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愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

昭和25年9月2日「東宮妃サガスコト」からスタートし昭和30年9月17日「平民デモヨシ」でギアチェンジ!昭和34年4月10日ゴールインまで日本の反動化の中で行われた象徴天皇制の模索物語を視る!

2018-12-24 | 天皇制

明仁天皇の退位にあたって

「象徴天皇制」の在り方を検証したNHKに小アッパレ!

昭和25年(1950年)から昭和35年(1960年)までの10年の間において

日本の政治・経済・文化は憲法形骸化=反動化が始まった!

反動化=侵略戦争正当化=天皇元首化!

だが、このことは極めて限定的に押し込まれ=封印されて

明仁皇太子・天皇の象徴天皇制度確立の歴史を強調した!

だが、天皇元首化を目論む安倍晋三首相をてこにした

安倍式憲法改悪派は

明仁天皇の憲法厳守擁護の立ち振る舞いに敗北した!

天皇の地位を決める主権者日本国民の総意は

明仁天皇の思いに共感したのだから!

常識的言動の積み重ねで

三種の神器継承の任務を果たす装置である象徴天皇制を護持した明仁天皇は

憲法を活かし天皇元首化を否定した

歴史に残る天皇となるかも!!

三種の神器を守るためには天皇元首化ではなく現行憲法の象徴天皇制しかないと考え憲法遵守擁護の義務を果たそうとする天皇家が安倍政権と対立するのは当然!  2018-12-24 | 天皇制

「日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてき」明仁天皇の視点を検証する! 2018-12-23 | 天皇制

 憲法の人権思想と相いれない象徴天皇制

侵略戦争の戦争責任を不問にする象徴天皇制

憲法遵守擁護の義務の履行を具体化する天皇家

憲法を活かす!象徴天皇制とは何か!

NHK  天皇陛下が皇后さまと共に歩んだ激動の歳月

天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」【総合】12月23日(日)  後7:30

http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=17172

来年4月30日に退位される天皇陛下。皇后さまとともに歩んだ激動の歳月を4回シリーズで伝える。第1回は、戦争という荒波にもまれながら成長した若き皇太子の姿を描く。

NHK  天皇 運命の物語 第2話「いつもふたりで」2018年12月24日(月) 午後7時30分(74分)

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92926/2926047/index.html

NHK   初代宮内庁長官の日記入手し分析    12月24日 20時25分

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20181224/0023039.html

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昭和34年の天皇皇后両陛下の「世紀のご成婚」。
NHKはこれに深く関わった初代宮内庁長官、田島道治の日記を入手し初めて近現代史の専門家とともに詳しく分析しました。
日記には、天皇陛下のおきさき選びの舞台裏が詳細に記録されていて、専門家は「将来の象徴天皇のパートナーにふさわしい女性は誰なのかを周囲が模索していた過程がわかる貴重な資料だ」としています。

初代宮内庁長官の田島道治は、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務め、退任したあとも天皇陛下のおきさき選びに深く関わりました。
田島は、日々の出来事や面会した相手とのやりとりを小型の手帳26冊に書き留めていて、NHKは遺族から提供を受けて初めて近現代史の専門家とともに詳しく分析しました。
このうち、ご成婚の9年前の昭和25年9月2日には皇太子教育の責任者を務めていた慶應義塾元塾長、小泉信三との面会の記述の中で「東宮妃サガスコト」と記していました。
「東宮」は「皇太子」を指す言葉で、天皇陛下が16歳、高校2年生だったこの頃には宮内庁の幹部や側近らがおきさき選びを始めていたことがわかります。
また、皇太子と結婚できるのは戦前、皇族と一部の華族に限るとされ、おきさき選びは当初この前例に沿って進められましたが、昭和30年9月17日には、当時21歳だった天皇陛下が小泉氏との雑談の中で「平民デモヨシ」と述べたと記されています。
このあと、昭和32年4月17日には、田島が当時候補として有力視されていた旧華族の女性の親と面会した記述の中に「光栄なれど拝辞。離れるのはいや。全員反対」などと記され、旧華族を対象としたおきさき選びがうまく進まなかったことがわかります。
こうした中、対象は民間にも広げられ、皇后さまと初めて会われた軽井沢での「テニスコートの出会い」の8か月後昭和33年4月12日には、田島と小泉が車の中で話した記述の中に「Shoda」という皇后さまの名字がローマ字で記され、婚約内定発表の半年あまり前のこの時期には有力なおきさき候補になっていたことがうかがえます。
日本近現代史が専門の長野県短期大学の瀬畑源准教授は、「皇太子のきさきである以上将来必ず皇后になるということが前提で、日記の記述からは将来象徴のパートナーとなるのにふさわしい女性は誰なのかを周囲が模索していた過程がわかる。当時の人が象徴天皇の存在や皇后の役割をどのように考えていたのかがわかり、私たちにとって象徴とは何かということを考える1つの手がかりにもなる貴重な資料だ」と話しています。(引用ここまで)

NHK  天皇陛下の教育振り返る音声発見 連合国軍の干渉を警戒 2018年12月23日 5時20分皇室

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181223/k10011757551000.html

天皇陛下が中学時代に通われた学習院の教師らが、戦後の占領期の教育現場を振り返った音声テープが見つかりました。当時、皇太子だった天皇陛下への教育について教師たちが連合国軍から干渉されることを警戒していた様子がわかり、専門家は「将来の天皇の教育を模索していることがわかる貴重な史料だ」と注目しています。

音声テープは学習院に保管されていたもので、昭和30年に山梨勝之進元院長のほか教師12人が学校の歴史を記録するため、天皇陛下が在籍されていた戦後占領期の中等科の教育を振り返っています。
当時はアメリカなどの連合国軍が日本の民主化を急速に進めていた時期で、山梨元院長は「日本の国がどうなるかわからない、皇室がどうなるか、一面では学校の運命もわからなかった」と振り返り、皇太子だった天皇陛下の教育について「マッカーサーがどこまで口を出してくるのかわからない。何を言いだすのか、どこまで言うのかという問題があった」と連合国軍の干渉を警戒していたことを明かしています。
また、天皇陛下は中等科で学ばれましたが、当初はこのほかに皇太子専用の教育施設を設ける案もあり、山梨元院長は専用の施設を設けていれば極端な国家主義を教えると思われかねなかったと述べたうえで「学習院中等科でみんなと一緒になるんだと言えば、それ以上、追求する口実もない。これであまり干渉されないでいけるという見込みが自然に生まれてきた」と振り返りました。
また、教師の1人は天皇陛下が当時、グループ研究の授業でうまくできない生徒に「それなら、やめてしまえ」と発言され、別の生徒が「天皇さまにおなりになってそんなことを言っちゃ困ります」とたしなめたというエピソードを紹介しました。
当時の天皇陛下への教育をめぐっては、自主性や人を思いやる気持ちを教えることが課題の1つになっていて、教師は「これはよいことを言ってくれたと思った」と振り返っています。
象徴天皇制を研究している名古屋大学の河西秀哉准教授は「天皇の地位が変わる中で、皇太子の教育を学習院の人たちが考えて、模索していたことが生の声で分かる貴重な史料だ」と話しています。(引用ここまで)

 「自分の意志が曲げられるとは……」忘れられない平成“5つの非公式な”天皇の「お言葉」

公式ではないからこその、強いメッセージ性

文春オンライン 辻田 真佐憲 2018/12/23

http://bunshun.jp/articles/-/10073

小室圭さんに「相応の対応」を求められた秋篠宮さまの“宿命”

文春オンライン 河西 秀哉  2018/12/23

http://bunshun.jp/articles/-/10083

 


三種の神器を守るためには天皇元首化ではなく現行憲法の象徴天皇制しかないと考え憲法遵守擁護の義務を果たそうとする天皇家が安倍政権と対立するのは当然!

2018-12-24 | 天皇制

国家の思考法規である憲法尊重擁護の義務を果たそうとする天皇家の意見表明が

「政治的」と捉えられてしまう日本のおかしさ!

宮内庁 天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの一年のご動静平成30年12月23日 

主な式典におけるおことば(平成元年)http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h01e.html

大行天皇の崩御は,誠に哀痛の極みでありますが,日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより,ここに,皇位を継承しました。

深い悲しみのうちにあって,身に負った大任を思い,心自ら粛然たるを覚えます。

顧みれば,大行天皇には,御在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され,激動の時代にあって,常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ,今日,我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し,平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。

ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません。(引用ここまで)

天皇=護憲派VS安倍晋三首相=改憲派は

正しいか!?

天皇=憲法実践派VS安倍晋三首相=憲法形骸化=否定派だろう!

