(今日の写真は、追子森山頂「標高1139m」直下に見られる、雪を纏ったマツ科ツガ属の常緑針葉樹「米栂(コメツガ)」である。ブナの低木林が切れた辺りの高みになると出会える樹木だ。
今年は少雪ゆえに、まだ「針葉」の緑が見える。しかし、例年並みの降雪が続いていると、八甲田山の「アオモリトドマツ(オオシラビソ)」が造り出す「樹氷」のような「風姿」となる。だが、それは「出来方」が同じなだけで、厳密な意味では、その姿も趣も全く違う。その違いを簡単にデフォルメすると、八甲田山の「樹氷」は「ゴツゴツ感と屹立」だが、岩木山の「コメツガ」の方は「すっぽりと白いマントを被った円柱」とでもなろうか。「今日の写真」の右隅に見える雪塊がそれに近いのである。
しかし、今季は少雪だから、「白いマントをすっぽり」被ったような姿にはなっていないのである。
この写真のような今季の「雪を枝々に載せているコメツガ」を見て、ある人が「人工的な作り物」とか「舞台の大道具のようだ」とか「デズニーランドにある風景」だとか言ってくれた。確かにそのようにも見える。だが、これには「人手」も「人の知恵」も「人の感性」も何一つ加えられてはいない。純粋な自然の「造化」である。
私は「タイガ」のことを想像しながら、タイガの森のモミやトウヒも雪を戴くとこのように見えるのだろうと思った。そして、しばし「シベリヤ」の森にいる「雰囲気」に浸った。
「タイガ」とは、ロシア語でシベリア地方の針葉樹林のことだ。これはユーラシア大陸と北アメリカ大陸の亜寒帯に発達するものだ。地下は永久凍土層になっている。
樹種は、針葉樹のモミ、トウヒ、カラマツ、それに広葉樹のカバノキとハコヤナギが混じる。日本に近い極東や北アメリカのタイガもすべてモミやトウヒを中心とした常緑針葉樹林である。
この「コメツガ」は、岩木山では「赤沢の左岸尾根」から「水無沢の右岸尾根」にかけての範囲には全く見られない。つまり、岩木山の南寄りの尾根から北東面の尾根には生えていないのである。だから、岳登山道尾根、百沢登山道尾根、それに弥生登山道尾根を登っても出会えない樹木なのだ。
この生えていない尾根は「新しい岩木山」が形成した尾根であり、生えている尾根は「古い岩木山」が造山運動の中で形成したものだといわれている。「新しい岩木山」とは現在の山頂(中央火口丘)が出来た頃の岩木山である。
諸説あるが一説によると、今から2500年くらい前に、噴火爆発が起こり、今ある山頂ドームを形成したというのだ。それによって、弘前方面から見えるような山容の現在の岩木山になったという。
その時に、噴出した溶岩や破砕物が生えていたコメツガを埋めてしまったのだろう。その噴火の影響を受けなかった尾根には今でも「コメツガ」が生えているのである。)
冬、野鳥にたちに出会う登山は…(3)
(承前)
…雪面を褐色に染めて敷き詰められていたものは、「カラマツ」の「松笠」である。といっても、当然「種子」は入っていない「アトリ」が食べた空の「松笠」であった。
それにしても、凄い数である。その数が、短く「キョッ キョッ キョッ」と続けて鳴き交わしながら「松笠」の種子を啄んでいるのだ。
「アトリ」は時に、数千、数万もの大群で飛び交うことがあるそうだ。さっき耳にした「大粒の雨か霰が降ってきたような音」から想像すると、それくらいはいるのかも知れない。
これが一斉に飛び出し、天を舞ったら文句なしで「壮観」なことだろうと思った。
この「壮観」な「アトリ」などの「渡り」の情景を、「島崎藤村」は「夜明け前」の 第二部上の中で、…�子鳥 、深山烏 、その他の小鳥の群れが美濃方面から木曾の森林地帯をさして、夜明け方の空を…と表現している。私も、「藤村」の気分を味わいたかったが、その「乱舞」する時まで待っているわけにもいかず「キョッ キョッ キョッ」という明るくはしゃいでいるような鳴き声をあとに、「追子森」を目指して、登り続けたのである。
昨日の写真からも分かるように、「アトリ」は全体的に「三色」である。雄は、喉から胸にかけて橙色、頭部から背中にかけて黒、腹部が白である。雌は、これらの色具合が薄くなっている。大きさは、頭から尾までの長さが15cm前後である。
スコットランド、スカンジナビア半島、ロシア、シベリア、アムール、サハリンなどユーラシア大陸の亜寒帯の針葉樹林帯で夏に繁殖し、秋になると南下し、西はイベリア半島、欧州中央部から、東は日本列島に至るまでの広い地域で越冬する典型的な冬鳥である。
渡って来た頃には、亜高山帯の針葉樹林で大群が見られるが、徐々に山を下って、山麓のカラマツ林や落葉樹林、雑木林などに生息するようになる。また、平地で見られることも多い。
餌となる「果実」はナナカマドやズミなどであり、「種子」はカエデ類やモミなどの針葉樹の「種子」だ。冬季は群れで行動し、水田、河原、畑などで草本類の「種子」を食べる。
きっと、「追子森」や「赤倉登山道尾根」に生えている「コメツガ」にも、雪が消えたら、その実を食べるために「アトリ」はやって来るに違いない。
春になると帰る「タイガ」の森のモミやトウヒも今はきっと、岩木山のコメツガのように「雪を枝々に載せている」のだろう。やがて、雪が消えて緑一色にタイガの森が染まる頃、「ヒュルヒュルチチチギィー」という鳴き声を残して、彼らは「天空を乱舞」しながら立ち去るのだ。
