たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

イエスの言葉を読む「ヨハネによる福音書」編より(3)

2016年09月21日 20時10分11秒 | 本あれこれ
2016年9月4日のこちらの記事の続き。

「イエスの言葉を読む「ヨハネによる福音書」編より(2)」
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f7699e86e168b5ca6baada8069bf77f5

4月9日の、カルチャーセンターでの若松英輔さんの講座より少しつずつ書いています。



「われわれはみな、
 この方の満ち満ちた豊かさの中から、
 恵みの上にさらに恵みを受けた。
 立法はモーセを通して与えられたが、
 恵みと真理は、
 イエス・キリストを通してもたらされた。
 神を見た者は、いまだかつて一人もいない。
 父のふところにいる独り子である神、
 この方が、神を啓示されたのである。
  (「ヨハネによる福音書」1・16-18)

 そして、ヨハネはこう証言した、「わたしは、霊が鳩のように天から降(くだ)り、
 この方の上に留まるのを見た。わたしもこの方を知らなかった。
 しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、こう仰せになった。
 『霊がある人の上に降って留まるのを見たら、その人こそ聖霊によって洗礼を授ける者
 である』と。
 わたしはそれを見た。それでわたしは、この方こそ神の子であると証ししているのである。

  (「ヨハネによる福音書」1・32-34))」(レジュメからの引用)



若松英輔さんのお話からメモったこと。


神はイエスとして現れた。
神の言葉=肉体の魂。我々の魂の空白を埋めてくれる。
宗教は言葉。

イエスは殆ど洗礼を授けていないが、ヨハネから洗礼を受けている。
洗礼=神の門を通る。他者に授けてもらう。

信ずる=他者に向かって開かれていく。

 


  


 


イエス伝
若松 英輔
中央公論新社

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