池上彰氏が解説 新天皇と安倍首相の不思議な緊張関係  2018.12.23 16:00

  • 皇太子ご一家(共同通信社)

 改憲を訴える安倍晋三首相と、ことあるごとに憲法を守る主旨の発言をする現在の天皇や皇太子、秋篠宮は意

 改憲を訴える安倍晋三首相と、ことあるごとに憲法を守る主旨の発言をする現在の天皇や皇太子、秋篠宮は意見に対立があるようにも見える。「天皇」について解説した著書『池上彰の「天皇とは何ですか?」』(PHP研究所)もあり、NHK時代に宮内庁も担当したジャーナリストの池上彰氏が、皇室と安倍首相の不思議な緊張関係について解説する。

 * * *
この先、注目されるのは憲法をめぐる新天皇と安倍首相の関係です。

安倍首相が「今の憲法には問題がある」と改憲を打ち出してから、天皇は護憲派の象徴になりました。

両者の関係は不思議です。憲法の中には憲法擁護義務があり、公務員は憲法を守らなければなりません。天皇もこの義務を負い、今上天皇や皇太子、秋篠宮は折に触れて「憲法に則って~」と発言します。これは憲法の規程に則ったまっとうな発言ですが、憲法を変えたい安倍首相としては面白くないでしょう

愛国者の邪論 「憲法第99条」「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」をよくよく読めば、安倍首相も憲法を守る義務があります。

しかも次の天皇となる皇太子は、戦後70年にあたる2015年の誕生日の会見でこう述べています。

「私は、常々、過去の天皇が歩んでこられた道と、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致すよう心掛けております」

通常、世界各国で与党は憲法を守り、野党は政権交代して憲法を改正することをめざします。ところが日本は与党が憲法改正、野党が護憲とねじれている。ゆえに結果として、憲法を守ろうとする天皇と、憲法を変えたい首相の間に緊張関係が生じます。

即位後、新天皇がどれくらい護憲のニュアンスを打ち出すのか。それに対して安倍首相はどのような姿勢を示すのか。新しく即位される天皇の「お言葉」が注目されます。

●いけがみ・あきら/1950年、長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、1973年NHK入局。報道局記者や番組キャスターなどを務め、2005年にNHKを退職。ジャーナリスト、名城大学教授、東京工業大学特命教授。著書に『池上彰の世界の見方 ロシア』『考える力がつく本』(小学館刊)、『池上彰の「天皇とは何ですか?」』(PHP研究所)などがある。※週刊ポスト2019年1月1・4日号

■議論:両陛下ご葬儀について:火葬は土葬より費用がかかる? ご意向表明は憲法違反? 2013-11-19 03:36:50 | 日記

週刊朝日#皇室 天皇の葬儀と陵の造営でかかった費用は100億円 2013.11.26 07:00

https://dot.asahi.com/wa/2013112100061.html

社会科学者の随想 天皇は火葬か土葬かという問題 2014年08月01日

 退位イヤーを前に池上彰氏が解説「天皇とはどんな存在か」2018.12.20 07:00

https://www.news-postseven.com/archives/20181220_828877.html

この年末年始は日本人にとって特別な節目になる。あらゆる行事が“平成最後の”と形容され、いよいよ今上天皇から代替わりする日が近づいてくる。ここで少し考えたい。果たして我々はどれだけ「天皇」のことを知っているだろうかと。NHKの記者時代に宮内庁も担当した池上彰氏が、解説する。

 * * *
いよいよ平成最後となる年末年始がやってきます。

1月2日の一般参賀にはいつも以上の人が集まることでしょうし、私も取材に行くことを決めています。

2019年4月30日に今上天皇は退位され、5月1日に新しい天皇が即位されます。2016年7月に「天皇陛下が生前退位の意向」とNHKがスクープしてから紆余曲折を経て、ついに退位イヤーを迎えるのです。

天皇の退位があらかじめわかっていて、生前のうちに準備を重ねて代替わりするのは、現存する世界最古の王室としてギネスブックに登録される日本の皇室の長い歴史の中でも異例のことです。

歴史的な退位に向けた最近の動きでひときわ注目すべきは、2018年11月30日に公開された秋篠宮53歳の記者会見です。

秋篠宮さまは、2019年11月14日に行なわれる大嘗祭(だいじょうさい)について「宗教色が強い」として、公費支出に異議を唱えました。想定外の出来事に宮内庁記者は驚き、発言を大きく報じました。

天皇の行なう宮中祭祀の中で最も重要な儀式とされるのが、飛鳥時代から続く収穫のお祭り「新嘗祭(にいなめさい)」です。天皇が即位後初めて行なう新嘗祭を「大嘗祭」と呼び、特別にお祀りをします。来年の大嘗祭には、公費22億円が予算として計上されています。

さらに秋篠宮さまは、「言ってみれば(宮内庁長官が)話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」と異例の発言が波紋を広げました。

なぜ、秋篠宮発言に注目すべきなのでしょうか。詳しくは後述しますが、この会見が、天皇や皇族が抱えている様々な問題を提起しているからです

天皇や皇族の役割や権能は、憲法はじめ様々なルールや慣習で規定されます。

普段、私たちはあまり意識しませんが、皇室は、長い歴史において様々な経験を積み重ね、わが国の文化や慣習に大きな影響を及ぼしています。それゆえ天皇や皇室について知ることは、憲法や政治のあり方、日本の国柄や歴史を考えることにつながります。

今の日本人に必要なのは、退位という歴史的なイベントを前に、あらためて天皇や皇室を学ぶことです。それは、私たち自身を知ることでもあるのです。

■天皇とは何なのか

日本国憲法第1章第1条は天皇をこう規定します。

〈天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く〉

明治憲法では「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」とあり、天皇の存在は絶対にして不可侵でした。対して戦後の日本国憲法は、天皇の地位は「日本国民の総意」に基づくものと定めます。要は、国民みんなが支持しているから、天皇という地位にいるということです。

何ともわかりにくいのは「象徴」という言葉ですが、英語では「シンボル」。「鳩は平和のシンボル」と言うように、鳩は平和を象徴しています。それと同じように、天皇は日本のシンボルであると言われます。

象徴の意味について、最も考え抜かれたのが、現憲法のもとで即位した今上天皇です。常に弱い立場にある人を思いやり、福祉施設や災害被災地を訪れては、一途に国民の声に耳を傾け、思いに寄り添う天皇の姿を見て、どれだけの人が勇気づけられたでしょう。

その積み重ねの中で、「日本国の象徴、国民統合の象徴とはこういう活動をされる人のことなんだ」との理解が国民に広まりました。

■天皇の仕事とは

天皇の活動は一般的に、(1)国事行為、(2)公的行為、(3)その他の行為、の3種類に分けられます。

このうち国事行為は憲法で定められ、天皇は国会を召集したり、衆議院を解散したり、大臣や最高裁判所の裁判官の任命を認証したりします。天皇には実際の政治をする力が与えられず、国事行為はすべて「内閣の助言と承認」を必要とし、「内閣がその責任を負う」と定められています。

国事行為の多くは皇居内の「表御座所」の中でデスクワークとして行ないます。

日にちは火曜日と金曜日の午後。それは、両曜日の午前中に開かれる閣議で決裁された書類に署名をしたり、許可印を押したりする必要があるからです。単なるルーティンワークと思う人がいるかもしれませんが、天皇は年間1000件を超える膨大な書類すべてに目を通し、納得したうえで署名捺印をされるそうです。

公的行為」は、国事行為にはあてはまらないが、公的な意義がある活動です。

国会の開会式への臨席や、春と秋に行なわれる園遊会、宮中晩餐や外国訪問など、活動は多岐にわたります。

その他の行為」には、天皇の「お祈り」である宮中祭祀が含まれます。戦前の宮中祭祀は国家の重要な行事でしたが、戦後は政教分離の原則のもと、神道儀式は皇室の私的な活動と考えられるようになりました。

先の誕生日会見で秋篠宮が提起したものの一つは、「宗教色の強い大嘗祭に国費を投入していいのか」という政教分離の問題でした。

■なぜ、政治的な発言をしてはいけないのか

憲法第4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定します。このため、天皇の政治的発言は固く禁じられています。

今上天皇は退位に伴う様々な行事を、なるべく質素にすべしとの意向を持つとされます。秋篠宮はその意を汲んで“もっと慎ましくあるべきでは”と呼びかけたのでしょう。

とはいえ、大嘗祭に国費を用いるかどうかは政治の話であり、秋篠宮の発言は憲法に抵触する怖れがあります。識者の間では、秋篠宮は天皇ではなく、皇族なので発言権はあるとの意見がある一方、皇位継承順位が2位であることから、いずれ天皇になるかもしれない立場の方が政治的な発言をするのは問題があるとの意見もあります。

難しいのは、今後、政府が大嘗祭の公費支出を見直せば、秋篠宮発言はまさに政府を動かした政治的発言となることです。かといって、政府が一切応じないでいると、あえて踏み込んだ発言をした秋篠宮の思いが黙殺されます。非常に皮肉な状態になっている。

天皇は、日本国民の統合の象徴として様々な国事行為を担うと同時に、日本国民の安寧を願ってお祈りをする、神道のトップに立つ方でもあります。この「二面性」が天皇をめぐる様々な場面で、解きがたい難問として浮上するのです。

●いけがみ・あきら/1950年、長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、1973年NHK入局。報道局記者や番組キャスターなどを務め、2005年にNHKを退職。ジャーナリスト、名城大学教授、東京工業大学特命教授。著書に『池上彰の世界の見方 ロシア』『考える力がつく本』(小学館刊)、『池上彰の「天皇とは何ですか?」』(PHP研究所)などがある。※週刊ポスト2019年1月1・4日号

日本国憲法改正草案(全文)

https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf


「日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてき」明仁天皇の視点を検証する!

