たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『エリザベート』四度目の観劇_生きることは切なく

2015年07月25日 14時49分27秒 | ミュージカル・舞台・映画
連日エリザベートが熱いですね。つたないものを読んでいただき、ありがとうございます。

7月20日(月)、夜の部(17時30分-20時40分)。満員御礼。

エリザベート:花總まり
トート:井上芳雄
フランツ:田代万里生
ルドルフ:古川雄大
ゾフィー:香寿たつき
ルキーニ:山崎育三郎
少年ルドルフ:大内天


プレビュー初日以来のプリンシバルキャスト。
子ルドは三人ともあたりました。


19日(日)の観劇後、ゆっくりとお茶を飲みながら購入したばかりの舞台写真付きの本を読んでから、帝劇の地下から地下鉄に乗ろうとうろついていたら、トートダンサーのお一人と思われる方をおみかけしました。お疲れの様子でしたが、20日(月)はまた美しいダンス。
トートダンサーは8人いらっしゃるのでなかなか見分けられません。
舞踏会でシシィと踊る乾さん、フランツと踊る小南さん、
ルドルフを抱きかかえて棺に運ぶ田極さんはわかるようになりました。


色々と思いはやはり尽きることがないですが、印象に残る場面、まずはバートイシュルで、姉のヘレネに付き添っていっただけのつもりのシシィが、鹿を見つけると「鹿、鹿」と追いかけながら白いドレスをたくしあげてはしゃぎまわっているところでしょうか。

この場面、宝塚では、鮮やかなブルーのドレスを着て、「暑いったらありゃしない」という台詞がありました。東宝では台詞はありませんが、帽子で仰ぐしぐさとニヒヒ、イヒヒといった感じの笑顔で、とても自然に表現してくれています。
無理に創り上げているわけではなく、本当に自然に10代の少女にみえるのだから不思議です。

フランツの放った鉄砲の音に驚いたシシィは、フランツをまっすぐな瞳で見つめます。
「やあっ」と言葉をかけたフランツは、シシィと目があったその瞬間、シシィを好きにならずにはいられませんでした。シシィは「やあっ」に、手を振ってはしゃいでいます。
それからフランツは、ニコニコニコニコとお見合い相手のヘレネではなく、シシィだけを見つめ続けています。その笑顔の優しいこと。
フランツが自分だけを見つめていることに全く気づいていない様子のシシィは、マカロン頂戴といったしぐさをしたり、ヘレネの腕のリボンがとれてしまったのをつけてあげたり、足をバタバタさせたり、そしてフランツがダンスを誘う段になると、ヘレネに、姉さん大丈夫よ、がんばってね、といったしぐさをします。
フランツがヘレネではなく、自分の前に立ち止まって手を差し出すと、一瞬驚いた表情になり、戸惑いをみせます。そして、フランツの「君がいい」という優しい声に、シシィの中にもフランツへの想いが生まれてきます。その移り変わりをこまかく丁寧にみせてくれています。

二人で手を取り合いながら、「あなたが側にいれば」を歌っている時、演じている花總さんの瞳には、生き生きとした笑顔の中で、ほんとうに涙があふれているんですね。
フランツを好きになった想いを全身で体現していて、田代さんもシシィへの優しさを全身で体現しているので、微笑ましかったです。それだけにいっそう、晩年の二人の「夜のボート」が切なくてなりません。史実でも、シシィは、「フランツが皇帝ではなく仕立て屋さんだったらよかったのに」と言ったとか。
フランツが一目でシシィを好きならずにはいられなかったことに説得力がないと、その後の展開にも説得力がない作品なんだとあらためてわかりました。

シシィ「馬に乗りましょ、世界中旅をするの、自由に生きて行くのよ」

フランツ「皇帝に自由などないのだ、義務の重さに夢さえ消える」

シシィ「夢はそこに」

フランツ「小さな幸せもつかめない」

シシィ「私がつかめる」

フランツ「皇帝は自分のためにあらず、国家と臣民のため生きる、 皇后にも等しく重荷が待っている、それでも君がついてこれるなら嵐もこわくはない」

二人で「二人寄り添えれば全てを超えることができる」

シシィ「勇気を失い、くじけそうな時もあなたが側にいれば」

記憶で書いているので正確ではありませんが、こんなふうに歌われていました。


晩年の「夜のボート」になると、同じメロディラインで想いあっているのに寄り添うことができないすれ違いが歌われます。

シシィ「愛にも癒せないことがあるわ」

二人で「すれ違うたびに孤独は深まり、安らぎは遠く見える」


2000年の初演で、高嶋さんルキーニが「本当の話、シシィはものすごいエゴイスト」と歌った時は衝撃でした。宝塚ではデフォルメされた感のあるところが客席に生々しくせまってきました。2000人の観客がシシィってなんて勝手な人なんだろうっていう空気感になるのを、跳ね返そうとする強さを一路さんシシィはもっていました。強く孤独に全身をはって生き抜いた悲劇的な皇后。(細い体で、トートがダブルキャストだったのに対して、シングルキャストで演じきられました。その時代の「私だけに」。)

