんか誰も聞いてくれない」と「公務員は命令する立場」だと言っている。だからルールを守れと。ルールは国民に命令するためと言っているのだ。
5.「国歌を歌う時、手は横に。前に組むのは国際社会では格好悪い」と「格好が良いか、悪いか」の問題になってしまっている!
6.「国歌、君が代斉唱のときには、きちんと手は横、『気をつけ』。国際社会で外国に行ったとき、手を前に組んでいたら格好悪い」とも言っている。

さて何が復古的か!
1.国際社会における「非礼」論についてだが、この思想は、以下の文書にあった。文字は現代用になおして。
児童用 尋常小学修身書 巻四 文部省(昭和二年十月十九日文部省検定済)
第二十二 国旗
国旗はその国のしるしでございますから、我等日本人は日の丸の旗を大切にしなければなりません。又礼儀を知る国民としては外国の国旗もさうたうにうやまはなければなりません。

橋下市長の論理とよく似ているだろう。「修身」の論理。だが「非礼」はどちらにあるか、明瞭だ。
(1)「修身」で子どもに「礼儀」を説教した天皇政府は、李王朝を倒し、大日本帝国憲法下に置きながら、選挙権を与えず、創氏改名など、朝鮮文化を否定したこと。これは「無礼」ではないのか!
(2)最近ようやく「明成皇后国葬都監儀軌」を返還したことは「無礼」ではないのか?
(3)天皇政府の「日の丸」「礼儀」論は、戦後において、いや橋下市長において受け継がれているのだが、「非礼」どころか「無礼」なのはどっちだ!
(4)しかも過去の政府の行為によって引き起こされた戦争の惨禍について、明確に謝罪しているか!これこそ道徳に違反しているし、憲法のルールに違反しているのではないか!

2.「君が代」斉唱時の姿勢について、これも大爆笑もんだ!この発想こそ「維新」しなければならないのだが、復古そのものだ!同時に橋下市長の思想がよく出ている!
(1)まず「気をつけ」だ。
これは軍隊の姿勢だ。これから命令するから、「気をつけて」よく聞けということだ。
この源流は「武士道精神」にある。これを西周がまとめた「軍人訓戒」の「三大元行」=「忠実」「勇敢」「服従」の徳だ。これがさらに「軍人勅諭」に発展していくのだ。以下五つの「徳目」だ。
軍人は忠節を尽すを本分とすへし
軍人は礼儀を正くすへし
軍人は武勇を尚ふへし
軍人は信義を重んすへし
軍人は質素を旨とすへし

軍人を「公務員」に置き換えてみれば、よく判る。

(2)次に、「ルール」を守れというが、これは「服従」を強制しているに過ぎない。
これは、1909(明治42)年の『歩兵操典』を見れば明瞭だ。
不動ノ姿勢ハ軍人基本ノ姿勢ナリ、故二常二厳粛端正ナラザルベカラズ、軍人精神内二充ツルトキハ外容自ラ厳正ナルモノトス、不動ノ姿勢ヲ取ラシムルニハ左ノ号令ヲ下ス
気ヲツケ

となる。これを繰り返し繰り返し徹底するのだ。「鍛錬」「訓錬」「錬成」だ。「錬」は「錬」ではないのだ。

学校においては「体操」(体育ではなく)において、さらに儀式において、「修身」の時間において、などなど、だ。

そして軍隊においては、内務班において、だ。ここでは身体で覚えさせるために「私的制裁」=リンチが横行した。西周は「器械仕掛」「メカニズム」と呼び、「人ヲ器械ノ如ク用フル」と意味づけた。そうして天皇の「股肱」としたのだ。

一貫して「気をつけ」で徹底していくのだ。「絶対服従」なのだ。

以上、橋下市長の発言の源流を大まかに指摘してみた。彼の頭の中は「教育勅語」の思想だが、これについては、今後さらに分析してみたい!