2018-12-23 | 天皇制

「憲法を活かす象徴天皇制」とは何か!

人間平等主義と象徴天皇制を

どのように折り合い付けるか!

現行憲法の象徴天皇制と皇室は永遠に不滅=皇室存続宣言であった天皇の「政治的」「お言葉」だった! 2016-08-08 | 天皇制

愛国者の邪論の天皇制(49)に係る記事

 

天皇明仁氏の宮内庁における記者会代表質問を検証する!

http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/25

 天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え,皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに,いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。
天皇陛下

この1年を振り返るとき,例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨,地震,そして台風などによって多くの人の命が落とされ,また,それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り,また,後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが,自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに,被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています

復興が遅れていることを指摘した!

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは,昭和34年,昭和天皇の名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており,来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。

天皇の地位は、「主権の存する国民の総意」で決まるからこそ憲法遵守擁護の義務を履行することに「努め」てきたことを強調している。

しかし、この「天皇の地位」と主権者国民の関係を論じている者は少ないのではないか!

第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終焉(えん)を迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます。

平和とは戦争のない状態を言うのではないことを強調した。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え,昭和27年,18歳の時に成年式,次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し,日本は国際社会への復帰を遂げ,次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年,英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し,その前後,半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ,国民皆の努力によって,我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め,平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。

沖縄史に関する一言一言について意味づける必要がある。

「先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきた」「その歴史や文化を理解するよう努めてきました」「沖縄の人々が耐え続けた犠牲」に「心を寄せていくとの私どもの思い」とは。「これからも変わることはありません」ということは!

そういえば、沖縄に「心を寄せる」!「寄り添う」!どこかの誰かが言っていたな!?

そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵(ど)しています

ここでも、「多くの人命が失われ」「我が国の戦後の平和と繁栄」「多くの犠牲と国民のたゆみない努力」「忘れず」「正しく伝えていく」という言葉を使ったのは何故か、一言一言検証する必要がある。

そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

「慰霊のため訪問」は何故行われたか!父裕仁天皇の戦争責任問題は正当化していないものの、いっさい語らないのは何故か!語らないまま「慰霊」を行ってきたことの意味は何か!

特に戦争反対などの声を上げ運動した国民の弾圧に対する「お言葉」がないのは何故か!

父裕仁天皇の戦争責任を正当化はしないが、その責任の免罪・贖罪感情が「慰霊」行為になっているのか。

政府の行為によって戦争の惨禍が起こされたとしている憲法を尊重擁護する義務を、このような形で履行しているのか!?

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火,平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり,平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり,多くの人命が失われ,数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ,その中で,人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また,災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には,いつも心を打たれています。

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも,私どもの大切な務めと思い,過ごしてきました。障害者のスポーツは,ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが,それを越えて,障害者自身がスポーツを楽しみ,さらに,それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め,国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を,皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年,我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間,多くの日本人は,赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね,その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら,各国を訪れた際には,できる限り会う機会を持ってきました。そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また,外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め,各国との親善友好関係が進むことを願っています。

日本国憲法前文の国際協調主義そのものを語っている。外国人労働者問題に関する自民党・安倍政権・日本国民の風潮について、憲法を活かす立場を述べている。

明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め,爾来(じらい)この伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から労(ねぎら)いたく思います

「象徴としての私の立場」とは、「主権の存する国民の総意」に基づく「立場」と言いたいのだろう。このことは、以下の言葉に象徴的だ。

「私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」「自らも国民の一人であった皇后が…皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたこと」「心から労(ねぎら)いたく」

象徴天皇の「行為」は、「国事行為」しか憲法には明記されていない!そして「私的行為」としての「宗教行為」「家族や趣味など人間としての行為」ということになるが、憲法に明記されていない上記の「慰霊の旅」などの「公的行為」をどのように意味づけるか!それ以外は違憲か、習慣・風習・風潮か?国事行為以外は違憲との声があがらないのは何故か!!

そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

「象徴天皇制」は「不易流行」ということか!?

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。(引用ここまで)


憲法改憲論者は憲法とは何か!憲法を意識的に使ってみることはあるか!秋篠宮は憲法違反?!

2018-12-06 | 天皇制

憲法形骸化の戦後史を踏まえて

憲法を暮らしに活かす!

天皇は憲法尊重擁護の意味を保持している!

秋篠宮発言は妥当か!?不適切か!?

日本国憲法と主権者の在り方・天皇・豪族の在り方について

教材は!?たくさんある!!

憲法を形骸化する輩アリ!

よくよく読むべし憲法!

第一章 天皇
天皇の地位と主権在民
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
皇位の世襲
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
内閣の助言と承認及び責任
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
天皇の権能と権能行使の委任
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
摂政
第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
〔天皇の任命行為〕
第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
〔天皇の国事行為〕
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
〔財産授受の制限〕
第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
第九章 改正
憲法改正の発議、国民投票及び公布
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
第十章 最高法規
基本的人権の由来特質
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
〔憲法尊重擁護の義務〕
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

全国紙

朝日  大嘗祭/異例の発言機に考える 2018/12/1

毎日 秋篠宮さまの大嘗祭発言/前例踏襲への問題提起だ 2018/12/1

読売 秋篠宮さま発言/皇室儀式を見つめ直す機会に 2018/12/5

産経 大嘗祭/国費でつつがなく挙行を 2018/12/1

東京・中日 秋篠宮さま発言/大嘗祭の性格を問うた 2018/12/1

地方紙

北海道 大嘗祭のあり方/前例踏襲が疑問招いた 2018/12/2

東奥日報 儀式の在り方 議論深めよ/秋篠宮さま会見 2018/11/30

茨城 秋篠宮さま会見/儀式を巡る議論深めよ 2018/12/2  

信濃毎日 大嘗祭/議論は不足したままだ 2018/12/5

京都 秋篠宮さま発言/大嘗祭を論じる契機に 2018/12/1

神戸 秋篠宮さま発言/一石投じた真意はどこに 2018/12/1

山陰中央日報 秋篠宮さま会見/時代に合った形へ議論を 2018/11/30

中國 秋篠宮さま発言/「大嘗祭」に一石投じた 2018/12/1

徳島  秋篠宮さま発言/「前例踏襲」でいいのか 2018/12/1

愛媛 秋篠宮さま発言/大嘗祭の在り方/議論を深めたい 2018/12/1

高知 秋篠宮さま発言/深めたい政教分離の議論 2018/12/1

佐賀 儀式を巡る議論深めよ/秋篠宮さま会見 2018/11/30

熊本日日 秋篠宮さま発言/問題提起に向き合いたい 2018/12/1

宮崎日日 秋篠宮さま発言 2018/12/4

南日本 秋篠宮さま会見/儀式への問題提起では 12/1

 

 


1881年皇帝にリコール権、国会の国政の調査権等を定めた「憲法草稿評林」から大日本帝国憲法(1889年)・日本国憲法(1946年)を考える!秋篠宮発言の検証にも!

2018-12-01 | 天皇制

秋篠宮の微妙な発言をどのように捉えるか!

憲法遵守擁護の義務の視点から検証すると・・・

そもそも皇室とは何か!

主権者国民の総意でその地位が決まる皇室の存在意味とは!