15年の時が流れ、社会も移り変わり、観ている私自身にも色々なことがあった現在(今)観ているシシィは、ただ自分勝手というよりは、孤独の中で、無理矢理人に迎合するのではなくひたすら自分を信じて歩み続けた女性という印象になりました。
「私だけに」がもつ意味が同じ歌詞なのに、今回の舞台で変わったと思います。
女性の体をまだコルセットで強く締めあげていた時代に、「私が命委ねる、それは私だけに」
と自分の生き方を貫いたのだからすごいことだと思います。

シシィの歌には、「自由」という言葉が繰り返し出てきます。
本当に自由に、ジプシーのように、気まぐれに生きていくことは、現実に私たちにものすごくむずかしい。どこまでいっても憧れ。生活していかなければなりません。

精神病院を訪問したシシィが、自分をエリザベートだと思っているヴィンデッシュ嬢に「あなたの魂は自由よ」「あなたの方が自由よ」と語りかける場面。
今まではヴィンデッシュ嬢の体を、最後は身動きとれなくなるようにしていたと思いますが、
シシィとスカーフでつながりながら、最後はシシィに優しくスカーフで巻かれて抱かれるという演出に変わりました。
耐えがたい孤独の中で自分が生きていることを、ヴィンデッシュ嬢との対面で思い知らされたシシィは、「闘い続けて手に入れたものはなに」と打ちひしがれたように歌います。何も持たないヴィンデッシュ嬢とコルセットのドレスで体を締め付けているシシィ、二人の女性の対比は、シシィの孤独をより深く感じさせます。

自分の命を精一杯生き続け全うした女性が、最後に少女時代に戻って天に召されていく、
トートに見守られながら、一人で旅立っていく。最後は二人で手を取り合いながら昇天していく宝塚版と一番大きく違うところです。

フランツもまた、自分が生まれながらにして与えられた、自分では選び取ることのできなかったハプスブルク帝国を守り抜くという役割を全うするためには、シシィに「皇后らしくするんだ」「皇后教育、学ばなくては」と言わなければならなかった、苦悩の中で生きていました。


「ハプスブルク家の皇妃としての伝統。それは、常に美しく立ち振る舞い、国の威信をしっかりと守り、そしてそれを人々に示し、次々とこどもを産み、年老いたり病気になった親戚や役人、宮廷奉公人の世話をする。これが大公妃ゾフィーが強要した仕事だった。しかし、エリザベートにはこのような生活は到底受け入れられないことであった。

ヨーロッパの伝統を一心に背負う、堅苦しい宮廷での生活の中でも、フランツ・ヨーゼフとエリザベートは深い愛情によってむすばれていた。まわりの干渉が激しかったにも関わらず、二人の関係が良好であったために、二人はさまざまな障害が降りかかってきても、それを乗り越えることができた。」
 (2012年『輝ける皇妃エリザベート展』公式カタログより)。


人はみんな一人で生まれて、最後はいつかみんな一人で旅立っていかなければなりません。
何が悪いとか誰が悪いとかではなく、誰も悪くない何も悪くないのに、なぜ?どうして?の答えを探し求めても、どこにもないまま、想いが届けられることのないまま、この世にいる間与えられた命を精一杯生きていかなければなりません。
フランツもシシィもそれぞれに精一杯生きて、神様から与えられた自分の役割を全うして生き抜いたと思います。
想いあっていても二人で一つではなく、人はみんな一人。だから、シシィの最期は一人で、「私の命委ねる、それは私だけに」。


こんな強い女性になりたい。自分のしてきたことの、社会での位置づけがようやく確認できるようになってきたので、だいぶ回復しては来たものの、心の井戸がまだ枯渇しているのを感じるこの頃です。心の強さを取り戻していきたいと思います。
生きることは毎日が闘いで切ないもの。こうして一日一日を生きぬことができているのは、当たり前のことではなく奇跡の重なりあい。命ある限り先に逝った人たちの分まで生き抜いていくのが今を生きる私たちの役割なんだとあらためて思います。


ゾフィーの孤独と厳格さもさらに増していました。
「義務を忘れたものは滅びてしまうのよ」。この言葉にゾフィの全てが込められていると思います。フランツに双頭の鷲の紋章を指し示しながら言い聞かせようとしますが、母の行動(娼婦たちを招いたこと)に怒りを露わにしているフランツは背を向けます。
フランツのため、大帝国を守っていくために、「優しさよりも厳しさを」もって、心を鬼にしてやってきた、信念を貫いてきたゾフィーの旅立ちを、羽を付けたトートダンサーがやってきて見送ります。香寿さんの老けぶりが芸達者で、この場面に共感をおぼえて意外と好きだったりします。

古川さんルドフルのことなど書きたいですが、また次回にします。
何度観ても見逃せないところばかりできりがありません。

いろいろと書きたいことがあふれていて、止まらなくなっているこの頃です。

写真は東宝の公式ツィッターよりお借りしました。



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