ここで橋下市長の「非礼」論を地で実践した人間が第一の部下にいたことを指摘しておこう。この歴史は永遠に忘れられないだろう。以下検索してみてほしい。ホント!アホとちゃいますか?

橋下徹 君が代
http://www.dailymotion.com/video/xmthux_yyy-yyy_webcam#
【大阪】 橋下新市長、松井知事がリングで君が代斉唱 「人には『大きな声で歌え』と言っているのに」と苦笑い…WBA世界戦
http://pika2.livedoor.biz/archives/3719763.html

大君の鋳型にはめし臣民を主権の真逆亡霊のごと


意図的に仕組まれた「ルール違反」の「口元チェック」を正当化する橋下市長の論理を分析してみた!

2012-03-17 | 日の丸・君が代

橋下市長のツィッターを観てみた。http://twilog.org/t_ishin
彼の論理は明解だ。以下まとめてみた。「結論」は彼の言いたいことをまとめてみた。

1.今回の口元チェックの経過と正当性について
(1)命令を出すには法的な権限が必要
(2)大阪では議会の正当な手続きによって起立斉唱の条例が成立
(3)起立斉唱条例について批判があることは承知している。それを引き受けても実行していくのが政治や行政
(4)教育委員会は、府立高校の全教員に、卒業式において君が代を起立斉唱することを命じ
教育委員会が「斉唱」の確認を校長に求め
(5)教育委員会は府立高校の全校長に、卒業式において起立「斉唱」が行われたかどうかの状況報告を求め
(6)中原校長は教育委員会からの職務命令が実行されたかどうか、まさに求められる報告を行うために教員の口元チェックをしました。
(7)口元チェックがおかしいと言うなら、それを命じた教育委員会とその委員を任命した元知事である僕に責任がある
(8)行政が出す命令は重い。他人に嫌なことでも強いる権力行使そのもの
結論
(1)ところが、口元チェックの「責任」は「僕」にはない。
(2)何故ならば、正当な手続きで成立した条例に基づいて「命令」が出されているからだ。
(3)「起立斉唱」だけでは命令が徹底できているかどうか判らないので、「起立『斉唱』」を求めたのだ。

2.口元チェックがおかしいと批判した教育委員会批判について
(1)起立斉唱の職務命令を出し、そして校長にその状況確認を求めた教育員会の最高責任者である教育委員長と委員が、校長の口元チェックを批判した。
(2)府教育委員会の委員長と一部委員が、中原校長の行動がおかしいと批判
(3)教育行政の最終責任者は教育委員であり、それを任命した知事である。口元チェックがおかしいなら、その責任は教育委員にあり任命した知事にある。
(4)もし中原校長の行動がおかしいと言うのであれば、それは、それを教員に起立斉唱を命じ、校長に状況確認を求めた教育委員会がおかしい
(5)中原校長の口元チェックがおかしいと言うなら、起立斉唱を求める職務命令を出さなければ良い。この条例を教育委員会は守らないと宣言すれば良い。これまで教育委員会が言ってきたこととの整合性はどうなる?
(6)全教員へ起立斉唱を命じる職務命令を出し、そしてその状況報告を全校長に求めながら、実際校長が斉唱の確認をやったら校長を批判する。こんなトップの下で現場が動くはずがない。組織として完全に成り立っていない。これは大問題だ。
(7)結局、教育委員は、自分が責任者だという認識が皆無。これが今の教育委員会制度の最大の欠陥
(8)教育委員会は自分たちが行政の責任者であることの認識が全くありません。コメンテーターの気分
(9)教育委員会の事務局は委員会の補助機関。委員の考えと違うことを事務局が勝手に言っているのであれば、それは適切な対応を執らなければなりませんが、委員にはその覚悟はない
(10)教育委員会の末期症状、僕が指摘し続けたことが露呈
(11)「斉唱」の確認は口元チェック以外にどうやってやるのでしょうか?
(12)府教育委員会に問いたい。どうやって斉唱の確認をするのだ
(13)府教委の事務局は、中原校長の行動は間違っていないと言っています。
結論
(1)行政手続きを踏まえない口元チェック批判は教育委員会制度の「末期的症状」
(2)「現在の教育行政が府民の感覚を紛失していることの原因は制度の問題・・・『現在の教育委員会は形骸化している』というのが圧倒的多数の世間の意見」だから、こんな組織は「リセット」すべきだ。