NHK 秋篠宮さま 53歳に 会見の全文 2018年11月30日 0時18分皇室

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181130/k10011728741000.html

秋篠宮さまは30日、53歳の誕生日を迎えるにあたって記者会見に臨まれました。会見の全文です。

新たなお立場への抱負

新たなお立場への抱負
(問1)殿下にお伺いします。殿下は来年5月の代替わりに伴い、皇位継承順位第1位の皇嗣となられます。新たなお立場への抱負をお聞かせください。公務の在り方や分担について、新天皇となられる皇太子さまとどのような話し合いをされ、殿下がどのようにお考えになられているのか、あわせてお聞かせください。

(秋篠宮さま)最初の抱負ということについてですけれども、私は今まであまり抱負ということは、語ることは、口に出して言うことはありません。ただ、何かの節目というよりも、折々にその抱負のようなものを考えることというのはあります。

これは抱負になるのかどうかはわかりませんけれども、これからもさまざまな公的な仕事をする機会があります。時として、例えば毎年のように行われているものなどについては、どうしても前年度とか、その前の機会と同じようにすればいいと思いがちです。

これは、私自身もそうなんですけれども、やはり、それら一つ一つを、そのつどそのつど考えながら、自分の仕事、もしくは務めを進めていくようにしたいと思っています。

あと、公務そのものについては、これは、例えば天皇が海外、外国訪問中とかには臨時代行ということをするわけですね。私は今までそれをしたことがありません。

今の皇太子殿下は、昭和時代に一度その経験があるわけです。私はしたことがありませんけれども。今後はそういう機会は、必ず出てまいります。

一方、公的な活動について、来年の5月以降、今まで皇太子殿下が行ってきたものというのが、今度は天皇になられると、それを併せてするということはできなくなります。

一方、これは昨年のこの場でもお話をしましたが、私も自分で行っていることがあります。総裁とか名誉総裁をしているものもあります。それらをそっくり誰かに今度は譲る、引き渡すということ、これも、それを受ける先はありません。

そのようなことから、今、宮内庁として考えていることは、一旦すべて皇太子殿下のお仕事を宮内庁の方で引き取って、それを整理をして、それで次に私がどのものをその後、行っていくか、というのを検討しているところです。おそらくそれはそう遠くないうちに、発表されるのではないかと思っています。

また、在り方については、公的な活動については、今、お話ししたようなことについての了解を皇太子殿下と取ったということです。

在り方というものについては、おそらく、今後もっといろいろ話をしていかなければいけないんでしょうけれども、分担というか、今の皇太子殿下と私のものというのは、ある程度こう今、お話ししたようにわかれるわけですが、例えば宮中で行われる行事等については、それは平成の時代にも、行い方が変わったり、今の両陛下が変えられたものもあるわけです。

そういうものについては随時話合いを、すでにしているものもありますが、(今後も)していく必要があろうかと考えています。

平成30年を振り返り

(問2)殿下にお伺いします。天皇陛下の退位まで5か月となりました。この30年を振り返り、平成とはどのような時代であったと考え、象徴としての務めを果たしてこられた天皇陛下と、支えてこられた皇后さまには、どのような思いを抱かれているのでしょうか。

(秋篠宮さま)平成も30年、かなり長い期間になります。それをこう振り返って総括するというのは、なかなか私にはできません。

例えば、平成の初めのころ、私も日本にいなかった時期もありますし、例えばそういう時に、ニュースでベルリンの壁の崩壊であったりとか、そういうものを見て、驚いたことはあるわけですが、平成ということですので、日本のことになろうかと思います。

そうすると、いくつか思い浮かびますけれど、例えば、バブルが崩壊して、経済の低迷といいますか、失われた10年とか、その後も含めて20年とか言われますけれども、ちょうどそのバブルのころ、それからその後でもって、人々の生活のパターンというのが変わったなというのは、私なりに何となく感じております。

また、これは大変、残念なことではありますけれども、自然災害が非常に多かった。震災もありました。そして、また近年は、豪雨であったり豪雪もあります。台風などでも大きな被害が出ています。そういう自然災害が、非常に多い時代だったなという印象があります。

あとこれは、おそらく1992年のリオデジャネイロのいわゆる「地球サミット」後になるのではないかなと思いますが、企業であるとか、もちろん自治体もそうですね、それから個人が、非常に環境というものに関心を持つようになり、それぞれが環境に対して、どういうことができるかというのを、真剣に考えるようになった時代だったのではないかと思います。

そして、いろいろなITの発達、これは、それこそ私などは、昭和時代はワードプロセッサですね、昭和の終わりぐらいですよね、で文章を作っていた。それがいつの間にか、もういわゆるパーソナルコンピュータが普及する、そしてさらに、スマートフォンだいろいろと出てきました。

以前では考えられないぐらい、情報が入ってくるようになり、それからまた、海外と連絡する際も極めて迅速に、それが行えるようになり、また例えば海外の事情なども、容易に知ることができるようになる。

ある意味では、国の国境がボーダーレスの時代になったなという印象があります。私自身はまだ、追い付いていかないところが少しありますけれども、そういう時代だったなと思います。

そして、もう一つ挙げるとするならば、日本人が学術や芸術、それからスポーツなど、さまざまな分野で目覚ましい活躍をしている時代かと思います。

その次の両陛下のことについてですが、天皇陛下は即位以来、象徴とはどのようにあるべきかという、その象徴としての在り方について、常に模索し考えてこられ、そして、一昨年の8月に、今のお気持ちというものを表明されましたが、その中に全身全霊という言葉がありました。まさしく、その全身全霊でお務めを果たしてこられたと、私は思います。

そして、皇后陛下は、その陛下のお務め、それから立場を重んじ、さらに宮中に伝わる伝統を守り継承してゆくことに心を砕かれながら、御結婚以来、非常に長い期間、60年近くにわたって陛下を支えてこられました。これはなかなかできることではないと私は思い、お二方に深く敬意を表するところです。

そして、これは少し質問の趣旨から外れると思いますけれども、息子の立場として言わせていただければ、私は20何年、一緒に過ごしていましたからですけれども、常に笑いのある、そういう温かい家庭を築いてくださいました。そのことに感謝したいと思います。

眞子さまのご結婚について

眞子さまのご結婚について
(問3)両殿下にお伺いします。眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が2年延期され、小室さんはこの夏から3年の予定でアメリカに留学しました。小室家をめぐるさまざまな報道もありますが、小室さんからどのように聞き、どう受け止めていらっしゃいますか。眞子さまの最近のご様子とともに、お二人の結婚についてのお考えや今後の見通しをお聞かせください。

(秋篠宮さま)小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私もすべてをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。

(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしょう。2、3か月に一度くらいでしょうか、時々もらうことがあります。これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。

まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのは、はばかられますけれども、やはりその今お話ししたような、それ相応の対応というのは大事ですし、それから、これは、二人にも私は伝えましたが、やはり、今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして、問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。

そして、それとともに、やはり多くの人がそのことを納得し、喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる「納采の儀」というのを行うことはできません。

私が今お話しできるのはそれぐらいのことになります。娘の、長女の様子についてですが、(妃殿下をご覧になって)どうでしょうか。

(紀子さま)(殿下を振り向かれて)私はあとでお話ししても。今でよろしいでしょうか。(殿下に確かめられる)。

(記者)眞子さまの御様子についても、ぜひ、殿下から。

(秋篠宮さま)私は最近はそれほど、娘と話す機会がないので、よくわかりませんけれども、公の依頼されている仕事、それは極めて真面目に取り組み、一所懸命行っていると思います。

また、平日は博物館の方で仕事をしつつ、自分の関心、研究テーマを深めていっているのだろうと思っております。

(記者)質問の中でございました、さまざまな報道に関して、小室さんからどのように聞いていらっしゃるかということについてはいかがでしょうか。

(秋篠宮さま)小室さんから、報道について、その報道についてうんぬんという、それ自体について、私は聞いておりません。もちろん、ただその中に、今までにあった中で、これは事実とは違うことだ、ということについて説明があったということはあります。

ただ、それについて、じゃあ何か行動を今するのかどうか、その様子については、連絡からうかがうことは、知ることは私はできておりません。

(記者)同じ質問になりますけれども、妃殿下いかがでしょうか。

(紀子さま)今、宮様から質問に対して具体的にお話をされているところもございますので、もしできましたら、私は母親としてどのように受け止めたか、また、娘の様子、そして、どのように感じているかについてお話をしたいと思いますが、よろしいでしょうか(記者にお尋ねになり、確認される)。

(紀子さま)昨年の夏から、さまざまなことがありました。そして、折々に、私たちは話合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調がすぐれないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は大変心配でした。

しかし、このような中でも、長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました。ことしの7月には、公的な訪問、ブラジルへ行きました。それは日本人のブラジル移住110周年の行事に出席するためでした。

(殿下を振り向かれて)私たち自身も、以前にブラジルへ仕事で行きましたが、その時よりも長い距離を移動し、大変な日程であったと思いますが、日本人の移住地でもある所も含めて、14都市を回り、多くの人々と交流を深められました。

それからも、都内や地方でのいくつもの行事に出席し、それを一つ一つ心を込めて大切に全力で務めてきたように私は思います。私は本当によく頑張っているなと長女のことを思っております。

長女は美術や音楽が好きなものですから、そして私も好きで、一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。小さい時から、このように一緒に芸術にふれたり、語り合ったりする時間を持ってきましたが、今、以前にも増して、このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています。

家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております。

(記者)殿下から添えられることは、お言葉はございますか。

(秋篠宮さま)今、妻が話しましたように、先ほどの私の抱負ではありませんけれども、本当に一つ一つ丁寧に仕事をしている印象は私もあります。

佳子さまについて

佳子さまについて
(問4)両殿下にお伺いします。佳子さまの最近のご様子や大学卒業後のご活動、ご結婚について、どのようにお考えかをお聞かせください。皇位継承順位第2位となられる悠仁さまはことし、広島を訪問するなど戦争の歴史と向き合う機会を多く持たれましたが、成長をどのように感じていらっしゃいますでしょうか。今後の成長に寄せる期待と中学校の進学先についてのお考えもあわせてお聞かせください。

