たんぽぽの心の旅のアルバム

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『木靴の樹』とバッハの音楽_「木靴の樹」より

2014年07月31日 23時17分23秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画のパンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

 「時は変わらずに流れ続けていく。人が生まれ、成長し、子を生み、やがて年老いて死ぬ。人間や動物の誕生と死のサイクルもまた自然のサイクルの一部だ。教会の鐘の音が一日の区切りを知らせ、季節の移り変わりが人々に何をすべきかを教えてくれる。そこでは進化する時間や歴史の概念はありえず、人々は悠々と反復する自然のサイクルに従ってただ生きること、それだけである。

 オルミ監督は、こうしたベルガモの農民の姿を、始めも終わりもないかたちで、何の意味づけも解釈もほどこさず、ただ見つめ続けている。そこには個人と個人の自我のドラマはなく、ただ生活する姿だけが描かれている。画面に現れる音楽も、地主が蓄音機で鳴らすモーツアルトの「ドン・ジョバニ」のアリアと息子のピアノ以外は全て生活に直接結びついた民族音楽ばかりである。

 するとバッハの「芸術」音楽だけがどうして、この画面の別の次元で鳴らされているのだろうか。それが最初に頭に浮かんだことであった。それに、ベルガモの人々の信仰はカトリックのマリア信仰であり、バッハはドイツ・プロテスタントの伝統音楽である。

 いっさいの心理ドラマ仕立てを避け、見る者の感情移入を拒むような抑制された画面に対して、バッハの音楽だけがエピソードの情緒的な内容を補う効果音楽として用いられているのだろうか。うっかりすると私たちはそのようにだけ聴いてしまいそうだ。ところが、使われている音楽、特にオルガン・コラールの題名を詳しく調べてみると、オルミ監督はもっと周到な別の意図をもって扱っていることがわかってきたのである。

 彼はバッハの音楽から8曲を選び出したが、冒頭の有名なト短調の小フーガと後半に一度だけ現れる無伴奏チェロ組曲(第3番よりサラバンド)(マッダーレとステファノが小舟でミラノへ向かう場面)のほかは、全て象徴的な題名をもった宗教作品によっており、この題名の象徴する意味こそが、実は音楽の選択の基準になっていたのである。

 彼はまず全体の中心となるテーマとして<片足は墓穴にありて我は立つ>(カンタータNo.156の冒頭のシンフォニアとチェンバロ協奏曲第5番第2楽章に用いられているもののオルガン編曲、通称アリオーソ)を選んだ。冒頭の小フーガのあとテレジーナとアネッタが町から洗濯ものを運んで帰ってくる川べりのシーンで初めて現われ、バティスティの一家が農場を追われ、わずかばかりの家財を積んで黙々と闇の中を去っていく最後に延々と流れ続ける曲である。題名の意味をどのようにも解釈できようが、人間の生と死、幸いと悲しみはいつも隣りあわせにある、ということであろうか。

 貧しいけれど、とりわけ信仰の厚いルンク未亡人。おじいさんと6人の子供をかかえ、毎日の洗濯の仕事でようやく一家を支えるこのルンク未亡人の二つのエピソード(下の二人の子供を養育院に預けるかどうか、食卓を中に15歳のベビーノに語りかける。「俺が昼も夜も働くから・・・」。そして、たった一つの財産である牛が病気にかかり、マリア様の奇蹟で回復する話)には<我を憐れみ給え、主なる神よ>(コラール前奏曲BWV721)を用いており、これは、この二つのエピソードに先立ってアンセルモじいさんが畑の雪の下ににわとりの糞をうめる場面にも現われるので、ルンク未亡人の家族のテーマとも考えられる。

 そして、バティスティとミネクをめぐる”木靴の樹”のエピソード。子供を産みおえたバティスティーナの安らかな顔。一方、学校の石段でミネクの木靴が割れる。バティスティは深夜、ポプラの樹に斧を打ちつけた。そして、台所で蝋燭の火をたよりに木靴の底を削る。これらのシーンには<来たれ安き死、来たれ安らかな憩いよ>(シェメッリ宗教歌曲集よりBWV478)を選んでいる。日々を精いっぱい生きる貧しい小作農に安らぎの時はいつやってくるのであろうか。

 このバティスティの家族のエピソードの途中、生まれたばかりの子供とベッドに横たう母親がミネクに語りかける場面には、中心テーマ<片足は墓穴にありて我は立つ>が挿入されている。