3.中原校長弁護論の展開について
(1)口元チェックがおかしいなら、その責任は教育委員にあり任命した知事にある。職務命令がおかしいのか、条例がおかしいのか、そこを検討する権限は校長にはない。ゆえに校長には責任はない
(2)メディアが本質を伝えていない所は、中原校長の慎重な手続きである。まず式を乱さない形での数秒のチェック。
(3)中原校長は卒業式の雰囲気を乱さないために、教頭を通じて遠目に数秒間チェックを行い、そして式が終わってから別室で教員に確認をした。式には一切影響を与えていません
(4)斉唱していないと思われた教員3名を別室において確認
(5)2名は斉唱したと答えたので、それで良しとした
(6)残る一名が、「起立だけで良いと思った。斉唱はしてない」と答えた。
(7)そして教育委員会に報告をした
(8)口元をチェックして、動いていないと一方的に非難しているわけではない。
(9)中原校長も弁護士。あやふやな証拠であることも十分承知していて、本人確認を行った。
結論
(1)中原校長の慎重な手続きから見ても口元チェックは間違っていない。
(2)式を乱していない。
(3)本人確認を行っている。

4.口元チェック批判の批判について
(1)口元がどうであれ、斉唱したと本人が言うのであれば、それは問題ないとしたのが中原校長の判断。
(2)ただし本人が斉唱していないと認めたのであれば、それは教育委員会への報告事項でしょう。当り前でしょ。
(3)このやり方がおかしいと言うのであれば、教育委員会はやり方を示すべきだ。

結論
(1)本人の意思を尊重しているのだから問題はない。
(2)教育委員会は条例に沿って出された「命令」である「起立『斉唱』」の方法について対案を示せ。

5.橋下市長は「確信犯」的行為を自ら表明、主語に注目!
(1)教育委員会は、府立高校の全教員に、卒業式において君が代を起立斉唱することを命じ
(2)教育委員会は、卒業式において起立「斉唱」が行われたかどうかの状況報告を求めた
(3)中原校長は僕と松井知事宛てに、卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告してきました。
(4)僕は、このメールを情報公開対象のシステムに乗せて敢えて公にしました。
(5)中原校長は世に問題提起し、批判を受ける覚悟で公にすることを了承してくれました
(6)まずこの事案を公にしたのは、僕と中原校長の合意に基づくもの
(7)中原校長は僕の大学時代からの友人で、公募校長に合格した民間人校長
結論
(1)中原校長は、僕と松井知事にメールで報告してきた。
(2)僕は、敢えて中原校長のメールを公にした。
(3)大学時代からの友人である中原校長は公にすることを了承してくれた
(4)口元チェックの事案を公にしたのは合意である。
(5)その事案の本質は「職務命令の達成度チェック」=「口元チェック」だった。

以上、橋下市長の述べる「正統性」、論理展開を整理してみたがどうか。さらに検討が必要だ。

そこで長くなるが、以下、実物を掲載しておこう。「つぶやき」の各項目の後に「問題点」を記しておいた。

Permalink - 2012年03月16日
2012年03月15日(木) 17 tweets
君が代起立斉唱条例について、大阪府立和泉高校の中原校長が行った教員の口元チェックについて賛否両論が起きています。まずこの事案を公にしたのは、僕と中原校長の合意に基づくものです。中原校長は僕の大学時代からの友人で、公募校長に合格した民間人校長です。posted at 15:43:40
問題点
1.「賛否両論が起きて」いるとあるが、その内容は全く触れていない。
2.形式論のみで、中身がないのが最大の特徴だ。
3.形式論理をお得意とする橋下市長にとって、人権問題を論じる視点は、恐らくないのだろうな。
4.この「つぶやき」がどこで行われたか、だ。「勤務中」「執務中」ではないのか?
5.そうだとすれば、サボり?職員や組合に言えるか?