(秋篠宮さま)最初に次女のことですけれども、今大学の4年生になりまして、現在は卒業論文の作成に忙しくしているところのようです。私は細かいことは知りませんけれども、夜遅くまでそれについての作業をしている様子がうかがえます。それから…(妃殿下をご覧になる)。

(紀子さま)(殿下を振り向かれて、確認されて)ふり返りますと、次女の佳子は、ことしの6月に英国から元気に帰国しました。約9か月だったと思います。英国の滞在生活では、大学で幅広い分野の講義を受けたり、また、休みの時には海外、英国も海外ですが、近くの行きたいと思っていた国、スペインやポルトガルへ友人と一緒に旅行したり、さまざまな経験をしました。

それを通して、次女は自分の視野を広げたり、また、自分の考えを深めたりする貴重な機会となったと思います。この数か月をふり返りますと、次女もいくつかの公的な行事に携わりました。

9月には国際情報オリンピックの開会式、その後に手話パフォーマンス甲子園の行事に出席し、そして今月は中学生たちが自分たちの経験を語る少年の主張の発表を聴きました。

大学を卒業してからは、宮中行事に出席することも多くなると思います。これからも、公的な仕事を心を込めて大切に果たしていけるように願っております。

(秋篠宮さま)少しダブってしまいますけれども、大学卒業後はですね、次女にもいろいろな公的な仕事の依頼が来ることが予想されます。長女がそうしているように、次女にも一つ一つ大切に思いながら、それらに取り組んでいってほしいと思います。

もう一つ、これはすでにそういうことがあるのかもしれませんし、私は知りませんけれども。大学卒業後に大学院への進学の希望を持っているかどうかも私は存じませんけれども、公的私的は別にしてですね、何かこう、ライフワークになるようなもの、それを持ってもらいたいなと思っています。

結婚についてですが、親の勝手な希望としては、それほど遅くなくしてくれたらいいとは思いますが、こればかりは、やはり御縁の関係もありますので、別に私からせかしたりすることもしません。いずれ本人から何か言ってくるかもしれません。そのような状況です。

(紀子さま)結婚についてですが、これから先、もし次女がそのような話がありましたら、次女の考えやその先の将来のことについての考えを聞いて、私も必要なところ、大事だと思うことがあれば、お互いの話合いの中で、気持ちや考えを伝えていきたいと思います。

悠仁さまについて

悠仁さまについて
(秋篠宮さま)(記者に質問を確認されて)その次は、長男のことでしたかね。長男の成長。

(記者)広島を訪問されたり、戦争の歴史と向き合っていかれたりとか、いろいろありましたので。その成長をどのように感じていらっしゃるのかという点と、今後の成長に寄せる期待と中学校の進学先についてお聞かせください。

(秋篠宮さま)(妃殿下をご覧になって、悠仁親王殿下のことをお尋ねになって)ことし、学校であれですか。戦争のことについて。

(紀子さま)(殿下を振り向かれて)夏休みの社会の宿題で、歴史について調べた時だと思います。

(秋篠宮さま)それで、今まで長男は沖縄、長崎、小笠原に行っていますけれども、広島には今まで行ったことがなかったんですね。そういう何かまとめるに当たって、本人自身がぜひ、広島に行きたいという希望を持って、それで、家内と一緒に行ったわけですね。

そのように、かなり自主的に動くということをするようになってきたと思いますし、自分の意見もはっきり言うようになったなという印象は私にもあります。

一方、自分の主張だけをどんどんするのではなくて、人の話にもきちんと耳を傾けるようになってきたなと思います。その延長線上にあるのかもしれませんが、人のことを思いやる気持ちというのは、以前よりも増してきたなと思います。私が非常におおざっぱではありますけれども、感じる成長というのはそのようなところですね。(妃殿下をご覧になって)。

(紀子さま)(記者に質問を確認されて)成長についてでしょうか。先ほど宮様がお話をされていましたように、学習に対しての取り組みがとても熱心だと感じています。

小学校の6年生でも夏休みの宿題・課題が多く出され、それは7月に入ってからでしょうか、(長男は)この課題をどのように進めていこうかと、自分で考え、広島はいつか機会があった時に家族で訪れることを考えておりましたが、ことしの夏ということは特に予定しておりませんでしたが、長男が、できれば(この夏に)広島を訪れて、資料館や関係者から話を聞いてみたいとのことだったので、参りました。

ほかにも理科の課題も出まして、火山、地震、防災がテーマだったのですが、それに関わるいくつかの場所にも出かけました。自分の夏休みの過ごし方を、長男が自分で早めにいろいろと計画を立てて、見通しを持って行動する、そのようなことができるようになったと、感じました。

成長というのかどうかわかりませんが、すてきだなと感じていること、以前よりも変わったこととして、学校で帰りの時間ですが、授業が終わったあとの下校するまでの間の時間を使って、子どもたちと先生方がお互いのいいところに気づいて言葉にする、これは「いいとこ見つけ」というのでしょうか、をしています。

そういうこともあるからでしょうか、家でも私たちのいいところに気づいて教えてくれたり、ちょっと困ったり、どうしようかなと考えている時には言葉をかけたり、助けたりしてくれることがあります。

(秋篠宮さま)(妃殿下をご覧になって)さっきの人を思いやるところともつながるかもしれないですね。

(紀子さま)(殿下にうなずかれて)大事な時に言葉にすること、思うことも大事ですが、言葉にして相手に伝えることの大切さを私たちが学んでいるような気もいたします。

あともう一つお話をしますと、長男は学校の家庭科の授業でお弁当実習を始め…(とお考えになる)。

(秋篠宮さま)(妃殿下を向かれて、お尋ねになって)調理実習じゃない?

(紀子さま)(殿下を振り向かれて)調理実習かしら。(長男が)お弁当を友達と一緒に作る機会がありました。授業で学んだ料理やほかにもいろいろな料理を作ってくれることが多くなりました。

私たちも素直に、「とってもおいしい」、「これはどうやって作ったのかしら」と話しますと、長男は本当にうれしそうに、この食材と、この調味料を使って作ったんだよと…(その時のことを思い起こされる)。

(秋篠宮さま)(妃殿下をご覧になって)あと自家製の野菜も。

(紀子さま)(殿下とうなずかれて)野菜作りしていますので、そうした野菜を取り入れたり。私たちがリクエストをすると、それにけなげに応えてくれます。

いくつかお話をしましたが、学習の面、生活の面でさまざまな成長がことしも感じられました。

(秋篠宮さま)あと、進学先については、今もう11月の末になりますので、そう遠くないうちに発表されることと思います。それこそ進学先はいい教育をしてくれるところだといいなと、親としては思っています。

(紀子さま)進学先についての考えということですが、進学先については、4年生、5年生ごろからでしょうか、少しずつ話し合って、長男自身の考えや希望などを聞くことがありました。

学校でも進路について、さまざまに考える機会を設けてくださいました。例えば、5年生の時には、お茶の水女子大学附属小学校の卒業生である大学生が小学校を訪ねて、そして自分たちが進路に対してどういう考えを持ったか、進んだ中学校、高校、大学でどういう生活をしていたか、そのように語る時間がありまして、その時に子どもたちは、卒業生、自分たちの先輩にいろいろな質問をして、それにお兄さん、お姉さんたちが丁寧に答えてくださいました。

小学校のこのような時間以外にも、いろいろな中学校があって、特徴があって、カリキュラムや課外活動があることも知る機会がありました。

こうした中で、長男が自分の考えを深めることを大事にしてまいりました。中学校でどのようなことを学びたいか、どのような活動をしたいか、今、学校や家庭でどのように過ごしたいか、そのようなことを長男はいろいろと考え、その意見や希望を聞きつつ、話し合い、進学先について考えてきました。

これからも長男の語る言葉に耳を傾けて、思いや気持ちを大事に受け止められるよう、成長を見守っていきたいと思っています。

(秋篠宮さま)(記者に質問を確認されて)あとは期待?

