「ねえ、人間ってね、自分の感情をぶちまける相手がいないと、悲しくなってしまうものでしょう。そんな憂鬱の淵の底に沈んでいるときに、ほんとにほしいと思うものは、だれでも幸福だと思うの。わたしが言っているのは、物質的な幸福ではなくて、心の幸福よ。そして、それを求めて、求めて、ついに見つけだして、しっかりと自分の心につかまえたら、二度と失うことはないわ」
わたしの顔をじーっとみつめながら、ジャックは、せきこむようにたずねてきました。
「きみは、それを見つけだしたんだね。どこで、どうやって?」
「ついていらっしゃいな」わたしは立ちあがり、へやから廊下へ出ていくと、暗い階段をのぼって、アパートの屋根裏に案内しました。そこは居住者共同の物置になっていて、明かり取りの窓が一つだけついていました。さっきいったように、アパートはその地区で群を抜いた高さを誇っていましたので、窓ごしに外をながめると、果てしなく続く空が見えるのです。
「あのね、ジャック、もしあなたが自分の心の中に幸福を見つけだしたかったら、すてきな青い空いっぱいに太陽が輝いている日に、外へ出てごらんなさい。さもなければ、こんなふうに、窓べりに立って、窓ごしに、まっさおな空の下のわたしたちの町をながめてごらんなさいな。遅かれ早かれ、あなたは見つけだせるわよ。
わたしの場合のことをお話しさせてね。わたしがまだ寄宿制の中学校にいたときのことなの。わたし、学校も寄宿生活もどうしても好きになれなかった。進級すればするほど、きらいになってしまったの。そこである自由時間の午後、規制を破って、荒野をひとりでぶらついたの。そして、草の上にすわりこんでは、しばらくあれこれと、いろいろ考えていたわ。
小鳥のさえずりで、ふと見上げると、その日がすばらしい日だっていうことが、はじめてわかったのよ。そのときまで、わたしって、自分のうじうじした考えにがんじがらめになっていたので、気がつかなかったってことを。
わたしが身のまわりの美しさを感じて、それを目で見たその瞬間、それまでわたしを悩ませつづけていた、さまざまのくだらない雑音が、ぴたりと聞こえなってしまったの。そして、あの瞬間から、わたし、美しいことや真実しか感じなくなったんです。そしてすべての悩みから解放されたの。
わたし、三十分かそこら、そこにすわって、それから学校へ戻ったんだけど、もう憂鬱じゃなかったわ。何もかもがすてきに見えたし、さまざまの色や形や大きさのものが、それぞれ、それなりに美しいと感じられたわ。
あとで、その日の夕方なんだけど、わたし、生まれてはじめて、自分の心の中に幸福を発見したんだなあと、はっきりわかったの。時代や環境がどうあろうとも、幸福はいつも自分の心の中にあるということもよ」
「そして、それがきみの人生観を変えたんだね」
「そう。かんたんにいうと、現在に満足するということを知ったの。こんな偉そうなこといってるけど、正直いって、時どき、不満をおぼえることもあるわ。でも、前のように、もうみじめじゃないわ。ほんとの悲しみって、自分で自分を悲しみの底に沈めてしまうことが原因だし、逆に、ほんとの幸福って、喜びから生まれるってことが、わかってきたからだと思うの」
わたしが話しおわっても、ジャックは、まだ窓ごしに外をみつめており、深いもの思いにふけっているようでした。とつぜん、彼は振り返り、わたしをみつめました。
「ぼくは、きみとちがって、まだ幸福を見つけていない。けれど、得がたいものを、ぼくを理解してくれる人を見つけることはできた」
わたしには、彼の言わんとすることがわかりました。そんなときから、わたしはもう孤独ではなくなったのです。そして、真の友と分ち合う喜びは、ひとりだけの喜びよりも、はるかにはるかにすばらしいものであることを、日を経るごとに知ったのです。
**********
アンネの青春を考える 田中澄江
戦争という、非人間的な行為は、実に悲惨な破壊を地上にもたらすものだけれど、殊にいたましいのは、若くみずみずしい生命の芽を、無惨にも踏みにじることである。
第二次世界大戦において、多数のユダヤ人をしたドイツの狂気によって、アンネ・フランクもまた、わずか15歳の蕾の花を散らした。
富裕な実業家の位置、やさしい思いやりのある母、美しく才能ゆたかな姉-そのような家族につつまれて、平和な日々を送っていたアンネは、ユダヤ人であるためにドイツ人に追われ、二年という月日を隠れ家に身をひそめ、声もしのばせて暮らさなければならなかった。
神さまは、なぜ、このような苦しみを与えられたのか。にもかかわらず、アンネの『日記』は、このような悲惨な生活の中でも、希望を失うことなく、いつも他者のしあわせを祈る健気さで貫かれていて、読むたびに胸を打たれる。また、アンネの『童話』は、この辛い世界を、空想の翼をひろげて超えていく少女の夢の豊かさに溢れ、その精神の強さとともに深く感動させられる。
アンネの書き残したことばのたった一行にも、人間性の尊さが光もまばゆく輝いているように思う私は、新しくその『青春ノート』が発刊されることを聞いたとき、涙がほとばしるほどの嬉しさを感じた。神さまはやっぱり、地上でわずかな時間しかもてなかった少女に、永遠の生命を与えられたのである。
アンネの青春は無惨に傷つき蕾のままに滅び去ったように見えるけれど、このノートに刻み込まれた一つのことば、一つの文章のことごとくが今、アンネの生命となって、不滅の光芒を放ちながら、ここによみがえったということができる。