果たして、暖冬と言われている今季は、その時期が早くなるのだろうか。(明日に続く)
今年は少雪ゆえに、まだ「針葉」の緑が見える。しかし、例年並みの降雪が続いていると、八甲田山の「アオモリトドマツ(オオシラビソ)」が造り出す「樹氷」のような「風姿」となる。だが、それは「出来方」が同じなだけで、厳密な意味では、その姿も趣も全く違う。その違いを簡単にデフォルメすると、八甲田山の「樹氷」は「ゴツゴツ感と屹立」だが、岩木山の「コメツガ」の方は「すっぽりと白いマントを被った円柱」とでもなろうか。「今日の写真」の右隅に見える雪塊がそれに近いのである。
しかし、今季は少雪だから、「白いマントをすっぽり」被ったような姿にはなっていないのである。
この写真のような今季の「雪を枝々に載せているコメツガ」を見て、ある人が「人工的な作り物」とか「舞台の大道具のようだ」とか「デズニーランドにある風景」だとか言ってくれた。確かにそのようにも見える。だが、これには「人手」も「人の知恵」も「人の感性」も何一つ加えられてはいない。純粋な自然の「造化」である。
私は「タイガ」のことを想像しながら、タイガの森のモミやトウヒも雪を戴くとこのように見えるのだろうと思った。そして、しばし「シベリヤ」の森にいる「雰囲気」に浸った。
「タイガ」とは、ロシア語でシベリア地方の針葉樹林のことだ。これはユーラシア大陸と北アメリカ大陸の亜寒帯に発達するものだ。地下は永久凍土層になっている。
樹種は、針葉樹のモミ、トウヒ、カラマツ、それに広葉樹のカバノキとハコヤナギが混じる。日本に近い極東や北アメリカのタイガもすべてモミやトウヒを中心とした常緑針葉樹林である。
この「コメツガ」は、岩木山では「赤沢の左岸尾根」から「水無沢の右岸尾根」にかけての範囲には全く見られない。つまり、岩木山の南寄りの尾根から北東面の尾根には生えていないのである。だから、岳登山道尾根、百沢登山道尾根、それに弥生登山道尾根を登っても出会えない樹木なのだ。
この生えていない尾根は「新しい岩木山」が形成した尾根であり、生えている尾根は「古い岩木山」が造山運動の中で形成したものだといわれている。「新しい岩木山」とは現在の山頂(中央火口丘)が出来た頃の岩木山である。
諸説あるが一説によると、今から2500年くらい前に、噴火爆発が起こり、今ある山頂ドームを形成したというのだ。それによって、弘前方面から見えるような山容の現在の岩木山になったという。
その時に、噴出した溶岩や破砕物が生えていたコメツガを埋めてしまったのだろう。その噴火の影響を受けなかった尾根には今でも「コメツガ」が生えているのである。)
冬、野鳥にたちに出会う登山は…(3)
(承前)
…雪面を褐色に染めて敷き詰められていたものは、「カラマツ」の「松笠」である。といっても、当然「種子」は入っていない「アトリ」が食べた空の「松笠」であった。
それにしても、凄い数である。その数が、短く「キョッ キョッ キョッ」と続けて鳴き交わしながら「松笠」の種子を啄んでいるのだ。
「アトリ」は時に、数千、数万もの大群で飛び交うことがあるそうだ。さっき耳にした「大粒の雨か霰が降ってきたような音」から想像すると、それくらいはいるのかも知れない。
これが一斉に飛び出し、天を舞ったら文句なしで「壮観」なことだろうと思った。
この「壮観」な「アトリ」などの「渡り」の情景を、「島崎藤村」は「夜明け前」の 第二部上の中で、…�子鳥 、深山烏 、その他の小鳥の群れが美濃方面から木曾の森林地帯をさして、夜明け方の空を…と表現している。私も、「藤村」の気分を味わいたかったが、その「乱舞」する時まで待っているわけにもいかず「キョッ キョッ キョッ」という明るくはしゃいでいるような鳴き声をあとに、「追子森」を目指して、登り続けたのである。
昨日の写真からも分かるように、「アトリ」は全体的に「三色」である。雄は、喉から胸にかけて橙色、頭部から背中にかけて黒、腹部が白である。雌は、これらの色具合が薄くなっている。大きさは、頭から尾までの長さが15cm前後である。
スコットランド、スカンジナビア半島、ロシア、シベリア、アムール、サハリンなどユーラシア大陸の亜寒帯の針葉樹林帯で夏に繁殖し、秋になると南下し、西はイベリア半島、欧州中央部から、東は日本列島に至るまでの広い地域で越冬する典型的な冬鳥である。
渡って来た頃には、亜高山帯の針葉樹林で大群が見られるが、徐々に山を下って、山麓のカラマツ林や落葉樹林、雑木林などに生息するようになる。また、平地で見られることも多い。
餌となる「果実」はナナカマドやズミなどであり、「種子」はカエデ類やモミなどの針葉樹の「種子」だ。冬季は群れで行動し、水田、河原、畑などで草本類の「種子」を食べる。
きっと、「追子森」や「赤倉登山道尾根」に生えている「コメツガ」にも、雪が消えたら、その実を食べるために「アトリ」はやって来るに違いない。
春になると帰る「タイガ」の森のモミやトウヒも今はきっと、岩木山のコメツガのように「雪を枝々に載せている」のだろう。やがて、雪が消えて緑一色にタイガの森が染まる頃、「ヒュルヒュルチチチギィー」という鳴き声を残して、彼らは「天空を乱舞」しながら立ち去るのだ。
果たして、暖冬と言われている今季は、その時期が早くなるのだろうか。(明日に続く)