中原校長は僕と松井知事宛てに、卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告してきました。僕は、このメールを情報公開対象のシステムに乗せて敢えて公にしました。普通の校長なら公になることを嫌がるでしょうが、中原校長は世に問題提起し、批判を受ける覚悟で公にすることを了承してくれましたposted at 15:47:04
問題点
1.「大阪府立和泉高校の中原校長」「僕と松井知事宛てに、卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告」って、何故「校長」が「大阪市長」と「大阪府知事」に「報告」?
2.府立和泉高校の中原校長の任命権者は?
3.中原校長は橋下大阪市長と松井大阪府知事に「卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告」って、大阪市役所の職員が、「任命権者」の「市長」とは別の人間、「友達」に「市政の問題」を「メール」でやりとりをしたら、橋下市長はどうする?
4.しかも、校長がメールしたのは「何時」だったのか?橋下市長は「情報公開の対象のシステムに乗せ」なければならない。
5.ここでも自分に甘く、他人に厳しい市長独特の人格が垣間見えてくる。

まず中原校長の行動が批判を受けているようですが、これは全くの誤りです。もし口元チェックがおかしいと言うなら、それを命じた教育委員会とその委員を任命した元知事である僕に責任があるのです。教育委員会は、府立高校の全教員に、卒業式において君が代を起立斉唱することを命じました。posted at 15:48:29

そして教育委員会は府立高校の全校長に、卒業式において起立「斉唱」が行われたかどうかの状況報告を求めたのです。中原校長は教育委員会からの職務命令が実行されたかどうか、まさに求められる報告を行うために教員の口元チェックをしました。posted at 15:50:52
問題点
1.橋下市長の今回の狙いが「確信犯」的なものであることは、「起立斉唱」から「起立『斉唱』」に変えていることで明瞭だ。
2.彼は「起立」しても「斉唱」していない教員がいることを把握し、「起立斉唱」の「命令」が徹底していないことをハッキリさせるために「口元チェック」を「敢えて」「世に問題提起」した。
3.「他人に嫌なことでも強いる権力行使そのもの」の事例として口元チェックを行い、「世に問題提起し、批判を受ける覚悟で公」にしたのだ。
4.世論は、必ず味方してくれるとの思い上がりがある。

教育委員会が「斉唱」の確認を校長に求めています。「斉唱」の確認は口元チェック以外にどうやってやるのでしょうか?しかも中原校長は卒業式の雰囲気を乱さないために、教頭を通じて遠目に数秒間チェックを行い、そして式が終わってから別室で教員に確認をしたのです。式には一切影響を与えていませんposted at 15:53:20
問題点
1.教育委員会=「悪者」論、校長弁護論と居直り、反対論者を攻撃し、正当化するのだ。
2.「卒業式の雰囲気を乱さない」「式には一切影響を与えていません」と言うのであれば、「不起立」だって同じだ。まして「起立不斉唱」だってそうだろう。
3.「口元チェック」方式が個人の尊厳、人権を踏みにじる行為であるという本質をスリカエテいるのだが、彼にはそのようは人権感覚的「発想」は微塵もない。
4.彼にあるのは「命令」の流れの沿って自論を展開し、正当化するという思考回路だ。だから「教育委員会」の「命令」にしたがって「口元チェック」方式を実施した校長は何も問題はないのだと。
5.しかもその教育委員を任命したのは「僕」であり、その「僕」は選挙で選ばれ、「議会の正当な手続きによって起立斉唱の条例が成立した」のだから「責任」は誰にもないのだ、ということになるのだ。
6.「責任」があるというのであれば、選挙で私を当選させ、「維新の会」を議会で多数派にしてくれた大阪府民にあるということになるだろう。彼の論理展開をそのまま使うとすれば。