(アンネ・フランク『アンネの青春ノート』小学館、1978年8月20日初版より)
わたしの顔をじーっとみつめながら、ジャックは、せきこむようにたずねてきました。
「きみは、それを見つけだしたんだね。どこで、どうやって?」
「ついていらっしゃいな」わたしは立ちあがり、へやから廊下へ出ていくと、暗い階段をのぼって、アパートの屋根裏に案内しました。そこは居住者共同の物置になっていて、明かり取りの窓が一つだけついていました。さっきいったように、アパートはその地区で群を抜いた高さを誇っていましたので、窓ごしに外をながめると、果てしなく続く空が見えるのです。
「あのね、ジャック、もしあなたが自分の心の中に幸福を見つけだしたかったら、すてきな青い空いっぱいに太陽が輝いている日に、外へ出てごらんなさい。さもなければ、こんなふうに、窓べりに立って、窓ごしに、まっさおな空の下のわたしたちの町をながめてごらんなさいな。遅かれ早かれ、あなたは見つけだせるわよ。
わたしの場合のことをお話しさせてね。わたしがまだ寄宿制の中学校にいたときのことなの。わたし、学校も寄宿生活もどうしても好きになれなかった。進級すればするほど、きらいになってしまったの。そこである自由時間の午後、規制を破って、荒野をひとりでぶらついたの。そして、草の上にすわりこんでは、しばらくあれこれと、いろいろ考えていたわ。
小鳥のさえずりで、ふと見上げると、その日がすばらしい日だっていうことが、はじめてわかったのよ。そのときまで、わたしって、自分のうじうじした考えにがんじがらめになっていたので、気がつかなかったってことを。
わたしが身のまわりの美しさを感じて、それを目で見たその瞬間、それまでわたしを悩ませつづけていた、さまざまのくだらない雑音が、ぴたりと聞こえなってしまったの。そして、あの瞬間から、わたし、美しいことや真実しか感じなくなったんです。そしてすべての悩みから解放されたの。
わたし、三十分かそこら、そこにすわって、それから学校へ戻ったんだけど、もう憂鬱じゃなかったわ。何もかもがすてきに見えたし、さまざまの色や形や大きさのものが、それぞれ、それなりに美しいと感じられたわ。
あとで、その日の夕方なんだけど、わたし、生まれてはじめて、自分の心の中に幸福を発見したんだなあと、はっきりわかったの。時代や環境がどうあろうとも、幸福はいつも自分の心の中にあるということもよ」
「そして、それがきみの人生観を変えたんだね」
「そう。かんたんにいうと、現在に満足するということを知ったの。こんな偉そうなこといってるけど、正直いって、時どき、不満をおぼえることもあるわ。でも、前のように、もうみじめじゃないわ。ほんとの悲しみって、自分で自分を悲しみの底に沈めてしまうことが原因だし、逆に、ほんとの幸福って、喜びから生まれるってことが、わかってきたからだと思うの」
わたしが話しおわっても、ジャックは、まだ窓ごしに外をみつめており、深いもの思いにふけっているようでした。とつぜん、彼は振り返り、わたしをみつめました。
「ぼくは、きみとちがって、まだ幸福を見つけていない。けれど、得がたいものを、ぼくを理解してくれる人を見つけることはできた」
わたしには、彼の言わんとすることがわかりました。そんなときから、わたしはもう孤独ではなくなったのです。そして、真の友と分ち合う喜びは、ひとりだけの喜びよりも、はるかにはるかにすばらしいものであることを、日を経るごとに知ったのです。
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アンネの青春を考える 田中澄江
戦争という、非人間的な行為は、実に悲惨な破壊を地上にもたらすものだけれど、殊にいたましいのは、若くみずみずしい生命の芽を、無惨にも踏みにじることである。
第二次世界大戦において、多数のユダヤ人をしたドイツの狂気によって、アンネ・フランクもまた、わずか15歳の蕾の花を散らした。
富裕な実業家の位置、やさしい思いやりのある母、美しく才能ゆたかな姉-そのような家族につつまれて、平和な日々を送っていたアンネは、ユダヤ人であるためにドイツ人に追われ、二年という月日を隠れ家に身をひそめ、声もしのばせて暮らさなければならなかった。
神さまは、なぜ、このような苦しみを与えられたのか。にもかかわらず、アンネの『日記』は、このような悲惨な生活の中でも、希望を失うことなく、いつも他者のしあわせを祈る健気さで貫かれていて、読むたびに胸を打たれる。また、アンネの『童話』は、この辛い世界を、空想の翼をひろげて超えていく少女の夢の豊かさに溢れ、その精神の強さとともに深く感動させられる。
アンネの書き残したことばのたった一行にも、人間性の尊さが光もまばゆく輝いているように思う私は、新しくその『青春ノート』が発刊されることを聞いたとき、涙がほとばしるほどの嬉しさを感じた。神さまはやっぱり、地上でわずかな時間しかもてなかった少女に、永遠の生命を与えられたのである。
アンネの青春は無惨に傷つき蕾のままに滅び去ったように見えるけれど、このノートに刻み込まれた一つのことば、一つの文章のことごとくが今、アンネの生命となって、不滅の光芒を放ちながら、ここによみがえったということができる。
(アンネ・フランク『アンネの青春ノート』小学館、1978年8月20日初版より)
アンネの青春ノート (てんとう虫ブックス) | |
アンネ フランク | |
小学館 |