(記者)今後の成長への期待。

(秋篠宮さま)いろいろあると思いますし、なかなか期待というと、本人にも重荷になることもあるので、どっちかというと、こうなってくれたらいいなと私が思っていることとして、その中の一つを挙げますと、どうしても何か物事を見る時に、一面的に見がちなことがあると思います。

やはりさまざまなことというのは、いろいろな視点を変えて見ると、全然違うところというのが出てきます。私は長男には、何か物事を見る時に一面的ではなくて広い視野、多角的に見られるようになってほしいなという希望があります。

(紀子さま)小学生から中学生へと、おそらく学習環境や生活環境が大きく変わるところ、また、心身面の成長でも変化が見られる時期でもあると思いますので、少しずつ新しい生活に慣れていけるよう、また、子どもの成長を支えていけるように努めたいと思っています。

この1年 印象に残った出来事は

この1年 印象に残った出来事は
(問5)殿下にお伺いします。この1年を振り返り、印象に残る出来事とご感想をお聞かせください。

(秋篠宮さま)この1年もいろいろありました。まず先ほどと少し重なりますけれども、自然災害が非常に多い年でした。それは地震もありましたし、台風もありましたし、それから豪雨もあったわけですね。

私自身はそれらの災害があった場所としては、広島県に参りました。まず最初に驚いたといいますか、広島の空港を出て、それから行った場所が坂町になります。済生会病院ですけれども。

高速に乗った時にいろいろなところで土砂崩れ、大きい土砂崩れがあって、しかも道にも流されてきた木があって。こういう場所だということをですね、ふだんなにげなく広島の空港から街なかに出る時に高速道路に乗っていますが、改めてその地形をその時に認識しました。

また、被害が大きかった小屋浦の方にも行きまして、そこで避難している人たちとも話をする機会がありました。やはり避難している人たちにとってもこれほどの大きい災害になるとは思ってもいなかったという声が、何人かの人からありました。

確かに川の脇を歩いていると、その川の水量が上がって、しかも流木が流れてきたり、そのほかでもって大きい被害が出たわけですが、水の力というのが、これほどまでにすごいのかということを改めて私は認識しました。

そして、今後どのようにして防災、そして減災をしていくかというのを、今、日本中どこでもその可能性はあるわけですので、それを考えていかないといけないということを再度、思いを新たにしました。

また、ことしは日本人がハワイに移住して150年になります。私は今まで、ハワイはホノルルの空港しか知りません。トランジットのため。ですから今回、現地に行って、それから日系社会の人たちと話をし、その人たちが小さかったころの話(を聞いたり)、それから(日系社会の人たちは)今8世までいるわけで、8世はまだ小さいお子さんでしょうけれども、いて、その人たちが日本について思っていることであったりとか、さまざまなことを聞く機会になるとともに、本当にホノルルの近辺だけですけれども、かなり音楽であったりとか、歌であったりとか、それから植物利用であったりとか、さまざまなことを私自身知ることができて、大変良い機会だったと思います。

いろいろそのほかありますけれども、ことしはノーベル生理学・医学賞、本庶佑さんの受賞が決まりました。最近は日本人で受賞する人も多くて、「ことしも」ということになってくるんだと思いますが、もちろん、そのいわゆる免疫チェックポイント阻害剤ですね、オプジーボ。まだまだおそらく課題はたくさんあると思いますけれども、今後の悪性新生物に対する一つの柱になっていくことが期待されるのではないかと思います。

そしてあとは、先ほども日本人の活躍ということをお話ししましたが、若い世代の人が非常に活躍した年だったなと思います。少しだけ例を挙げれば、将棋で藤井聡太さんもそうですし、15歳でしたかね。それから、オセロゲームも大幅に記録が更新されて、11歳の福地啓介さんですか、が世界タイトルを取られたという、そしてテニスの大坂なおみさんが、日本人としては初めてですかね、グランドスラムの全米のシングルス優勝、その他もろもろオリンピック・パラリンピックもありましたし、いろいろな分野で若い世代の人たちの活躍が目立ち、これはほんとに明るい話題だったと思います。

即位の行事や儀式について

(関連質問1)殿下にお尋ねいたします。お代替わりに関する日程や規模について、いろいろ宮内庁の方でも発表があり、決まりつつありますが、先ほど殿下には皇嗣となられる公務の在り方についてのお考えをお聞きしましたが、即位の行事や儀式についてもお考えがあればお聞かせいただきたく思います。

(秋篠宮さま)行事、そういう代替わりに伴う行事で、いわゆる国事行為で行われる行事、それから皇室の行事として行われるものがあります。

国事行為で行われるものについて、私が何かを言うことができるかというと、なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。

一方、皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは、いくつかのものがあるわけですけれども、それについては、ある程度、例えば私の考えというものもあってもよいのではないかなと思っています。

(記者)具体的に。

(秋篠宮さま)具体的にもし言うのであれば、例えば、即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです、その一連のものは。ただ、大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。

私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成の時の大嘗祭の時にもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、そのころはうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。

今回も結局、その時を踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています。

整理の仕方としては、一つの代で一度きりのものであり、大切な儀式ということから、もちろん国もそれについての関心があり、公的性格が強い、ゆえに国の国費で賄うということだと。平成の時の整理はそうだったわけですね。

ただ、今回もそうなわけですけれども、宗教行事と憲法との関係はどうなのかという時に、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。

ただ、それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は、私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし、そのことは宮内庁長官などには、かなり私も言っているんですね。

ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。

眞子さまと小室さんについて

眞子さまと小室さんについて
(関連質問2)眞子さまと小室さんの御結婚に関する質問のお答えの中で、「相応の対応」ということを仰られましたけれども、これは、お二人の結婚の意思が今も非常に堅くて、そのお気持ちを今後も支えていかれるというふうに受け止めてもよろしゅうございますでしょうか。

(秋篠宮さま)それとは少し違い、それを支えていくという意味でお話ししたのとは違います。あの時の質問は、おそらく小室さんについての報道のことと、それから連絡を受けてという、それについての私の答えでしたけれども、やはりそれ相応の対応というのはこちらの対応ではなく、相手側の対応ですね。

そのあとにお話ししましたように、やはりきちんと、どういうことなんだということを説明をして、そして多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況を作る、それが「相応の対応」の意味です。(引用ここまで)


1923年9月1日関東大震災による混乱に乗じて大量の朝鮮人が虐殺された!中国人・日本人も!単なる防災の日ではない!国家による犯罪だった!

2018-09-01 | 天皇制

朝鮮人が井戸に毒を入れた!暴動を起こした!=デマ・流言飛語は

国家が海軍送信所を使って大量に流した!

関東大震災朝鮮人虐殺事件 - Wikipedia

小池都知事の対応は

歴史の教訓を隠ぺいする首長としては恥ずべき行為!

 

NHK   関東大震災95年 慰霊の法要    09月01日 16時52分

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20180901/0017765.html

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関東大震災の発生から95年となる1日、震災で亡くなった人たちを慰霊する法要が東京・墨田区で営まれました。

大正12年9月1日に発生した関東大震災では、地震の揺れやその後の火災により東京などで10万人余りが犠牲になりました。
およそ5万8000人の遺骨が納められている墨田区の東京都慰霊堂では、毎年この日に東京大空襲の犠牲者の追悼と合わせて大法要が営まれていて、1日は遺族などおよそ600人が参列しました。
この中で、東京都の長谷川明副知事が「都が取り組む防災事業の総点検を実施し、事業のスピードアップとグレードアップを図ることで東京の防災に万全を期したい」とする小池知事の追悼の辞を代読しました。
一方、慰霊堂の隣では、毎年この日に関東大震災の混乱で殺害された朝鮮人犠牲者を追悼する式典が行われていて、1日は主催する市民団体のメンバーなどおよそ700人が参加しました。
この式典をめぐっては、東京都はこれまで追悼文を送付してきましたが、小池知事は1日の大法要ですべての犠牲者に追悼の意を表しているとして、去年に続いてことしも追悼文の送付を見送りました。
式典の中で、日朝協会東京都連合会の宮川泰彦会長は、小池知事が追悼文を見送ったことについて「過去の悲惨な歴史に触れたくないように見える。もう一度立ち止まって式典の意義を見つめることを強く求める」と述べ、引き続き、追悼文の送付を求めていく考えを示しました。(引用ここまで)

関東大震災 朝鮮人虐殺数 その実態

http://hide20.web.fc2.com/burogu34.html

政府によって徹底的に隠蔽された「関東大震災朝鮮人虐殺事件」の真相 1100の証言がいま伝えてくれること

西崎 雅夫 一般社団法人ほうせんか理事 20160918

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733

ネトウヨのネタ本『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』のデタラメ! 唯一の証言者は父親、妻名義の本を夫の名で再出版

リテラ >2015.09.01


日本会議国会議員懇談会、百地章国士舘大特任教授の講演で「新元号は天皇のご即位後に発表を」「元号のもたらす権威などの検討が全く見えない」などの意見が出されたらしいが、厚顔無恥だな!

2018-07-19 | 天皇制

日本会議国会議員懇談会の不勉強・破廉恥はこれだ!