もし中原校長の行動がおかしいと言うのであれば、それは、それを教員に起立斉唱を命じ、校長に状況確認を求めた教育委員会がおかしいのです。ところが、この府教育委員会の委員長と一部委員が、中原校長の行動がおかしいと批判した。もう教育委員会の末期症状、僕が指摘し続けたことが露呈しました。posted at 15:55:37
問題点
1.橋下市長のお得意の論理が展開される。「もし・・・であれば、おかしいのです。ところが・・・と批判した。もう教育委員会の末期症状、僕が指摘し続けたことが露呈」したと正当化だ。
2.「府教育委員会の委員長と一部委員」と分ける手法を使いながら、教育委員会批判の正当性とその狙いを「露呈」させるのだ。だが、もう一度確認しておこう。
3.だが、教育委員会批判と一体のものとして「僕」である「元知事」に逆らって「僕の大学時代からの友人」の「行動がおかしいと批判した」のが、よほど気に食わないのか?

残念ながら教育委員会は自分たちが行政の責任者であることの認識が全くありません。コメンテーターの気分なのでしょう。行政が出す命令は重い。他人に嫌なことでも強いる権力行使そのものです。だからその命令を出すには法的な権限が必要であり、その全責任も負わなければならない。posted at 15:57:09
問題点
1.「コメンテーター」という言葉を使って教育委員会批判のボルテージをあげている。
2.教育委員会無責任論を吹聴することで公務員バッシングの悪用と正当化だ。
3.だが、その教育委員を任命したのは、橋下府知事だと言うことは、ここで言っていない。
4.任命責任は不問だ。手続き上の責任は述べるが、口だけだ。
5.橋下氏のルール違反は問題ないのか?以下の条文が参考になる。
「委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第4条)

起立斉唱の職務命令を出し、そして校長にその状況確認を求めた教育員会の最高責任者である教育委員長と委員が、校長の口元チェックを批判した。では、府教育委員会に問いたい。どうやって斉唱の確認をするのだと?府教委の事務局は、中原校長の行動は間違っていないと言っています。posted at 15:58:39
問題点
1.逆ギレの典型だ。逆に質問して、自分の土俵で相撲をとろうとしている。
2.「斉唱の確認」というが、これまでの式に問題があったのかどうか、ここではいっさい不問だ。スリカエの典型だ。

教育委員会の事務局は委員会の補助機関。委員の考えと違うことを事務局が勝手に言っているのであれば、それは適切な対応を執らなければなりませんが、委員にはその覚悟はないでしょう。結局、教育委員は、自分が責任者だという認識が皆無。これが今の教育委員会制度の最大の欠陥なんです。posted at 16:00:08
問題点
1.今度は「責任」から「覚悟」へと攻撃の言葉を発展させている。
2.「無責任」「覚悟なし」から「制度の欠陥」へと飛躍させ、しかも「最大」と。
3.言葉があるときは「情緒」に、あるときは「短絡」的に、というのが彼のお得意の手法だ。

もし中原校長の口元チェックがおかしいと言うなら、起立斉唱を求める職務命令を出さなければ良い。では、これまで教育委員会が言ってきたこととの整合性はどうなる?また大阪では議会の正当な手続きによって起立斉唱の条例が成立した。この条例を教育委員会は守らないと宣言すれば良い。posted at 16:02:00
問題点
1.ここでもお得意の論理展開だ。「もし・・・言うなら」と仮定の話を持ち出して整合性を持ち出し、条例を守らないと宣言しろとして正当化する。
2.「口元チェック」の人権上の、社会常識上の問題は無視して、形式論理で正当化する。
3.だが世の中実態は多様である。これを無視している。
4.「起立」しなくても、「斉唱」しなくても何ら問題はなかった「式」のことは一切語らない。