 以下に用いられている音楽を列挙すると-

 冬が過ぎ野や畑に草花の芽がふく春がやってきた。人々は畑仕事に精を出し、子供たちは生き生きと動きまわっている:<いざ喜べ、愛するキリスト者たちよ>(コラール前奏曲BWV734)

 マッダレーナとステファノの結婚、二人を乗せた馬車が教会へ向かう場面:<愛するイエスよ、我はここにあり>(コラール前奏曲BWV731)

 ミラノの修道院で初めて夜を明かした二人に、捨て子が託される場面:<いざ来ませ、異邦人の救い主よ>(コラール前奏曲BWV659)
 
 あえてこれらに解釈をほどこさなくてもオルミ監督の意図はおわかりだと思う。ただ、チェロのサラバンドだけが例外で、ほかの場面と違って、ここでは全く抒情性を排しているように見えるが、それはおそらく近代的な結婚にまつわる観念、あるいはロマン風情愛の表現を抑制するために、あえてこれを選んだように思われる。

 この映画で用いられているバッハのオルガン曲を集めて編んだフェルナンド・ジェルマーニの『木靴の樹』と題するアルバムに寄せたコメントの中で、オルミ監督は次のように言っている。

「私はモンタージュのリズムを支えるために、いつもあらゆる音楽を映像の個々のシーンに近づけてみる。従って(私の映画では)音楽はいつも多少とも機能をもつようになっている。しかし今回は不思議なことに、映像の方はどんなタイプの音楽をも拒否したのである。つまり、田園の雰囲気や農村の推移がまるで別世界の出来事(別の文化)のように見えてしまうのだ。そこで結局、ほとんど諦めた気分で、バッハのオルガン曲を使ってみることにした。するとたちまち、自分の映画の音楽は見つかった、という気持ちになったのである。」

 オルミはここでは、具体的にどのように音楽を配置したかは語っていないが、まずト短調のフーガを冒頭に置くことで、この映画の世界を象徴的に暗示する。そして、<片足は墓穴にありて我は立つ>を農民たちの生活世界全体を包む主題として導入部と終わりのシーンの両端に置いた。個々のエピソードに対応するテーマはすでに述べた通りだが、この映画の中心エピソードであるバティスティとミネクの「木靴の樹」のテーマは<来たれ安き死、来たれ安らかな憩いよ>が選ばれており、この三つのテーマが音楽の面から全体の構造を作っているように思われる。

ところで、バッハの音楽の源泉は大雑把にいえばコラール(ここで用いられているオルガン・コラールのもとになった賛美歌。オルガン・コラールは会衆が旋律を覚えて歌いやすいように、歌の前奏として作られた)にあるといってよいが、このコラールは16世紀初頭ルターによって聖書のことばを民衆にわかりやすく理解させるために考えられた、いわば宗教的民謡であり、200年後にバッハがカンタータなどで用いたものはほとんどが、そうした歌が自然に淘汰されて歌い継がれてきたものであった。そして、その旋律はさらにルター以前にまでさかのぼる、素朴な生活感情から生まれたメロディでもあった。コラールはこうして永い伝統の中でかたちづくられた、民衆にとっての民族的な、また宗教的な象徴としての意味を持っていたものなのである。

 そして、その永い民衆の伝統の上にバッハの音楽が築きあげられたとすれば、最初に感じられた疑問はここではじめて氷解する。

 バッハの音楽は個々の感情と時代を超えて、何かより“大きな感情”を私たちに与えるとよく言われるが、冒頭のト短調のフーガは、いわば土とともにえいえいと営まれるベルガモの農民たちの生活世界を象徴するにふさわしい音楽であり、また、この映画の中心テーマとして用いられた<片足は墓穴にありて我は立つ>のアリオーソも、バティスティの家族のエピソードに用いられている<来たれ安き死、来たれ安らかな憩いよ>のオルガン・コラールも、この常民の世界を大きく包む象徴的な音楽として私たちに響いてくるのである。

 オルミ監督はさきほどのコメントに続けて言う。
「農村を描いたその画面に対して、バッハの音楽は優雅でありすぎるのではないかという意見もあった。だが私はそうは思わない。詩的な存在としてのバッハの偉大さは、貴族的でもなければ、世俗的でもなく、ただ真実のごとくに簡潔で本質的なことなのだ。だから私は確信するのだ。農民の世界とバッハの音楽はたがいに通じ合うもので、『木靴の樹』を音楽的に支えるという以上に、完全に調和するものであるにちがいない」と。」


 安芸光男(音楽ジャーナリスト)





 

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