 日本会議国会議員懇談会 - Wikipedia

Category:日本会議国会議員懇談会の人物 - Wikipedia

時事通信 新元号は即位後発表を=保守系議連、政府方針に異論  2018/07/19-15:14

超党派の保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」は19日、皇室制度プロジェクトの会合を参院議員会館で開いた。百地章国士舘大特任教授が「新元号は天皇のご即位後に発表を」との演題で講演し、出席者からは賛同の声が上がった。皇太子さまの新天皇即位と改元は来年5月1日に行われるが、政府は国民生活に支障が生じないよう新元号の発表をその1カ月前と想定して準備を進めている。これに関し、出席者からは「国民生活への影響は極めて重要だが、元号のもたらす権威などの検討が全く見えない」などと否定的な意見が出された。(引用ここまで)

元号問題に関する愛国者の邪論の記事一覧

元号は大切、ずっとあるものだし、なんだかもったいない気がする」 「元号の歴史的な重みの観点で言えば反対」などと郷愁に浸っているのはオカシイ!2017-01-14 | 天皇制

未だに中国皇帝のつくった「元号」を大事にして使っている現代日本のオカシナ風潮に大喝!2017-01-14 | 天皇制

元号は時の権力者が統治力を誇示し自らの権力の正統性を根拠づけ、時間と支配する道具として始まり、使われた!その歴史を一覧してみると判る!庶民にとって、意味はあったか?2017-01-14 | 天皇制

後2年、明仁天皇は激務に耐えなければならない!天皇の負担軽減論のまやかし浮き彫り!中国思想の元号を使うのか!グローバル化だというのに未だに元号廃止論が出て来ないのは不思議だ! 2017-01-11 | 天皇制

土人・シナ人を無自覚的に使う日本人の思考回路は中華思想に淵源あり!中華思想は天皇中心の国家体制に継承された! 2016-10-23 | 天皇制

高齢天皇の公務負担の心労を軽減すると言いながら対中包囲網作戦のベトナム訪問を策動する安倍政権! 2016-09-19 | 天皇制

時代遅れの君主制を利用して権力独裁化を謀るチョー極反動日本会議の陰謀は日本を沈没させる! 2015-04-16 | 天皇制

天皇と一族が憲法遵守と表明しているにもかかわず

日本の歴史と伝統を受け継ぐ日本国憲法に対する不勉強を恥じない

戦前「鬼畜米英」主義論を継承し

日中貿易なくして日本経済ナシと判っているにも関わらず

相変わらず対中包囲網作戦に固執し

日米核兵器軍事同盟の深化のための

憲法改悪をめざす

軍事利益共同体に巣くうカネの猛者連中!

選挙で落として新しい政権をつくるしかないぞ!

これらの猛者を支持されている国民は、よくよく考えてみるべし!

ホントにこれで良いのか!と

自民党議員の249名が属する日本会議→日本の民主主義が守れるか

投稿者 天橋立の愚痴人間 日時 2018 年 3 月 21 日 00:19:38

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http://www.asyura2.com/18/senkyo241/msg/689.html

日本会議国会議員懇談会の勉強会で織田邦男元空将 

9条2項削除は「正論だが現在の政治情勢では非現実的」

産経 2018.2.27 18:30更新

https://www.sankei.com/politics/news/180227/plt1802270030-n1.html

超党派の「日本会議国会議員懇談会」の憲法改正プロジェクトチームは27日、元航空自衛隊航空支援集団司令官の織田邦男元空将を講師に招き、国会内で9条改正をめぐる勉強会を開いた。織田氏は、9条2項を削除する案は「正論だが現在の政治情勢では非現実的」だとして、2項を維持した上で自衛隊を明記すべきだとの考えを述べた。その上で、改憲の「千載一遇のチャンス」を政局による時間切れで逃すのは最悪だと主張した。勉強会には自民党、希望の党、日本維新の会の3党から計41人が出席した。(引用ここまで)

日経 首相「憲法審、自民党がリード」 日本会議が集会  2017/11/27 19:00

保守系団体「日本会議」は27日、超党派の国会議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」と共に、設立20周年の記念大会を都内で開いた。安倍晋三首相(自民党総裁)はビデオメッセージを送り「憲法施行70年の節目であり、国民的な議論が深まることを期待している」と、憲法改正に意欲を表明。「自民党は憲法審査会での具体的な議論をリードし歴史的使命を果たす」と述べた。出席者は主催者発表によると約2千人。国会議員懇談会会長を務める自民党の古屋圭司氏は「憲法審で建設的な議論がされることを切に望む。成果を出し、実現することが国会議員に課せられた使命だ」と語った。自民党憲法改正推進本部の下村博文顧問は、教育無償化に関連して、義務教育を無償などと定める憲法26条について、改正の必要性を訴えた。国の政策指針となる「プログラム規定」を26条に設けることで教育投資を政府に促す改憲に言及。「来年の通常国会で党の改正案を提案できるよう頑張りたい」と語った。希望の党の松沢成文参院議員は「日本の将来を見据えた憲法改正議論をし、憲法改正を進めるよう、希望の党としても最大限の努力をする」と語った。(引用ここまで)

 こんな人物が憲法「改正」・元号制定に云々するとは呆れる!
元号が泣くぞ!
ま、元号の狙いとは真逆の歴史が刻まれているが・・・・!
 
産経 自民党の古屋圭司議員、過少申告報道で入金額と符合せずと説明 2018.7.18 11:54更新
自民党の古屋圭司衆院議院運営委員長は18日午前、政治資金パーティーの収入を政治資金収支報告書で過少に記載していたとする一部報道に対する説明文書を発表した。古屋氏は、記事で古屋氏の事務所のノートに記載された数字がパーティー券の「販売枚数」だと指摘された点に、入金額と一致しておらず、事実ではないと反論した。古屋氏は、同日午前の議運委理事会で今回の疑惑について説明した。古屋氏は記者団に対し、記事が指摘する過少申告はなかったとの認識を改めて示し、引き続き調査を進めていくとした。朝日新聞の報道によると、古屋氏が代表を務める資金管理団体「政圭会」は平成28年7月にパーティーを開催。事務所が作成したノートのコピーからは、1188万円のパーティー券収入があったと読めるが、収支報告書には642万円と記載されており、政治資金規正法の虚偽記載に当たる疑いがあるとした。(引用ここまで)
NHK 野党6党派 古屋議運委員長の解任決議案を衆院に提出 2018年7月19日 13時57分

自民党の古屋衆議院議院運営委員長の政治資金をめぐる報道を受けて、立憲民主党など野党6党派は、疑惑を払拭(ふっしょく)する説明がなく、職にとどまることは許されないなどとして、古屋委員長の解任決議案を衆議院に共同で提出しました。

自民党の古屋衆議院議院運営委員長は、みずからの事務所が政治資金パーティーの収入を実際よりも少なく収支報告書に記載していた疑いがあると一部で報じられたことを受けて、「今後、事務所でさらに事実関係の調査を進めていく」などと説明しました。
これに対し、立憲民主党など野党6党派は、疑惑を払拭する説明がなく、職にとどまることは許されないなどとして、古屋委員長の解任決議案を衆議院に共同で提出しました。
立憲民主党の辻元国会対策委員長は記者団に対し、「カジノや働き方改革などで職権で委員会運営をしてきたことや、政治資金の過少申告の報道について、いつまでに報告するのかも答えず、議会運営の要たる委員長としてふさわしくない」と述べました。
これを受けて、衆議院議院運営委員会の理事会で19日午後、改めて衆議院本会議を開いて決議案の採決を行うことになり、決議案は自民・公明両党などの反対多数で否決される見通しです。(引用ここまで)

NHK 古屋衆院議運委員長の政治資金説明 野党納得せず 2018年7月18日 17時32分

自民党の古屋衆議院議院運営委員長は、みずからの政治資金をめぐる報道について、議院運営委員会の理事会でさらに調査を進めていくと説明しましたが、野党側は納得せず、18日に予定されていた本会議の開会がおよそ2時間遅れました。

自民党の古屋衆議院議院運営委員長の事務所が、政治資金パーティーの収入を実際よりも少なく収支報告書に記載していた疑いがあると一部で報じられたことを受けて、野党側は古屋委員長から納得できる説明がない限り、本会議の日程協議には応じられないと主張していました。これについて古屋委員長は18日、議院運営委員会の理事会で「記事の内容とは異なる点が確認できた。今後、事務所でさらに事実関係の調査を進めていく」と説明しました。しかし、野党側は「到底納得できない」「さらなる説明が必要だ」などと反発したため、18日に予定されていた本会議の開会がおよそ2時間遅れました。

立民 辻元氏「なにも答えていない」

立憲民主党の辻元国会対策委員長は、党の代議士会で「古屋氏の説明は何を言っているのかよく分からず、『調査中』では納得できない。疑惑になにも答えておらず、認めるわけにはいかない。立法府の責任者に疑惑がかけられるありさまが安倍政権の実態だ」と述べました。(引用ここまで)

昭和天皇は「憲法4条なんか問題にしない態度だったが、現天皇はその点はちゃんと心得ていて、4条はきちんと守るという態度に終始している。現憲法にふさわしい行動を取ったのは現天皇からだと不破哲三氏

2018-03-25 | 天皇制

象徴天皇制は天応の地位は主権者国民が決める!