そこまでの勇気や覚悟がなく、全教員へ起立斉唱を命じる職務命令を出し、そしてその状況報告を全校長に求めながら、実際校長が斉唱の確認をやったら校長を批判する。こんなトップの下で現場が動くはずがない。組織として完全に成り立っていない。これは大問題だ。posted at 16:03:20
問題点
1.「無責任」「覚悟」から、今度は「勇気」に。そして「こんなトップの下」と職員の分断になった。
2.組織は上意下達でしか動かせないという発想が象徴的だ。
3.職場の民主主義観、職場の合意形成などという手法は皆無だ。
4.強いリーダーを求める風潮に便乗したものだ。

起立斉唱条例について批判があることは承知している。それを引き受けても実行していくのが政治や行政である。批判が出たら、自分たちの責任ではないと言わんばかりに、自分たちの部下でもある校長に責任を押し付ける教育委員会とはどんな組織なのか。全ての批判、責任を負うのがトップである。posted at 16:05:48
問題点
1.「批判」は「承知」と、一見人の話を訊く姿勢を示しているようだが、本質は違う。
2.批判を引き受けても(無視しても)実行する。
3.すべての批判、責任を負うというが、中身がない責任論だ。
4.被害者は国民であり、教育現場は子どもだ。
5.どうやって責任を取るのか、いっさい語っていない。言葉が「美しい」が。

教育行政の最終責任者は教育委員であり、それを任命した知事である。口元チェックがおかしいなら、その責任は教育委員にあり任命した知事にある。職務命令がおかしいのか、条例がおかしいのか、そこを検討する権限は校長にはない。ゆえに校長には責任はないのである。posted at 16:07:33

中原校長の言い分はhttp://t.co/l3SrJYgBです。
posted at 16:11:45
そしてメディアが本質を伝えていない所は、中原校長の慎重な手続きである。まず式を乱さない形での数秒のチェック。そしてここが一番重要だが、彼は斉唱していないと思われた教員3名を別室において確認した。そして2名は斉唱したと答えたので、それで良しとしたのである。posted at 16:18:47

残る一名が、「起立だけで良いと思った。斉唱はしてない」と答えた。そして教育委員会に報告をしたのである。口元をチェックして、動いていないと一方的に非難しているわけではない。中原校長も弁護士。あやふやな証拠であることも十分承知していて、本人確認を行った。posted at 16:20:36

口元がどうであれ、斉唱したと本人が言うのであれば、それは問題ないとしたのが中原校長の判断。ただし本人が斉唱していないと認めたのであれば、それは教育委員会への報告事項でしょう。当り前でしょ。このやり方がおかしいと言うのあれば、教育委員会はやり方を示すべきだ。posted at 16:22:22
結論
1.だが、これはあくまで「本人」の自己申告なのだ。「起立」しても「斉唱しました」と言えばすむことになる。
2.そうであれば、「起立斉唱」「命令」は言葉だけになる。だったら「起立」しても「斉唱」していない教員が大勢いた従来と同じではないか?
3.では、本人がウソをついていたら「起立『斉唱』」の「命令」は徹底していないことに、さらには「『斉唱』の確認」はできていないことになる。
4.そうなると、どうするか、橋下市長の論理展開からすると、「映像確認」から「マイク確認」が必要になってくる。そこまでやる「覚悟」は橋下市長にあるか、どうかだ。

以上、橋下市長の論理と発想を観てきたが、大いに研究する必要があるだろう。彼がこのような理不尽なことを公然と発信できるのは、彼を支持する国民がいるからだ。彼の「つぶやき」登録者は、確か60万人を越えていたようだ。「朝日」に出ていたことを記憶している。間違っていなければ。

しかもこの「つぶやき」を全国紙やテレビがメディアとなって逐一伝えている。それが世論調査の支持率となって、「政局」が形成され、国民生活に大きな津波となって押し寄せてくるのだ。
波紋どころではないだろう。今の日本の状態は。

なんとしても津波を止めなければならない。事前に調査して、被害を最小限にとどめなければならない。

ところで世論形成の鉄則は「量と質」だ。

つぶやきを放つマスゴミ溢れたり真(まこと)伝ふるメディア増やさむ
民目線点から線へ動かさむ面つくりてこそ民食へるなり