たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

木漏れ日の美しい秋の日

2014年11月21日 17時06分51秒 | 祈り
自死遺族の会に参加させていただきました。
頭の中がフル稼働したので、終わってからはまた一か月ぶりにちょっと贅沢なパスタランチ。
お茶を何杯でもお替りできるので、ゆっくりと5杯はいただいてしまったと思います。
大きな窓から、木の葉が黄色く秋色に色づいた木々にあたたかな陽射しが降り注いでいる
様子を眺めながら、久しぶりにゆっくりと昼下がりの時間を過ごしました。
連休中に出席する学会で正式な発表者ではないですが、伝えたいことを伝えようとするためにはどうしても資料が必要で、パソコンとにらめっこして資料を整理し続けた疲労もあって、
緩やかな時間は久しぶりでした。

そんなにもう話さないつもりで参加させていただきましたが、色々な方のお話を聴かせていただいていると、歴史が長い分どうしてもやはりたくさんの思いがあふれかえってきてしまって、自分のことを話さずにはいられません。
本当に人それぞれで、比べっこするわけでも、批判しあうわけでもなく、ただ自分の思いを語るだけ。語ることで自分の気持ちに気づいたり、整理されていったりします。

21年の月日をあらためて思います。
これでもかこれでもかと自分を責め続けた苦しい日々を思い出します。
ここまできて、ようやく今までばらばらだったビースがつながってきたような気がします。
理屈では説明のつかない感覚ですが、混乱の先が見えてきたのは、本当に妹が守ってくれているような、ねえちゃんがんばれよ、と背中を押してくれているような感じがあります。
ずっとずっと長い間苦しかったですが、逃げないで向き合い続けてきました。
混乱が終わったら、ようやく自分自身のために幸せを求めていい。自分を許していい、そんな時が訪れたように思います。
妹の30年の人生にどんな意味があったのか、自分で納得して逝ったしまったのか、
それを私がわかったら自分が楽になれるのではないかと長い間その答えを追い求めてきたけれど、答えがどこかにあると思ったけれど、答えはどこにもない。思いは空を舞い続けて、どこにもたどり着くことができませんでした。
妹の分は妹自身にしかわからない。母の分は母自身にしかわからない。私の分は私自身が知っている。苦しみや悲しみが消えることはないけれど、折々にどうしても思い出してしまうし、自分を責める気持ちがまた湧き上がってくることもある。こんな私で、これからもひたむきに歩いていきたいと思います。

人によっては無駄な時間を過ごしていると映るようですが、それは事情を知らない方の仰ること、気にしないようにしようと思います。
ためこんできたものを捨てる日々が続いています。
過去の自分と出会い直し捨てていく作業は、自分の中から悪い気が抜けていくような感覚があります。妹とのお別れの少し前の愚かだった頃を思い出させるものを、デジタル化して現物は捨てました。これ以上こういうものを抱え込んだままでは、もう一歩も前に進むことはできずに苦しかったんだとあらためて気が付きました。
かなり整理できてはきましたが、まだまだ抱え込んでいるものがあってグチャグチャ状態。
今年は捨てる作業で終わってしまいそうです。捨てる作業は頭を使って考えるので疲れますが、やり遂げていこうと思います。そしてできれば、お隣の咳払いまで聞こえるような住環境からもさよならしたいですが、これはむずかしいかな・・・。

気がついたらまた長くなってしまいました。
今は、妹に見守っていてほしい、導いてほしいと祈るばかりです。

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