天皇の政治利用をしない政権と政府ができれば・・・

現行憲法の象徴天皇制と皇室は永遠に不滅=皇室存続宣言であった天皇の「政治的」「お言葉」だった! 2016-08-08 | 天皇制

戦後70年、政治的権能を持たぬ象徴天皇の明仁天皇の発言から何を学ぶか!憲法を活かすだな! 2015-12-23 | 天皇制

主権在民・国民主権の時代に宮中祭祀に参加する首相の憲法違反が堂々とまかり通る日本の民主主義 2015-03-22 | 天皇制

天皇の「政治利用」を曖昧にしてきたのは自民党!憲法の原則の徹底化を国民的合意に!公平な報道をこそ!2013-11-07 | 天皇制

国体護持のためには男も女もなかった!弾圧のキーワードは「公益のため」!これは戦前前後一貫している! 2013-10-28 | 天皇制

大日本帝国憲法・国体護持のための侵略戦争遂行に人権を否定することは当たり前!その証拠はこれだ! 2013-10-28 | 天皇制

太陽神である天照大神に「平和と繁栄、国民の幸福、被災地の復興」を祈る首相のおかしさなどなど 2012-01-05 | 天皇制

   時事通信  現天皇は憲法4条順守=「昭和と違う」-共産・不破氏インタビュー  2018/03/24-15:26

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018032400528&g=pol

 

インタビューに答える共産党の不破哲三前議長=12日、東京都渋谷区の同党本部

共産党の不破哲三前議長(88)は時事通信のインタビューに応じ、天皇の政治関与を禁じた憲法4条について「昭和天皇の時代には、ほとんど守られなかった」との認識を示す一方、現天皇は「心得ている」と評価した。来年5月1日の新天皇即位に伴う一連の儀式に関し「国民主権と政教分離の原理にかなった新しい方式を編み出すべきだ」と提言。女性・女系天皇に賛意を示した。
 不破氏は憲法が定める象徴天皇制について、昭和天皇は「憲法4条なんか問題にしない態度だった」との見方を示した。一方で「現天皇はその点はちゃんと心得ていて、4条はきちんと守るという態度に終始している。現憲法にふさわしい行動を取ったのは現天皇からだ」と指摘した。
 共産党の旧綱領は「君主制の廃止」を掲げていたが、不破氏が主導した2004年の綱領改定で「(天皇制を含む)憲法の全条項を守る」と容認姿勢に転換。「(天皇制の)存廃は将来、国民の総意によって解決されるべきもの」と明記しており、不破氏は「共産党から提案し、宣伝して廃止しようという意味ではない」と説明した。
 「剣璽(じ)等承継の儀」など天皇即位に関する儀式については「全て国家神道の行事だ。政教分離の原則に反する。国民主権でも全くない」と国事行為とすることを疑問視した。
 皇室典範が皇位継承権を男系の男子に限ると規定していることに関しては「男女同権の原則が入らないのはおかしい」と述べた。元号制度については「(元号で)時代が区分される時代ではない。やめた方がいい」と反対した。
 ◇不破哲三氏略歴
 不破 哲三氏(ふわ・てつぞう)東大卒。1969年の衆院選に共産党から立候補して初当選し、2003年に議員を引退するまで11回連続当選。書記局長、委員長、中央委員会議長を歴任し、「党の理論的支柱」とされる。88歳。東京都出身。(引用ここまで


象徴天皇制温存安泰化を語って「退位」を願望した明仁氏だったが、「公務の負担軽減等」を議論しながら論点整理したら「一代限り」特例法になった!?だが退位の先例になるらしい!安倍政権らしいメチャクチャ!

2017-06-10 | 天皇制

天皇の意思に反する?特例法!

天皇の「政治利用」は永久不滅だな!

「陛下の公務」は憲法に明記されているのか!?

「宮中祭祀」は憲法に明記されているのか!?

『女性宮家』創設などの皇族減少対策」は

『家族制度』重視?『個人の尊厳』重視?

「退位」問題で、すっぽり抜けたのは

『憲法を活かす」だった!

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条 皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 国会を召集すること。
 衆議院を解散すること。
 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
 栄典を授与すること。
 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
 外国の大使及び公使を接受すること。
 儀式を行ふこと。
 
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

 

時事通信 「これでは敗北」=陛下学友の橋本さん-天皇退位 2017/06/09-15:35

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017060900976&g=soc

「天皇陛下の意思に反する結果になってしまった」。学習院初等科から大学まで同級生として一緒に過ごした橋本明さん(84)は、退位に道を開く特例法の成立を受けこう語る。

「拙速な決着で残念」=天皇陛下の同級生明石さん-退位特例法成立

象徴天皇として初めて即位し、被災者を励まし、先の大戦の犠牲者らの慰霊の旅を続けてこられた陛下。「そうした公的行為を全身全霊で行うことが難しくなったからこそ、さらには次の世代のことも考えた上で、昨年8月、退位の意向をにじませた『お言葉』を表明したはず」と橋本さん。
官房長官が衆参両院で「先例になり得る」と発言したが、「今の政権が一代限りにしたいと思っているのは明白。そもそも政府が設置した有識者会議の名称も『公務の負担軽減等』で、陛下の思いとは逆のものだった」と憤りをあらわにした。(引用ここまで

  徳島新聞 鳴潮  6月10日付

天皇陛下の退位を実現する特例法の成立を歓迎する声が広がる中、学習院初等科から大学まで一緒に過ごした同級生、橋本明さんは怒りを込めて言う。「陛下の意思に反する結果になってしまった」
憲法は第1条でこう定めている。<天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く>。象徴天皇として初めて即位されたのが、陛下である
大きな災害の現場には、必ずその姿があった。「『平民』にひざまずくとは何事か」との批判も意に介さず、苦しむ人々と同じ目線で、共に歩む姿こそ、陛下が体現し国民が支持する象徴天皇の在り方だった。「祈っているだけでよい」「元首」といった天皇像からは遠いところにある
全ての戦争犠牲者を慰霊し、平和を希求した。パラオ・ペリリュー島の玉砕やマニラの市街戦など、慰霊の旅では埋もれがちな歴史を再認識させてくれた
「そうした公的行為を全身全霊で行うことが難しくなったからこそ、さらには次の世代のことも考えた上で、退位の意向をにじませた『お言葉』を表明したはず」と、橋本さんは「一代限り」の特例法を批判する
高齢化の問題が再び浮上するのは間違いない。皇族減少への対応も含め、象徴天皇制をどう安定的に維持するか。議論は始まったばかりだ。(引用ここまで
 
共同通信 退位法案「先例になる」菅氏、皇族減巡り適切対応  2017/6/1 11:58
 
 
天皇陛下の退位を実現する特例法案が1日午前、衆院議院運営委員会で審議入りした。午後に可決する。菅義偉官房長官は法案に関し、将来の天皇が退位する際の先例になり得ると表明。「女性宮家」創設などの皇族減少対策を巡っては「法施行後の具体的な検討に向けて、適切に対応したい」と述べ、法施行前も含め、何らかの検討をする考えを示唆した。元号改定の時期は、国民生活への影響を考慮して決める姿勢を示した。法案は2日に衆院を通過し、来週に参院で成立する方向。1日の議運委で、女性宮家創設の検討を政府に求める付帯決議案も採択する。(引用ここまで
 

 毎日新聞 陛下 退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」 2017年5月21日 06時30分

https://mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c

 
時代によって変わってきた天皇と国民の距離

天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分の…(略)

自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。

宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。

 

ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。

陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる

宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。

陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。【遠山和宏】

 

【ことば】退位の有識者会議

 

天皇陛下が昨年8月、退位の意向がにじむおことばを公表したのを踏まえ、政府が設置。10月から議論を始めた。学者ら6人で構成し、正式名称は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」。11月に16人の専門家から意見聴取し、今年1月の会合で陛下一代限りの特例法制定を事実上推す論点整理をまとめた。4月に最終報告を首相に提出した。(引用ここまで

 


中3の5月に修学旅行で広島を訪れた感想を読むと、もう愛子ちゃんとは呼べない!愛子さんだね!素晴らしい!NHKにあっぱれ!

2017-03-22 | 天皇制

皇室はどうなっているか!

まさか、こんな発言をする人が出てくるとは!

これまで想像すらしていない!できなかった!

ヒバクシャ・ヒバクシャ・ナガサキは

感動しているだろう!

世界は大拍手を送っているだろう!

これは政治的発言ではなく

人道的民主主義的常識的発言だろう!

この発言から何を学ぶか!

主権者国民はどうするか!

国家の最高法規=憲法平和主義を活かす政治の実現だな!

 だからこそ

 核兵器禁止条約締結に向けて!

【全文】愛子さま 卒業文集に平和への思い記す

NHK  3月22日 12時28分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170322/k10010920101000.html

愛子さまは、学習院女子中等科の卒業文集で、「世界の平和を願って」と題して、去年、修学旅行で広島市の平和公園を訪れた経験をもとに「平和」への思いを記されました

この中で、愛子さまは、「原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、71年前の8月6日、その日その場に自分がいるように思えた」と当時の心境を明かしたうえで、「原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた」と振り返られました。

一方で、愛子さまは、原爆慰霊碑の前から、「平和の灯(ともしび)」の向こうに原爆ドームが見えた際、「間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった」と記されました。

そして、「唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」とまとめられました。

世界の平和を願って 敬宮 愛子

卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中3の5月に修学旅行で広島を訪れてからである。
原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、71年前の8月6日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。
最初に71年前の8月6日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。
その2週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った2羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。
平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。
平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。
何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。
「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。(引用ここまで)